第7話 準備、準備、準備!

 アテルを連れて洞窟に戻った。

 私たちがいなくなったことなんて、まったく気づかず寝ているウサギが一匹。

 長い耳がぺたりと寝ている。赤みを帯びたほっぺたが、もちもちしていて、とても可愛らしい。

 寝息を聞いているだけで、こっちが幸せになれそうだ。

 思わずしゃがんで、ほっぺたをつついた。


「アテルが襲いたくなるのはよくわかる」

「いえ、血を吸いたくて仕方なかっただけで、襲うとかでは……」

「そ、そんなのわかってるから。冗談に決まってるでしょ。さあ、アテルも寝なさい。私の血を吸っても、しんどそうよ。今日の見張りは私がするから」

「そ――」

「寝なさい。あなたの主であるヴァンパイア・リリーンが命じる。アテルは休みなさい」


 ブイサインを立てて片目をつむって見せた。

 アテルがくすりと微笑んで「お言葉に甘えます」と言って、倒れるように横になった。

 気が張りつめていたのだろう。

 寝息が聞こえたのはほんの数秒後だった。

 アテルの体を抱えて、私のベッドに運ぶ。少しは疲れがとれてくれたらいいけど。


「《愚者の祝福》ってこういうときも使えるかな」


 眠っているアテルに近づき、念のためスキルを使った。

 黒い靄が体を覆い、少しして晴れた。

 明日には元気になってくれたらいいな。


「さてと……やらなくちゃいけないことを済ませないと」


 洞窟の入り口に移動し、冷たい石壁に背中を預けた。

 意識を内側に向けた。

 ウインドウの右下にアイテムボックスのアイコンがあった。

 どうして今まで気づかなかったのか。

 ゲームの世界ならアイテムだって、お金だって持っていても不思議じゃないのに。


「良かった……あった」


 アイコンにアクセスする。

 現実世界に、茶色く大きなアイテムボックスが現れた。旅行鞄がいくつも入りそうなほど大きい。

 鍵穴はあるけど、鍵は必要ないようだ。

 中を開けた。

 ストーリーを周回して集めたアイテムが山ほど残っていた。

 戦闘用アイテム、ステータス・スキル系アイテム――そしてレガシー。

 滅んだ先人が遺したもの、という設定の現代アイテムだ。

 ほろりと涙がこぼれそうになった。

 缶ジュースがあった。

 パッケージを見るに、ミカンジュースだ。


「テンション、あがるなぁ」


 伸びそうになる手を必死に止めた。

 ここで飲んで幸せになっても、すぐに地獄が待っている。

 レガシーは数がとても少ない。


「我慢、我慢しなさい、リリーン。ちゃんと他の甘味を確保してから」


 一人芝居をしながら、他のアイテムを探す。

 やっぱり期待したようなものはない。

 料理に使えそうな食材はない。HP回復アイテムや蘇生アイテムばかりだ。

 包丁も鍋もない。全然使えないボックスだ。

 立ち上がって、ウィミュの鍋をアイテムボックスに放り込んだ。

 すうっと闇に呑まれるように消えて、ウインドウの一覧に《鉄鍋×1》が増えた。

 また取り出して実体化。四次元ポケットと思っていいだろう。

 異世界生活の大きなアドバンテージ。大事にしないといけない。


「これで、持ち物の心配はしなくていいかな。次は――わかってることの整理っと」


 私は膝を抱えて目を閉じる。

 この二日で分かったこと。

 一つ目、JRPGの世界を踏襲している。

 ネズミも山菜もその一部だろう。アテルに向けたブイサインも通じた。

 文化も一部引き継いでいるだろう。お菓子もどこかにあるはず。

 二つ目、ターン制RPGといっても、行動順は速度で差がつかない。

 私の速度は932。普通なら私の行動が最初だと思う。アテルを助けたときは私から行動したのかと思ったけど、戦闘が始まっても相手が止まる気配はなかった。リアルタイムでの戦闘に近いということ。でも、森を軽々飛んでいけるのでステータスは生きている。

 三つ目、《降臨書》のモンスター以外の生物がいる。アテル、ウィミュ、村の人たち。線引きがあるのかは不明。他の種族もいると思って間違いない。

 四つ目、ヴァンパイアは吸血か血を与えることで眷属を作ることができる。ただ、全ヴァンパイアにそれができるとすると、吸血だけで数が増えすぎる。普通に考えれば高位のヴァンパイアだけに許された能力だろう。《降臨書》の説明には書かれていないので、独自の生態が広がっている可能性大。


「うーん、やっぱりこの世界の私の立ち位置を知らないとダメかな」


 アイテムボックスにはステータスを永続的に上昇させるアイテムがあった。これがこの世界で手に入るなら、レベルはそのままにステータスだけ伸ばしたモンスターもいるかもしれない。気をつけないと。


「《降臨書》開錠」


 空中に分厚い書物が影のように現れた。外観は古臭くてぼろぼろだ。

 手のひらの数センチ上で浮遊している。

 ページが勝手にめくられて、ぴたりと止まった。

 頭に思い描いていたモンスターのページだった。

 書かれている召喚費用がバカみたいに高くて、ちらりとアイテムボックスの残高を見た。

 本編を周回しているので、さすがに一度や二度でなくなることはないものの、腰は引ける。

 でも――

 私はプルルスというモンスターに目をつけられたはず。

 アテルの件でも、ウィミュの件でも。

 仕方がなかったとはいえ、今の私は二人を守る義務がある。

 そのために、このモンスターで試す必要があるのだ。


 ***


「私はやりたいことがあるから出かけてくる」

「お一人で、ですか?」

「危ないよ、リリーン様」

「絶対に必要なことなの。いい? 勝手なことはしないで、必ず洞窟に隠れていて。あとでちゃんと説明するから」


 不安そうなアテルとウィミュを置いて、私は森を出た。

 山を頂上まで登り、だだっぴろい草原を見つけた。

 うってつけの場所だった。新鮮な空気を吸って、すべるように降りた。


「いい場所」


 盆地のような場所で、攻撃に最適な巨大な岩もあった。

 私は片手を上げた。


 ――万能魔法・ピュロボロス


 百メートル以上先で空間が曲がった。熱したガラスがぐにゃりと曲がるように景色が溶け、勢いよく収斂し、そして爆発した。

 すさまじい威力だった。

 岩は跡形もなく消え去り、最初から平地のような景色に変わった。


「思ってた以上……それと、変なの引き寄せちゃった」


 上空に視線を向けた。

 何かが空から降りてきた。角を持つ牛のような黒いモンスター。

 体長五メートルほど。頑強そうな黒い体に、蛇の尾を持つ四つ足の化け物だ。

 人間に近い生物しか見ていないので、驚いた。

 ちゃんとモンスターもいるのだ。


「人探しをしていたら、まさか小さな同胞に会うとは」

「誰?」

「この国にいる者であれば、見たことはなくとも、聞いたことはあろう。寡黙で優秀で《教祖プルルス》様の信頼厚い嗜虐翁ディアッチのことを。ふふーん、我がその人よ」


 ディアッチと名乗った牛のモンスターは鼻息荒く、両刃の斧を風を切るように振り回した。

 ずんと大地に降り立つと、私の足下がぐらりと揺れる。


「教祖プルルス……人探し? もしかして、アテルを探しにきたとか?」

「おぉっ、知っているか? なんという幸運。これで仕事は片付いたも同然。プルルス様に早速ご報告差し上げられる。これこそ日頃の行いの賜物。贄を一匹ばかり逃がしてやったことが、このような幸運をもたらすとは」

「へえ……」

「贄を逃がし――そして、縊(くび)る。これこそ大いなる希望と絶望を同時に感じられる、粋で慈悲に満ちた計らいである。その小さく愛らしい姿、我慢できぬ」


 ディアッチの大きな口から赤い舌がのぞいた。

 光彩のない瞳がぐりっとあらぬ方向に動いた。


「縊る、くびる、クビル。細い首を、縊るよろこびぃぃぃぃ! その首に黄金比率を!」

「頭おかしいのね――《聖なる杯》」


 駆けだそうとしたディアッチに、アイテムボックスから素早く戦闘用アイテムを投げつけた。途方もないステータスで投げられたそれは、音を置き去りにしてディアッチの体にあたる。

 そして爆散。


「うぎゃぁゃゅあぁゃーっっ!」


 真っ黒な体がしゅうしゅう音を立てる。

 中級魔法代わりのアイテムだけど、結構効いているようだ。

 寡黙なモンスターは見る影もない。


「なぜ、我の弱点を一目で見抜けた!?」

「はあ?」


 このディアッチ、弱点ばらしちゃったよ。

 まあ、知ってるんだけど。

 それと、やっぱり魔法攻撃999のステータスはアイテムに乗らないか。


「《聖なる杯》」

「ぐぎゃぁぁっ、ぬぅぃぃぃぃ! き、効かん、効かん、きかーん!」

「いや、めっちゃ効いてるけど?」

「断じて効いてない! 《会心剣》!」


 ディアッチが大きな体を活かして距離をつめてくる。

 ちょっと迫力があって怖いけど、いい機会だ。《聖なる杯》で苦しむくらいの敵だし、『☆5』のモンスターの物理攻撃はテストにありがたい。

 この体はまったく負ける気がしない。


 ――ガンっ


 私の細い腕が巨大な斧の攻撃を受け止めた。と同時に、ガラスが反響するような音をたてて、ディアッチが吹き飛んだ。

 うん、大丈夫。物理反射は働いた。

 ついでに、


「それは剣じゃなくて、斧でしょうが!」

 

 こっちの物理攻撃。

 追いかけて、見様見真似で体をひっぱたいた。

 巨体のディアッチがきりもみしながら飛んでいく。スケートの十回転ジャンプでも見ているように。

 轟音とうめき。岩肌を削りながら落ちてきたディアッチは、よろめきながら斧を杖代わりにして立ち上がった。


「ねえ、あなた、ディアッチって名前なの? ガロンって名前じゃないの?」

「……ガロンは種族だ。愚かな同胞よ……ごぼっ。我はプルルス様より名を戴いたのだ! そんなことより、今のは何だ? 貴様、何者だ!」


 なるほど。そういうこと。

 《降臨書》に載ってるモンスター名はこの世界では種族名なのか。

 ということは、リリーンも種族名ってことかな。


「よし、だいたいわかった。ありがとう、ディアッチさん。思わぬ収穫でした」

「質問に答えよ! 下等な芋虫が!」

「はい? ――万能魔法・最強化・ピュロボロス」


 ディアッチも私も頭上を見上げた。

 巨大すぎる塊が空を埋めていた。溶けたガラスの塊のように、太陽光を乱反射してゆらめいている。


「なんだ? 魔力の……かたまり?」


 それがディアッチの最期の言葉だった。

 その魔法は戦略級の威力だったのだ。

 山のくぼみは無くなり、すべてが更地となった。

 岩肌は灰燼へと変わり、突風が吹き荒れていた。

 私は《万能魔法》の実験をして良かったと心の底から安堵した。

 自分が無事に立っていることが奇跡だった。


「なによこれぇぇ!? こんな魔法、使えるかぁ!」

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