第29話 制御不能で前進中!

 非常に天井が高く、目を見張るほど広い部屋だった。

 けれど壁も床も真っ黒で、どの程度なのか距離感がつかめない。それらしい窓も見当たらず、満ちる空気がどんよりしている。

 天井にはそんな閉塞感を吹き飛ばさんとする、豪華な白銀のシャンデリアが一つ。

 じんわりとした温かみのある光が放たれている。

 部屋の中央には大理石の丸いテーブルが鎮座し、その周囲を囲むように配置された椅子に数人が腰かけている。

 誰もが白磁のような肌に赤い瞳を輝かせ、興味なさげに時間を持て余しているように見えた。


 ――真夜姫 エルゼベート

 ――女丈夫 アイラン

 ――朽廃鬼 ガガント

 ――烈 剣 サカネ

 ――教 祖 プルルス


 その中の一人、内側に巻く二本の角を生やした人物が、自身の群青色の短髪をがりがりと掻いた。


「なあ、この会議って定期的にやる必要あるか?」

「ガガント、また蒸し返すの? お前の頭はそろそろ丸ごと入れ替えた方が良い」


 辛らつな返事をしたのは少女。

 丸い耳を頭頂部に二つ乗せた、愛くるしい容姿。体は小さく、ふさふさの尾が椅子から垂れている。衣装はラフな茶色い胴衣のみで幼く見える。

 けれど、その見た目とは裏腹に言葉は刺々しく、視線は冷たい。


「アイランは、もう少し言葉を選ぶべきだ」


 白い上衣に黒い袴。黒い髪を後頭部でくくった和装の麗人が腰の刀に片方の肘を乗せて嘆息した。涼し気な瞳がアイランの尾の動きを一瞥し、はあっとため息を漏らした。


「なに? サカネ、文句あるの? あんただって、面倒だなって思ったでしょ」

「思わないでもないが、言い方には気をつけるべきだ。なにせ――我々がぶつかれば国を巻き込んだ争いになるのだから」


 サカネの瞳が鋭さを増した。

 返答を鼻で笑ったアイランと視線が交錯する。


「なに? ヴァンパイアのくせにそんなことが怖いの?」

「怖い怖くないの話はしていない。無駄な血を流すことがないよう、頂点に立つ我々は冷静に話をするべきだと言ったのだ。それが力を持つものの責務だ」

「怖いんじゃん。ヴァンパイアも歳取るとダメだねえ。挑戦心ってものがなくなるみたいだし」


 けらけらと笑うアイランに対し、サカネはため息で返し、もう何も言うまいとばかりに視線を逸らした。

 その態度を見て、眉を吊り上げたのはアイランだった。


「今、ガキだなとか思っただろ?」

「つっかかるな。私は何も言っていない。アイランがそう思っているから幻聴でも聞こえたのだろう」

「やっぱ、ケンカ売ってんじゃん!」


 一触即発の空気。

 アイランが椅子からゆっくり立ち上がった。誰も彼女を止めようとするものはいない。

 けれど、凛とした声が場を制した。


「そこまでにしなさい、アイラン。誰もあなたを子供だなんて思わないし、この円卓に座っている以上、私たちは同志よ」


 ぱんぱんと手を打ち鳴らす音とともに、微笑を浮かべた女性が静かに首を回した。

 長い耳に金の髪。切れ長で形の良い瞳。眉は線を引くように鋭く、すうっと通った理想的な鼻梁が神秘的な雰囲気を醸成している。

 外観はエルフだが、瞳は紅く輝いている。

 銀色の軽鎧にシルクで編んだかの透明感のある外套。腰には宝石で飾った細い剣。

 アイランの怒気が一瞬にして霧散した。


「エルゼベート様がそう言うなら」

「ありがとう」


 朗らかな笑みを浮かべたエルゼベートの視線を受けて、アイランが頬を染めて座りなおした。拳を両膝にのせて、ちらりと彼女を見て、また視線を落とす。


「なあ、俺の質問に誰か答えてくれよ」


 ガガントがどかっと背もたれに体を預け、片方の拳をテーブルに載せた。

 エルゼベートが代表する。


「この会議の意味よね? 前にも言ったけど、自分たちの国の状況と真祖の情報交換のためよ」

「状況って言ったって、そうそう国の状況が変わるわけねえし、誰がヴァンパイア五柱の治める国に仕掛けてくるんだよ。むしろ俺は攻めてきてほしいぜ。なまってんだよ」

「竜族が攻めてくることもあるし、城下で病気が流行ったとか食糧が不足しているとか、話すことは色々あるはずよ」

「エルゼベート、下々の話を俺らが集まってする必要があるか? 竜族のやつらもこの数十年で動いたことがあったか?」

「これからもないとは言えないでしょ? 私たちに匹敵する敵だし、油断は禁物よ」


 ガガントが小さく舌打ちを鳴らした。アイランの瞳がきっと鋭くなったが、彼はどこ吹く風で言った。


「竜族が敵ねえ……だいだい、俺らは仲間なのか? 違うだろ。ここにいる全員が、あわよくば真祖になって支配してやろうって野心の塊みたいなもんだ。五柱とか呼ばれたところで、伝説の真祖にクラスアップできる方法がわかった瞬間に敵同士になる。形だけの同盟なんぞクソくらえだがな」


 その言葉に、室内の空気がぴりっと引き締まる。

 ガガントは気を良くしたように笑い、アイランを指さした。


「チビもエルゼベートの前じゃおとなしくしてるが、お前の間者が何人も俺の国に入って悪さをしかけてきてるぞ」

「……知らないな」

「ふん」


 ガガントが別の人物に指を突き付けた。


「お前もだ、サカネ。領地内に何を作ってやがる?」

「要領の得ない質問だ」

「大量に亜人の死体を集めてるんだって? 国同士の争いを起こさないだと? 笑わせるぜ。善人面して、こそこそやってるやつが一番たちが悪い」

「証拠もなく私を貶めるつもりなら、相手になるが?」


 サカネが腰の刀に手をかけた。

 瞳にはアイランの時とは違う硬質な輝きが灯っている。

 しかし、ガガントは取り合わない。


「エルゼベートもだ。この中で唯一、昔、真祖と戦って封印したヴァンパイアの一人のくせに、真祖について何も話さないのはなんでだ? おかしいだろ。姿は? どんな技、魔法を使った? どうやって倒して、どこに封印した? 知ってるんだろ?」

「何度も言ったけど、私はまだ幼くて手伝いしかしてないから、細かいところは知らないわ」


 エルゼベートは笑みを浮かべ、すらすらと答えた。

 ガガントが眉を吊り上げ、机をどんと叩いた。

 部屋に反響した音が壁に伝わり、室内がびりびりと震える。


「女狐め。真祖になるって公言してるプルルスの方がまだマシだ。なあ、プルルス」

「僕は、どっちでもいいよ」

「はあ? どういう意味だ?」


 ガガントの刃のような言葉を受けても、プルルスは表情一つ変えない。

 むしろ笑みを深め、楽しそうに瞳を曲げた。


「言葉通りの意味だよ」


 プルルスは集まったヴァンパイアたちをぐるりと見渡した。


「真祖に至る道とか、クラスアップの方法とか――心底、どうでもいい」


 プルルス以外の四人が同時に息を呑んだ。

 プルルスは五柱になりあがった時から真祖を目指していた。

 最古参のエルゼベートが保管する書物を騙し打ちで手にし、報復で切り裂かれたことさえある。

 それほどの真祖マニアで、真祖に憧れている人物だった。

 若いアイラン以外は嫌と言うほど知っている。

 他のヴァンパイアの領地内で真祖の噂が聞こえれば、幹部を連れて突然調査に来るほどなのだ。

 危険と興味のバランスを間違った、最も危ないヴァンパイア。

 そして、自分が真祖になることに貪欲すぎる人物。

 しかし――


「ああ、言っておくけど、僕は『今のところは』みんなの邪魔はしないから。勝手に話合って、勝手に真祖になってくれたらいい――できるならね」

「ねえ、プルルス、どうしちゃったの? そう言えば、大事にしていた降臨書はどうしたの? あれが、真祖の証だっていつも言ってたのに」


 エルゼベートがプルルスの全身に素早く視線を巡らせた。

 その行為に気づいたプルルスが、座ったまま両手を広げて見せ、満足そうに頷いた。


「捨てた」

「捨てた? 命より大事だと言ってたのに?」

「興味が無くなった、とでも言っておこうかな。今の僕は真祖にかけらも興味がないんだ――いや、興味はあるけど、執着はないというのが正しいかな。今は、どうやって領地を富ませ、そして……どうやって名を広めるか、ばかりを考えてる」


 全員が意味が分からないとばかりに首をかしげた。

 プルルスが微笑を浮かべて立ち上がり、すたすたと出口に向かう。


「もう何も議題が無いようだから、帰らせてもらうね。みんなは腹の探り合いを続けてくれたらいい。言い忘れたけど、この中から、本当に真祖になれるほどのヴァンパイアが出てくるのかな? 僕はそれだけは強い興味があるね」


 プルルスがぎいっと黒い壁を押し開けた。

 まばゆいばかりの光が射しこむ。その奥に四足の巨体のモンスターを見て取ると、「さあ、帰ろうか」と一声かけた。


「なんだったんだ、あいつ? 薄気味悪いったらないぜ」


 ガガントが呆けたように言った。

 そして、エルゼベートが一人、険しい顔でプルルスの背中を見つめていた。

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