第43話 大天使というもの

【ファーストside】


 エルゼベートの配下『ハウンド』の一人、ファーストはいやらしく嗤った。

 最初に侵入した真祖教会に真祖がいるとは冗談のような幸運だ。

 プルルスの治める町ヴィヨンに侵入し、怪しい場所をしらみつぶしに調べる予定だったが、こんなに早く見つかるとは思ってもみなかった。

 ファーストは舌なめずりして、眼下の銀髪の男を見やる。

 表情には微妙な変化が生じている。

 動揺ではなく不愉快――そんな表現が近いだろうか。

 捕らえたナリアリという女に対する執着は薄いようだ。人質を取っても無駄なタイプかもしれない、とファーストは心の内で真祖の印象を修正する。

 しかし、攻撃はしかけてこない。最低限の材料にはなるようだ。

 ナリアリの命を盾にし、男を捕縛すれば終わりだ。

 ナリアリは非力だ。抵抗は感じるが放っておいても問題ないだろう。遅効性の睡眠糸の効果で、すぐに動かなくなる。

 ただ、本当の目的はエルゼベートが恐れる真祖。ファーストの糸だけでは切られることも想定しておかなければならない。

 敵の陣地真っただ中でもある。この状況でウェイリーンという女や、他の人間が手出ししてくるとうっとうしい。

 相手の考えがまとまらない間に、外に連れ出して、念入りに拘束する。


「セカンド、そっちの女にも糸だ」

「了解」


 ファーストから数メートル離れた位置にいたセカンドが素早く糸を伸ばした。

 少女は声をあげる間もなく、体をがんじがらめにされて吊り上げられる。

 首尾は上々。

 銀髪の少女。リリと言ったか。会話を聞く限りヴァンパイアだ。

 大した力は感じないが、プルルスとディアッチのお気に入りだと言う。

 それにしても、真祖ばかりか、プルルスへの牽制に使える土産まで手に入るとは。

 体の奥からこみ上げる奇妙な笑い声が漏れる。

 ファーストは自分の首にある第二の口を開いた。

 こちらは人間向けの音が出せる。


「コイツラノ、イノチダイジナラ、ウゴクナ。ウゴクトコロス」


 牽制。

 ウェイリーンや他のシスターたちの顔が悔しそうに歪んだ。

 今にも跳びかからんとする体勢の女たちが、ぴたりと動きを止めていた。

 ウェイリーンが目でシスターたちを制したのだ。


「シンソ、オマエダケ、ツイテコイ」


 セカンドが先に動き出す。リリを抱えて扉を開けた。

 ファーストもナリアリを引き上げて、背中に抱えて移動する。

 真祖の男は素直についてきた。

 一つ目の難関は突破した。

 ファーストが大量の糸を吐きだす。そして真祖教会を丸ごと覆う。

 大雑把だが、追跡の足を止めるには十分だ。


「ファースト、俺が後ろに回る」


 セカンドがそう言って、真祖の背後に移動した。

 人質を使っての、前後を挟んだ移動。これで真祖は逃げられない。



 ***



 目的の場所にはすぐに到着した。

 夕方に全員で落ち合う予定の場所だ。

 ヴィヨンに侵入する際に、ふわふわ飛び回る門番は無力化したので、出る時もスムーズだった。

 ナリアリを盾にして、仏頂面の真祖を、ファーストとセカンドで協力してがんじがらめにした。

 二人分の糸ともなれば、さすがに真祖でも抜け出せまい。

 エルゼベートには居場所の把握だけを命じられていたが、捕らえたとなれば大金星だ。

 あとは別の場所を調べているフォースとフィフスを待つだけだ。


「いくら探しても見つからないだろうがな。ここにいるからな。くくく」

「サードを殺した射手はまだ見つかっていない。そいつは確実に殺さないと」

「わかっているが真祖が優先だ。二人が戻り次第、一度戻ろう」


 ナリアリ、リリ、真祖の三名。

 全員、糸に仕込んだ遅効性の睡眠毒が効いたのか、目を閉じたまま身動き一つしない。

 ふと、それらを眺めたセカンドが「喰うか」とつぶやいた。

 ファーストの黒い顔が向いた。


「喰う?」

「そのナリアリってやつだ。そいつはいらないだろ? なかなかうまそうだ」

「真祖に対する切り札だぞ。そいつが消えたら抵抗するんじゃないか?」

「もう縛った。今さら抵抗してどうなる?」


 セカンドの言葉には一理あった。

 それもそうかと思い、ファーストがナリアリに近づき、糸をほどいた。

 あどけない寝顔の少女は、右手のナイフだけは手放していない。

 大したシスターだ。

 しかし、夢の世界ではそれを振るう相手もいるまい。


「やわらかい腹は俺に譲れ」

「バカを言うな。早い者勝ちだ。腕にしろ」


 ファーストがにたりと口を裂いて嗤うと、セカンドが慌てて動き出した。

 だが、遅い。

 ――遅かったのだ。

 ざくっという鈍い音が響いた。

 ファーストのあごの下から口の中にナイフが突き刺さっていた。

 驚愕に目を見開いたファーストは激痛に耐え兼ね、慌てて後ろに飛び下がった。


「こいつ、起きてたのか!?」


 ナリアリが体を起こしてナイフを構えていた。

 黒い頭髪にメッシュのような銀色の髪が混ざっている。瞳は銀色に輝き、体は白い光に包まれている。


「睡眠毒に耐性があったのか?」

「ファースト、もう一度縛るぞ。いや、こいつに用はないな。殺すぞ」


 ファーストとセカンドは体勢を立て直す。

 口の中から黒く先のとがった長い針を数本取り出した。四本の腕に一本ずつ持ち、ファーストが敵を始末しようと動き出す。

 が、そこに新たな声が響いた。


「ねえ? いつまで待てばいいの?」


 銀髪のヴァンパイア――リリが立ち上がったのだ。

 縛っていた糸が、ぶちぶちと派手な音を立ててちぎれた。右腕が自由になる。さらに左手が伸び、両手がすべての糸をつかみ、一気に引きちぎった。

 ――あり得ない。

 ファーストはあっけにとられて観察することしかできなかった。

 そんなに簡単にちぎれる糸ではない。


「息苦しくてもう無理。言葉はわかったの?」


 リリがため息を混ぜつつ、隣で転がっていた真祖の男を見た。

 呼応するように、真祖が「申し訳ありません」とつぶやきながら、体ごとゆっくり浮かび上がり、地面に降り立つ。

 そして、一瞬の雷鳴と閃光を放った瞬間、真祖の体からすべての糸が落ちていた。焼き切ったのだ。

 目を疑うような光景だった。

 並みの雷魔法で焼け落ちるほど、やわではないはずなのだ。


「かなり耳を澄ませたのですが、モンスターの言葉は私にも理解不能でした」

「葉っぱがこすれるような音しかしないもんね」

「わがままに付き合わせてしまい申し訳ありませんでした」

「いいって、いいって。ところで、この二人が教会に入ってきたの、気づかなかったの? ウリエルって悪意の探知とかしてたよね?」

「私の意識は、あの瞬間、すべて主様に向けていましたので」

「お、うん……そっか。それは……なんというか仕方ないね。ところで、ナリアリは無事?」

「もちろんです。眠っているので意識はないと思いますが、私の力を少しだけ分けていますので」

「《大天使の祝福》ね。これで下級天使並みとはすごいなぁ。ゲームの世界とは全然違うのね」

「どういう意味でしょうか?」

「あっ、まあ、気にしないで。独り言みたいなものだから」


 やり取りを聞きながら、ファーストは嫌な予感がしてならなかった。

 まるで、わざと捕まっていた者の会話ではないか。

 しかも、真祖どころか、プルルスのお気に入りの子どもまで、糸の戒めを軽々と破った。さらに、真祖は、少女のことを『主』と呼んだ。

 その真意はなんだ。自分たちは大きな勘違いをしているのかもしれない。

 ぎりっと奥歯をかみしめる。

 セカンドは気づいただろうか。この事実は持ち帰らなければならない。

 ファーストはこれからの作戦を即座に決めた。


「セカンド、あの男を足止めできるか?」

「逃げるのか?」

「分が悪くなった。第二の集合場所まで撤退するぞ」

「了解。適当に足止めして、撤退する。あとで会おう」

「油断するな」


 短い言葉を交わして、じりっと後ろに下がった。

 持ち帰るものは情報のみと決めた。身柄は別の機会だ。

 ファーストが素早く森の中に駆け込んだ。

 弾かれるようにリリが追う。

「そっち任せたから」という音が木霊となって森の中に消えた。



 ***


【セカンドside】


「本音を言えば――僕が二人とも相手したかった」


 真祖が底冷えするような声でつぶやいた。

 居残ったセカンドの四本の腕に自然と力が入る。

 それぞれの手に持つ針の先には別々の毒を盛っている。どれか一種類でも効果が出れば撤退するつもりだ。


「言葉がわからないというのは存外面倒だ。そちらはこっちの言葉がわかるはずなのに卑怯だ。カステラの件もそう。何もかもが許せない」

「カステラ?」


 口調ががらりと変わった真祖が意味のわからないことを話している。

 セカンドは素早く視線を隣に飛ばす。

 うつろな瞳をしたナリアリに動きはない。二対一は避けられそうだ。

 そう思ったときだ。


「心配しなくていい。彼女に手伝いはさせない。僕に恥をかかせてくれたんだ。お前ごとき、一人で相手をするに決まってるだろ」


 挑発的な言葉。言い終わるか終わらないかのタイミングだった。

 眉を吊り上げていた真祖の姿が消えた。

 同時に、セカンドの体がくの字に折れ曲がって吹き飛んだ。

 一瞬、体がバラバラになったのではないかと錯覚したほどだった。

 木々の間を転がり、何とか立ち上がる。膝が壊れたかのように揺れた。


「なんだ!? 今のは、何をされた」


 喉奥から何かのかたまりが上ってきて、大きく吐いた。

 まったく見えなかった。腹を殴られたのか。

 遠くで、真祖の瞳が銀色に光っている。一撃でここまで飛ばされた。


「案外、弱い。危なく殺すところだった」


 心臓が飛び出るかと思った。

 真祖は、目と鼻の先に立ち、悠然とセカンドを見下ろしていた。


「くっ!」


 セカンドが反射的に跳びかかった。

 右手の針と左手の針を同時に伸ばした。左右両面からの攻撃。

 しかし、真祖には届かない。針の中央から真っ二つに折れていたのだ。

 真祖の右腕が真横に伸びている。


「何をした、何をした!?」


 セカンドがぎょっとする。残りの針を突き出そうとして、折れていることに気づいた。

 真祖の左腕が、また真横に伸びている。


「この程度で見えないとは」


 涼しげな声に恐怖を掻き立てられる。

 真祖の体が光りだした。白く銀色の光が周囲一帯を包み込み、真祖自身が十字架となったように見えた。

 その背後に白銀の羽が、すうっと形作られた。

 セカンドは呼吸を忘れて見入っていた。

 やわらかそうな四枚の聖羽をまとった真祖から、途方もないプレッシャーを感じる。


「あえて名乗ってやる。僕は大天使ウリエル。お前が探す真祖じゃない。真祖は神パスこそふさわしいんだ」

「神パス?」


 真祖がひび割れたような笑みを浮かべた。


「お前たちは、僕に恥をかかせた。その罪は償えるものじゃない。わかるよな!? この僕の怒りが!」


 圧倒的な力の波動で、セカンドが吹っ飛んだ。

 いや、波動なんてあるはずがない。では、吹っ飛んだ理由は。混乱する思考がまとまらない。

 そこに、一歩、一歩、ウリエルがこめかみに青筋を立てて近づいてくる。

 セカンドは喉の奥で「ひっ」と悲鳴を上げた。


「主様のそばには、いつも僕の同志が侍(はべ)っている。わかってるさ。たまたま、呼び出された順番で役割が違うってことは。だが、戦闘能力なら僕の方が上だ。お声をかけてくだされば、どんな敵だろうと一瞬で粉々にしてみせる。でも、求めておられるのはそういう力じゃない。主様は、平和的に目的を果たそうとしている。言葉を交わす機会が、同志たちより少なくなるのは当然なんだ」


 ウリエルの言葉の意味はさっぱりわからない。

 けれど、謎の迫力を前にして、セカンドは尻もちをついたまま後ずさる。


「その限られた瞬間、数少ない機会を、僕は心の底から楽しみにしていたんだ。僕に下賜してくださるカステラまで用意してくださって……感涙にむせび泣く思いだった。それを――それを、お前らが、壊した! なぜ邪魔をした! あの千載一遇の至福の時間をっ!」

「ぐぼっっっ――」


 セカンドの体が錐もみしながら高く持ち上がった。全身のしびれと頭への衝撃が突き抜ける。

 雷魔法をまとった拳が顎を斜め下から打ち抜いたのだ。

 意識が遠くなった世界で、ウリエルが正面に飛んでいた。

 青い空を背にしたウリエルが、般若のような顔で拳を引き絞っていた。それは刹那の時間。


「わかるか、この胸を引き裂かれるような悲哀が! 教会の神具にしようと考えていた完全体となったカステラが、僕の目の前で床に落ちた! よりにもよって、神パスの御前で! これ以上の辱めがあるか!?」

「うぅえぇっ――」


 セカンドの体が再びくの字に曲がると同時に、引力に引き寄せられるように地面に衝突する。

 大地を浅く穿ち、轟音が鳴り響いた。

 あまりの衝撃で呼吸ができなかった。

 セカンドは、かろうじてつなぎとめている意識の中、上空から白い羽がふわりと舞い降りてくるのを見た。

 柔らかい光に包まれ、痛みが消えていく。

 温かい。打って変わって、心地よい世界に訪れたような感覚だった。

 安息の空間で、彼は目を見開いた。

 体の真上に、大天使ウリエルが腕組みをした状態で浮かんでいた。

 虫けらを見るような、侮蔑をこめた瞳が冷たく光っている。


「楽に死ねると思うなよ。お前には、最低ランクの雷魔法から、順にくらわせてやる。耐性をゆっくりつけていけ。耐えろ。耐えて僕の怒りを受け止めて、心の底から後悔して死ね」


 ウリエルの拳が明滅し、雷魔法が放たれた。

 セカンドは全身を貫かれる感触と共に、襲い来る地獄のような結末を想像し、意識を手放した。

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