シャーロット恒星間飛行船

@Pz5

Op.

 音が——聞こえる。


 宇宙に響く甘い女性の歌声が——


 それは、僕達が新婚旅行として中央惑星系からキャメロット惑星系リゾートへ向け、複素空間吊橋航法による疑似超光速航行中に聞こえてきた。


 この銀河系中央に座する三大ブラックホールの光子球の合間、幾重にも入組んだ事象の地平面により、三次元航法しかなかった銀河大航海時代には多くの世代間航法船をその場に留め、飲込んだ「銀河のバミューダトライアングル」とも呼ばれる宙域にさしかかったころのできごとである。


 その歌声は、独唱であるにも拘らず、ブラックホールによる時空間の歪みから幾重にも重なりあい、ポリリズムやポリハーモニクスを交えつつ聖歌やフーガのように互いの歌部を支え、その宙域全体を充たす無限に重なるレゾナンスになっていた。

 か細くも喜びに満ちた、独唱による交響曲。

 しかし、どこかオギューメントコードの様なメロディックグラビティを感じさせる共振空間。


「『セイレーンの歌声』?」

 僕の向かいのソファでくつろいでいた、新しく妻になるジェーンが呟く。

 そのつぶやきは、軽やかに聞こえた。

 疑似超光速とはいえ、船内でのそれなりに長い滞在時間(と行ってもこの銀河の端から端までの航行でも精々「数日」だが)にあっては、この程度の「怪異」でも随分と気分が軽くなるものだな、と思う。


「そうかもね」

 僕も好奇心に駆られつつ軽く応える。

「どうかな?『橋守』に聞いてみるかい?」

 そう言いつつ、僕の指は既に手元の端末を操作し、橋守に音声通話を繋げていた。


『はいこちらギャラクシーゲートブリッジ、橋守・フレデリクソン司令官キャプテン・フレデリクソン。如何しました?スワン氏ミスター・スワン?』

 手元の端末から流れる声は親切でありつつも事務的で、しかしどこか憂いを帯びたものにも聞こえた。

 後ろで流れる「歌声」のせいであろうか?

「ああ、フレデリクソン司令官。今僕等の後ろで流れているのが、あの有名な『セイレーンの歌声』でいいのかな?」

「『今』?ああ……少々お待ちを……ええ……『現在』の貴艦の位置は……」

 直ぐに返って来るであろうと思っていた答えは、意外と待たされるものになった。


「何をいっているんだい?今君の後ろでも流れているだろう?」

「ああ、この位置か。ああ、もしもし?」

 フレデリクソン司令官は僕の質問を無視しつつこちらの位置を捕捉したようだった。

「もしもし?君の後ろでも流れているのが聞こえるんだが、それは違うのかい?」

「あぁ、ええっと、『セイレーンの歌声』は重なりあった無限多価関数の周波数を持っているので、それが響く宙域では、たとえ複素空間上であろうと、どんな処からも流れてしまうんですよ」

 司令官は淡々と続ける。


「つまり?」

「つまり、たとえこちらが『無音』でも、それがそちらで再生される際には『セイレーンの歌声』が入ってしまうのです。人によっては、サイバネティック技術の相性の悪さから『頭の中』で響いた例も有る位で」

「なるほど?」

「で、結論を言いますと、そちらの位置ならそれは『セイレーンの歌声』の可能性が非常に高いですね」

 淡々と説明してくれる割には随分と歯切れが悪い。


「『可能性が高い』?と言う事は、この『声』は君の処では聞こえていないのだね?」

「ああ、いや、実際は逆で、私には『常に』聞こえているのです」

「『常に』?」

「はい。ギャラクシーゲートブリッジの管制塔はこの『銀河のバミューダ』を内包する宙域の複素空間内にあるので、その中では常に『セイレーンの歌声』が『響いて』しまうのです」

「なるほど」

 ここまで話していて、僕はふとこの司令官自身への興味が湧いてきた。


「君はここは長いのかい?」

「まあ、『長い』と言えば、そうなりますね」

「では、『セイレーン』の事に関しても聞いているのかな?」

「まあ、『知っている』と言えば、そうなりますね」

 歯切れがいいときと悪いときの、この差は何なのだろう?


「なら、丁度良い。僕達夫婦は今少し退屈していてね。よければ、聞かせてもらえないかな?その『セイレーン伝説』を」

「はあ、まあ、私が知っているのは事実のごく一部ですが、それで宜しければ……」


 そう言って橋守は昔話を少しずつ始めた。

 むかしむかしの物語を——

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