第30話 誰か嘘だと言って!

 とっぷり日が暮れた。

 ヴァンパイア五柱による定例会議は、あの後、何も進展がなかった。

 ガガントは気が抜けたようにうわの空だし、残りのメンバーはプルルスの行動の真意を探るかのように押し黙った。

 エルゼベートは手ごろな話題を何度も振ってみたものの、誰も反応しなかった。

 彼女に心酔するアイランさえ、その雰囲気を読み愛想笑いを返すだけだったのだ。

 それほど、プルルスの心変わりが奇異だった。


「プルルスに何があったの……」


 自身の居城の一室で、エルゼベートはふわふわのソファに体を預けた。

 見事なガラス細工のグラスにウイスキーを注ぎ、ぐいっと一口であおる。

 喉奥がかっと熱くなると同時に、エルゼベートは立ち上がった。


「真祖と聞いて、あの不敵な笑い……まさか、真祖を知ってる?」


 頭の中に、閃きが舞い降りた。

 しかし、それは彼女にとっての災厄であった。

 身を一度震わせ、首を左右に勢いよく振った。


「ありえない、ありえないわ……真祖を封じた場所は、私しか知らないはず。プルルスが探し当てられるはずがない」


 彼女は自分の考えを否定した。

 けれど、と思う。

 例の場所はプルルスの支配領域から近い。もし、落雷で大穴があいたら、地震で大地が割れたら、冒険者が何かの拍子に見つけてしまったら――

 想像もしたくない最悪の状況が脳裏に浮かんでは流れていく。

 エルゼベートは、いてもたってもいられず薄いシルクのような素材の外套を身にまとった。


「そうよ。心配なら見に行けばいいだけのこと」


 彼女は自室を出て、地下に降りる。自然と足が速くなる。

 見張りのヴァンパイアに「用事があるから出かける」とだけ告げて、転送用ゲートを設置したエリアに到着した。

 直径で五メートルほどの緑色の魔法陣。

 緊急時に備え、これは昼夜問わず起動している。

 維持するためのMPが膨大であるため、専属の部下を四人もあてがっている。

 だが、こういう時のために必要なのだ。


「コード3841」


 彼女は数十年使った記憶のないコードを口にする。

 魔法陣が一瞬ぐにゃりと歪み、エルゼベートの体を包み込んだ。


「ふう……」


 一瞬にして、風景が切り替わった。暗い森の中だ。

 MPがごっそり減ったことも実感する。転送用ゲートはむやみに使えるものではない。

 ふと、静かすぎることに気づいて耳を立てた。

 周囲に魔獣の気配が――まったくない。


「おかしい……この辺りは真祖から漏れ出すMPで影が濃かったはず」


 こめかみに、つうっと一筋の汗が流れた。

 と、何者かが近づいてくる気配がして、その場から距離を取った。

 彼女らしからぬ、すさまじい距離だった。

 二人組。声が聞こえてくる。


「ほんとに、ほんと? 暗くて、怖いんだけど……」

「大丈夫だって。何か出ても俺が守るから。それに、ここは聖母様が守ってくれてるから安心なんだって。ヴィヨンの周辺の方が危ないくらいさ」

「そうなんだ……ほんとにこんな森の中にあるの?」

「ギルドで場所は確認してきた。アリンも聞いたんだろ?」

「私は友達からだけどね。でも、こんな夜中に来なくても」

「昼間は参拝者が多すぎるよ。お互いまだ内緒の身なんだし。でも祈りを捧げるなら早い方がいい。産まれてくる子どもに加護を与える為にも、ね」

「うん……それは……私もそう思う」

「足が疲れたなら、俺が背負うから」

「まだ大丈夫。私も……その……がんばりたいから」


 二人組が朗らかな笑い声を響かせながら遠ざかっていった。

 エルゼベートは「人間か」とつぶやき、再び街道に戻る。

 ほっとしたと同時に、釈然としない気持ちだった。


「なぜ、私が隠れないといけないのよ。若い二人組か……憂さ晴らしに血を吸ってしまおうかしら」


 冗談のつもりだった。

 真祖が眠るエリアで姿をさらす気はさらさらなかったからだ。

 しかし次の瞬間――エルゼベートは身の毛がよだつほどの殺気を感じた。

 一瞬にして全方位をふさがれたような息の苦しさと、冷たい刃を首筋に当てられたような絶望感。

 何百年も忘れていた感覚が呼び起こされた。

 反射的に全身をばねのようにしならせ、腰の剣を抜いた。

 強烈な視線。

 並の生物ではない。どこだ。


「山の上?」


 そうつぶやいたときには、怖気を感じさせる気配が嘘のように消え去っていた。

 暗い山の中は元の静けさで満ちている。

 しかし、何かが彼女を見ていたのは間違いない。

 最古参のヴァンパイアを気配だけで身構えさせる存在。そして、圧倒的な存在感。

 まさか――真祖か。

 エルゼベートの背中に冷や汗が流れた。長居は危険だ。

 彼女はすばやく移動した。誰かに見つかることは、この際無視した。


「そんな――」


 言葉を失った。地面に人が一人、通れる程度の穴が空いている。

 階段が地下に伸びている。間違いなく、真祖の墓標と名付けた封印の地だ。

 エルゼベートは膝から崩れ落ちそうだった。

 喉の渇きが声をしゃがれさせた。


「誰かが見つけてしまったの……」


 エルゼベートは中に身を滑らせた。


「誰か返事をしなさい! 私よ、エルゼベートよ!」


 彼女は祈るような気持ちで声を上げた。

 長い石の回廊を歩き、封印の間の扉を押し開ける。

 白い骨が散らばっていた。見張りで配置したはずのモンスターが一匹もいない。

 いや、完全に破壊されている。

 何より――

 見覚えのある棺桶が開いている。


「うそ、そんな……あと数百年は……」


 エルゼベートは幽鬼のように近づく。

 と、何かが落ちていた。青紫色の刃のナイフだ。


「封緘の魔刀が……完全に力を失ってる。誰かが、解いたのね」


 数百年前の真祖を封印した戦いの記憶が蘇る。

 忘れるはずがない。

 当時のヴァンパイア五柱のうち、三人が瀕死となり、その後、それが原因で力が戻らなかった。

 さらに一人が封印の為に全MPを消費して、一気に老衰が進んだ。

 部下たちも含め、甚大な被害だった。

 一帯の山々も丸ごと消え去った。

 しかもそれが――わずか2歳程度の赤ん坊の真祖の癇癪によって引き起こされたのだ。


「思い出すだけで、震えが止まらないわ」


 最も若かったエルゼベートは五柱の最後の一人として、真祖のその後の監視を任された。

 どこで産まれたのか。この赤ん坊が真祖だと、なぜ頭に響いてくるのか。

 調べても何もわからず、結局調査は打ち切ることになった。

 さらに問題だったのは世間への説明だ。最強とうたわれていたヴァンパイア五柱が、出自のわからない赤ん坊にやられたなどと言えるわけがない。

 夜泣きと同時に万雷降り注ぐ夜となったなど、誰が信じるのだ。

 一帯の国に圧力をかけ『妖艶な姿の真祖が支配を目論んだため、五柱が命をかけて封印した』と伝わるようにした。

 現在の五柱の国では、詳細は違っても、大まかには同じ話が伝わっているはずだ。


「しかし……もし、目覚めたのなら、最初に殺されるのは私……」


 真祖が抱く、当時の五柱に対する恨みは相当のはずだ。

 飴玉を口に放り込み、おとなしくなった赤ん坊の真祖の隙をついて、がんじがらめにし、暗い棺桶の中に放り込んで、全力で封印したのだから。

 それだけの苦労をふいにし、封印を解いた者は誰だ。

 プルルスか。

 もしそうなら、あの心変わりについて説明できる。


「いえ、早合点はいけない。でも、真祖の行方は突き留めないと……意思疎通のできない赤ん坊の真祖なんて、ただの災害だわ」


 エルゼベートは決意を新たに、地上に戻った。

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