最終話  葬送行進曲でお祝いだ


 その威容で赤茶けた荒野を支配していたコーザリー城が、今、天を衝く火炎の巨人に為す術もなく蹂躙されている。厳めしい主楼も既に面影がなく、もはやまともに立っているのは火柱のみ。悲壮な面持ちで祈るコーザリーの民の前で、城は今にも轟音をたてて崩れ去ろうとしていた。

 しかし。

 折れた尖塔や焼けた建材が降り注ぎ、足元さえ激しく揺れる最中にも関わらず——私は未だ、極めて往生際悪く、サイラスが張ってくれた魔法のドームの中でへたり込んでいた。

「ま、待った!まだ無理ぃ……ッ!!」

 この期に及んだって覚悟なんか決まらない。だから私はサイラスと巨大な炎の掌に向かって両手を突き出し、制止し続けている。

 怖い。今この状況が、そして間もなく乗り越えなければならない未知の洗礼がとにかく恐ろしい。一通りの説明は受けたが、それでも怖いものは怖いッ!!

 頭の中は大パニック、顔は蒼白。血の気はどこかへ消し飛んでしまい、冷や汗塗れの身体はガクガク震えが止まらない。

「いや……もうさすがに待てないぞ」

 何があっても冷静なサイラス(よく涼しい顔でいられるな?!)は呆れつつも両を広げ、左右の指輪をひときわ光らせて——ふわり。淡い虹色に輝く魔法のドームごと私と彼自身を宙に浮かせた。

 間一髪、さっきまで座り込んでいたバルコニーの床が抜け、接していた壁面を巻き込んで崩落する。世の終わりを告げるような凄まじい音、そして腹に響く衝撃がドームを震わせる。私は身も世もなく悲鳴をあげる。もうもうと立ち上る土煙がシャボン玉のような私たちのドームを呑み込み、視界を覆った。

「すまないな、セオドア」

 サイラスは両腕を広げたまま、眉尻を垂れた。次いで早朝の説明を繰り返す。

「俺だって、おまえを人間のまま逃がしてやりたい。でもおまえが『肉体を持って』生存している限り、《世界樹》ユグドラシルと繋がる魔導士には探知されてしまうんだ。生命とその器である肉体は全てユグドラシルの下に在るから……だが、魂は違う。魂は自由だ」

 ゴウ……ッ。紅蓮の炎が私たちに向かって伸び、ドームを護る旋風に乗って渦を巻いた。

「イフリートは生物の魂を剥ぎ、炎の眷属にすることができる。だから身体は焼かれても、魂は新しい形で生き残れるんだ。安心しろ。人間と違い、精霊は失敗などしない」

 それは聞いた。確かに今朝教えてもらった話だ。が、私の懸念は別に在る。

「なあサイラス……魂を剝がすのって、痛くないのか……?」

 なにしろ私は年季の入ったヘタレだ。魂どころか爪が剝がれただけで錯乱する自信がある。生き延びるためとは言え、そんな私が魂剥がしに耐えられるだろうか。

 そんな心配をおずおず口にすると、サイラスは目を泳がせ、珍しく即答を避けた。

「うーん。さすがの俺も、魂を剝がされたことは無いから痛いかどうかはわからん。まあ、魂に痛覚は無いから何も感じないんじゃないか?」

「本当に?」

 明後日に向けられた深紅の瞳が、さらに遠くへ逃げた。

 私は叫ぶ。

「やっぱり痛いんだぁ!!」

 ひどいぞ、サイラス!他に方法が無いからって、痛いのを黙っていたな!

 嫌だ。死ぬのも嫌だが、死ぬほど痛いのも嫌すぎる!

 そのとき。

 ベソをかく私の脳裏に、力強い声が響いた。

——情けない。大の男が泣くな。

 空から言葉が降ってくるような、魔訶可思議な感覚だ。私は直感的に炎の巨人を見上げた。

「イフリート?!」

——ああ。やっと聞こえたか。

 これが精霊の声!初めて聞いた。耳で聞いてはいないのに、声色も口調もハッキリと「聞きとれる」のだから不思議でならない。

 そしてイフリートは意外と親切だった。

——そこまで怖いのなら、最初に煙で巻いてやろう。気絶しているうちに全部済む。それでいいか?

 なるほど。それなら耐えられるかもしれない……。私の目に光が戻る。

「手間をかけるな、兄貴。よろしく頼む」

 サイラスがすっかり保護者面で口添えしてくれた。その語尾が、ついに城そのものが瓦解する轟音にかき消された。

 ヘタレを自認する私も、さすがに腹を括る。

 私は恐る恐る空中で片膝をつき、胸に手を当て、首を垂れて一礼した。

「炎の大精霊殿。これより貴方の眷属としてお世話になります。よろしくお願いします」

——お、おう……。

 イフリートは面食らった様子だ。

——オレ様の眷属にしては、えらくお行儀の良い奴がきたな……。

 それから私は腰の剣を鞘ごと引き抜き、サイラスへ差し出した。

「サイラス。これを父上に。要らないと言われたら母上に献上してくれないか」

 サイラスは首を横に振る。

「俺は遺体を持ち帰るように言われているから……その剣は胸に抱いておけば?」

「そうか。その方が様になるかな?」

 まあ間もなく魂を剥がされて丸焼きになるのだから、今更かっこつけても無意味だけれど。

 私はやけっぱちで自嘲した。

「じゃあなサイラス。さようなら——そしてまた会おう」

「ああ。事後処理は俺に任せろ」

 バチンッ!!

 最期の挨拶が終わるや否や、魔法のドームが弾けて消えた。無二の友は旋風とともに空高くへ離脱する。

 一方、私は呆気なく宙に放り出され、馴染みの剣をぎゅっと抱きしめたまま、仰向けに落下した。灼熱が肌を炙り、黒煙が目に染みて痛い。大粒の涙がぽろぽろと散る。そして巨大な炎の五指が私を捕らえようと迫り来る。

 ああやっぱり痛いし熱いし怖いじゃないか!——とおおきく息を呑んだ途端、私は意識を失った。


◆◇◆◇◆


 王宮の最奥、国王と妃たちの私邸が連なる後宮の一角に、王族のみが礼拝する神殿がある。当国建国王の守護神であり、彼とその子孫に《魔法を支配する者》(レクトル・マギーア)の加護を与えた一柱を祀る御社だ。

 神の安息を妨げないよう、その祭壇は常に清められ静寂が保たれている。が、王族の生誕礼と葬儀は必ず此処で行われる。

 そんな秘された神域に、本日、新たな遺体が安置された。

 総督としてコーザリーに赴任した王子セオドアが、物言わぬ焼死体となって帰還したのだ。その元王子を連れ帰った魔導士サイラスは始終項垂れ、口を固く引き結んで棺の傍らに侍っている。

 そんな彼らを尻目に、国王と魔導士長によって関係者が召集され、セオドアの死とサイラスの「任務」の一部始終が検証されることとなった。

 まずは遺体の検分。

 国宝である、生きとし生けるものを統べる《世界樹》ユグドラシルの枝が用意され、現在ユグドラシルに最も愛されている魔女イネスがその枝を右手に掲げつつ、左手でそっと焼死体に触れる。さすがの彼女も炭化したそれを完璧に識別することはできなかったが、骨格や歯形、燃え残った鎧や装飾品、抱えていた遺品の剣などから総合的にセオドア王子であると判定された。

 続いて、サイラスが魔鏡の中へ《炎の巨人》イフリートを召喚する。

 精霊を直接視ることができない者も、魔鏡経由ならその姿を視、話をすることができるからだ。召喚されたイフリートは国王に向かって、淡々とリッチー討伐を語った。

「あの死霊魔導士は、かつての王女と魔導士たちの《生きた檻》に封じられ、時間をかけて魔力を削がれていたようだ。なのに、不注意な魔導士……グレイとか言ったか?が脱出用のトンネルを掘ろうとして《生きた檻》の一角を破壊した。だから奴は今になって、地下をうろつき始めたというわけだ。ま、全員丸ごと燃やし、後腐れなく浄化してやったから案ずるな」

 それを聞き、国王は居ずまいを正して謝意を伝えた。

「炎の大精霊よ。ご尽力いただいたこと心より感謝する」

「ご大層な礼なんかいらねえ」

 魔鏡の中のイフリートは筋骨隆々の肩をすくめる。

「オレ様は舎弟の頼みを聞いただけだ。そもそも浄化はオレら炎の仕事だしな。……だが」

 イフリートの声色が急変した。

 ゴウッ!!突如、鏡面いっぱいに紅蓮の業火が渦巻く。

「そこの王子を燃やした件は別だぁ!舎弟は心底やりたくなかった!それで酷く傷ついた!非道を命じたおまえのせいでなあ!!」

 燃えあがる鏡面から白煙が昇る。あまりの熱さに、魔鏡を掲げていた魔導士が悲鳴をあげて鏡を取り落とす。国王を含む全員が後ずさり、ライナスと魔導士長が慌てて水の防壁を立てた。そして魔鏡は、おどろおどろしい捨て台詞とともに割れる。

「その面、二度と見たくねえッ!」

 間髪入れず真っ赤な炎が噴き出した——ところが。

「兄貴もういいよ。ありがとう」

 どこか投げやりなサイラスが、イフリートを召喚していた己の魔力を収めた。その途端、あっさり炎は消えた。

「舎弟よ、諦めるな!この際、腹ン中全部ぶちまけてやれ……!」

 イフリートは尚も割れた魔鏡の中でブツクサ文句を言っていたが、サイラスに宥められて渋々精霊界へ帰っていった。

 一同の視線が、うら若き魔導士に集まる。

 日頃の不遜な態度はどこへやら、サイラスはその美貌を痛々しく曇らせて意気消沈している。そして相変わらず黙りこくったまま、親友の遺体の側へ腰を下ろした。

 そんな彼にかける言葉を持つ者はおらず——検証作業は粛々と次に移る。

 最後に、猛禽あるいは渡り鳥の脳を乗っ取り、それらの耳目で遠方を視察あるいは標的を監視する魔術を行使する魔女ブレンダが、今回サイラスの行動を監視した結果を報告した。

「サイラス殿は夜明けと共にコーザリー城に到着し、まず総督閣下の元を訪れ、軍の撤退とリッチー討伐を同時に遂行するための協議をしました。お二人の話し合いは理性的で建設的でした。総督閣下は元より城に残り自死するおつもりだったそうで、互いに謝罪と労わりを口にしていました。

 その後サイラス殿は近侍に扮し、撤退する兵を見送る総督閣下と始終行動を共にしました。イフリートを封じたゴーレムを地下へ派遣した後も、お二人は変わらずバルコニーに立って兵を見送っており、そのまま城の炎上に巻き込まれましたが——最期の時に及んで、総督閣下は命乞いをなさったようです。閣下は床に座り込んだ状態でサイラス殿を手で制し、読唇術にて読み取れた範囲では『待った』『無理』などとおっしゃっておられました。

 そのためか、サイラス殿はしばし魔法結界を張ってバルコニーに留まり、総督閣下と何やら話し込みました。この時点で火の手は城じゅうに回っており、私の鳥は近づけなかったので、お二人の話の内容はわかりません。

 そして閣下の臨終のご様子ですが——最期の最後に総督閣下はサイラス殿へ自身の剣を預けようとなさいました。が、結界が大火に耐えかねて破れたために授受は叶わず、そのまま剣を胸に抱いて炎に呑まれておしまいになりました……。

 その後、サイラス殿はイフリートが姿を消し、鎮火するまで上空で待機。ご遺体を回収して帰還の途に就いたという次第です。

 ちなみに。撤退した兵らが乗った軍船の方ですが、こちらは二隻とも無事風に乗り、追いすがるコーザリー船を振り切って河口から海へ出たのをカモメにて追跡、目視で確認しております。

 私からのご報告は以上です」

「そうか。上首尾であった」

 国王は魔女ブレンダをねぎらい、改めて、変わり果てた我が息子を見つめた。

 深淵に似た瞳には何の感情も映らない。が、王冠の重圧をものともせぬ両肩が静かに落ちた。

 一同は心を痛め、息を潜める。

 しばし後、再び、国王の重々しい声が沈黙を破った。

「サイラス。セオドアは最期、何を話した?」

 それは何気ない問いだったのか、それともサイラスの腹を探ったのか、傍目にはわからない。

 しかし。問われたサイラスはようよう面を上げ、憤怒に燃える目で王を見据えた。

「陛下に奏上すべき話はしておりません」

 すげなく突っぱねる。国王が片眉を跳ね上げ、魔導士長が顔色を失った。

「ほう。余には言えぬ話でもしておったのか」

「いいえ。セオドア…総督閣下が陛下宛てに言い残したことはございません、という意味です。言葉足らずをお許しください」

 サイラスは挑発に乗らない。静かな怒りに目を据わらせたまま、努めて冷静に釈明する。

「閣下より最期にいただいたお話は、幼少のみぎりより共に育った友として心を許してくださったうえでの、ごく私的な話でした。ですから、私一人の胸の内に収めておくべきだと存じます」

 ここまでは常識の範囲内——だが、彼はイフリートの助言通り、この際言いたいことは言ってやろうと腹を括っていた。

「陛下。貴方様はこの王国を統べる御方であり、《魔法を支配する者》であらせられます。ですから、私はこれまでもこれからも陛下の勅命には従います。しかし——私の精神や良心まで支配できるとは思わないでいただきたい!」

 サイラスは正面から王を一喝し、睨み上げる。

 居並ぶ魔導士たちが息を呑み、身を固くした。魔導士長が慌てて間に入る。

「へ、陛下!サイラスはまだ若く、『特殊な任務』を終えたばかりで気が動転しております。どうかご寛恕を」

 しかし、庇われた当のサイラスは平身低頭する魔導士長の嘆願を無視し、さらに付け加えた。

「陛下。今の私の発言を不敬だと思し召しなら、どうぞ魔導士長に私の誅殺を命じてください。私は喜んでセオドアの後を追います」

「な……っ!」

 弟のライナスが「それなら僕も!」と声をあげたが、両隣の魔導士に口を塞がれた。一方、母のイネスはどこか好戦的に微笑んでいる。

 国王は底冷えのする眼差しでサイラスを見定め——口を歪めて笑った。

「さすがはイネスの息子だ。骨がある。だが、余を見くびるな。若造が生意気な口を利いたくらいで殺しはせぬ」

 ほっ……と誰かが安堵の息を吐いた。

 国王は一同に背を向け、守護神の祭壇に向かって深々と一礼する。そして独白した。

「セオドアはさぞ余を恨んでおっただろうな。それでいい……余はまったく度量の無い父であった。余にセオドアを悼む資格はない。正妃を呼べ。皆で手厚く弔ってやって欲しい」

 違う、そうじゃない、と反駁しかけたサイラスの声は、さすがに魔導士長の魔法で封じられた。

 肌が痺れるほど厳粛な空気の中、国王は一切振り向きもせずに去る。

 もの言わぬ神像が、もの言わぬ遺体と黙り込む一同とを素知らぬ顔で見下ろしていた。



 翌日。

 コーザリー城が陥落したこと、そして敗戦と落城の責を取ってセオドア総督が城に火を放ち自害したことが発表され、国じゅうに弔旗が掲げられた。


◆◇◆◇◆


 ここは高級住宅街の隅。周囲に比べて新しく、こじんまりとしたボールドウィン家のお屋敷。その意外と家庭的なキッチン。

 年嵩のメイドが薪をくべてくれたので、竈の中の私はパチパチと嬉しそうな音を立てて躍った。竈に据えたフライパンの上では厚切りベーコンがジュウジュウ焼け、食欲をそそる香りを撒き散らしている。

「このベーコン、そろそろいいんじゃない?」

 喪服姿の女主人がいつの間にか現れ、すかさず銀のフォークを取って伸ばした。

「奥様!」

 メイドの苦言を聞き流し、当国一の美貌を誇る魔女イネスは豪快に口を開けてつまみ食いした。うわっ。一口が大きい。

 イネス殿は父の長年の懸想相手だと言われている。確かに目を見張るほどの美女だが——思いのほか、豪胆で男勝りなひとだった。父上って、こういう女性が好きなんだ……。なぜか遠い目になってしまう。

 リスのように頬を膨らませ、もぐもぐ咀嚼するイネス殿をしげしげと見上げる。彼女は私の視線に気づくと、竈の中の私とわざわざ目を合わせ、親指を立ててくれた。

「うん、美味しい!火加減が上手になったわね♪」

 おお、やった!褒められた。

 イネス殿は空いた左手で極小の旋風を起こし、質の良い魔力交じりの風で私の頭を撫でてくれた。これがとても心地よい。明るい炎の毛並みを整えてもらい、私はご機嫌でボウッと火を吐いた。イネス殿は大胆不敵なのに気が利く良い人だ。

 一方、メイドは大きなため息を吐く。

「奥様……葬儀はもうよろしいのですか?」

「参列はしたわ」

 イネス殿はかるく肩を竦め、フォークを置く。何があったのか多くを語らないのは私を気遣ってのことだろうか。メイドは汚れたフォークをサッと回収し、イネス殿を戸口へ追い立てようとした。

「この後、オーブンにも火入れしてパイを焼きますから。奥様は着替えて、食堂でお待ちください」

「それは楽しみだわ。良い子ね、がんばって♪」

 イネス殿は別れ際に私の顎の下を掻いてくれた。子狐に似た姿になったせいか、それがたまらなく気持ちいい。つい、うっとりする。もっと……もっと掻いてくれないかなあ……。

 ところが、今度は別方向から邪魔が入った。

「母さん。セオドアを甘やかすのはやめてください。これは炎の眷属として独り立ちするための訓練なんです」

 釘を刺したのはサイラスだ。彼はキッチンの作業台に頬杖をつき、先ほどから私の仕事ぶりを監視している。

「仕方ないじゃない。実の息子より可愛いんだから」(うふふ)

 イネス殿は「ね~♪」と私に微笑みかけてから、喪服の裾を翻した。

 ……若干ペット扱いされている気がするが、炎の眷属としてはまだ赤子同然なので、私は甘んじて、いや喜んで甘やかしてもらうことにする。

——なあ、サイラス。ずっと此処にいてもいいか?

 私はオレンジ色に光る瞳を精一杯きゅるるんと潤ませてお願いしたが、

「おまえも甘えるな」

 と、サイラスに即刻叱られた。そして彼は意地悪を言う。

「安心しろ。火の操り方を覚えたら、ゴリッゴリの鍛冶屋に派遣してやる」

 私はゴウゴウ吠えて抗議した。

——いやだよ!やたら熱いし、むさ苦しいじゃないか。就職先はパティスリーの竈が良い。せめて行列のできるレストラン!

「贅沢を言うな」

 サイラスは小さく嘆息し、少し苛ついた様子で髪を搔き乱した。

「あーもう、まったくおまえは!楽観的というか、順応性が高いというか……お気楽だな。ずいぶん楽しそうじゃないか。なんか、罪悪感を覚える俺が馬鹿みたいだ」

 うん。私よりサイラスの方が落ち込んでいることには気づいている。

 だから私はあえて明るく笑ってみせた。

——あはは。そりゃ楽しいよ。だって、長年の夢が叶ったんだから!

 フライパンと鍋を取り換えるメイドの手元に注意しながら、私は話を続けた。

——実はさ、私はずっと王子を辞めたかったんだ。私は「支配者」には向いていないって、なにより自分が一番わかっていたからね。城下に放逐されて、平民として生きるのが夢だった。

「は?」

 サイラスが驚き、背筋を伸ばした。

「なんだソレ。そんな話、初めて聞いたぞ」

——うん。今、初めて言った。

 水をいっぱい張った鍋底は重くて冷たい。私は火を強める。

——この姿になったから、やっと私も平民と一緒に暮らせるよ。夢を叶えてくれてありがとう。

 サイラスは複雑な表情で眉を顰めた。

「……そうならそうと、早く言えよ」

——言ったところで、どうしようもなかっただろう?母上は絶対に許してくれないし、父上だって《魔法を支配する者》の血を野放しにする訳にはいかないし。

 しょうがなかったんだよ。

 私は炎の中から無二の友に笑いかける。

 合点がいったのか、サイラスもニヒルに笑い返した。

「まあそうだな」

 薪が爆ぜ、私は少しビクッとして炎を揺らした。

——なあサイラス。君は私の親友で、命の恩人だ。私は君に心から感謝しているんだ。だから胸を張ってくれ。これからは自分のために、そして君のために生きるよ。

 存分に火を操れるようになったら、きっと、炎の魔導士である君の役にも立てるよね?

 私がそう言うと、サイラスは人差し指で頬を掻いた。

「そうか……ありがとな」

——礼を言うのはこちらだよ。

 遠くから、しめやかな葬送行進曲が聞こえてきた。

 今日は国葬の日だ。葬儀が終わり、今はちょうど棺を墓地まで運ぶ途中なのだろう。

 本日弔われている私と謹慎中の魔導士サイラスは、顔を合わせて苦笑する。

「じゃあ、今日はおまえの葬式だが、おめでとうと言っていいのか」

——ああ。今日はむしろ、新しい私の誕生日と言って欲しいな。新しい私、おめでとう!

「ほんっと気楽だよな、セオドアは」

 私たちは堪えきれずに吹き出す。二人で声をあげて笑ったのは、いつぶりだろう。

——だからさ、パイじゃなくてケーキを焼いてもらおうよ。

 私は明るい炎の中で一回転した。



<了>

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ハア?俺が攻略対象者?!5<元王子・セオドア視点> ~人生諦めてからが本番だった  饒筆 @johuitsu

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