田嶋ハル 2

 ネット上で「田嶋ハルの書いた小説は現実で起こった事件をモデルにしたのではないか」という噂が流れていた。最初のきっかけは彼女のファンたちが集う非公式サイトの掲示板に、『小説内に登場する九条綾乃のモデルが数年前に消息を絶った石橋緑である』という書き込みがなされたことだ。

 最初は半信半疑だった者たちも、スレッドを立てた人物がその理由を説明しだすと、それを見た者たちの一部が徐々にその話を信じるようになっていった。すると当然のように他の事件にも元ネタがあるのではと言い出す者があらわれ、ゲーム感覚で考察が始まり、過去のニュースを掘り始める。

 極めつけは、「もし本当に小説の内容が現実とリンクしているなら、どこかの山に現金の入ったアタッシュケースが埋まっているのではないか?」という書き込みだった。普通は信じない。そんなまさかと笑い飛ばして終わり。そもそもモデルとなった石橋緑が誘拐されたという事実は公表されていない。一般人には知り得ない情報だ。

 だが世の中にはちょっと考えればわかりそうなことでも、わからずに行動してしまう者もいる。まるで宝探しでもするかのように。そして驚くことに一人の男が発見してしまうのだ。ただし見つかったのは現金ではなく白骨化した遺体だった。


 …………


 ひと仕事終えて家に帰ってきたわたしは自分の部屋入ってすぐにテレビをつける。テレビになどまったく興味はないが、田嶋ハルが出演する番組だけはできる限りすべてチェックするようにしていた。

 チャンネルを合わせるとお昼のワイドショーが始まり、ゲストの田嶋ハルが登場する。


 わたしは彼女のファンというわけではない。正真正銘のアンチである。これは彼女に対する怒りを忘れないための儀式。常にその動向をチェックすることで、たとえ忘れかけていたとしても、体の奥底から無理やり怒りの感情を引きずり出すのだ。


 計画は順調だった。すべてはわたしの思い通りに事が進んでいた。彼女の悪事が暴かれるのも時間の問題だ……と思っていたのだが、最後のひと押しに欠けた。ネットの噂など所詮便所の落書きでしかない。新聞やテレビがそれを取り上げなければ『一部の人間がネットの片隅で勝手に騒いでいるだけ』で終わってしまうものだ。だからだろう、テレビの向こうで会話に興じる田嶋ハルは噂などどこ吹く風。あるいはマネージャー的な存在がいて、そいういう類の話は彼女の耳に入らないようにしているのかもしれない。


 インタビューに答える田嶋ハルが微笑む。その裏の顔を知っているのはおそらくこの世でたった一人。わたしだけ。そっちがその気ならこっちにだって考えがある。彼女をどん底につき落とす究極の一手をくれてやろう。そう思い立って今に至る。


 時計に目をやる。そろそろ時間だ。十分に怒りのエネルギーを注入したわたしはテレビの電源を消した。

 テレビを消すと画面は物悲しい黒一色になる。沈黙した画面に自分の姿が反射する。感情の消えたわたしの顔は自分で言うのもあれだがまったく生気が感じられない。画面が黒いせいで余計に顔色が悪く見える。


 ――覚悟はとうにできている。


 準備もすべて終わらせた。わたしは荷物の入ったキャリーケースを持って家を出る。向かう先は、東京だ。


 …………


 東京に行くのは学生時代の修学旅行以来。単身となれば初めてのことだった。目的地に到着して数年ぶりの大都会を目の当たりにする。観光したい気分になるのをぐっと堪えてわたしは予約していたホテルへ直行した。そこで一泊し翌朝あの女――林ミサキの家を目指す。


 彼女の家の住所を特定するのはとても簡単だった。


 ――――


「最近テレビに出てる田嶋ハルってミサキだよね?」


「え!? うそ!? ミサキってあのチョー地味だったミサキ!? ぜんぜん違うじゃん!」


「でもほら、この前テレビで小学校ん時の話してたじゃん。その話がさ――」


 ファンサイトの掲示板上で行われる一連の会話をぶった切るようにわたしは、「田嶋さんてそんなに地味だったの?」と書き込む。すると律儀にもわたしの質問に反応してくれる。


「マジだよ。あたし卒アル持ってるから見てみる?」


 ご丁寧にも田嶋ハルの同級生だった人物は卒業アルバムをネットにアップしてくれた。そこに写る田嶋ハル――写真の下には林ミサキとあった――は黒縁メガネでおかっぱ頭。お世辞にも可愛いとはいえない外見をしていた。


「へぇ、たしかに地味だね。ところでこの制服って〇〇小だよね」


「え? 違う違う△△小だっての」


「あ、そっか」


 自分が何かを知りたい時、バカ正直に教えてくださいと言っても相手が素直に応じるとは限らない。しかし、今のやり取りのように、こっちがあえて間違ったことを言うと相手はすかさず訂正を入れ本当のことを教えてくれる。


 こういうのを『カニンガムの法則』という。これは現実社会でも応用が効く手法で、警察や探偵あるいは占い師や詐欺師なんかが相手からなにか情報を引き出したい時によく使われる。


 田嶋ハルの昔話で盛り上がる掲示板の様子を見て、それまで流れを追うだけだったと思われる連中がこぞって彼女の情報を書き込み始める。


 普通なら倫理観が勝って滅多なことでは他人の個人情報を書き込むようなことはしない。でも田嶋ハルの置かれている状況がそういったハードルを簡単に飛び越えさせてしまう要因となっていた。


 田嶋ハルが警察の事情聴取を受けたというニュースはすでに話題になってた。前述の田嶋ハルが現実の事件参考にしているのではという憶測も相まって、彼女が本当にそれらの事件に関わっているのではないかと勘ぐる者もあらわれた。そして一部には彼女自身が犯行を行っていたのではないかという飛躍した考えに至る者までいた。

 そうなると、ちょっとくらいなら彼女に対してマイナスのことをやってもバチは当たらないだろうとなる。犯罪者には何をしてもいい、犯罪者には犯罪で報復するという捻じ曲がった思想が生まれるのはよくあることだ。それが今現在田嶋ハルの身に起こっている。


 中には完全に犯罪者だと決めてかかっている者もいた。そうと信じて疑わない人間は正義の名のもとに自らの罪を正当化する。明らかに盗撮とわかる方法で彼女のプライベートを撮影した画像をさらし、家族をさらし、家をさらす。住所こそ書かれていなかったけど家の外観と見切れる周囲の風景だけで情報としては十分だった。


 田嶋ハルの生活圏と家の風景、彼女自身がテレビで発言した武蔵野出身であるという事実をもとに、地図アプリの衛星写真を使って絞り込みをかけていく。


 こうしてわたしは難なく田嶋ハルこと林ミサキの家を特定するに至った。


 ――――


 翌日。電車で林ミサキの家を目指した。余裕を持って朝早くにホテルを出たつもりだったけど、東京の路線の複雑さにやられ目的地に着くまでにだいぶ時間がかかってしまった。誰かに道を訊けばもう少し早く目的地につけたかもしれないが、わたしの存在を他人に認知させることは極力避けたかったので自力を頼る以外になかった。

 時刻は午前十時前。わたしは林ミサキの家の玄関口が見える位置に身を隠した。問題はここから。わたしは彼女の生活サイクルを知らない。だからこの時間家にいるかも不明。家族構成は両親と三人暮らし――本人がテレビで言っていた――だから何も考えずに特攻するのは愚策だ。


 まずは彼女が一人になる時間を探る。そのためなら何時間だってここで張り込みを続ける自信があった。


 しばらく家を観察していると林ミサキがあらわれた。歩いてどこかに出かけるみたいだった。ここで待っていてもすぐに帰ってこないかもしれないし、彼女がどこへ行くのか興味もあった。わたしは彼女の後をつけることにした。


 電車に揺られバスに乗って到着したのはファミレスだった。林ミサキは待ち合わせしていたと思われる女性と合流し店内へ入った。わたしもその後に続いた。案内された席は彼女たちのすぐ近くだった。


 店内はとても賑わっていた。他の雑音に紛れて二人の会話の内容が断片的に聞こえてくる。相手はどうやら出版社の人間で、書籍化に向けた打ち合わせをしているようだった。


 耳をそばだてていると、注文したアイスティーが届く。店員がそれをテーブルに置くのと同時にグラスをつかんで一口飲んでふぅとため息をつく。わたしの中にザワつく怒りを香り高い冷たい液体とともに嚥下する。


 わたしは再び二人の会話に注意を向ける。


 正午が近づくに連れ店内はよりいっそう賑わう。そうなるともう二人の会話は一つも耳に届かない。確認できるのは彼女たちの表情だけ。最初の方は笑顔だった林ミサキの表情は徐々に難しい顔になっていく。彼女にとってなにか都合の悪い事態に陥っているようだった。二人の会話は一時間弱で終わり席を立つ。


 会計カウンターの列に並ぶ女性を残し林ミサキが一人先に店外へ出る。外で待つ彼女は隙だらけだった。わたしは注文したアイスティーを一気に飲み干して席を立った。

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