狂いゆく道程 8
大学二年の冬。一月には成人式という人生で一度きりの大イベントが控えていた。同世代の人たちがそのイベントを待ちわびる一方、わたしは成人式に出るつもりなんて微塵もなかった。小中高時代に学び舎を共にした友人たちと顔を合わせることが恥ずかしかったし、友人たちが今の自分を見てどう思うか、何言うのか、それを知ることが怖かった。
そんなわたしの心情を知らないママは一生に一度しかないんだからと成人式に行くことを強要してきた。それでも嫌だと言うと、あなたのお願いはちゃんと聞いてあげてるでしょと言ってくる。一人暮らしのことを言っているのだ。それを出されてしまったら首を縦に振るしかない。わがままを言って困らせ続けたら、一人暮らしはもう終わりだと切り札をきってくる可能性を憂慮した結果だ。
――――
わたしはめかしこむことなくスーツで会場に向かった。心底憂鬱だった。当時からイケイケだったグループは時間をかけて身だしなみを整えキャッキャウフフと騒がしい。そういう人たちは嫌でも目立つ。そんな色めきだつ騒音をよそに学校区で分けられた控室の隅で一人パイプ椅子に座って時間を潰す。何人かがわたしの存在に気づいたようだが、わたしの放つ話しかけるなオーラを感じ取ったのかだれも近寄ってこようとしなかった。
――そう、それでいい。
一人のほうが落ち着く。
メイン会場で行われる催事が終わるまでここでじっとしていようと思った。それまでずっと妄想にふけっていれば時間などあっという間に過ぎる。でも、このわたしの纏うオーラをものともせず声をかけてきた人物がいた。わたしの妄想の時間を邪魔するのは誰だと顔をあげると、そこにいたのは一人の男性だった。どこの誰だかわからず返答に窮していると、
「俺だよ、俺。
名前を聞いてわたしの記憶の中にある彼の姿が呼び起こされる。高校時代に同じ文芸部に所属していた仲間の一人だ。彼は久しぶりだねとか元気にしてたのとか訊いてくる。それに対してわたしは「うん」とか「まあ」とか短い言葉を返すばかりだった。
宮下くんは見違えていた。人はたった二年でこんなにも変わるものなのかと驚かずにはいられなかった。
高校時代の頃の面影はほとんどない。体の線が細くなったせいか背が高くなったように見える。顔だってちょっとイケメンっぽくなっている。わたしの記憶の中にある彼のイメージは、下ネタばかり言って周りを困らせて面白がるちょいぽちゃなわんぱく男子。だからギャップが凄かった。
しばらく宮下くんとの会話に応じる。最初はぎこちない対応しかできなかったけど、話しているうちに調子を取り戻し普通に会話を楽しむことができるようになっていった。会話が一段落すると彼は別の友人を見つけ、またあとでと去っていく。わたしはまた一人になって、式が終わるまでずっと一人だった。
夕方の五時を過ぎて閉会時間がやってくる。会場から出る新成人たちは仲の良い者同士で街へと繰り出す。日は落ちて辺りはすっかり暗くなっていたが会場の周辺だけは光り輝いていた。わたしはその光の群れから外れ一人自宅へ帰る……つもりだった。
そんなわたしを目ざとく見つけたのは宮下くんだった。話足りないことがあるから一緒に夕飯でもどうかなと誘われた。彼の周りには何人か懐かしい顔ぶれもいた。高校時代の文芸部員。クラスメイトと集まるより居心地の良い集い。でもそれはただマシって程度でしかない。当時のわたしなら調子に乗っていいねいいねと誘いに乗ってウキウキ気分で夜の街に繰り出したであろう。でも今のわたしは「うん、まあ」と歯切れの悪い返事を返すだけだった。
あまり乗り気ではないのは確かだった。かといって友人たちの誘いを真っ向から断る度胸も持ち合わせていなかった。
適当な店を探しながら夜の街を歩く。メンバーの中では地元に残っているのはわたしだけらしく、みんな街に目をやりながら「懐かしいな」とか「変わってねぇな」、「二年しか経ってないんだから当たり前でしょ」、「ここってこんな田舎だったけ」とか子どものようにはしゃぐ。でも違和感みたいなものはない。わたしの記憶の中にあるみんなのイメージは学生時代のまま止まっているから。
話は互いの近況報告へ変わる。大学は楽しいとか恋人ができたとかバイトがだるいとか都会は芸能人が普通に街を歩いてて驚いたとか。
「それにしても二年会わない間にみんな変わったよね」
宮下くんのその一言で互いの印象の話に代わる。そしてみんなが口をそろえて言う。
「一番変わったのはお前だよ。もしかして中身変わった?」
どっと笑いが起こる。わたしもつられて笑った。
変わった。確かに変わった。でもみんな気付いてない。この中で一番変わったのは彼ではなくわたしだということに。だってわたしは誘拐犯で人殺しだ。そんな大罪を重ねてなお変わらずにいられるはずがない。
――――
入った店は居酒屋だった。食事をするところだというイメージはないけどみんなの目的はそこじゃなかった。
わたしたちのグループはスクールカーストで言えば最下層だった。みんなで漫画、小説、ゲームにアニメや映画の話ばかりするいわゆる陰キャ集団。そんなだから影に隠れてお酒や煙草に手を出す仲間は皆無だった。だからこそ興味があった。
創作の世界には必ずと言っていいほど登場する嗜好品。お酒やタバコを嗜むキャラクターはみんなカッコよく映える。味方なら頼れる大人の雰囲気を醸し出すのに一役買い。敵なら多くの子分を従える
――が、現実はそうそう華やかなものではない。
店に入ってとりあえず全員がビールを頼む。
「苦げぇ」
みんな同じ感想を抱いていた。
大人になるに連れ味覚が鈍り苦いものが平気になっていく。だからビールも普通に飲めるようになると言うのは何かの本で得た知識だ。逆に言えばビールを苦いと感じるのはわたしたちがまだまだ子どもであるという証拠。その後誰一人としてビールには手を付けずそのままになった。代わりに別のお酒やノンアルコールにシフトした。チューハイやカクテルは概ね良好でわたしも気に入った。約二時間ほどみんなで楽しい時間を過ごした。
店を出たあとその場で解散となり友人たちが去っていく。気づけばわたしは宮下くんと二人だけになっていた。それじゃあわたしもと別れを切り出したところで「少し歩かないか?」と遮られた。少し強引気味な語気に気圧されるようにわたしは「う、うん」と反射的に返事をしていた。
夜の街を歩く。アルコールが入って上気した頬に冷たい風が気持ちよかった。もう結構お互いに話したいことは話したはずで会話のネタなど残っていない。無言のまま歩く。
前を歩く彼が不意に足を止め振り返った。
「どうしてかな。高校の頃はこんなふうに思ったことなかったけど。別の大学へ行くことになって離れ離れになって、ぽっかり穴が空いたような気分になった」
なんの脈絡もなく宮下くんが言う。それから少し無言になって……、気づけばわたしのことを考えるようになっていたと彼は締めくくった。
互いの視線が絡み合う。
わたしはどんなアピールにも気が付かない漫画の鈍感主人公じゃない。これはいわゆる告白というものだ。わたしは今、宮下くんから告白されたのだ。ただの友人としか思っていなかった彼から。まさかこのわたしが男の人から告白される日が来ようなどとは思ってもいなかった。明日は槍でも降るのかと創作的表現が脳裏をかすめていく。
何も言えずただただ呆気にとられていた。
宮下くんは真剣な顔でわたしの返事を待っている。吸い込まれそうな瞳。それともアルコールに浮かされるだけ?
嫌いではない。背が高くてハンサムでわたしにはもったいないくらいのいい男だ。当然趣味も合う。でもそこには『愛』という感情はない。それが事実だった。でもそんなわたしの頭に別の考えも浮かぶ。
これはチャンスだ……と脳内にいるもう一人の自分が囁く。
――何がどう創作活動の糧になるかわからないのだからできることはなるべくやってみるべきじゃないか?
――この機を逃せば二度とこんなチャンスはやってこないことはわかりきっているだろう?
脳内にあらわれたもう一人のわたしが異界の門の扉を開ける。探究心とともに新たな世界へ旅立つ決意をする。
わたしは宮下くんの目を見つめ首を縦に振っていた。
…………
他県の大学に通う宮下くんは週末になるとわざわざわたしに会うために地元に帰ってきてくれた。ドライブしたり映画を見に行ったり食事をしたりとデートらしいデートを繰り返す。しかし田舎は都会と違ってやれることが少ない。最初は新鮮なやり取りをそれなりに楽しむことができていたけど、それも何度か繰り返せばマンネリ化し、特にこれといった刺激を感じることはなくなっていった。
それは彼も同じだったのだろう。慣れきってしまったした空気を少しでも変えたかったのか、彼は究極の一手に打って出た。正直言えばその兆候は薄々感じてはいた。でもなかなかその一歩が踏み切れず、わたしはやんわりと回避していた。でもそれも限界だった。わたし自身興味がないわけじゃなかったけどそれと同じくらいの恐怖も感じていた。
一線を越えた先、果たしてお互い、これまでどおりの関係でいられるのかと。
その日の宮下くんはいつになく強引だった。拒絶の手は振り払われ非力なわたしは彼に屈するしかなかった。これからどうなってしまうのかというドキドキがわたしの全身を駆け巡っていた。期待によるものではない。緊張によるものだ。
ふと、彼の動きが止まった。彼の視線の先にあるのは、わたしの醜く歪な形状をした陰部。わたしは忘れていた。自分が穢れた存在だったことを。彼は明らかに異質なものを見るような視線を向けていた。
嫌われちゃっただろうか……そう思っていると。彼は顔を上げわたしと視線を交わす。相好を崩し、顔を耳元に寄せ「気にしなくていい」と囁く。どうしてこんなことになっているのか理由を聞かれることはなかった。
わたしは救われたような気分になった。ならばわたしも、少しでも彼の気持ちに応えてあげようとすべてを受け入れる覚悟を決める。
しかし、いざ始まってみるとものすごい激痛がわたしの下腹部を襲う。その痛みに伴ってわたしの脳裏にあの忌まわしき過去の記憶が呼び起こされる。両手で口を抑えて吐き気がこみ上げるのを必死に堪える。両目をきつく閉じると涙が溢れてきた。
気づけばわたしは「早く終われ。早く終われ」と呪文を唱えるように頭の中で何度もその言葉を繰り返していた。
時間にしてどのくらいだろうか、事が終わってようやく身体的な痛みが引いていく。頭痛と吐き気も潮が引くように落ち着いていく。
本やネットに散見されるような甘いひと時はそこにはなかった。あったのは想像以上に激しい痛みと苦痛だけ。それでも終わってみれば何だこんなものかとひどく冷めた感情が湧き上がってくる。
わたしは石橋緑のことを思い出していた。彼女の命を奪ったあの瞬間に感じた昂りを。単純に比較すことは間違っているかもしれないが、わたしは奪われるよりも奪うほうが向いているのかもしれないと思った。
ちらりと顔を隣に向ける。ほとんど独りよがりな行為を終えた宮下くんは静かな寝息を立てていた。
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