第28話 乾杯しましょう! そうしましょう!
洒落たお店だ。
無垢材のような壁には誰かの絵画が、いくつも飾られている。
天井から吊り下げられた照明が淡い光を店内に届けている。
私は、ふにゃっと顔が緩むのを感じた。
もちろん、理由は店の雰囲気なんかじゃない。
「シュークリームきたーっ!」
「ちょっと、リリさん、はしたないですわ。ちゃんと座ってください。みなさんがびっくりしています……」
「これが喜ばずにいられるかぁ! 念願のクリームだぁ」
「ま、まあ、そんなに喜んでくださるなら、招待したかいも、ありましたけど」
苦笑いするミャンは、小さく咳ばらいして、頬を赤く染めた。
私とアテルとウィミュは、ミャンのおごりでシュークリームのお店にやってきていた。
正直なところ、店に入ってすぐに感じた甘さの暴力に、私は我を失いかけた。
しばらくクリームから遠ざかっていたので、香りだけで倒れかけたのだ。
「ミャン、お金は本当にいいのですか? シュークリームは高いですよね。このお店は特に高そうですけど……」
アテルが心配そうにミャンを見た。
私は、どんと自分の薄い胸を叩いた。
「お金なら、私も出す! こう見えてもふところは潤っているのだ!」
「リリはどうしてうるおってるの? そういえば、途中でカステラもたくさん買って、突然いなくなったよね? どこ行ってたの?」
ウィミュが不思議そうに首をかしげた。
「ん? ふわふわしてる門番さんに差し入れしてきたんだよ。ほら、この町に入るときに、私が……ええっと……ちょっとだけ、押しちゃったでしょ?」
「そういえば、あったねー。リリがカステラのために引っぱたいて、飛んでいった人」
「言い方! 言い方に気をつけて! 間違ってないけど、オブラートに包んでるんだから」
「リリさん、弱い人への暴力はいけませんわ」
ミャンのじとっとした視線が痛い。
私は、顔を引きつらせながら、話を変える。
「そうそう、ふところがうるおってる理由はねー、朱天城の地下で見つけたの! プルルスがたくさん隠し持ってたの!」
「それって、返さなくていいの?」ウィミュが言った。
「え? か、返す?」
「だって、プルルスのお金でしょ?」
確かにそうだ。
ここにいるメンバーは、黒プルルスが消えて、白プルルスになったことを知らない。
白プルルスには、「お金なんて好きなだけ持っていって」と言われたけれど、そんなことを知らないみんなは信じてくれるだろうか。
「し、指導料ってことで、もらったの」
「リリの指導って、一回でもすごく高いんだね!」
「うっ……」
「ウィミュ、リリ様の指導ですよ。当然です」
「アテル、いい援護、ありがとう」
「援護? ほんとのことですが。私も受けてみたいくらいです」
「また今度ね。さあ、シュークリーム食べようっと」
これ以上ぼろが出ると危険なので、さっさと話を切り上げる。
と、思ったのだが、ミャンがシュークリームに伸ばした私の手を止めた。
「なに?」
「まだ、お願いの返事を聞いていませんわ」
「……あれは、やめといた方がいいって言ったけど」
「いいえ、私はどうしても――ヴァンパイアになりたいのです」
ミャンが口を引き結ぶ。
真剣な表情が彼女の意志の強さを表している。
私は、何とも言えない表情を浮かべた。
「かたきを討つためって言っても、良い事ないよ? ヴァンパイアって町中だと遮魔布が必要になるし、他の人には怖がられるし」
「構いません」
「ミャンはもう十分強いと思うけど」
私はシュークリームから視線を逸らし、彼女の横顔を見た。
何かを考えるような物憂げな表情だ。
「それでも、プルルスには、絶対に勝てませんでしたわ。戦わなくとも、前に立っただけで、よくわかりました。でも――あれくらいにならなければ、私の目的は果たせません」
「まあ……それはね……」
降臨書によるとプルルスは☆6のモンスターだ。
ディアッチ以上となると、レベル20そこそこでは、まったく歯が立たないのは事実。
「一度なっちゃうと戻る方法はないらしいけど……」
「戻るつもりなんてありませんわ。お願いします、リリさん」
「リリ様、ミャンはリリ様だから、ヴァンパイアにしてほしいと思ってるんです」
アテルが言った。
「……私だから? 血の代わりに赤いジュースでいいから?」
その言葉に、アテルが心の底から面白そうに笑った。
ミャンも笑いが抑えきれないようで、「失礼」と言ってから、くすくす笑う。
「え? どういうこと?」
「リリ、違うよ。ミャンは、リリが気に入ったの」
ウィミュが優しく言うと、ミャンが「誤解を招く言い方はやめてください!」と恥ずかしそうに視線を伏せた。
そして、両手を膝に置いて、きゅっと眉に力を入れて、こっちを向いた。
「私は、リリさんのようにヴァンパイアでありながらも、何事にも動じない気高さが欲しいのですわ」
「気高い? 私が?」
誰かと勘違いしているのではないだろうか。
気高さなんて、私の中には一ミリも存在していない。
アテルにもそう言った記憶がある。
ミャンが膝を向けて、私に頭を下げた。
「プルルス相手に一歩も引かず、自らの力で望みをかなえる。その姿は、私の理想なのです。プルルスが言ったことも、今なら理解できます。誰かに頼む以前に、私も手を尽くして強くならないといけないのです。でも、今まで死ぬ思いで努力したつもりの私の強さは、プルルスから見て、赤ん坊同然でした。自分の目的を果たすためには、ヴァンパイアとなってでも、あの領域に駆けあがるしかないのです」
「……私としては、色々違うとは思うけど。どうしても、なりたいわけね?」
「ええ」
「後悔しない?」
「もちろん」
意思はとても固いらしい。
ところどころで、アテルとミャンが視線を交わしているのも気になる。
一度は私に断られたから、アテルに援護を頼んだのだろう。
ばればれだけど。
「アテル、どうやったらミャンをヴァンパイアにできると思う? 私、あなたしか成功してないから」
「血を吸っていただいたら大丈夫だと思います。舐めるくらいでも十分だと思いますけど」
「やっぱり、それなんだ……」
「強いヴァンパイアは、それが一番間違いないです」
「りょーかい」
「お願いしますわ」
ミャンが立ち上がり、私の手を引いた。
店の奥のこじんまりした部屋だ。事前に使うことをお願いしていたらしい。
彼女がボタンを外し、首元を露出させた。
白いうなじがとても色っぽい。
が、残念ながら、私には美味しそうには見えない。
「準備はいい?」
「いつでもどうぞ」
私は彼女の首元に口をつけた。
犬歯を立てようとして、失敗して舐めるだけになった。
「ひゃん!?」
「……ごめん、失敗した」
「ちゃ、ちゃんとお願いしますわ。ほら、しっかり」
ミャンが首筋を唇にぐいぐい押しつけてきた。
次はうまくいった。
歯の尖った部分が柔肌を少しだけ傷つけた。
じわっと玉のようになった血を、がんばって一度舐めた。
――とってもまずい!
ミャンの体が光った。
背後に『白十字』が浮かんだ。
何かを祝福するような光は部屋を淡く染め上げ、ふわりと霧のように消えた。
――ミャン=エナトミ=ペルシアンが眷属になりました。
「成功したみたい」
「ほんとに? ありがとう、リリさん」
「別にいいけど、王族なんでしょ? ほんとに良かったの?」
「何も捨てずに目的を果たせると思っていた私が甘かったのですわ。未練がましく王族を名乗ることをやめて、今日から、リリさんの眷属として、ヴァンパイア・ミャンを名乗りますわ! そして、リリさんより強くなりますわ!」
ミャンはそう言って、吹っ切れたように笑った。
とても幸せそうだった。
私は、水場で口をゆすいでテーブルに戻った。
アテルが新しい遮魔布をミャンの目に巻いていた。
「しばらくしたら、目の色を消す練習をしましょう」と言っていた。
「お待たせしましたわ。さあ、みんなで、絶品のシュークリームをいただきましょう。リリさんには、実は追加サービスもありますの」
「おぉっ、なになに?」
「スパークリングワインですわ。リリさんは、甘いものとお酒が大好きと聞いたので。シュークリームにはよく合いますわ」
「す、すごい! 夢のコラボが楽しめるなんて。しかも、スパークリングワインだと!?」
私の手がシュークリームに伸びた。
外がふわふわのタイプ。クリームが皮をすけて見えるほど、たっぷり詰まっている。
甘さの爆弾だ。
「いただきまーす!」
さっとちぎってクリームをぺろり。
「甘い、うまい、甘い、幸せすぎる!」
スパークリングワインのグラスを口に運び、ごくん。
炭酸が甘味を流し、喉奥に清涼感を与える。
またシュークリームを一口。
「無限に楽しめるコンビネーション!」
とても幸せだった。
異世界に来て、酒と甘味をこんなに楽しめるなんて。
もう死んでもいい。
「ほんと、美味しいですね。ウィミュはどうですか? ほっぺたにクリームがついていますが……両方って……どんな食べ方をしたのですか」
「え? アテル、とって、とって」
「ほら、とれましたよ。ってどうして、おでこにつくんですか!?」
「だって、クリームが飛ぶんだもん」
「かぶりつく瞬間に、手で強く押しすぎなんです! こう、優しく、扱わないと」
「アテル、上手」
「甘味のプロですから」
「甘い、甘い、うまい、うまい、うみゃい」
「……リリ様、大丈夫ですか?」
「うみゃ? ……ダイジョブよ?」
「そ、そうですか……ちょっとお顔が……」
アテルの肩を隣にいたミャンが軽く叩いた。
そして、首を振った。もう放っておこうということだろう。
「リリ様、もうなくなりそうですね」
幸せな時間は終わりに近づいていた。
甘いものはおいしい。でも、必ず、なくなってしまうという問題がある。
どれだけ、シュークリームが甘かろうと、スパークリングワインが美味しかろうと、食べれば無くなるのだ。
けれど――
「二度目を楽しむことはできるのよ――くらえ、《リサイクル》!」
私は、指先につまんでいる、きれっぱしのシュークリームの残りにスキルを使用した。
アップデート後の禁断のスキルだ。
元々は同じ魔法や技を連発する時に使用するもので、極小のMPで使えるスキルだ。
けれど、導入当初、貴重アイテムやレガシーまでも使用後に増やしてしまえることがわかって、近々修正パッチが当たる予定だったのだ。
「よし――これで、復活のクリーム!」
「な、なんて非常識なスキルなの。シュークリームを増やすなんて」
「増やしたんじゃなくて、戻したの」
「リリ様はやはり神です」
「ウィミュもやって、やって!」
「任せなさい、みんなやってあげる。くらえ《リサイクル》連発!」
「増えたぁ!」
「す、すごい」
本当に使えるとは思ってなかった。
カステラでもやれば良かった。
残念ながら、このスキルは同じものには一度しか使えないけれど、これからは、スイーツ二倍作戦ができる。
笑いが止まらない。
「ついでに、スパークリングワインも、《リサイクル》!」
「すごい、すごい! 一気に増えちゃった」
「増えたんじゃなくて、戻ったんだって」
「リリさん、リリさん!」
「なに、ミャン? あなたのワインもやる?」
「違います! 店員がにらんでますわ!」
「えっ?」
腕組みをしたおじさんが、こめかみに青筋を立てていた。
そうっと片手を振って、にこやかに笑ってみせたが、奥から数人の怖そうな人たちが、近づいてきた。
そして私たちは、こってりお説教をくらったのだ。
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10万文字もお付き合いいただきありがとうございました。
書き溜めた分はここまでです。
応援やコメントをくださった方、お読みいただいた方には心より感謝申し上げます。
楽しい雰囲気は感じてもらえたでしょうか。筆者は執筆中も楽しかったです。
特にディアッチの活躍周辺は執筆ペースがとても速かったですね。
作品を通して感想があればぜひぜひ教えてください!
本当にありがとうございました。
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