捜査ファイル 7
ミサキの家を出てからしばらく歩いたところで金森が口を開いた。
「白川、しっかりしろ」
「何をです」
金森がやれやれと頭を振った。
「お前なあ。それでも刑事か? どうして年号に気づかなかったんだ。まさかとは思うが林ミサキの色香にあてられたんじゃないだろうな」
「なっ、そんあことは――」
慌てて否定しようとして噛んでしまった。実際にそのようなことはないのだがこれでは認めているように見えてしまう。金森は再びやれやれと首を横に振った。白川は違うのだと否定してもそれは必死に隠そうとしているようにしか思われなかった。
二人はその足でミサキが働いていたという職場に足を運んだ。結果、ミサキは本当に一ヶ月前までそこで働いていたことが判明した。その他にもミサキは無遅刻無欠勤の真面目な社員だということ。有給はちゃんと消化していたが、盆と正月以外にまとまった休暇を取ったことはないはずだということも判明した。
知れば知るほどミサキがシロである証拠が出るばかりだった。
――――
仕事を終えた二人はホテルに戻った。部屋に入るなり白川はそのままベッドに仰向けに倒れ込んだ。スマホを取り出し時間を確認すると三時すぎになっていた。この時間に仕事を終えられるのはかなり稀なことだった。だがそれを満喫している余裕などない。F市へ帰る予定は翌朝で、今からできることはもうない。このまま帰ったら笑いものじゃ済まされない。今回の事情聴取は課長の許可を得ているとはいえほぼ独断に近い。最悪処分を覚悟しなければならない。
「ふぅ」
渦巻く不安が飽和状態になって口からため息となって吐き出される。
「ポジティブに考えよう」
このまま帰れば林ミサキは犯人ではなかったと結論付けられるだろう。現に林ミサキには犯行が不可能だった証拠がいくつか出ている。だが一方でF市で起こった未解決事件の内情を知りすぎていることもまた事実だった。これは一体どういうことなのか。焦りに突き動かされるように手にしたままだったスマホを操作して林ミサキに関する情報を得ようとする。検索ワードは田嶋ハル。
すると、目に飛び込んできたのは田嶋ハルが警察の事情聴取を受けた。警察から疑いをかけられれているといった内容のニュース記事だった。
「どうして?」
事情聴取をしたのは確かだが、それは今朝の出来事だ。それがすでに記事になっているというのは異常なまでの早さだった。自分の行動がマスコミに嗅ぎつけられたのかと今一度朝からの行動を振り返ってみるが特に落ち度はない。白川も金森も警察の制服を着ていたわけではないから仮に彼女の家に出入りしているところを見られてもそれとはわからにはずだった。そもそも林ミサキを聴取するという話は南署の人間しか知らないはずで、口外しなければマスコミの耳に入るはずもない。
「……あっ!」
はたと気づく。白川はその記事が投稿されているページに目をやる。普段確認することもないような場所にも目をやる。ニュースの更新日時は本日の正午。そして掲載元のサイト名を確認する。その先に飛んで運営会社を確認すると。
「やっぱり」
社名は今度『タナトスと踊れ』を出版する予定の出版社だった。合点がいった。昨日白川たちは自分たちが警察であると名乗った。その上で野村に事情を説明した。つまりそれが原因。昨日の様子からして野村が誰かにしゃべったとは考え難い。おそらく聞かれていたのだろう。
出版社も一枚岩ではないということだ。純粋に書籍を出版する部署もあればゴシップを扱う部署だってあるはずで、今や時の人となった田嶋ハルのもとに警察が来たなんて出来事は、いかにもそういった連中が好きそうな話題だ。
「まずいな」
白川は自分の軽率な行動を恥じ入りながら指を動かす。そしてたどり着いた先は田嶋ハルの非公式ファンサイト。案の定掲示板は異様な賑わいを見せていた。
そこには田嶋ハルが警察に任意の聴取を受けたことが書き込まれており、その書き込みに対して彼女をよく思っていない連中がこぞって彼女を犯罪者扱いし、それが呼び水となってしばらくファンとアンチの言い争いが続いていた。加えてそこに炎上好きの部外者たちが乗り込んで来る始末。ファン同士の交流の場だったはずその場所はいまやカオスとなっていた。
白川はやれやれと呆れ気味にため息を付いて画面を下へとスクロールする。そして、ある書き込みが白川の目を奪う。複数人が興じていたと思われるのは林ミサキの子どものころの話だった。彼女の同級生だったと名乗る人物の書き込みを発端に会話の流れができあがっていた。そこには林ミサキの小学校時代の卒業アルバムの写真などもさらされていた。昨日ミサキの家で見た卒業アルバムと同じものだ。黒縁メガネのおかっぱ少女の写真だ。それを見た者たちはその外見をあげつらい小馬鹿にしたような書き込みを平気で行っていた。やがて高校が同じだったと語る人物の書き込みがあり、大学で見かけたときはこうだったとかいう書き込みもあった。その後も林ミサキの目撃情報が盛んに書き込まれ、あれやこれやと盛り上がっていた。
無法地帯だった。しかしその無法な者たちの証言がここ最近のミサキの動向の裏付けとなっているのも事実だった。
一方で白川はその状況に一抹の不安を感じていた。でもその不安は漠然としたもので言葉にできないでいた。けどなにかが起こる。悪い予感があった。
…………
昨日の不安を抱えたまま翌朝を迎え朝一の新幹線に乗り込んだ。気分はお世辞にも良好とは言えないがそれでも時が止まってくれるわけじゃない。時間とは無慈悲にも平等に過去から未来へと流れゆく。
「ずいぶんだな」
白川のすぐれない表情を見た金森が一言。
「体調管理は怠るなよ。事件は俺たちの事情を察っしちゃくれないんだからな」
疲れが溜まっているわけではなかったので慌てて釈明し、その原因となったことを語った。金森はなるほどと二人掛けの座席の通路側で新聞を広げながら言う。ガシャガシャと紙擦れの音を立てながら新聞をめくる金森を見て白川の気分は少し上向きになった。
今どき電車の中で新聞を読む人間など天然記念物級だ。通路の向かいに座る明らかに金森より年配に見えるサラリーマンも目を剝いて驚いているではないか。
そもそも活字は読まなかったのではないか。いやそもそも新聞は活字に分類されるのだっただろうか。そうやって余計な思考を巡らせることで少しずつ白川が感じていた不安が薄れていった。
「どうにもならんさ」金森が新聞から目を外さずに言った。「警察の捜査ってのは、今回は駄目だったが次がある――なんて言ってられないことのほうが多いが、まあ、なんだ。頭を切り替えるってのは大事なことだろう」
金森なりに慰めようとしてくれているんだと気づいた。
「それにだな。八方塞がりってわけでもない。ちょっとこれを見てくれ」
そう言いながら開いていた新聞を白川の方に寄せる。そこには一面広告。小説の新刊の広告だった。地元紙でもこういった新聞広告はよく目にするので別段珍しくもない。
「あれ、この新聞」
しかもよく見れば新聞日付が今日でなく昨日になっていた。
「違う。ここだよここ」
金森が焦れったそうに指でなぞったのは著者名の部分だった。そこには二人の名前が記載されていた。原案者と著者。
「これがどうかしたんですか?」
まさかこれを見せたいためにわざわざ昨日の新聞を用意したのだろうか。
「普段本を読まないからな。こういうパターンもあるのかって思ってな」
「そうですね」
白川は子どもの頃はよく漫画を読んでいた。その中には物語を作る人と絵を描く人が別々になっているものも多数あった。それが漫画でなく小説に変わっただけで別段驚く要素はない。
「『タナトスと踊れ』もそうだったりしてな」
「え?」
金森が妙なことを口走ったのを聞いて思わず声が出た。“田嶋ハル”が個人を表す名前ではなくグループを表す名義だったらと言いたいのだろう。だとしたらたしかにいろんな矛盾が解消されることになる。ミサキがF市に行かなくてももう一人の田嶋ハル――仮にエースとしよう――がF市で犯行を重ねればいいわけだ。年齢に関する問題だってエースがミサキより若ければいい。だとしても疑問が残らないわけではない。
「どうして自分たちにそのことを言わなかったんでしょう」
「話さなかったんじゃなくて、話せなかったのかもな。俺が脅しをかけたとき林ミサキは一瞬だけ言葉を詰まらせたよな。もしかするとあの女はその時まで知らなかったのかもな」
果たしてそうだろうかと思う。白川たちが指摘するまで知らなかったのなら、あのとき初めて気がついたとしてもそれは話をしない理由にはならない。むしろエースが犯した罪が自分が犯した事になるかもしれないと考えたら積極的に弁明するのが普通ではないか。
「いや……違うのか」
むしろ警察の目がミサキに行くことは承知の上なのかもしれない。今回ミサキの本人及び周囲を探ってみてわかったことはミサキにはおおよそ犯行が不可能だということだ。知れば知るほど、調べれば調べるほどミサキが犯人ではない証拠が固まっていくだけ。そうやってミサキに執着している間はエースは自由に動き回れる。
ミサキとエースの間には強い信頼関係があって、警察の目をエースから遠ざけるためにミサキはわざと矢面に立とうとしているのかもしれない。
白川は自分の考えをそのまま金森に伝えた。
「なるほど。その線もなくはないな。しかしどのパターンでも疑問が残るな」
金森の言うとおりだ。先程の白川の考えが正しいとするなら。やはり白骨化した遺体を世間にさらす必要などなかったのではという疑問が湧く。ただ実際に犯行を行った人物が別にいるという考えだけは的を射ている気がした。
「まだなにか見落としが……」
「あるいは俺達の推理が完全に的外れか……だな」
列車は既にF市に向かって走っている。
ミサキに接触したことで彼女は警察に対する警戒を強めただろう。だからこれ以上ミサキを問い詰めたところで口を割ることはない。ならばここは一つ、共犯説を信じエースの存在を追うべきではないだろうか。
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