第42話 新生・真祖教会

 商業ギルドにも立ち寄った。

 いつか見た気難しそうな表情が印象の受付嬢は別の客の相手をしていた。

 きっと上客なのだろう。

 彼女は私の時とは違う、魅力的な笑顔を振り向き、言葉の端々に相手を気遣う素振りを見せていた。

 私は順番待ちのために、壁際のベンチに腰掛ける。

 足をぶらぶらさせながら室内を観察すること数分。

 四人いる受付嬢の右端が空いた。こちらも負けず劣らずの美女だ。茶色いウェーブのかかった髪と、ふっくらした唇。泣き黒子と芯の強そうな表情が印象的だ。

 どこの世界も考えることは同じなのだろう。

 とことことカステラを持って近づくと、向こうがそれに気づいて、営業スマイルを見せた。

 背後の別の女性職員が、その受付嬢に耳打ちしたのが聞こえた。

 ――ギルマス呼ぶ? と。

 ――あの子だけなら大丈夫。

 その言葉を耳に捕らえつつ、何食わぬ顔でカウンターに座る。


「こんにちは、リリ様。受付のステファーヌと申します。ご用件は……これは何でしょうか?」

「カステラを差し入れに来たの」


 名前を知られている。もう有名人なのだろう。

 私も営業スマイルで応じた。前世の経験は意外に役に立つ。


「商業ギルドさんに手伝ってもらったお店の商品が完成したから、少しだけお礼に来たの」

「まあ……それは、ありがとうございます。ギルドを代表してお礼申し上げます」

「ぜひ食べてみてください。みんなで頑張って作ったので」


 私はそう言ってから、聖封のブレスレットを外した。

 じわりと身体の中から何かがにじみ出る。

 瞳の色が青から紅に変わったはず。

 その証拠に、ステファーヌの顔が一瞬で強張った。

 別に驚かすつもりはない。でも、もし私を純粋な人間だと思っているなら、それは違うと今のうちに伝えておきたい。

 カステラの味がおかしくて店の信用を失うのなら構わない。けれど、カステラは美味しいのにヴァンパイアが作ったからという理由で、あとから店を貶められるのは許せない。

 私がプルルスやディアッチと繋がっていることは知っているはず。

 でも、この商業ギルドは、私のことをよくわかっていない様子が見える。

 あとで嫌われるなら、早めに情報をオープンにした方がいい。


「…………どうして、このタイミングで明かしたのですか?」


 その言葉は長い時間を経て放たれた。

 ステファーヌの動揺は落ち着き、受付嬢らしい平静な態度だった。

 ただ、彼女の茶色い瞳だけが、興味深そうに色を変えていた。

 意外だった。

 もっと怖がられて、ギルドマスターを呼ばれると思っていた。

 彼女は私の意図を図ろうとしていた。まさかこっちが戸惑うなんて。


「ご自分がヴァンパイアだと明かすメリットがあるとは思えませんが」

「――知ってほしくて。私のこと。私のお店のこと。ヴァンパイアがお菓子を作ったんだって」


 彼女の表情がみるみる変わっていく。興味に瞳を輝かせる、少しイタズラ好きなネコのような。素の姿が垣間見えたようだった。

 ステファーヌがカステラにじっと視線を下ろした。

 営業スマイルは消え去り、値踏みするように。

 あろうことか、彼女は誰に断りもなく、その場で丁寧に封を開けた。

 そして、焼きごてで付けたシンボルを見て、ほんのわずかに表情を和らげた。

 けれど、次の瞬間には元の表情に戻っていた。


「ありがたく頂戴いたします。また、今後とも当ギルドをご贔屓にしていただけると幸いです」


 ステファーヌは丁寧に頭を下げ、そして「あなたのこと、ちょっと勘違いしてた。がんばってね」と誰にも聞こえない声でエールを送ってくれた。

 私は心の底から笑って商業ギルドをあとにした。

 彼女は、フラットな目を持っていた。

 人間だから、ヴァンパイアだから、ではなく、私の中身を見てくれた。

 とてもすごい人だ。



 ***



 最後の難関に近づいていた。

 聖封のブレスレットは外したままだ。遮魔布も当然、身に着けていない。

 弱気になりそうな心を叱咤し、真祖教会に出向く。

 入り口に立つ遮魔布を巻いたシスターがこっちに気づいた。

 手には何も持っていないが、私は知っている。

 彼女たちは着ている服の内側に武器を隠し持っているし、とても好戦的な人種であると。

 最初は私の容姿を見て、首を傾げていたけれど、目の色に気づいたようだ。

 完全に戦闘態勢だ。


「止まりなさい、そこのヴァンパイア。それ以上近づくなら排除します」

「話を聞いてくれませんか?」

「話?」

「私は向こうの通りにケーキ屋を開いたヴァンパイアです」

「ケーキ屋? ヴァンパイアが? はっ、それはお笑いね。そういえば、教祖や嗜虐翁が噛んでる店の噂は聞いてる。そこの店員かなにか?」

「店長です」

「店長!? それはまた、ひどい店ね。あなたみたいな子供のヴァンパイアが店長だなんて。ろくな人材がいないようね」


 彼女は鼻で笑って、どこからともなく取り出した刃物をちらつかせた。

 対する私は、カステラ一本を両手で差し出した。


「一所懸命、みんなで作ったんです。一度、食べてみてもらえませんか? もちろんお代はいりません」


 数歩近づいた。

 シスターの瞳が鋭くなり、「近づくな」と制止する声が飛んだ。


「お願いします。私はあなたたちと戦いたくて来たんじゃない」

「ヴァンパイアの言うことなんて信じられるわけがない。あと一歩近づいたら宣戦布告ととらえるから」

「お願い! せめて、一度」

「くどい!」


 やっぱり無理か。

 シスターは聞く耳を持ってくれない。

 刃物の切っ先がこちらを向いた。

 彼女が姿勢を落とした。跳びかかる寸前。

 と、教会の古ぼけた扉が、きいっと音を立てて開いた。


「やめなさい、マツリ」


 現れたのは黒髪の少女。私よりは身長が高いけれど、顔つきは幼い。

 遮魔布をつけておらず、片手には折り畳みのバタフライナイフ。

 ナイフをかちゃかちゃ鳴らしていた人だ。


「ナリアリ様、なぜ止めるのです? 子供と言ってもヴァンパイアですよ」

「あなたには、あの子が持つ物が武器に見えて?」

「それは……」

「新生・真祖教会は、武器を向けない者を攻撃しない。まして、討たれる覚悟をしてまで何かを伝えようとする者に向ける刃物は、ただの凶器です。それは刃物の美しさに反します」


 ナリアリの黒い瞳が私にゆっくり向けられた。


「中にどうぞ。小さなヴァンパイアさん」


 マツリは憮然としているけれど、ナリアリはそれに構わず、走り寄った私を教会の中に誘った。

 カサリ、と頭上で扉の音とは違う小さな音が聞こえて足を止めた。


「なに? 用事があるのでしょう? それと、念のため、その手に持っているお菓子は預かります」

「あっ、はい」


 ナリアリとマツリには聞こえなかったようだ。

 私も気のせいかと思って中に入ると、扉が閉じた。



 ***



 壁が綺麗に修繕されていた。

 塗装が白く塗りなおされ、傷んだ壁が張りなおされている。床の絨毯も新品で、足音が立たないほど厚みがある。

 最奥には美しい白い十字架が飾られており、男性の像がその前で跪いている。

 周囲には本を読む若いシスターや、積み木で遊ぶ幼い少女たち。

 中には私がヴァンパイアだと気付いたのか、睨みを飛ばしてくる、ちびっ子もいる。全然迫力はないけれど。


「ウェイリーン、ヴァンパイアのお客様ですよ」

「ヴァンパイアの? 名前は?」


 中年のシスターが振り返った。彼女も祈りを捧げていたところだ。

 大剣を背中にたすき掛けにした状態なのは相変わらず。


「リリです」

「聞いたことないね。いや……ちょっと待ちな、確か、商業ギルドで聞いた、例のケーキ屋の……」

「たぶん、そのリリです」


 私の言葉に、ウェイリーンが立ち上がって挑戦的な視線を下ろした。

 ふん、と鼻を鳴らして、前に立った。


「あんたが、プルルスとディアッチのお気に入りのヴァンパイアってやつかい。ちっこいね。ん? あんた、どこかで見たような? ちょっと待ちな、思い出す」


 ぎくっと背筋が伸びた。

 ウェイリーンとは教会でシスター志望として出会い、ウリエルと店で話しているときにわずかに姿を見られている。

 どちらも思い出されると面倒だ。


「そう言えば、私も見たような気がしていまして……」


 ぎくり。

 隣に立つナリアリも片手をあごに当てて、私の横顔にじろじろ視線を送る。

 彼女とはブルーベリーの売り子の時にも会っている。

 まずい。何か言わないと。


「あの、カステラ、持ってきたんです!」


 ナリアリの手にあるカステラを指さした。

 そして、二人に向かって、ここまでの経緯を説明した。

 甘味を広めようと思ってケーキ屋を開こうと思ったこと。ヴァンパイアが人間のシェフと協力しながら、カステラを完成させたこと。

 ついでにプルルスも改心して今は無差別に人間を襲うようなことがなくなったこと。

 ディアッチもいいやつになって、ヴァンパイアのメイドたちは毎日、町の掃除に出かけていること。

 必死で説明する私が、ようやく息を切らすと、二人は顔を見合わせた。

 ウェイリーンが口を開く。


「それで? あんたは店ができたから、その邪魔をするなって言いに来たのかい?」

「そうじゃなくて! 私たちヴァンパイアと……仲良くできない? 私たちと一緒にカステラやケーキを食べて、笑い合うことができない?」


 ウェイリーンが腕を組んだ。

 形の良い眉の間に、皺が寄った。


「無理だ」

「どうして!?」

「私とこの国のヴァンパイアたちは、争った時間が長すぎる。親友のシスターも死んでるんだ。そう簡単に、プルルスが改心したって言われて、一緒のテーブルにつけると思うかい? それくらいで和解できるなら、何百年も争っちゃいないよ」

「それは……」


 ウェイリーンはやるせなさそうに「はあっ」とため息を吐いた。

 何かに迷うようにがしがしと髪をかきあげてから、私の頭に手を置いた。


「だから、『私は』そう単純に割り切れない。でも――あとの世代は、わからない。あんたみたいな平和ボケしたヴァンパイアと知り合っていたら、一緒のテーブルについて、お茶を楽しもうってやつも増えるかもしれない。ヴァンパイアのケーキ屋だって聞いて何も感じずに、金を持って買いにいく時代が来るかもしれない」


 彼女は、困ったように笑う。


「あんたが本気なのはよーくわかった。私がここに入ってから、うちの総本山に、たった一人、丸腰で菓子折り持ってやってきたヴァンパイアはいない。殺されても仕方ないのにさ。それに……新生・真祖教会の真祖さまは、きっと、あんたみたいなやつを嫌いじゃない」


 ウェイリーンが後方に視線を向けた。

 白い十字架の台座の端から、人影が現れた。

 知った顔だ。


「そうですよね、ウリエル様」

「ええ、僕は嫌いじゃないですよ。その真っ直ぐな気持ち。瞳もとても綺麗だ」


 背筋がぞわぞわした。

 歯が浮くようなセリフを口にした銀髪のイケメン――大天使ウリエルが姿を見せた。

 前回は土の中から這い出たあと、黒いスーツ姿で出会ったけれど、今日はキャソックと呼ばれる立襟の黒い祭服に身を包み、小さな十字架を首にかけている。

 何を着ても似合うところが恐ろしい。

 一気に、教会内に熱が帯びた気がした。

 見なくても感じる。

 私の後ろにいたシスターやシスターの卵たちが、熱い視線を注いでいることに。

 ウリエルはそのことに気づいているのか、いないのか、にこにこと表情を変えずにウェイリーンの横を抜けて、私の前に立った。


「初めまして、リリさまぁ……ん。失礼ながらお話は聞かせていただきました」


 なにそれ?

 リリさま、って言い間違えたよね。しかも、今、膝をつきかけたでしょ?


 ――大丈夫かウリエル。


 初対面を演じるなら、もう少し気をつけてほしい。

 ちょっとダメな子だと知っているので、急に不安になる。

 何より、ヴァンパイアと真祖教会の長年の関係が少し前に進む、ちょっといい瞬間が、全部台無しになった気分だ。

 最初からトップと話をするのは卑怯だなと思ってがんばったのに、全部無駄。

 私の覚悟は何だったのだろう。

 まあ、熱い視線を注ぐシスターたちには、それもスパイスに過ぎないみたいだけれど。


「やはり、完璧ですわ」

「あの洗練された立ち居振る舞いは何者も真似できません」

「お顔を見ているだけで、幸せな気持ちに」

「ヴァンパイアもウリエル様の威光に声も出ないようですわ」


 いつの間にか危ない信者の集団に変わってしまったみたいだ。

 大天使の魅了ってスキルがあっただろうか。


「初めまして、お会いできて光栄です。ウリエル様」にっこり。

「おぉっ、何という嬉しいお言葉」


 ちょっと待って。会話がかみ合ってなくない?

 立場が逆転してない?

 目の前でウリエルが身震いしていた。

 小声で「神パスの威厳」などとつぶやいている。

 神パス――どうでもいい勘違いを、まだ覚えていたのね。

 それより演技。演技を続けて!


「ウリエル様?」


 違和感のあるやり取りに、ウェイリーンが怪訝な顔を見せた。

 当然だ。

 やばい。本当にやばい。

 私たちの関係はマッチポンプ。自作自演の和解劇みたいなものだ。

 私とウリエルが仲間なんて、ばれたら全部台無しだ。

 私は、事態の挽回のため、さっと両膝を突いた。

 ウリエルの表情が驚愕に見開かれたのを見て、胃がキリキリし始める。


「今日は、カステラを献上しに参りました。今後、私たちヴァンパイアとも良好な関係を築いていただければ、幸いです」


 さっさと話を切り上げて帰ろう。

 トップには話を通してもらえたし、もう十分だ。

 その時――

 ナリアリがその場から消えた。いや、糸で縛られて引き上げられたのだ。

 木の葉がこすれるような音が、天上で聞こえる。

 そこには黒い蜘蛛のようなモンスターが張り付いていた。

 ごとん、という音を立てて、彼女に渡していたカステラが落ちてきた。

 箱が割れ、中身がとび出した。


「誰だ!」


 ウェイリーンが大剣を抜き放った。

 同時に――


「神から下賜されたカステラを、よくも」


 ウリエルが低い声を漏らした。

 それは、大天使から滲み出た静かな怒りだった。

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