3.


 いよいよその日が来る。

 私はつい指折り数えてしまう。


 私の生涯でこれまでこういう事はなかった。


 昨日と同じ今日が来て、今日と同じ明日が来る。

 そこには「年」も「月」もなく、ただ一日の始まりと終わりがある。


 「外」からの情報で地球や他の惑星では月の満ち欠けや太陽の高さ、一日の長さや気温が変わることは知っている。

 けれど、「ここ」ではそれは起きない。

 一日の長さも太陽の高さも変わらず、月はそもそもない。


 農業・漁業区画ではそれぞれの品種にとって最適な温度と光が当てられている。

 気温の変化を感じたければ、「砂漠区画」へ行けば灼熱のような乾燥、「トロピカル」では高温多湿、「極圏」に入れば紅蓮の極寒が味わえる。

 そして、それはいつでも止められる。

 それぞれにとっての「適温」。


 それらに飽きて居住区に帰ればいつだって私にとっての「適温」になっている。

 害虫も災害もない。

 いつだって快適な私の王国。


 けれど、彼等に会ってそれは変わった。

 彼等の仕事は状況や締切で変わり、目標があった。


 それぞれの仕事には困難がつきまとい、それでも光が当てられることはない。

 気温は常に変わり、光が当たる場所は焦熱に焼かれ、作業服の一つ外は命を奪う乾燥、日陰はたちどころに絶対零度近くになる。

 そして、それはいつだってやってくる。

 それぞれにとっての「受難」。


 それらに倦み飽きても一定時間したら直ぐに次の「受難」に立ち向かう。

 危険と恐怖の連続。

 いつだって困難な彼等の戦場。


 それでも、彼等は立ち向かう。

 一つ一つの「受難」を一つ一つの「歓喜」に変えて行く。

 そんな彼等の姿は光に満ちていた。

 そしてもう直ぐ、私も彼等に加われる。

 困難とそれを乗り越える日々に。


 ああ、もう直ぐ。



 いよいよその日が来る。

 私はつい指折り数えてしまう。


 今回の歴史的な仕事でもこれほどの事はなかった。


 日一日と作業が進み、一歩一歩橋頭堡を築いていく。

 そこは常に変化の連続で、一つ一つ進んでいった。


 実働隊も設計部門も大忙しだった。

 「橋梁」の基礎を築く為に複数の次元を繋ぎ、ブッラックホールの干渉に負けぬ「タワー」を建て、カウンターを当てながら「ケーブル」を造る。

 常に不測の事態が発生し、いつだって資源は不足していた。

 皆苦戦していた。


 それらに倦み疲れて居住区画に戻っても、そこにはいつもの物しかなかった。

 量子テレポートは機能せず、望みの飲食物はブラックホールに飲込まれ、お定まりの物ばかり食べた。

 癒しも逃避もない。

 いつだってゴルゴダへの行進。


 けれど、彼女の歌が救ってくれた。

 彼女の歌はいつだって明るく、朗らかで、暖かみを感じた。


 見せてくれるものはいつだって穏やかで、光を感じられた。

 その時々の気分で変わる音色はいずれも光を抱え、織りなされる布や服は創意工夫と愛嬌に溢れていた。

 何より、いつだって世界への愛情に彩られていた。

 それぞれへの「賛美歌」。


 だからこそ、彼女は可愛らしかった。

 一つ一つの「歓喜」を一つ一つの「祝福」に変えて行く。

 そんな彼女の姿は光に満ちていた。

 そしてもう直ぐ、彼女と会える。

 ランデブーポイントは伝えてある。


 ああ、もう直ぐ。



 私は教えられたやり方で入力し、指示されたポイントへ、指定の時間で動くよう、船にセットする。

 後は、ただ待つだけ。


 そうすれば、外殻が開き、彼等の船が「ケーブル」に繋げてくれる。

 そうしたら、直接会って、いっぱいお話をしよう。

 彼等の為に織物はいっぱい用意しておいた。

 お茶は何が良いだろう。

 思わず歌を口ずさんでしまう。


 こんなにワクワクするのはいつ以来だろう?

 お母様が亡くなってから久しく——


「この船は『呪い』にかかってしまった。もう何処へも行けない。決して表に出てもならない」

 「呪い」——


 ふと、あの言葉が頭を掠めた。


 時間だ。


 船が動き出す。

 外殻が開く。


 外の空間が歪み始める。

 一切の虚無へ——


 ああ、「呪い」——



 我々は教えた通り、指示したポイントへ、指定の時間で動くよう、船をセットする。

 後は、ただ待つだけ。


 そうすれば、外殻が開き、彼女の船を「ケーブル」へ繋げ、複素空間で安全を確保する。

 そうしたら、直接会って、いっぱい話をしよう。

 彼女の為に新しい生活環境も用意しておいた。

 戻ったら、どんな処に住もうか。

 思わず彼女の歌を思い出す。


 これほどの興奮と期待はいつぶりだろう?

 ああ、そう言えば、昔裏切られて——


「この船は『呪い』にかかってしまった。もう何処へも行けない。決して表に出てもならない」

 「呪い」——


 ふと、彼女の話が頭を掠めた。


 時間だ。


 船が動き出す。

 時空の幕が開く。



 空間の緞帳の向こう、そこには何もいなかった。

 ただ、薄暗い、光すらも除けてしまう虚無ばかりだった。


「こちら指揮官!こちら指揮官!オペレーター!オペレーター!これは一体どう言う事だ!?」

 思わず取り乱してしまう。

 座標が狂ったか?

 いや、数値は一致している……

 「実在性バーティコ」か?

 バイタルは……

 正常?


 そんな莫迦な——


「こちらオペレーター、こちらオペレーター。座標はあってますが、時間が大幅に狂ってます!」


 時間の狂い?

「『大幅』とは具体的にどれ位だ!?」


 そう質問した直後、ふと、前方にプレート状の何かが浮かんでいるのが見えた。

 思わずそれを船外マニュピレーターで捕まえる。


 それは、船舶用識別プレートの残骸。

「シャーロット」とだけ書いてある。


 その時であった。


 音が——聞こえる。


 宇宙に響く甘い女性の歌声が——


 全ての計器からシャーロットの歌声が流れ始めた。


「指揮官!頭が!頭が!」

 オットー補佐官より通信が入る。

 この通信の後ろでもシャーロットの甘く、穏やかな歌が流れる。


 どうやらオットー補佐官が最近受けたサイバネティック脳内通信手術のセンサーも「歌声」を拾ってしまったらしい。

 この宙域全体にシャーロットの歌声が遍満してしまっている。


 そんな事を考えていると、船体が大きく揺れ始めた。

「オペレーター!どうした!?」

「事象の地平面の相互干渉により、我々の船体はシュワルツシュルト半径の中に飲込まれようとしています!」

 オペレーターとの通信の後ろにも歌が流れている。

 そして銃声。

「オペレーター!今の銃声は何だ!?」

「ああ、補佐官が……補佐官が……」

「どうした!?」

「拳銃で自身の頭を撃ち抜き、そのまま船外へ……ああ、事象の地平面の向こうへと吸い込まれて行きます……」


 オットーが、自殺した?

 いや、今はこの船の事を考えねば。


「それで、我々の船は!?」

「ああ……はい……その……」

 オペレーターもショック状態に陥っているようであった。

「落ち着け!計算結果ではどうなっている?」

「ああ……はい……問題ありません」

 問題ない?

 この状況で?

「船体は『ケーブル』に繋げてあるので、飲込まれる可能性は限りなく低く、このまま複素空間に戻れば問題ないそうです。A.I.を信じるならば、ですが」

「了解した。直ちに複素空間へ戻れ!オットーは、諦めよう……」


 こうして、複素空間へ再突入しようとしたとき、宇宙にシャーロットの姿が浮かんだ。

 彼女は朗らかに微笑みながら、織物をこちらへ見せようとしてくる。

 この空間と全ての計器、果ては装甲板からさえも彼女の歌が聞こえて来る。


 それらは、それぞれの原子構造ごとに共鳴をし、音程を変え、全ての音階で響き渡っていた。


 いつまでも、いつまでも——

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