第31話 平和になってきたので改革中

「いつもありがとうね、リリちゃん」

「こちらこそ、ルヴァンさん」


 恰幅の良い灰色の髪のおじさんが、紙包みを二本渡してくれた。

 このカステラのお店『天使のほっぺ』で早々に常連になった私。

 今日はプレーンカステラ2本。しめて銀貨6枚という大出費だ。

 けれど、ある日とない日ではモチベーションがまったく違う。アテルやミャンには釘を刺されているけど、これは私のエネルギー源。


「リリちゃん、これ新作なんだけど、どうかな?」


 私の目の前に小さな皿が突き出された。

 少し赤く色づいたカステラの一切れ。常連になってくると、たまにこういう味見をさせてくれることが何よりうれしい。

 ぱくっと一口。あむあむと口の中に広がる甘味とかすかな酸味を楽しむこと一分。


「おいしー!」

「リリちゃんの食べる顔は、いつも幸せそうで、おじさん嬉しいよ」

「だって、甘いものって幸せになれるんだもん。これ、ラズベリーを混ぜたの?」

「そうなんだ。数は少ないけど、うちの商品にしようかと思ってね。味はどんな感じだい?」

「個人的にはもう少しラズベリー味が強いほうが嬉しいかな。よく味合わないと気付かないくらいかも」

「そうか、そうか。そうだよね……」


 ルヴァンさんは難しい顔で、うんうんと頷いた。

 『わんちゃんのフルーツ屋』でもラズベリーは見たことがない。意外とレアなフルーツなのかもしれない。ブルーベリーとは違うのかな。


「これって、一本いくらで買えるの?」

「銀貨15枚は、欲しいかな」

「プレーン2本分以上!?」

「高いよね。それが悩みなんだよ。この値段だと、味に驚くほどの差がないと、プレーンばかり売れるし……でも、私も色々と挑戦はしたい。リリちゃんの喜ぶ顔を見て、忘れてた気持ちを思い出したんだ」

「おじさん……」


 ルヴァンさんが、優しい瞳で私を見つめた。


「本当はリリちゃんみたいな子がたくさんいるはずなんだ。今のお菓子は高すぎて、常連の人しか買うことができない。貴族の子息や、他国の子爵。王族や商人貴族。そういった人たちが贈答用に買うばかりでね。知ってるかい? 彼らは外側の包み紙に異様に細かい注文をつけてくるんだよ」

「そうなんだ……」


 ルヴァンさんが「しゃべりすぎたね」と苦笑した。


「ちょっと行き詰まっていたから、リリちゃんみたいに純粋にカステラを楽しんでくれる子を見て気が緩んだかな。ラズベリーの方はもう少し研究するよ。また買いにきてくれたら嬉しいな」

「もちろん! 毎日来たいくらい! あっ、ラズベリーのカステラって一本ある?」

「あるけど、高いよ?」

「大丈夫! 今日は持ち合わせがあるから」


 ルヴァンさんは微笑ましそうに笑って、カステラを包んでくれた。

 私は合計三本のカステラを大事に抱えて、プルルスの居城――もとい大きな平屋に急いだ。


 ***


 勾配の無い平たい屋根。通称、陸屋根が見えてきた。

 白い塗料で表面を塗装した壁は真新しく、簡素な窓が規則的に配置されている。

 どこにでもある庶民の平屋だが、大きさが桁違いだ。

 何せ、プルルスの居城、朱天城の跡地を目いっぱい使って建てたからだ。

 新しい名前は――白雪城。

 平屋なのに城なんだ、と不思議な気持ちになった。

 ちなみに、建築素人のヴァンパイアたちが力任せに作ったせいで、建築中に屋根の重さで柱が折れたという事件もあった。

 結局、専門の職人を呼び、この国の王に力を借りて定礎にこぎつけた。


「これは、リリ様。いらっしゃいませ」


 お腹の前で上品に手を合わせ、腰を折ったメイド姿の美女が二人、声をはもらせた。

 漆黒の長衣に純白のエプロンドレス。英国式に近いだろうか。

 腰まで伸びる長い金髪と銀髪の双子で、ユミィとルリィという名前だ。

 プルルスのお気に入りで相当強いらしいが、最近まで別の国に間者として潜り込んでいたそうだ。

 私のことはいつの間にか知っていて、『真祖』とバレているので、顔パスで通してくれる。

 プルルスがどんな説明をしたのかは、知りたくない。

 巨大な石造りの扉が、重厚な音を立てて開いていく。

 天井が途方もないほど高く作られたのは、ディアッチがいるからだ。


「いらっしゃいませ、リリ様」


 たくさんの声が響いた。

 目の前で左右二列に並んだ大勢のメイドたちが一斉に頭を下げる。

 美女図鑑でも見ているようだ。

 誰もが彫刻のように精緻で美しく、目を紅く輝かせている。

 衣服は全員が統一されていて、天上の世界と言われても不思議じゃない。


「やりすぎでしょ」

 

 主を間違っておいででは? 

 そう言いたくなるような呆れた気持ちを心の内に抑え込んで通路を進む。

 この両サイドはメイドたちが住まう部屋が並んでいる。出入口だけは外向きに設置して、出入りを白雪城の内部でさせないようにしたらしい。

 通路を抜けると広間に繋がる扉が見えてきた。これも巨大だ。

 メイドの一人が立っている。真っ赤な髪。シャロンだ。めちゃくちゃ優秀なうえ、ディアッチ並の強さらしい。


「いらっしゃいませ、リリ様。プルルス様は公務の最中ですので……」

「いいって、いいって。私はウーバに用事があるだけだし」


 申し訳なさそうに頭を下げたシャロンに軽く手を振って、通路に面した小さな扉を指さした。

 シャロンから「ウーバ様であれば」と許可を得られたので、ノックをして中に入る。

 唯一、白雪城の内部に出入口を持つ部屋の主――プルルスの参謀、サキュバスのウーバの部屋だ。


「やっほ、元気?」


 部屋はとてもフェミニンだった。ピンクが多く、謎の可愛らしいぬいぐるみが棚にいくつも座っている。

 そして、不釣り合いな作業机が部屋の端に一つ。

 ウーバが疲れた顔でこちらを見た。


「元気に見える?」

「いやー、まあ、何か月か前と比べると少しは……」

「そう。遮魔布があると何も見えないみたいだから、外したら? あっ、そう言えばもうすぐ外せそうなんだっけ?」

「うん。おかげさまで」


 私の瞳は紅い。ヴァンパイアだから仕方ないけれど、アテルやミャンはその色を抑えて元の色に変えることができる。

 それなら、ヴァンパイアの力を徹底的に抑え込めば私もできるのでは、と思い立って、ウーバに色々と調べてもらった。

 並の魔道具ではダメそうなので、

 ――封魔の輪

 ――破邪の呪玉

 ――減衰のネックレス

 ――聖封のブレスレット

 を全部身に着けてみると、瞳の色から紅色が抜け始め、青色に変わり始めたのだ。

 ウーバによれば、聖封のブレスレットをもう一つほど着ければ、完全に青色に変わるのではと言われている。

 現在、私の全身は呪いと封印の品の見本市なのだ。

 普通のヴァンパイアなら封魔の輪だけでまともに動けなくなるらしいけれど、私の日常生活には支障がない。


「ブレスレットはもうすぐ手に入るわ。ただ、あなたからもらったお金が足りるかが怪しいの。レガシーの魔道具ってことで相手も値段を吊り上げてきてて」

「わかってる、わかってる。私のわがままみたいなものだし。全然待つよ。今日は、そうじゃなくて、頑張ってるウーバに差し入れ。『天使のほっぺ』の新作だって」


 私は、にっこり笑って、さっき買ったラズベリーのカステラの包みを、すっと机に乗せた。

 その瞬間、ウーバの瞳から光が消えた。

 瞬く間にぶるぶると拳を震わせ、口端を引きつらせて言った。


「また……なの?」

「な、なにを? どういうこと?」


 私は視線をそうっと別のところに飛ばした。

 可愛いぬいぐるみと、なぜか視線が合った。

 しぼりだすような声が響く。


「リリが差し入れするときは、いつもおもーいお土産があるから、私、とても怖くて。ええ、プルルス様の参謀ですから、仕方ないとは思ってるけど! 違うわよね? 今日は単にねぎらいの差し入れ『だけ』のつもりなのよね! ね!?」

「い、いやあ……まあ、お願いもあって……あっ、でも簡単なやつ! 簡単なやつだから!」

「あなたが簡単って言って、本当に簡単なお願いがあった!?」

「ちょ、落ち着いて、ウーバ……」

「プルルス様に、美人のメイドを置いたら、って言ったせいで、白雪城は美人城って言われるほど部下を集めちゃったし、服はやっぱりメイド服だよねって言ったから、高級な布をあしらえて全員分揃えるし、町は清潔だといいね、ってあなたが言うから、毎朝、私たちは町の掃除に行かされてるのよ!?」

「そ……だよねー、ご、ごめんなさい」

「おかげで私まで、メイド服を着ないといけない羽目に!」

 

 ウーバが机に上半身を突っ伏した。

 サキュバスである彼女はいつも薄着で、煽情的な服だった。

 けれど、いつからか彼女もシックなメイド服を着るようになっている。

 長時間労働でだいぶ不安定のようだ。

 よく見ると少しやせたかも。

 と、その時、「きっと、似合わないって思われてる」という消え入りそうなウーバの声が聞こえた。

 原因は別にあったのだ。

 どうしようかと一瞬悩んで、私はそっと机に近づいた。


「ディアッチは、よく似合ってるって言ってたよ」


 こそっと伝えた言葉に、ウーバの顔が勢いよく持ち上がった。

 尖った耳はほんのり紅色に染まり、青い瞳は濡れていた。

 美しい金髪がはらりとおでこに流れた。

 腰の細い尾が、メイド服のスカートをふわっと持ち上げる。


「ほんとに?」

「うん、何を着てもさすがウーバだ、って」

「そ、そうなんだ……」


 ウーバの頬にわかりやすく朱が差した。

 ウェーブのかかった髪を左手で頭頂部から耳に流すように梳いた。

 一度、二度。

 彼女は少し甘い声で恨み言を言う。


「そういうこと、絶対言わないタイプなのに……」

「硬派だから、恥ずかしいんだよ。きっと」


 ごめんなさい。ちょっと盛ったかも。

 ディアッチは「ウーバが何を着てもウーバに変わりない」と言っていただけだ。

 そこに他意はなくて、ウーバが望んだ意味は含まれていなかったかもしれない。

 ちょっと歪曲しすぎた気がしてきた――許して、ディアッチ。カステラあげるから。

 でも、ウーバは本当に頑張っているから、エネルギーが必要なの!


「そうなのかな……」


 ウーバが毛先をくるくると指で弄ぶ。

 このサキュバスは本当に可愛らしくて、いじらしいチョロバスだ。

 ディアッチの何がいいんだろう?

 今さら罪悪感がこみあげてきた。いや、こうなったら全力で応援しよう。

 真祖の名にかけて。


「今度……誘ってみよっかな」

「…………え?」

「あいつ、ずっとがんばってるし」

「う、うん……」


 やばい。さすが、サキュバスさん。攻めるつもりになると早い。

 思ったより急展開の予感。

 火をつけてしまったのは私だけれど。


「……でも、ウーバもディアッチも忙しそうだよねー」

「そうなんだけど、プルルス様が一度、全員まとめて休みを取ろうかって計画してくださってるの。ほら、不干渉エリアに大きな湖があるでしょ? あそこにいけないかって思ってて。バーベキューとか楽しそうじゃない?」

「そ、そうなんだ……」


 なんというホワイト企業。

 それにしてもバーベキューという単語が聞けるなんて、JRPGの世界感を久しぶりに痛感した。

 ウーバが一人、納得顔でぶつぶつ言う。


「そうね……白雪城も美人が増えちゃったし、先を越される前に手を打たないといけないわね……がんばれ私」

「……うん。応援……する」

「ありがとう、リリ! 真祖の応援は何より心強いわ!」


 ウーバが私の細い腕を取った。

 力強く握られ、遮魔布越しに期待に満ちた視線をこれでもかと受けた。

 もう、あと戻りはできないかもしれない。

 早いうちに、ディアッチを捕まえないと。

 ――真祖命令が下るかもしれない。

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