田嶋ハル 6
田嶋ハルが一日の間に二度も襲われた――
その日は朝から田嶋ハルに降り掛かった災難のニュースで持ち切りだった。普段彼女に関するニュースを取り扱わないテレビ局も事件となれば取り扱わざるを得ない。節操のないマスコミ連中は彼女が運ばれた病院にまで押しかけLIVE中継する始末。そんなことをしたって本人からなにか話が聞けるわけでもないし、彼女の容態がよくなるわけでもない。
報道は数日続いた。
――田嶋ハルを襲った犯人は誰? ――田嶋ハルが襲われた理由は?
憶測、願望、空想、妄想が飛び交う。それはネットも同じだった。いや、ネットのほうがより過激だった。
彼女を心配するファンもいれば、田嶋ハルは報いを受けたのだ、よくやったぞと犯人を称賛する輩もいた。
田嶋ハルの家族や彼女の本を発売する予定の出版社の人間も取材の対象となり、映画に出演する役者は神妙な面持ちで田嶋ハルに一日も早い復帰を願うメッセージが出され、誰もが強い憤りを感じていることをアピールする。
わたしは笑いが止まらなかった。ことが大きくなれば大きくなるほど林ミサキの受けるダメージは大きくなるというのに。真実を知らない人間たちの滑稽な様がおかしくてたまらなかった。
各種メディアが一連の事件を大きく報道する中、田嶋ハル本人による記者会見が開かれることとなった。それは彼女が襲われた日から五日後のことだった。
…………
記者会見当日。林ミサキが襲われた日以来彼女は始めてメディアの前にその姿を見せた。会場に駆けつけた報道陣は一斉に彼女の姿を捉える。激しいフラッシュの洗礼。
テーブルの向こうに座る林ミサキは深刻そうな表情をしていた。マイクの位置を直そうとして机の下から手を出す。そこに映った包帯に巻かれた右手は五指が失われていた。彼女は慌てて右手を机の下に隠し左手でマイクの向きを調整する。その仕種は彼女が右利きの頃の癖が完全に抜けていない事を表していた。
目ざとい報道陣はそれを逃さない。彼女の痛々しい姿をリポーターがセンセーショナルに伝える。
時間をかけて面を上げる林ミサキ。その顔にいつもテレビで見せる笑顔はない。化粧っ気のない疲れ切った表情。髪も乱れ気味で着ている服もシンプル。その理由は簡単だった。彼女は右手を失ったことで満足に自分を着飾ることができないのだ。
林ミサキは沈黙していた。
一躍時の人となった彼女が何を語るのか、画面の前の視聴者たちは期待に身を寄せていた。
このタイミングでまさかの新作発表か、あるいは怪我が思わしくないのか……。最初の一言を今か今かと待ち受ける聴衆たちの耳に届いたのは、誰もが予想していなかった謝罪の言葉だった。
「本当にごめんなさい」
弱々しい涙混じりの声がマイクに乗って全国へ伝えられる。そして彼女は言葉を続けた。
「『タナトスと踊れ』は私が書いたものではありません。あれは――」言葉を止め、葛藤し、意を決して、「盗作なんです」
彼女は自らが犯した過ちを認めた。
林ミサキは子どもの頃から小説が大好きで、いつか自分も作家になりたいと思うようになった。しかしいざ小説を書こうと思ってもなかなかうまく行かず、そんな時にネットで閉鎖間際の小説投稿サイトがちょっとしたお祭りになっていたのを見つけた。この時彼女は思った。もしここに投稿されている小説を盗んでもバレないのではないかと。
そして彼女はその中でも特にPV数が少なくかつ投稿者の更新頻度が少ない作品を吟味した。人気のある作品はバレるリスクがあると考えたからだ。その結果行き着いたのが件の小説だった。PV数がゼロのまま半年近く放置されていたその作品はまさにお
それからその小説が別のサイトに転載されていないことを確認し、すぐに投稿することを避け、三年という月日を経て自分の作品と称して新しい小説投稿サイトに投稿した。だがそれが話題になることはなかった。考えてみれば、元々誰も読んでいなかった小説がそんなに簡単に話題になるはずがなかった。それでも少なからず読んでくれている人はいた。感想をくれる人もいた。でもそれだけでは満足できなかった。
そこで彼女は巷で話題のインフルエンサーに宣伝してもらうという方法を思いついた。大金を払い、宣伝であるということを伏せて話題にしてもらった。いわゆるステルスマーケティングをやったのだ。するとその小説は瞬く間にPV数を増やしていった。
しかし、彼女が盗んだ小説は普通の小説ではなかった。それは端的に言えば事実をもとにしたフィクション。そうとは知らない彼女は結果的に今回の騒動に巻き込まれることになった。
この発表に世間は大騒ぎとなった。アンチのみならずそれまで彼女を応援していたファンからも非難の声が相次いだ。彼女を心配するような報道を続けていたメディアもあっさりと手のひらを返して彼女を非難する側に回った。林ミサキ及び仕掛け人のインフルエンサーに厳しい言葉が浴びせられ、その熱はしばらく続くこととなった。もちろん書籍化や映画化の話はすべて白紙となった。
林ミサキの記者会見を皮切りにあっという間に転落していく彼女の人生を見てわたしは笑いが止まらなかった。テレビでは今も記者会見の時の映像が流れ、出演者たちがそれを見ながら彼女を痛烈に批判していた。
「あはははははっ!」
わたしは腹を抱えて笑った。床を蹴って笑い転げた。マスコミの人たちに質問攻めにされる彼女を見て清々した。溜飲が下がるとはまさにこのことだと思った。
でも、笑ってばっかりもいられない。こうなった以上、近いうちに警察の手がわたしへと伸びるだろう。そうなればもうこれまで通りの生活を送ることはできない。
林ミサキとは違った意味でさらし者にされるだろう。しかも犯した罪の重さで言えばわたしのほうが圧倒的にでかい。その先に待つのはきっと……死だ。だからって逃げようとは思わない。覚悟ができているかどうかは別だけど自分の罪を明るみに出した段階でそうなることはわかっていた。
わたしは畳に仰向けに寝っ転がって目を閉じる。このあとどうするかはすでに計画済みだ。
「大丈夫。やれるよ」
自分に言い聞かせて決意を新たにする。すると、まるで図ったかのように家のチャイムが鳴った。
どうやら、終わりの時が来たようだ……
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