1

 それは、むかしむかしのこと——

 大きな「厄災」が起きて、皆眠りから醒めなくなってしまいました——

 ただ一組の家族、父親と母親、娘の三人を除いて——



 そこには誰もいない街があった。

 宇宙を旅する方舟の街。


 私が目醒めたとき、そこには両親しかいなかった。

 詳しいことは教えてもらえなかったけれど、この方舟は「座礁」してしまい、他の人は「いなくなった」のだそう。

 それでも、大抵のことはロボットがしてくれるから、我家は王室のような生活だった。


 父が王様で母が女王様。

 そして私はお姫様。


 実際、このなんキロも広がる「領土」の大半を我家は自由にできたし、「召使い」もいっぱいいたし、宇宙空間とはいえ水も食料も充分で、少しの農業や養殖なら可能だったので、マリー・アントワネットのような田舎ごっこをして暮らしていた。


 通信設備も生きていて外からの情報は手に入るのだけれど、両親がどれだけ工夫しても、どういう訳かこちらから送信するものは全てエラーになったしまった。

 両親はそのことで酷く落ち込んでいたが、私は「中」の生活が快適だったのでほとんど気にならかった。


 大きく曲がって入ってくる太陽の光。

 そよぐ風。

 重力区画の噴水や大きなお風呂。

 無重力部分での空中散歩。

 外殻を開いた際に射し込む幾重もの虹の波。

 自然と発せられる歌声。


 そんな楽しい毎日だったけれど、その中でも特にお気に入りだったのは「機織り」だった。

 大抵の物はプラントとロボットが生産してくれるのだけれど、彼等は命令された事しかできず、また、どうしても人の手が必要になる部分もあった。

 その中でも特に服やアクセサリーは、人が考えないといけないもので、最初はライブラリー内のデザインストックでも普段の生活に使うには充分だったが、自分達でプログラミングできる事がわかると、これは本当に楽しい作業だった。

 当初はストックを組合せていただけだったのが、段々と手の込んだ事ができるようになり、わざと古いジャクァード織りや西陣織(どちらも機械に布を織らせる初期のプログラミングだそう)を再現したり、最終的には敢えて手作業で造ったりした。

 外からの情報は入るので、「最新」のファッションや研究等も参考に、色々造る事ができた。

 私は毎日を歌と機織り、そしてモニターからの情報で過ごした。


 何せ時間はいくらもあるのだから。


 その無限に続く日常にも大きな変化が起きた。

 父が亡くなったのだ。

 父の亡骸は「国葬」として、プラント用溶解液の中に葬られた。

 我々は、パンの為に額に汗しなくなった代わりに、塵や灰になるのでもなく、あるいは来た土に還るのでもなく、再び血肉として循環していくようになっていた。


 王を失った王国は喪に服する日常に変わった。

 父を失った母は暫くしてから認知症を患ってしまったのだ。

 幸いにして症状は穏やかで、頑迷に問題行動を繰返すなどはなかったけれど、日にちの繋がりがバラバラになってしまった。


 母の認知症は次第次第に進み、日常の繰返しはより強くなっていった。

 その中でも母が繰返したのは「呪い」の事だった。

 詳しいことはよく分らないけれど、私達の方舟がどいういう状況にあるのか、幼かった頃の私に伝える為に両親が工夫した表現が、この「呪い」だった。


「この船は『呪い』にかかってしまった。もう何処へも行けない。決して表に出てもならない」


 母は、毎日のようにこの言葉を繰返すようになった。

 そして、毎日「地球」がどんなに素晴らしいところなのかを語ってくれた。

 宇宙大航海時代がいかに始まったのか。

 それ以前の人類が地球の限界にどれほど絶望し、どれだけいがみ合い、核兵器を互いに向け合っていたのか。

 避難訓練がいかに怖かったか。

 いくつかのバリエーションはあるけれど、毎日この辺りの話題のどれかを繰返すようになっていた。


 けれど、私は物心ついたときから「方舟」の中で育ち、「方舟」の生活しか知らないので、「何処へも行けない」としても、特に気にはならなかった。

 毎日、布を織り、歌って暮らす。

 一方的に流れてくる「外」の世界の情報に触れる。

 ときどき流れて来る「ロマンス」だとか「結婚式」の情報に触れると羨ましく思う時もあったけれど、それだけで充分幸せだった。


 母の話がロボットの受け答えよりもパターンが少なくなってきた頃、ついに母も父の後を追って逝った。

 女王もやはり「国葬」に付され、皮膚や骨に変わって行った。


 そしてとうとう、私は独りになった。

 新しい女王たった一人の王国。


 けれど、それは結局いつもと変わらないものだった。

 船に残された資源は、私一人が過ごし、死んで行くには贅沢過ぎる程であったし、身の回りの世話もロボット達がしてくれる。


 何処へも行かない。

 出ようともしない。


 昨日と同じ事が今日も行われ、明日も今日を繰返す。

 毎日、機織りと歌で過ごす、豊かで静かな毎日。


 「呪い」なんて関係ない、平和な日々。


 いつまでも、いつまでも——

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る