第三話  ドン底へようこそ


 深い藍の天鵞絨のような夜空に無数の星が煌めく夜明け前。

 久々にぐっすり眠っていた私は、不意に肩を揺すられて目が覚めた。

「セオドア。起きろ」

 誰だ?まだ眠いよ……あ。眩しい。ランプを点けたな?

 私は盛大に眉を顰め、重い瞼をこじ開けた。

 すると。

 なんと、目前に燃え盛る火の玉があった。

「ひいいいッ!」

 私は怯え、反射的に跳び起きる。

「シッ!!」

 枕元に立つ誰かがたしなめた。私はその者を見上げ、一転して歓喜の声をあげる。

「サイラス!!」

 本物だ!本物のサイラスだ!頼もしい友がすぐ傍にいる!

 私ははしゃぎ、彼に抱きつこうとして

「静かにしろ」

 とさっそく叱られた。が、それすら嬉しい。私は嬉し涙が滲むのを堪えつつ、彼の腕に縋って心の底からお礼を言った。

「やっと会えた……ありがとうサイラス。本当にありがとう」(めそめそ)

「……情緒が不安定すぎる」

 常時冷静(かつ辛辣)なサイラスは呆れ、あっさり私の手を振りほどいてしまった。彼らしいが、冷たい。少しはこの感動を分かち合ってほしい。

「とにかく落ち着け。そして聞け。今日の段取りを説明するぞ」

 本日こなさなければならないミッションは三つ。一つめは城の無血開城と兵士たちを無事に撤退させること。二つめはリッチー退治。三つめは私自身が混乱に乗じて失踪すること。

 一つめと三つめはあらかじめサイラスの台本に在ったことが、その裏でどうやって二つめを成功させるつもりだろう?そんな「撤退のついで」に簡単に退治できるものなのか?

 そう尋ねると、サイラスは親指で右方を指した。

「あれを使ってイフリートにやってもらう。その方が確実だ」

 私は彼の指し示す先に目を向け、素っ気ない石壁に立てかけた『それ』を目撃し……鳥肌をたててドン引きした。

「わっ!……え?何あれ……」

 私は微動だにしない『それ』とサイラスとを見比べてますます腰が引けたが、サイラスはなぜか得意満面だった。

「凄いだろう?あれはライナスが半年かけて作った傑作だ」(フフン)

 ライナス。その名を聞いて私は納得した。ライナスはサイラスの実弟であり、得手は違うが同類の天才魔導士であり——

「ああ、あのブラコンの彼が。さすがだね……」

「ライナスはブラコンじゃない。家族想いの良い奴だ」

 サイラスはそう言うが、かつて当のライナスにやたら牽制されたり、ひたすらマウントをとられたりした私は苦笑するしかない。

「いやいや、あの作り込みには狂気を感じるよ」(生温い目)

「ここまで作り込まないと役に立たないだろうが」

 サイラスは『それ』の利用法を説明し、私は目を丸くした。

「精霊ってそんなこともできるのか?!」

「いいや、普通の精霊には無理だ。そこまで複雑な命令は遂行できない。だが、イフリートの兄貴は高い知能と人格を持っているからな。それにノリも良い。『質量のある身体に入って人間のふりをするだと?うおおお一度やってみたかったヤツじゃねえかぁ!そいつは燃えるぜ!』と快諾してくれて助かった」

「へえ……」

 兄貴。《炎の巨人》はサイラスにとってアニキなのか……。凡人の私にはよくわからないが、魔導士と精霊の関係もいろいろあるのだな。

 妙なところに感心していた私は、サイラスが急に居ずまいを正したことに気づかなかった。彼は神妙に切り出す。

「あと……俺はおまえに謝罪しなければならない」

「どうして?」

 首を傾げた私の前で、サイラスが項垂れた。少しくぐもった声が告げる。

「……陛下におまえの最期を見届けろ、もしくは殺せと命じられて、断れなかった……」

 ショックで血の気が引いた。

「…………!」

 声が出ない。私は父上に捨てられただけでなく、追い討ちをかけられるほど疎まれている。そのことがただただ悲しくて辛い。

 私が生き残れば、異母弟ジェレミアの邪魔になると考えたのだろうか。玉座どころか王宮に残ることすら望まない私が弟の邪魔などするはずがないのに。それとも、実の息子がこれほど無能なのが許せないのだろうか。

 結局、父上は私を理解することも愛してくれることもなかったのだ。

 絶望が私の視界を暗転させた。

 ああ、私はなぜ父上のもとに生まれてしまったのだろう。私はこれまで、実父にさえ望まれない人生を何のために生きてきたのだろう。

 胸が痛い。私はシャツの胸元をギュッと掴んで、友と一緒に項垂れる。

 サイラスがいっそう頭を下げた。

「すまん」

 沈痛極まる謝罪に、友の心痛が察せられた。

「いや、サイラスが謝る必要はないよ」

「だが」

「いいんだ」

 私は無理に会話を切り上げようとした。

 世界でたった一人だけ私を惜しんでくれたサイラスを、これ以上苦しめたくない。やはり自分で自分に始末をつけよう——私は枕元の剣に目を向ける。

「待て。聞け」

 今度はサイラスが私の腕を掴んだ。

「それでもまだ、生きのびる方法が無い訳じゃない。選ぶのはおまえだが——死ぬなセオドア」

 サイラスは決然と顔を上げ、私と目を合わせた。

「俺は今回の下命に納得していない。なにより腹立たしくないか?!確かにおまえは自分の務めを果たさなかった。挙句に馬鹿なこともしでかした。だけど、重罪を犯したわけじゃない。誅殺はやりすぎだ。王権の乱用だよ、横暴だ!

 王太子にふさわしくなくとも、国から放り出されても、セオドア個人として生きる権利はあるはずだと俺は思う。だから諦めるな」

 魔法の火球に照らされた深紅の瞳は義憤に燃えていた。

「向こうから手を切ったのだから、もうセオドアが陛下の言いなりになる必要はない。おまえを生かすためなら、俺は何だってやる。なあ、おまえと俺で精一杯足掻いてやろうじゃないか」

 サイラスは私のために怒ってくれている。ここで私を逃がせば、彼の身だって危ういだろうに……どうしてそこまで。私なんかのために。

 凍えて縮こまった心に、熱い何かがこみ上げてくる。

 友の美貌が不意に滲んで見えなくなる。私は自分が泣いていることを知った。



 数多の人生と人命がかかった大勝負の朝。今日も不毛の荒野に日が昇る。

 協定通り、日の出から二刻後に、我が軍は河港側の城門を開いて粛々と退去を開始した。

 遠巻きに布陣する敵軍が監視する中、操船技術をもつ者を中心にした先発隊に続き、痛々しい傷病兵がまず運び出されてゆく。

 実は本物の傷病兵に交じり、無傷の兵も傷病を偽って荷車や担架に乗せ、その背中に武器を隠し持たせているのだが——皆、なかなかの芝居ぶりで発覚する気配はなかった。

 一方、ある意味敵にとって「戦果」である私は、城門から河港までを見渡せるバルコニーに立っていた。撤退する自軍を見送るとともに、コーザリー側へ「どこにも逃げない」旨を身を張って伝えるためだ。

 サイラスからは「悲劇の王子様を渾身の演技で見せつけろ」と指示されたので、私は強い陽射しの下、磨き上げた銀の鎧を光らせ、乾いた風に鮮やかな緋のマントを翻しながら、兜をかぶらずに悲壮な顔を晒している。正直言って暑い。そのうち立ち眩みしそうだ。

 そうやって辺りを見回していると、ぞろぞろと撤退する隊列のそこかしこで、見知った隊長や見知らぬ兵卒がわざわざ私に向かって一礼しているのが目に留まった。良い人たちだ。ずいぶん遠回りになるが、どうか無事に家へ帰ってほしい。

 また、そんな我らが隊列から慎重に距離を置く敵軍を眺めれば、本陣と思しき辺りにひときわ立派な日除けテントが在った。あそこに敵領主がいるのだろうか?わざわざ私を見張りに来たその執着に、改めてゾッとする。

 そんな演技と忍耐と観察を続けること、しばし。

 眩い太陽が空高く昇り、おそらく自軍の半数以上が城を出たタイミングで、私の背後に控えていたサイラスが動いた。

「そろそろ行く」

 今から地下へ向かえば、リッチーとの交戦中に万が一奴が地上に出たり城が炎上したりしても自軍への被害は少ないだろう。そして私が敵の手に落ちる前に戻ってこれる、と彼は言った。

 長袖詰襟の軍服の上から魔導士のローブを纏い、黒手袋まできっちりはめた友に、私は信頼の微笑を向ける。

「健闘を祈る」

「任せろ」

 と、そこへ。

「ハイハイハーイ!じゃ、私が案内しまーす!」

 相変わらず危機感のないお嬢さんが割り込んできた。

「ルナ!」

 私は驚いて声を上げた。

「まだ残っていたのか。早く出発しないと船に乗り遅れるよ」

「ええ~でもぉ、地下は真っ暗だし迷路みたいだし、誰かが案内しないと迷っちゃうでしょ?」

 ルナは以前のように愛嬌たっぷりの拗ね口調と思わせぶりな上目遣いで媚びてきた。

 が、私は白けて閉口した。はっきり言って場違いだ。

 サイラスも同じ思いなのだろう。彼は氷点下の仏頂面で

「いや。案内など要らん」

 とすげなく断った。ほら見ろ。しかし、それで挫けるルナではない。

「遠慮しないで!さ、行きましょ」

 ルナは大胆にもサイラスの腕を取ろうとし、ローブで振り払われていた。

 話にならない。私はすっかりルナの護衛騎士と化したエルギンに声をかけた。

「どういうつもりだ?我が軍が退去したら、ここはすぐさまコーザリー軍に占領される。あの船に乗らなければ、身の安全は保障できないが」

 エルギンは目を逸らす。

「それが……ルナ嬢は、あんなに汚い兵士たちと一緒にぎゅうぎゅう詰めになるなんて嫌だと言って聞かなくて……」

「何様だ」

 私は憤慨した。

「その汚い兵士たちが城と君たちを護っていたんだぞ」

「それはわかっています」

 エルギンは固い決意をみなぎらせ姿勢を正した。そして最上級の騎士礼をとる。

「サイラス殿をご案内したら、ルナ嬢を伴い即刻退去いたします。ともかくルナ嬢は私が命を懸けてお守りしますので、どうかご安心ください!」

 鈍い私も、さすがにエルギンの懸想に気がついた。

 ……愚かだな。

 私、グレイ、そしてエルギン。ルナは自身に懸想する男たちを振り回し、次々に破滅させる悪女らしい。

 そもそもたった二人で、しかも女性の足でどうやって荒野を渡り山脈を越えて帰国するつもりだろう?最寄りの集落は遠く、また我ら王国民とコーザリーの民とは肌の色が違うから紛れることもできない。むしろ王国に恨みを抱く現地民に見つかって殺害や狼藉に及ばれる可能性だってある。……そんな悲惨な末路を辿るくらいなら。

 私は懐から一通の書状を取り出した。

「では念のため、この書状を携えて行くといい。敵の領主に助命をお願いする内容だ。コーザリーの連中に見つかっても、これがあれば殺されずに済むかもしれない」

「……ありがとうございます閣下」

 エルギンは複雑な表情で私の書状を受け取った。これから死にゆく恋敵に塩を送られたのだから、まあ、なんとも言えない気分だろう。

 他方、ルナは未練も挨拶も無くあっさりと私に背を向け、サイラスを追いかけて——廊下へ出る直前、思い出したようにサッとこちらを振り返った。慌ただしく手を振る。

「じゃあね!さようなら、セオドア様。好きだったわ!」

 彼女はそれだけを叫んで身をひるがえし、戸口の向こうへ消えた。

「見事に過去形だな」

 私は鼻白んだ。

 もはや清々しいほどお粗末な別れだ。利用価値が……旨味がなくなった途端にコレか。女性は恐ろしい。

 続いてエルギンも深々とお辞儀をして去り——熱風が駆け抜けるバルコニーには、私ともう一人、飾り気のない兜を目深に被った従僕だけが残された。

「さて……どうなるかな……」

 私は不安を隠せず、つい溜め息ばかり零してしまう。そんな私に従僕は

「なるようになるさ」

 とうそぶいてみせた。



◆◇◆◇◆


 魔導士サイラス、そして金魚のフンのごとき自称案内役ルナとエルギンはコーザリー城の中央を貫く大階段から地下へ下りた。

コーザリー城はそもそも床面積が広いので地下は一層しかなく、大通路の左右に武器庫や食糧庫、地下牢などごく常識的な設備が並んでいる。が、それらを通り過ぎた後、大通路の突き当りに——石壁が不自然に崩落した跡があった。ぽっかりと開いた空間には漆黒の闇があり、悪臭と得体の知れない圧迫感がこちらへ漏れ出している。

 現地に着いたサイラスはまず、壊れた石壁の破片を集めた。もともと壁だった石材には淡く光る文様が描かれていて——それらを正しく並べ直せば、魔法陣の一部が再構築されて輝いた。

「グレイは馬鹿か?」

その魔法陣を眺め、サイラスはリッチーに食われた魔導士をこき下ろした。

「よくもまあ、これほど厳重な封印を破ろうと思ったな」

「こ、こんな絵、最初に見た時は無かったわ!」

 ルナはグレイを庇ったが、サイラスとエルギンにじっとりした目で睨まれた。

「つまり、内側に書かれていたか」

 サイラスは再度壁の残骸を見回し——手のひらから新たな火球を生み出して奥へ飛ばした。その明りに導かれるように地下通路へ足を踏み入れ、左の壁際に落ちていた頭蓋骨を容易く見つけて拾いあげる。

「キャア!」

 ルナは小さな悲鳴をあげたが、サイラスはその髑髏を丁寧に掲げて祈った。

「リッチーはオレが灰にしてやる。安らかに逝け」

 古びた髑髏は音もなく燃え上がり、砕け、砂になって床へ散った。

「な、なに?なんで……?」

「彼は我が身と命を差し出して、百年間封印を保っていたのさ。だから送ってやった」

 サイラスは肩をすくめた。

「こんな無知な連中に破られるなんて、さぞかし無念だろう。その無念を拗らせて魔物になられては困る」

 けなされた瞬間ルナはムッと口を曲げた。が、サイラスが白い横目を向けるとへらへら笑って愛想を売った。

 サイラスは自身の周りに浮かぶ火球を増やし、涼しい顔で奥へ歩む。そして、数十歩先に待ち構えていた縦穴を危なげなく覗き込んだ。

「オレが下りる。おまえらは帰れ」

 そう言ってサイラスは片手でシッシと二人を追い払ったが、

「そうはいかないわ」

 ルナは謎の意地を張り、エルギンが捜索のためにかけた縄梯子を手に取った。

 こうしてサイラスは一人だけふわりと浮遊して悠然と下層へ着地し、ルナとエルギンは慌てて縄梯子を下り、三人は相変わらず連れ立って地下二階へ足を踏み入れた。

長年封印されていた地下二階は上の階とは明らかに様子が違い、剥き出しの岩が迫る細い通路がうねうねと曲がりくねっている。見通しが悪く、複数の分岐が続く正真正銘の迷宮だ。が、サイラスは確信に満ちた足取りでずんずん進む。

 確かに案内など不要だった。

 迷宮に満ちる地底の闇は不快な蒸し暑さと酷い悪臭を孕み、侵入者の気力を容赦なく削る。さらに深奥には不死の魔物リッチーが潜んでいるのだ。火球の光が届かぬ闇から今にもソレが襲ってきそうに思えて、ルナは恐怖に耐えかね口を開いた。

「ねえサイラス様。どうして道がわかるの?」

 するとサイラスは振り返りもせず、

「なぜわからない?」

と逆に聞き返した。

 最強の自負がそうさせるのか、リッチーが目と鼻の先に迫っているというのに、サイラスには迷いも無ければ恐怖も無さそうだ。

「凄すぎて変だわ。まるで人間じゃないみたい」

 ルナがうっかりつぶやく。なぜかサイラスの肩がギクッと跳ねた。

 やがて、また前方の壁が不自然に崩れた場所に行き着いた。その向こうには真っ暗なトンネルが真っすぐ先へのびている。

 サイラスが愚痴る。

「本当に考えなしだな……どうしてこんな造りになっているのか考慮せず、迷ったから短絡的に道を作ったのか?」

 しかし、軽口をたたいていられるのもそこまでだった。

 唐突にサイラスが右腕を前へ伸ばす。

「来た」

 音は無い。だが、戦慄をもたらす邪悪な気配が迫り来るのが肌でわかる!

 サイラスの紅の瞳がちらりとルナたちを振り返った。

「死ぬぞ」

 コオオオ……ッ!恐ろしい掠れ声が急ごしらえのトンネルにこだまする。

 ルナは鳥肌を立てて後退り、次に

「えいっ!」

 助走の勢いと己の体重をかけてサイラスを前方へ突きとばした!

 ルナの目論見では、サイラスは不意をつかれてよろめき、自らリッチーの餌食になるはずだった……ところが。

「熱ッ!!」

 尻餅をつき、悲鳴をあげたのはルナの方だった。

 サイラスの身体は見た目よりずっと硬くて重く、尋常でないほど高温だったのだ。

「痛ぁい!!」

 ルナは手のひらに火傷を負って泣く。エルギンが慌てて彼女を保護する。

 一方、まったくの無傷で立つサイラスはそんな二人へ半身を向けた。

「くだらん。リッチーごときにオレを食わせようとしたのか」

 中性的な美貌がふてぶてしく嗤う。

 一方で、彼が正面に向けて突き出した右手には——虚ろな眼窩に鬼火を灯す頭蓋骨がガッシリ握り留められていた。剥き出しの歯がカチカチと鳴り、風も無いのにたなびく襤褸布から骨ばかりの腕がこちらへ伸びる。

「いやああああああ!」

 ルナは肺腑を絞って叫び、今度こそエルギンに抱えられ尻尾を巻いて逃げ出した。

 フンッと鼻を鳴らすサイラスの腕を、古びた骨の手が掴む。

——おかしい……生きていない……。

 不死の魔物は困惑していた。確かに人間の姿をした、意志があり言語を話し魔力を放つ存在がいるのに、『それ』は魔物の糧である生命を宿していない。

——おまえは何だ?

 サイラスのふりをしていたモノが心底不快げに顔をしかめた。

「その汚い手でオレ様に触るな」

 その途端。

 突如岩が割れ、地底から紅蓮の業火が噴き上がった。リッチーが身の毛もよだつ悲鳴をあげる。

 サイラスを精巧に再現したゴーレムはその高熱に耐えきれず歪み、割れて熔けた。その中から現れたのは、逞しい巨人の姿を模した燃え盛る炎。

——イフリートォォ!!

 のたうち回るリッチーが呪詛の叫びをあげる。炎の巨人は大口を開けて笑った。

「そーだ!オレ様はイフリート!貴様を燃やしに来たのだぁ!」

 地下迷宮に哄笑がこだまする。

「ヤロウども!やっちまえ!!」

 ヒャッホウ!!

 通路という通路で岩が割れ、無数の炎が噴き出して放たれた。

 リッチーは自身を襲う炎を氷呪で相殺し続けていたが、瞬く間に増す炎の勢いは手に負えず、ついにその場から逃走した。伸ばしたホースを巻き戻すように、素早くトンネルの奥へ戻ってゆく。

 それを追いかけるイフリートは、行く先でさらに多数の生きる屍たちを見つけた。

腐り果て、あるいは干からびてミイラと化した魔導士たちが互いに手を繋いで輪になっている。その中央には暴れるリッチーと、その腰の辺りに抱きついて抑え込んでいる小柄なミイラがおり、手前の一か所だけ輪が途切れた辺りには損壊した遺体が二体転がっていた。

 囁くような小声ながら、淡々とそして延々と唱え続けられている魔封じの呪が響く。

 炎の巨人は腰に手をあて、同情の目を向けた。

「辛かったろう……死ぬこともできずに、こいつを抑え込んでいたのか」

 リッチーに抱きつきその魔力を吸い取り続けていたミイラが、わずかに顔をあげた。

「安心しろ。リッチー諸共全員まとめて灰にしてやる」

——……お、ねがい……。

 干からびて窪んだ目に、在り得ぬ一粒の涙が光る。

 イフリートはその炎の剛腕をおおきく振った。



◆◇◆◇◆


 大地を揺らす轟音とともに、突如、コーザリー城の中央部が吹き飛んだ。

 青空を焦がすほどの火柱が立ち、やがてそれはゆっくりと人の形を作って《炎の巨人》が現れる。《炎の巨人》は逞しい両腕を広げ、大きく息を吸ってから、雄叫びをあげて四方へ炎を撒き散らした。

 そこかしこで悲鳴があがる。

 いよいよ入城しようと近づいていた敵軍が、蜘蛛の子を散らすように逃げた。一方、ほぼ全員が乗船し終えた王国軍は混乱に乗じて帆を張り、急ぎ船を出す。

 私と共にバルコニーに残った従僕——本物のサイラスが《風の女王》シルフィードを呼び出し、王国の軍船に追い風を送るように頼んだ。

 次いで彼は頭上に手をかざし、上空のイフリートを見上げる。

「おー張り切っているなー兄貴」

 あっという間に火の手は城全体を包んでいた。炎の剛腕の一振りで、大屋根が、尖塔が、城壁が焼けてボロボロに崩れてゆく。

「ちょ——ちょっと!やりすぎだよ!」

 いくら私たちの頭上に張った魔法の屋根が空から降る炎や建材を弾いてくれるといっても、重そうな石やら煉瓦やらが容赦なくドカドカ降り注ぐこの状況は怖すぎる。このバルコニーだっていつまで保つやら。 

 私は頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。が、サイラスは余裕綽々で立ち尽くしたまま、空いた手で兜を脱いだ。

「ああなったらもう、兄貴に『おとなしく』なんて言っても無駄だ」

 柔らかな金髪が広がり、白皙の美貌に埋め込まれた一対の紅瞳が好戦的に輝く。

 それからサイラスは私に正対した。

「さあ、セオドア。覚悟は良いか——」

 燃え盛る巨大な炎の五指が、私に向かって伸びてきた。



<最終話へ続く>

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