第2話 便利な魔法を使いたいでしょ?

 鏡をもう一度確認しないとわからないけど……間違いない。

 私は今、ゲームのモンスターになっている。

 コスプレとか、そういうレベルじゃなく、体型まで完全にリリーンだ。

 夢なら覚めてほしい。

 意識を内側に向けると、自然に目の前に深緑色のウインドウが見えた。


 ヴァンパイア・リリーン LV776

 HP:999 MP:999

 攻撃:347

 防御:688

 魔法攻撃:999

 魔法防御:891

 速度:932

 耐性:全耐性+10

 属性:物理無効、聖反射、火反射、風無効


「マジか……」

 

 膝から崩れそうになった。

 確かに自分で鍛えたステータスそのままだ。

 全てカンストまで鍛えるつもりだったけど、社畜生活で体を壊していた時期で限界だった。

 ちらりとその下に続くスキルに目をやる。


 万能魔法

 万能魔法強化

 万能魔法最強化

 血界術

 固有術強化

 固有術最強化

 愚者の祝福

 リサイクル


 一度に設定できるスキルは8個。

 ただ、このゲームは私が知っている限りでも、二回のアップデートが行われている。

 その後のアップデート後に設定数が増えた可能性はある。

 半年後にはエキスパンション(拡張)も予定されていたはず。

 本体並の価格とわかってユーザーから苦情が出ていたそうだ。

 そっとウインドウを閉じた。


 もし、この世界が本当にゲームの世界で、さっきのステータスが本当なら、すぐに死ぬことはないかもしれない。

 ただ、それはステータスが通用すれば、の話だ。

 どこか安全な場所で、急いで実験をしないと。

 状況を理解することで、気持ちはだいぶ落ち着いてきた。

 でも、大きな問題が残っている。


 ――アイスがない。甘味がない。


 口の中でとろりと溶けるアイスが。

 コンビニで毎週新作巡りをしていた幸せの時間が。

 甘党の私にスイーツがないなんて。

 二度と食べられないとしたら――


「耐えられない」

「何が、でしょう?」


 恐る恐るかけられた声に、はっと現実に戻った。

 そういえば少女を助けたところだった。しかも、私も逃げている途中だった。


「あの……ありがとうございます」

「気にしないで。あっ――」


 思わず、自分の耳に届いた声に悶えそうになった。

 どうして今まで気づかなかったのか。

 こんなに幸せなことはない。

 自分の言葉が、大好きなモンスターの声で聞こえるなんて。

 この事実に比べたら、ステータスなんてどうでもいい。


「好き……」

「え?」

「何でもない」

「……え?」

「忘れなさい」

「は、はい!」


 リリーンになりきった時の、ドスのきいた声がすばらしい。

 可愛さと幼さと気高さを混ぜ合わせた、キャラにぴったりの声だ。

 痺れそうになる。

 ちょっと恥ずかしさもあるけれど。


「あ、あの、私にお礼をさせてください!」

「お礼?」

「はい! 助けてもらったお礼を!」


 いらない、と言おうとして口をつぐんだ。

 目を輝かせる少女の圧がすごい。

 昔飼っていた犬を思い出させる。尻尾があったらぶんぶん振っているだろう。

 それに、今の私はこの世界のことを何も知らない。

 どこかの街に案内してもらうまでは、助けてもらった方がいいかもしれない。


「そうね……とりあえずここから離れたいけど、それでいい?」

「わかりました! 日が落ちそうなので、寝床になりそうな場所を探します!」

「ありがとう。私は――」


 言葉に詰まった。

 どっちを名乗る? 本名? リリーン?

 ゲームの世界だとしたら――


「……リリーン。あなた……名前はなんていうの?」

「アテルといいます!」


 水色の髪をボブにした町娘のようなアテルは顔を崩して、にこっと微笑む。

 紅い瞳と、口を開けたときに覗く、尖った犬歯がチャーミングな少女だ。


「こっちです!」


 アテルは迷うことなく、どんどん進んだ。

 山を降りると思っていたけれど、むしろ登っている。

 岩肌が現れるところまで来ると、彼女はあちこちを動き回って適当な岩場を覗き込んだ。

 野宿できそうな場所を探してくれているらしい。

 今から山を降りると夜になるからだ。


「ここ、良さそうですよ」

「この隙間? ちょっと狭くない?」

「大丈夫です。ちゃんと広げます」


 広げる?

 疑問が浮かんだのは一瞬だった。

 アテルは素手で岩を移動させ始めた。軽トラック程度の岩を持ち上げ、ひょいひょいと森の中に放り投げる。

 できた大穴に入り、がりがりと中で何かやっている。道具はない……はず。

 あっという間に生活できそうな洞穴ができた。

 異世界の人間、すごい。重機もなしに岩を削れるなんて。


「さあ、どうぞ。狭い場所ですけど……私にはこれくらいしかできなくて」


 砂ぼこりのついた顔で、奥に案内された。

 ひんやりした空間に座るときには、夜の帳が降りていた。


「薪とご飯をとってきます!」


 そう言ったアテルは、返事も聞かずに洞窟を出ていった。

 風のような少女だ。

 てっきり町娘かと思っていたのに、岩を投げている時点で普通じゃない。

 私が手を出さなくても、助かったんじゃないだろうか?


「戻りました!」


 アテルは片腕でたくさんの木の枝を抱え、手には――大きめのネズミを三匹捕まえていた。

 ちょっと待って。それ、食べるの?


「すぐ焼けますからね」


 彼女は嬉々としてネズミを地面に並べた。うつろな瞳がうらめしげだ。

 持ってきた木の枝を組んで置き、


「《ファイヤ》」


 と、指先に炎の塊を作り出し、それをぽとっと落とす。

 見事に火がついた。便利。


「ほんとに魔法があるんだ」

「え?」

「気にしないで続けて」

「あっ、はい!」


 アテルは乱暴にネズミの毛をむしり、火にあぶって残った毛を焼いた。

 どこから突っ込んでいいのかわからず、私はじっと見ているしかなかった。

 ネズミ料理の知識なんて持っていない。

 と、いつの間にかアテルの片手に、一本の赤黒い串があった。


「それ……」


 アテルが恥ずかしそうに上目遣いでこっちを見た。


「私も、ヴァンパイアの端くれなので」


 やっぱりこの子もヴァンパイアだったか。

 特徴的な犬歯と並外れたパワーで、そうじゃないかとは思っていた。

 《降臨書》の中で見た記憶はないけれど。


「串を作ったの?」

「まあ、《血界術》で……お見苦しくてすみません。串になりそうな木を探すよりは早いかなって」

「……そう」


 《血界術》は私のスキルにもある。

 ただ、ゲーム内では敵を血の海に引きずり込んで戦闘を強制的に終わらせるという技だった。経験値が入らないかわりにMPを使用せず、耐性持ちや属性無効の面倒な雑魚戦を逃げるためのものだった。

 隠しダンジョン攻略用の技だったのだ。

 この世界では全然違う仕様なのかもしれない。


「その串づくり、ゆっくり見せてくれない?」

「ええっ!? 私ごときの技をですか!?」


 私ごときって。

 アテルは十分にすごいと思うけれど。

 おののく彼女は、私がじっと見つめていると不安そうに視線をさまよわせ、ようやく決心したように前を向いた。


「やります」


 アテルが自分の指先を見つめた。

 すると、何もない場所に赤黒い液体がすうっと姿を現した。

 指先サイズのそれから、細く先のとがった針が伸びていく。

 そして20センチほどの長さになった時点で、ぴたりと停止した。

 これが串か。

 液体を個体に変えられるのだろう。

《血界術》って便利。

 血を使う術だから、てっきり指や手首を切らないといけないと思っていた。

 唇を噛むとか嫌だなあって。

 よく考えると、私が《血界術》を使ったときも何もしなかったっけ。


「その串、見せて」

「ど、どうぞ」


 アテルから串を受け取る。

 鉄臭くない。

 血でできた物とは思えない。

 謎液体での創造か。いいね。二本あれば、お箸としても使える。

 強度も――意外と固い。割り箸より頑丈そう。


「ありがとう。これってどうやって作るの?」

「どうやって……と言われましても……こんな形を作るって考えて……」


 アテルは手ぶりを交えて一生懸命説明してくれた。

 私も質問を繰り返しつつ理解しようとがんばったけれど、よくわからない。

 やってみた方が早そうだ。できなかったらそれまでの話。

 串を想像して指先を一本立てた。


 ――《血界術》


 赤黒い液体の塊が瞬時に現れた。ただ、量が多い。サッカーボールほどもある。

 アテルの軽く十倍以上だろう。

 尖った先を伸ばすようにして――

 ひゅんっと、空間を切り裂くような音が鳴った。


「ひぃぃっ!?」


 アテルの顔の真横を腕ほどの太さの針が走り抜けた。

 その先は分厚い岩壁をなんなく貫通し、遥か遠くに突き抜けた。

 ぱらっと、どこかの岩が崩れる音で、私は沈黙を破った。


「あっ、ごめん! やりすぎた!」


 さっと《血界術》を解除する。岩壁の奥に光の点が見えた。

 相当奥までいってしまったらしい。加減が難しすぎる。


「大丈夫? ケガしてない?」

「だ、だ、大丈夫です。ちょっとびっくりしました」

「ほんとごめん」


 アテルの顔は強張っていた。

 大ケガにならなくて、ほんとうに良かった。

 出会ったばかりのヴァンパイアを串刺しって洒落にならない。

 針に糸を通すような繊細さで串を作らないといけないとは思ってなかった。

 《血界術》って使いづらい。練習しないと。

 この子に教えてもらえないかな。


「あ、あの、リリーン様……」

「どうしたの?」

「そろそろ、ネズミ焼いてもいいですか?」

「あ……うん」


 アテルはほっとした様子でもう一本串を作ると、次々とネズミに突き刺していった。

 ぶすっと一刺し。

 どうやら丸焼きらしい。

 じりじりとあぶられていくネズミたち。

 さすがにここまで用意してもらった手前、断ることは難しい。

 嫌なら最初に言うべきだ。


「リリーン様は、二匹食べてくださいね!」

「いえ、アテルが食べて」

「そんな!? 私は全然大丈夫です!」


 頑なに二匹目を渡そうとするアテルに、私は小さな手で丁寧に串を返した。

 それでも押し合いが続いたが、「体が小さいから一匹で十分」と言うと、アテルは残念そうに串を受け取り、勢いよくネズミ串にかぶりついた。


「はぁ……」


 せめて一匹に口をつけた私を誰か評価してほしい。食べている最中、目は開けられなかった。

 肉は意外と食べられる味だったけど、正直なところ、この食生活はかなりつらい。

 せめて塩。

 ああ、アイスは遠そうだなあ。

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