第65話 ミャンの成長、黒子のリリ

 適当な家の屋根の上を跳ぶように移動する。

 時折、高い建物のてっぺんに立ち、周囲を見回してミャンを探す。

 ビューポイントってやつだね。


「あれ……かな?」


 赤茶色のくせっ毛と猫耳の少女が、周囲に目もくれず、ホーンアリゲーターを追いかけている。

 彼女はバトルゲームの参加者だ。

 友人の立場から見て、危険だよと忠告はした。メンツがメンツだ。どう見てもミャンが敵わない相手は多い。

 でも、ミャンは頑として譲らなかった。

 銀帝と呼ばれる竜が招待されているという噂も聞こえてくるのだ。仇敵だと思っている相手の登場。気持ちがわからないことはない。

 私にできるのは見守るだけ。

 視線の遥か先で、ミャンが追いかけていたホーンアリゲーターに横から別の参加者が喰らいついた。この前座のようなゲームは参加者をふるいにかけるものだろう。

 横取りでも、不意打ちでも、ホーンアリゲーターを会場に連れていった者だけが参加できるのだ。

 ホーンアリゲーターが大きく悲鳴をあげて倒れた。

 横から奪い取った参加者が拳を握りしめ、ずるずると引きずり始める。

 その際、ミャンと参加者の視線が交錯した。ほんのわずかな目の会話。

 参加者の表情は見えない。

 ミャンは、ホーンアリゲーターと参加者を見比べ、悔しそうに唇を噛んでいた。でも、それだけだった。

 私が追いかけていたのに――ずるい。

 そんな言葉でも出てきそうなのに。

 彼女はぎゅっと唇を真一文字に引き結び、緑がかったアーモンド形の瞳を切った。

 次の獲物を狙うために。


「そうなるよね……」


 私は場所を移動しながらミャンの動きを眺めていた。

 ホーンアリゲーターを追いかけ、別の参加者に横取りされ、時には強奪に近いような場面もあった。

 それを何度も繰り返していた。

 でも、ミャンは泣き言一つ口にした様子はなかった。

 ともすれば泣きそうな顔で、でも気丈に眉を吊り上げ、ひたすらホーンアリゲーターを追いかけていた。

 並のホーンアリゲーターならミャンで十分仕留められる。

 けれど、参加者のレベルが総じて高すぎた。どれだけ追いかけても、ミャンを速度でも力でも上回る参加者の目に止まった瞬間、手に入らなくなってしまう。

 そして今――

 ミャンの目の前を、二本の角を生やしたヴァンパイアの男が通り過ぎた。

 彼は背中に十匹以上のホーンアリゲーターをかついでいた。

 途方もない力だ。

 目の当たりにした力の差に委縮したのだろう。彼女は絶句していた。

 男はそんな彼女に気づき、一言、二言声をかけると、気を失っているホーンアリゲーターの一匹を指さした。

 ――わけてやろうか。

 そんな言葉だろう。

 ミャンは顔を真っ赤にして首を振っていた。

 男は大笑しながらのしのしと町の通路を歩く。すれ違う参加者たちが慌てて道を譲っている。


「ミャン……」


 彼女は呆然と見送りながら、はたと気づいたように動き出した。

 見ている限り、もう参加者の大半は一匹以上のホーンアリゲーターを捕らえて会場に向かっている。チャンスは何度もないだろう。

 でも――

 ミャンはとても成長した。

 強さを望む彼女はヴァンパイアの眷属になってから、何度も私に手合わせを求めた。

 本気でやっていいですわ――

 そう言っても、最初は負ける度に毒づいた。

 こてんぱんにやられると、拗ねてしまってしばらく部屋に籠ることが日常だった。

 でも、いつからか、彼女は「また負けましたわ」と悔しそうにつぶやくだけで、翌日再戦を挑むくらいになっていた。

 クロスフォーのメンバーで、最も成長したのはミャンだ。

 目標を持つ彼女は泥まみれになりながらも、決して折れなかった。

 アテルとウィミュが「甘いもの探求に行こう」と出かけているときも、私がお店にかかりっきりで修業に付き合えないときも、ミャンは黙々と自分で鍛錬をしていたことを知っている。

 そんな彼女だからこそ――


「手を貸したくなるんだよ」


 ミャンが望むものは、決して後押しできないものだ。

 でも、彼女が譲れないものを無理やり変えるような真似はしたくないと思う。

 別の通路を駆けているホーンアリゲーターの真横に移動する。

 そして、通り過ぎる瞬間に、地面に拳を素早く打ちこむ。

 がごんと音がして、地面に深い大穴が開いた。

 ホーンアリゲーターが「はひゅ」と空気を漏らすような音を立てて、穴にはまる。

 時間稼ぎ完了。これでいい。すぐにミャンが現れるだろう。


「あとは……」


 再び地面を蹴って屋根に飛びあがり、別方向からホーンアリゲーターを追いかけてきた参加者を足止めする。


「――血界術」


 色々試したけれど、私は血界術の細かいコントロールができない。

 アテルが腕甲にしたり、エリザさんが空中で小さな足場にするような精緻な作品が作れない。

 できることは、大雑把に。大出力で。


「なんだこれは!?」


 参加者が足を止めた。

 突然、通路に巨大な壁ができれば驚くのは当然だ。

 けれど、戸惑ったのは一瞬。彼は剣を抜いて、切りかかる。


「これは……」


 一刀で気づくところはさすがだ。

 この血界術の壁は生半可な力では突破できない。私が攻撃すると紙切れみたいな脆さだけど、クロスフォーのメンバーは誰も壊せなかった。

 通行人も驚いている。少しだけ我慢してほしい。迂回路はあっちです。

 参加者がそれに気づいたようで家の裏通りに道を変えた。


「行き止まりなんだよねぇ」


 瞬時に新たな壁ができあがる。

 これで二方向が塞がった。参加者は歯がみして周囲を見回す。術者を探しているのだろう。

 こうなると仕方ない。

 私がやっていることは完全に反則なので、さっさと四方を囲ってしまう。

 キューブ型の檻の完成だ。

 ちょうど良いタイミングでミャンが別方向から姿を現した。

 この距離なら大丈夫だろう。さっと、血界術を解除して、その場から姿を消し、ミャンが見える位置に移動した。

 ミャンが瞳を紅く輝かせて、穴から這い出ようとするホーンアリゲーターに襲いかかった。

 元々正面から戦えば勝てる相手だ。

 軽くステップを踏みながら拳を打ち付けつつ、急所を外しながら弱らせていく。

 危なげなく勝利した彼女は、

「ようやく捕まえましたわ……」ほっとしたような声色でつぶやいた。


 家の壁からこっそりのぞいていた私は、その声を聞いて人知れず微笑んだ。

 ミャンがずるずるとホーンアリゲーターを引きずり始める。「重いですわ」とぶつくさ言っているが、横顔は力が抜けたように柔らかい。

 これで彼女もバトルゲームの参加資格を得られるだろう。

 そこに、足止めをかけた参加者が荒い息を吐いて到着した。


「……くそっ、俺の獲物を。わけのわからない足止めさえなかったら」


 男は短く言って踵を返した。

 ミャンがしばし黙り込み、そしてまた引きずり始めた。

 もう大丈夫だろう。

 私はそっと路地裏に足を向けた。

 すると――

 

「リリさん、その辺にいるんでしょう」


 唐突に放たれた言葉に、びくっと背筋を伸ばした。

 息を潜めるように黙っていると、

「リリさん、返事をしなさい」と有無を言わせぬ追撃が飛んだ。


「にゃ、にゃーん」

「猫の真似をしても無駄ですわ。私は猫人(キャットピープル)。鳴き声で本物かどうかなんてすぐわかりますもの」

「あ、あはははは……」


 そう言われてしまうとぐうの音も出ない。

 致し方なくとぼとぼと通りに姿を現した。


「すごいねー、鳴き声で判別できるなんて」

「できるわけないでしょ?」

「……へ?」

「猫人と猫はまったく別種ですもの。見事に引っかかったということですわ」

「えぇ……いつから気づいてたの?」

「通りの向こうに、血界術の壁が見えたあたりからですわ。あんなに大きな壁を作れるのはリリさん以外にいないでしょう。ここに来たら、ホーンアリゲーターはあり得ない大穴にはまっているし。バレたくないなら、もう少し上手にやりなさい」


 ミャンはふてくされたように言って視線を逸らす。


「あー、ごめん。余計だった……よね」

「そんなこと言ってませんわ」


 バツの悪さを隠すようにほおを掻いていた私は、思ってもみなかった反応に目を丸くした。

 ミャンは視線を合わさずに、

「その気持ちに、少しだけ感謝して差し上げます」とぶっきらぼうに言ってから、ホーンアリゲーターを引きずりだした。

 長めの尾が左右に揺れている。

 うなじから耳の先まで真っ赤だ。


「……相変わらず素直じゃないなぁ」


 こそっと口にした言葉が、どうやら聞こえてしまったらしい。

 ミャンの鋭い視線がきっと向けられて、慌てて口をつぐんだ。

 ツンデレのキャットピープルは恥ずかしがり屋さんなのだ。

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