第3話 ヴァンパイアが飲むものって何だろう?

 アテルはネズミを食べたあと、少し太めの丸太をたくさん採りにいった。

 この丸太をきっちり隙間なく並べ、そのうえに草を山盛りのせて、平たくならした。

 ベッドを作ろうとしているらしい。

 最後に頭の位置に、さっき食べたネズミの頭骨を一つ置いて完成――


「リリーン様、お待たせしました。慣れないので時間がかかりましたけど、たぶんふかふかです」

「……ありがとう。骨は? 骨に意味ある?」

「リリーン様がお食べになったネズミの骨なので、目印にわかりやすいかな、と」


 小さな骸がうらめしげにこっちを向いている。

 これ、私が食べたネズミのなれの果てなのか。

 ちらっとアテルを見た。彼女は疑問を理解してくれた。


「あっ、残っていた身は綺麗に削いでおきました! ちゃんととってあるので、明日の朝でも食べられます」

「そう……ありがとう」


 余計なことを聞いてしまった。

 アテルは得意げに大きな葉っぱを取り出した。今の私の体なら二、三枚ですべてをおおえるサイズ。

 何を求められているかを知って、私はそっと簡易ベッドに横になった。

 アテルが葉っぱを上にのせていく。

 何だろう。微妙な気持ち。香草を乗せた蒸し焼き前の魚みたいな。


「アテルは? アテルはどこで寝るの?」

「私は火の番と見張りをします」

「え? 寝ないの?」

「ヴァンパイアは一晩くらい寝なくても問題ないのです!」


 力強く言い切ったアテルは、やる気に満ち溢れている。

 そういう話なら私もヴァンパイアのはずだ。今は特に眠くもない。


「いけません! リリーン様はお休みになられないと! 今日は、私の為にお力を使っていただいたのですから!」


 起き上がろうとした私の側に、アテルがあわてて駆け寄った。

 泣きそうな顔で「お休みになってください」と懇願される。

 またも圧力に負けた私は、「そこまで言うなら」と横になった。


「アテルも、眠くなったら寝ていいから。それと、もう一つベッドは作らないの?」

「私はどこでも眠れます! もし寝る時はそこで!」


 アテルが指さした先には、小さなネズミの頭骨が二つ並んでいた。

 入り口すぐの岩場だ。


「ここなら何かあっても盾になれます!」


 盾って。

 私ごとき、とか言うし、随分自分の評価が低そうな子だ。

 それに私のステータスを考えると、そうそう死なないと思う――いや、こういう油断はダメだ。まだ何も確認できていない。999が普通の世界だってありえる。

 不安も大きいし、近くに人がいるのはありがたい。

 悪い子じゃなさそうだし、守ってくれるというなら、それに甘えよう。

 明日ゆっくりアテルと話をしてから――


 そんなことを考えていると、ふいに睡魔が訪れた。たき火のぱちぱちという音が、遠くで聞こえる感覚。

 草の上でも眠くなるなんて、リリーンの体の図太さには感謝しないと。



 ***



【アテルside】


 無事に眠ってくださった。

 その寝顔をチラ見して思わず身震いする。

 何度見ても神々しさの塊のような方だ。小柄だが、おそらく相当高位のヴァンパイアに違いない。

 紅い瞳がその証だ。

 自分がヴァンパイアに拉致されて、なぜか吸血される間際に気に入られて数年。

 人間からヴァンパイアに生まれ変わった私は、元人間であることを活かして、贄を探す仕事を強いられていた。

 そうしなければ両親が殺されるからだ。

 だが、ふとした時に知った。両親は私が拉致されたあとすぐ、別の盗賊によって殺されていたらしい。

 その事実はひた隠しにされていた。


「これからどうしよう……」


 首筋の二つの小さな傷痕と、手首のサソリ紋の烙印。

 消えない呪縛だ。

 世界でも屈指のヴァンパイアの一人、《教祖プルルス》につけられた傷であり、生まれ変わったきっかけだ。

 追われている理由でもある。あのヴァンパイアは逃亡者を許さない。

 部下も多い。

 プルルスが使役する《無業鬼》というモンスターは、一体でも化け物じみた強さを持っている。あんなやつが何人もいると思うと気が滅入る。

 同じヴァンパイアの従者といっても私じゃ勝負にならない。

 まして、サソリ紋の仮面を持った追手に追われる私なんて、誰も助けてくれない。

 プルルスにケンカを売るようなものだから。

 でも――

 リリーン様はそれをわかっていて助けてくれた。

 サソリ紋の仮面を見ても、顔色を変えずに《血界術》を使ってくれたのだ。

 すさまじい技だった。


「もし次に追手がきたら……」


 気持ちが落ちかけたところで、顔をぱんと叩いて気を引き締める。

 今はリリーン様の静かな一夜を守らないと。



 ***



「意外と眠れるもんだ」


 体を起こす。外は陽が昇り始めていた。

 アテルは入り口近くの壁に背を預けて、うたた寝中だ。

 昨夜の勢いが嘘のように、少女の寝顔はあどけない。

 慣れない見張りだったんだろう。

 どうして初対面の彼女がここまで尽くしてくれるかわからない。

 あの仮面たちを追い払ったことに、恩を感じてくれたんだろうか。


「ん?」


 意識していないのに目の前に深緑色のウインドウが現れた。

 枠が赤く光り、右上で文字が点滅している。


 ――赤い飲料を摂取してください。


 なんだこれ?

 赤い飲料って――まさか。飲まなければどうなる? 死んじゃう?


「アテル、起きて、アテル」

「う……むー」

「アテル」

「えー、リリーンさまぁ……っっはっ!?」


 アテルの目が限界まで見開かれた。

 バネ仕掛けの人形のように跳び起きた彼女は、平身低頭で謝り倒す。


「も、も、申し訳ありません! 見張りをすると――」

「ああ、もういいから、それより教えて。大事なこと……だと思う」

「はい?」

「私、赤い飲み物がいるみたい。何か知ってる?」


 私はフラットな感情でそう伝えた。

 その瞬間、アテルの顔が少しだけ寂しそうに歪み、達観したような顔で小さく頷いた。


「心得ています」

「ヴァンパイアに必要な飲み物って――」

「すべてアテルにお任せください。私の……得意分野です」

「アテル?」

「少しだけ時間をください」


 彼女は何かを耐えるように震えた。

 けれど、一瞬だった。

「どうしようもないのですから」とつぶやいて、風のように仮住まいをあとにし、森の中に消えた。


 そして、数時間後。

 アテルは戻ってきた。

 体に無数の傷を作り、町娘の服装は切り刻まれたようにボロボロだった。額から血を流し、片目を閉じて歩く彼女は片手で鎖を引いていた。

 その先には、桃色の長髪にウサギの耳を生やした少女がいる。幼さの残る顔に浮かぶ瞳は灰色で、すべてをあきらめたように無感情だった。

 暗い色のドレスに身を包み、色々と着飾った姿は不自然なほど煌びやかだ。


「アテル、どうしたの!? 何があったの!?」

「ご安心ください。この少女は処女です」


 アテルは鎖を引き、ウサギ耳の少女を床に抑えつけ、首元を露出させた。


「贄を探すのに時間がかかりまして。近くの街道を探したのですが、運良く――」

「違う」

「え?」

「私は、アテルに何があったのかって聞いた。そのケガはなに? 誰にやられたの?」

「……そ、それは」

「その子を誰かから奪ってきたの?」


 アテルが呼吸を止めた。図星だろう。

 自分の瞳が吊り上がったのがわかった。


「私はそんなことを頼んでない。血を吸うとも言っていない」

「で、ですが……ヴァンパイアの飲み物が必要と……」

「赤い飲み物がいるって言っただけ。別に血じゃなくていいでしょ。赤かったらいいんだから」

「それは……本当ですか?」

「もちろん」


 ウインドウの文字は今も『赤い飲料』としか表示されていない。

 赤い飲料ならいくつか心当たりがある。

 そもそもJRPGを完全に現実世界に馴染ませるのは無理だ。

 普段の生活も食事も何も描かれていないゲームをどう落とし込めばいい。

 だいたい『血界術』さえ、最初の設定から飛躍して、謎の液体で串すら作れる術になっている。

 それに比べれば、ヴァンパイアの飲み物が『赤い飲料』になったことなんて、誤差みたいなもの。

 ゆるい設定であるなら、『血』に限る必要はない。


「アテル、この辺りで赤い飲み物に心当たりはある?」

「……あります! 早速!」

「待ちなさい! こっちに来て」


 まったく。この子は本当に落ち着きがない。

 膝をつくアテルの頭に片手を乗せた。


 ――愚者の祝福


 黒い霧が瞬く間に彼女を包んだ。

 このスキルは闇属性に近いものが使える回復手段の一つ。ヴァンパイアには聖属性の普通の回復が効かない。

 愚者の祝福はその点、聖属性でも闇属性でも回復が可能だ。

 ただ、MPの消費が激しく、回復量がいまいちだ。正直なところ、ゲーム内の強敵と戦うなら、回復役を別に用意した方がいい。

 とは言っても、私はLV776だ。アテルは全快だろう。

 MPの消費も私のステータスならわずかだ。


「こ……こんなことって」


 霧が消えると、アテルの体は綺麗になっていた。

 こびりついた血は落ちないけど、止血はできたようだ。

 効果が出て良かった。


「悪いけど、飲み物お願いね」

「はいっ! 行ってきます!」


 アテルが再び風のように飛び出した。

 ウサギ耳の少女は無言で横たわったままだ。

 鎖を指先でつまむと、簡単にひしゃげて砕けた。

 常人離れしたステータスの前には金属の意味がないらしい。

 少女がぽかんと口をあけた。ただ、逃げない。せっかく自由になったのに。


「リリーン様、戻りました!」


 アテルは自分の上着を袋のように使って戻ってきた。

 中にはたっぷりの赤い実が詰まっていた。

 小さなイクラが集まったような形。

 クサイチゴに似ている。


「すぐに準備します」


 手近な石を見繕い、コップになるように指先で削って穴をほる。

 洞窟作りに比べたら簡単なんだろう。

 そして、ぼろぼろの衣服を勢いよく脱ぎ去り、木の実を包んで両側から絞り始めた。

 ぽたりと汁が落ちる。

 そこからは一瞬だった。

 コップ半分くらいの量の赤いジュースが完成した。


「飲んでいい?」


 アテルが期待に満ちた眼差しを向ける。

 理由を不思議に思いつつ、ごくりと飲んだ。

 うっ、だいぶ酸っぱい。甘さが足りなくて、望んだ味じゃない。

 けど、ウインドウの文字が消えた。思ったとおり赤かったら何でもいいらしい。

 いい加減な世界だけど――助かった。

 吸血は嫌だ。


「ありがとう、アテル」

「……天使」

「何か言った?」

「いえ! リリーン様のお役に立てて良かったです!」

「本当に助かったよ」


 私が笑顔を向けると、アテルはそれ以上の笑顔で応えてくれた。

 そして、それをずっと眺めていた少女がぼそりと言う。


「私……血を吸われるんじゃないの? ヴァンパイアは血を吸うって……」


 アテルがその言葉に反応し、なぜか得意げに胸をはった。


「リリーン様は規格外のお方だから、血は必要ないのです」

「ほんとに?」

「今、見たでしょ? リリーン様はあれだけで渇きを乗り越えられる。これは……真祖の証。まさか、まさかって思ってたけど、さっき確信しました」

「し、真祖って……あの真祖なの? う、そ……」


 ウサギ耳の少女が言葉を失っている。


「真祖?」


 私は首をかしげた。何が驚くところかわからない。

 真祖といえばヴァンパイアの元みたいなものだ。たぶん。

 そういえば、《降臨書》の個別説明欄で見た気がする。

 そっかあ、リリーンは真祖だったのか。

 まあ、どっちでもいいけれど。


「そんなことより、アテル。この子、どうしよう? どこから連れてきたの?」

「それは……街道を通る馬車から……その……奪いました。どこかに運ばれる途中だったみたいで」

「返せる?」

「誰も殺してないので、返しにはいけます。ただ、たぶん怒り狂ってると思うので……」

「そうだよね。まあでも――奪ったのはこっちだし、返しにいこう」

「承知しました」

「ま、待って! お願い、待って! 返さないで!」


 ウサギの少女が慌てて私の足にすがりついた。

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