第19話 唐突で、論外で、意欲が湧かない

「わざわざこんな場所にお越しになられるとは恐縮です。お呼びとあらば、参じましたのに」

「ディアッチ、たまには僕も部下の様子を見たくなるときがあるさ」


 プルルスはそう言ってぐるりと周囲を見回した。

 人間一人を閉じ込めるのにぴったりの大きさの鉄格子が、部屋の端に並んでいる。

 鳥かごのようにも見えるそれは、どれもが最上部の三角の屋根を切り取られ、床に転がっていた。

 ウーバの体が緊張感に縮みそうになった。

 目の前の格上の存在の怒りを敏感に感じたからだ。


「ねえ、ディアッチ、どうして贄を全員逃がしたんだい。いつもはここに十分な用意をしてくれていたはずだ」

「少々、管理に手こずるようになりましたゆえ」

「手こずる? あんなに嬉々として贄と遊んでいたのに?」

「歳を取ったからでしょう。数が多いと目の動きも悪くなり、新鮮な贄を維持するのが難しいと感じるようになりました」

「へえ」


 プルルスの紅い目の奥がじわりと光った気がした。

 ウーバの背筋がひとりでに軋みをあげる。プレッシャーがゆっくりと空間を覆っていくようだ。

 だが、ディアッチは微動だにしない。


「でも、贄カゴを破壊しなくても良かったんじゃないかい? そこに転がっているそれは、君の発案で僕が作ったものだ。ディアッチがしんどいなら、そこにいるウーバでも、ガイモーンにでもやらせることもできたのに。もったいないとは思わなかったのかい? ヴァンパイア化した人間でも壊せない特注品だよ」

「プルルス様、贄とは寸前まで生きていてこそ、自由であるからこそ、御身に献上する価値があるのです。捕らえ、何日も絶望を味わった贄など、喰らう価値などありますまい。我はそう思い直したからこそ――」


 ディアッチは部屋の床に突き刺していた斧の柄を握った。

 一瞬、風が舞った。

 ウーバは何が起こったか目で追えなかった。

 そして――ディアッチの斜め前にあった岩の上半分が、すっとずれた。斬られていた。

 刃が、頭上を通り抜けていたのだ。


「その斧で、一刀に斬り捨てたと?」

「御身の為を想えばこそ。カゴなど無い方が良いのです」


 プルルスの唇が笑みを描いた。瞳には暗い光が凝った。


「忠誠心の現れだと、そう理解していいんだね?」

「ご推察のとおりです」

「まあ、いいだろう。ただ、近々、贄になる人間は連れてきてくれよ。僕が我慢が嫌いなヴァンパイアだってことは知ってるよね」

「承知しております」


 ディアッチが巨体を折って頭を下げた。

 場の空気が一気に和らいだ。

 ウーバが恐る恐る切り出した。


「プルルス様の、お話しとは何でしょうか?」

「そうだ、忘れてた」


 プルルスが本当に忘れていたような様子で苦笑した。


「久しぶりにキツネ狩りをしようと思ってね」

「キツネ狩りを!?」


 ウーバが視線を落とした。顔には戸惑いと恐怖が浮かんでいた。


「あれ? 忘れちゃった? 何十年前かにやったよね。このヴィヨンを――端から端まで掃除しながらキツネを狩る、あれさ」

「しかしあれは――」


 意を決して口を開いたウーバは、絶句した。

 目の前の紅い瞳が三日月のように曲がっていたからだ。

 反対は許さない。逆らうことは許さない。

 無言の圧力が口を閉じさせた。


「な、なぜですか? なぜ今のタイミングで」

「目ざわりだからさ」

「目ざわり?」

「この数十年で、僕の下から去った愚か者がいるだろ? そいつらを綺麗に掃除したいんだ。去ったくせに、のうのうとこの町で商売を続けるようなやつもいるからね。あとでリストを渡すよ。調べは終わっている」

「へ、兵は?」


 プルルスがその問いに本を突き出した。

 とても分厚く古びたそれは、異常な気配を纏っている。


「これを久しぶりに使おうと思うんだ。町全部となると、隊長を務めるやつらくらいは、僕が呼び出さないといけないだろ」

「本気で……本気でおやりになるのですね」

「さっき、そう言っただろ。僕の側にはガイモーンだけ残して、残りは全部出す。邪魔する者は一緒に消して。ウーバ、君には総指揮官を頼むよ。明日、全城門を閉じるから逃がさないようにね」

「今回の……キツネは一体誰なのですか? 最近、良からぬ動きをしている人間の王でしょうか?」


 プルルスはその言葉に、ひび割れたような笑みを浮かべた。


「そいつも標的だけど、一番は、僕の寵愛を無下にしたあげく、顔に泥を塗ってくれたやつだ」


 言葉には暗い感情がこもっていた。

 どろどろとにじみ出る何かに、ウーバは裏寒くなる。

 その人物はよく知っている。朱天城にもともと仕えていた者だ。


「まあ、誰かさんが捕まえるのに失敗したようだからね。でも、わざわざ戻ってくるなんて、よっぽどおかしくなっちゃったのかな? いや――遮魔布を買っていたくらいだから、教会に助けてもらったか」


 ディアッチを批難していた。後半の意味はよくわからなかった。

 しかし、なぜ戻ってくるようなことをしたの、と問い詰めたくなる気持ちだった。

 あなたのせいで――アテルのせいで、この町は地獄となるのだ。


「ディアッチ、君は反対するかい?」

「いえ、プルルス様のご命令とあれば」

「良い返事だね。そうだなあ、君には、ワルマーを始末してもらおうか。あいつはすばしっこいから、力でねじ伏せて」

「誰であろうと、一刀で始末いたしましょう」


 プルルスが目を丸くした。

 そして大きく破顔した。


「そういう生真面目さが君のいいところだよ」


 ***


「プルルス様、一つ、お願いがございます」

「なんだい?」


 ディアッチの言葉は、プルルスが背を向ける寸前で放たれた。

 足を止めたプルルスが向き直った。


「お会いしていただきたい者がおります」

「誰だい?」

「ミャン=エナトミ=ペルシアンと名乗る者です」

「ペルシアン……ああ、終わったペルシアン家の……なぜ?」

「プルルス様にお願いしたいことがあるそう――」

「違う。僕が訊いたのは、どうしてディアッチがそれを望むのかってことだ」


 ウーバが、はっとしてディアッチを盗み見た。

 確かにそうだ。

 プルルスの幹部ともあろうものが、簡単に、得体の知れない者を主に近づけるなど、あってはならない。

 ペルシアン家と言えば、ウーバも知っている。銀帝に滅ぼされた一族のはずだ。

 ディアッチの言葉が止まった。


「君は、そのペルシアン家の者の望みを訊いたかい?」

「それは……」

「訊いていないなら、君が訊いて伝えればいい。訊いていて、僕に会わせたいのなら、その者の望みに、ディアッチが肩入れしたい、ってことになる。さもなくば、誰かの頼みってことになる。――ペルシアン家の者と縁があり、さらにディアッチとも縁がある者からの、断れない頼みだ」


 言葉が氷のようだった。

 そう感じているのはウーバだけかもしれない。

 しかし、空気が変わったことは確かだった。

 あの手紙だ。内容はペルシアン家の者の謁見について書かれていたのだ。


「僕の知る限り、嗜虐翁が断れない頼みなんて、ない。あっ、違ったな。僕がいたか――そうだよね?」

「その……通りです」

「ねえ、ディアッチ」


 言葉が真綿のように締まっていく。

 有無を言わせぬ口調だった。


「過去、僕に何かを頼んだ相手を、何人か知っているよね?」

「もちろん……です」

「それでも、謁見を望むのかい?」

「はい……」


 ディアッチは絞り出すような声で言った。

 プルルスが、心の底から笑うような顔で「そうだよ。それがディアッチだ」と気持ちよさそうに言った。


 ***


 謁見は、次の日に実現した。

 謁見とは言っても、教祖プルルスが鎮座する広間にやってくるだけだ。

 しかし、プルルスの周りには異形のモンスターが数多い。

 ここは外部の者にとって、異世界そのものだった。

 案の定、ミャンはがたがた震えていた。

 決心したはずなのに、ずっと願っていたはずなのに。

 足が前に出ないのだ。

 後ろには、逃げ道を防ぐように立つ、巨大な牛の頭を持つ四つ足のモンスター。

 今朝方、このディアッチがリリの宿に来て、その足でミャンを迎えにきた。

 リリは気楽に「ディアッチ、一応言っておくけど――」なんて、友達に話かけるように足を叩いていたが、そういう存在でないことは一目で分かった。

 ミャンは見た瞬間に頭の上から尾の先まで、恐怖で震えたのだ。

「がんばってねー」と手を振るリリに、何度も振り返って目で訴えた。

 ――ついていって、大丈夫なのですよね? と。

 ディアッチは道中、何も話さなかった。

 息苦しくて、何度も帰りたくなった。

 でも、今の状況に比べたら、何倍もマシだったのだ。

 なんだ、この化け物の群れは。


「僕に頼みがあるんだって? いいよ。なんでも言って」


 救いは、教祖プルルスの見た目が普通だったことだ。

 黒い長髪に整った顔。

 ヴァンパイア特有の紅い瞳が怖かったけれど、それは事前に知っていたから覚悟はしていた。

 強いヴァンパイアに見つめられると、三秒ほどで催眠状態にかかるらしい。

 本当は遮魔布が必須なのだ。

 でも、頼みごとをするうえでは邪魔になる。

 相手に信頼を示してこそ、頼みができるのだ。


「名前を聞こうかな」


 いつの間にか、随分近くまで来ていた。

 腹に力を込めて、下がっていた視線を上げた。

 そして名乗った。


「ミャン=エナトミ――」


 喉が詰まった。

 いや、違った。目の前のはるか格上の存在を前にして体が委縮しているのだ。

 ひどく慌てた。

 周囲のモンスターがげらげら笑っている。

 無礼だ、なんて思いは浮かばなかった。

 とにかく焦った。何を見た目で勘違いしていたのか。目の前の教祖プルルスは、後ろにいるディアッチを越える化け物なのだ。


「ミャン=エナトミ=ペルシアン!」


 けれど、ミャンは全身に力を込めて吠えた。

 小さな小さな咆哮だった。

 教祖プルルスの紅い瞳がじわっと変化していた。

 面白そうだ――そう感じた。

 ミャンは一度大きく息を吸った。


「ぎ、銀帝を! 銀帝を殺ひてください! わたし、の、国のかたひをっ!」


 呂律が回らなかった。

 プレッシャーが針のように全身に突き刺さる中で、ミャンはがくんと前に倒れた。

 なのに、途端に軽くなった。

 膝が独りでに立ち上がり、背筋をしゃんと伸ばした。

 ああ、操られてる――そんな思いが、にぶる思考の中でよぎった。

 目の前に紅い瞳があった。

 場が鎮まり返っていた。


「気に入ったよ。唐突で、論外で、意欲が湧かない願いだから、君自身の手でやればいい。そうだろ?」

「はい……」


 ミャンは夢を見ているような気持ちで、首を縦に振った。


「おめでとう。今日から、君はヴァンパイアだ」


 プルルスが抱きかかえるようにミャンに手を伸ばした。

 紅い口内から、鋭い牙が伸びていた。

 ミャンが自ら近づいた。

 その両者の間に――

 大きな斧が割って入った。

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