第二話  地下の魔物と王宮の魔王


「セオドアさまぁ!!たいへん!大変なの!!」

「閣下!ローズベリー嬢を救助してまいりました!」

 せっかく撤退計画がうまくまとまりそうな時に、わざわざ会議室に乱入してきたのは——他でもない、ルナとエルギンだ。

 ルナが失踪してから丸二日が過ぎている。その間それぞれ地下通路を歩き回っていたであろう二人は全身薄汚れ、かなりゲッソリしていた。が、周囲の困惑などお構いなしに騒ぎ立てる程度には元気な様子だ。

 なあ、ルナ。そしてエルギン。せっかく良い感じに話が進んでいたのに、不愉快な件を蒸し返さないでくれ。

 私は顔をしかめ、冷たく突き放した。

「今は作戦会議中だ。個人的な話は後にしてほしい」

「作戦どころじゃないのよ!!」

 ルナは握った両拳を上下に振り、必死で言い募る。

「この城の地下に、とんでもない魔物がいたの!古臭いローブを纏ったガイコツで、魔法を使う——鳥肌が立つほどの魔力だったわ。それで、グレイ先生の生命を吸い取ってしまったの!先生が……あっと言う間に干からびちゃったのよ!!」

 恐怖に震えるルナと対照的に、私を含む一同が目を点にした。

「地下に魔物?」

「生命を吸い取る……?」

 初耳だ。何がなにやらサッパリわからない。逃走に失敗したルナの妄言か?

 腰に提げた剣が震えた。

『それはマズイ』

 今度は、全員の視線が私に集まる。

 うわああ、サイラス!こんなときにしゃべらないでくれ!まるで私がつぶやいたみたいじゃないか。

 私は咄嗟に眉間を押さえて俯き、深刻そうなフリをしてごまかす。

「ま、まずいというのは……」

『リッチーだ』

「そう、リッチー……」

 ここで、なけなしの知識がスパークした。リッチとは死体を意味する古語だ。魔法を使う死体、命を吸い取る死体……といえば。

 私は両目をカッと開いて顔をあげる。

「《不死の王》!百年前の黒歴史……あの死霊魔導士はこの城に封印されていたのか?!」

「ふしの……?何ですか?」

 歴史など勉強したことがない隊長たちは訳が分からず、不安げにざわついている。彼らのために、私は凄惨な伝承をかいつまんで教えた。

「百年ほど前、当代最強の称号を求めるあまり禁呪に手を出し、自ら不死の魔物になってしまった魔導士がいたんだ。彼は当時の王による誅殺を逃れ、コーザリーへ逃げ出して……住民を片端から『糧』にし、さらに力を蓄えてしまった。

 一時は《不死の王》を名乗り恐怖政治を布いたようだが、最終的に《王の加護》をもつ王女と二十名もの魔導士が総掛かりで封印した、らしい。

 らしい、というのは、彼女たちは自身を人柱にしたようで、コーザリーのどこにどうやって封印したのか誰も言い残せぬまま、リッチー諸共全員が姿を消したからだ。

それで《象牙の塔》の魔導士たちは今でもリッチーの所在を探し続けているんだ。まさか、この城の真下にいるなんて誰も想像しなかったのだろうが」

 私の解説を聞いても尚、隊長たちはポカンと口を開けて呆けていた。

 それはそうだろうな。いくらなんでも、落城が迫るこんな緊急時に、百年前の伝説を聞かされてもまったくピンとこないだろう。

 私だってそうだ。

 敵軍に全滅させられるのを避けようと頑張っていたら、今度は不死の魔物に食われそうだなんて……信じられるか?そりゃ信じたくないよ、誰だって。

 私は肺腑の底が空っぽになるほど嘆息した。

「どうして今なんだ?!よりによって何故こんな時に、リッチーが蘇るんだ……?」

 途方に暮れる私の嘆きに、ルナがうっかり答えた。

「グレイ先生がトンネルを掘ったからじゃない?」

『ハア?!』

 作戦会議室にいた全員が——エルギンでさえも——反射的にキレてルナを睨んだ。

 四方八方から凄まれ、ルナは青ざめて口を押える。次いで、しどろもどろの弁明を始めた。

「だ、だってね、あの……わ、私ね、先生がなんか怪しいなーって思って後を付けてみたらね、先生はトンネルを掘って『一人で』逃げようとしていて……ほら、通路の壁にバーンと穴を開けて——そしたら、なぜか封印が綻びちゃったみたい」(てへっ)

「おまえらのせいかッ!!」

 私は思わずカッとなって一喝した。

 降伏し撤退するだけでも私の手に余るのに、このうえ不死の魔物など——ああもう!!無理だ!!死ぬしかない!!パニックになっていないだけ褒めてもらいたい。それでも、頭も心もいっぱいいっぱいで、荒ぶる感情だけが溢れ出てしまう。

 一方、私に怒鳴られたルナは完全に顔色を失い、つぶらな目を裂けるほど見開いて黙り込んだ。

 ……そう言えば、私がルナを叱ったのは初めてだ。

 鷹に睨まれた小鳥のごとく震える彼女を見、私はいささか冷静さを取り戻す。

 なあルナ。君とグレイが勝手に抜け出そうとするから、城内の全員が危機に晒されているんだぞ? 本当に余計なことをしてくれた。さすがに懲りてほしい。

「閣下。ど、どうします……?」

 さっきは毅然と策を献上してくれた大隊長も、さすがにオロオロして私を頼ってくる。

 私は腰の剣に触れたが、剣は震えず、サイラスの声も聞こえなかった。

 ああそうか、リッチーが復活したら討伐を命じられるのは彼ら魔導士だ。サイラスはきっと《象牙の塔》に報告するためにさっそく動き出したのだろう。正直、私の相手をしている場合ではないのかもしれない。

 ということは——この場を、こんな難問を、私一人で収めなければならないのか?!

 ど、どどど、どうしよう?!

 誰にも見られていない背中を、脂汗が幾筋も流れ落ちた。

 リッチーの件はもちろんサイラスの台本には無い。ななな、何を言えばいい?え、ええっと、えーっと……とにかく、何か言わなければ。

 私は致し方なく、馬鹿正直に語りだした。

「残念ながら相手が不死の魔物では、我々にはどうしようもない。これから王宮に連絡して魔導士を派遣してもらうが、その魔導士がリッチーの復活に間に合うかどうか……。

 で、ルナ、リッチーは今にも地上へ出てきそうなのか?」

「ううん。あの魔物は逃げた私を追いかけて来なかったわ」

「ということは、封印はまだ効いているんだな?」

「さあ?」

 頼りないにも程がある。

 しかし、ルナが失踪直後にリッチーと遭遇したのなら、ここ二日間何事も無かったということは、リッチーは地上に出られないか、様子を見て潜伏している可能性がある。どうかあと二、三日、そのまま地下に潜んでいてくれないかなあ。

 私はヤケクソになってまとめた。

「どうせ我々は早々に退去するのだから、リッチーが現れて困るのはコーザリーの連中だ。だから先ほどの撤退作戦を即時決行する!何が何でも船を調達し、とにかく早く城を出よう!」

『おおう!!』

 とても気合の入った返事が揃った。全員の尻に火が点いたせいか、もの凄く一体感が生まれた気がする。

 隊長たちは声を掛け合いながら慌ただしく会議室を出、私は急ぎ船を所望する書状をしたためて、再び使者を務める老隊長に手渡した。

 続いて王宮へ飛ばす伝書鳩を用意させる——ただ一人の魔導士グレイがいなくなったせいで、鳩以外の連絡手段がないのだ。こちらの様子がサイラスに筒抜けであることは誰にも言えないし。だからポーズとして伝書鳩を飛ばさねばならない。

 鳩の足に付ける連絡文を書き終えた頃、誰にも相手にされず壁と同化していたルナが私に寄って来た。

「ねえ…セオドア様?」

 出会ってから初めて、ルナの鼻にかかる甘い声を耳障りだと感じた。私は顔を逸らしたまま、冷淡に返事した。

「閣下と呼んでくれないか。君と馴れあいたくない」

 息を吸う音が聞こえた。それでも彼女はめげなかった。

「閣下はやっぱり素敵ね。お仕事するところを初めて見たけれど、とてもカッコ良かったわ」

 廃嫡された途端に手のひらを返したくせに、今更また媚びを売るのか?

 私はさらにムッと顔をしかめて立ち上がった。

 ルナを無視して連絡文を兵卒に預け、そのまま彼女にも、彼女の肩に手を置くエルギンにも背を向けて会議室を出る。

 拒絶を露にする私の背に、ルナの甲高い声がかかった。

「ねえ閣下!リッチーの退治には誰が来るの?サイラスが来る?」

 なんだと?次はサイラスに乗り換える気か?!

 私はますます腹を立てた。

 無駄だ。彼は本物の朴念仁だ。いくら言い寄っても警戒され裏を読まれて、知らぬ間に足をすくわれるのがオチだよ。

 私が白い目で振り向けば、

「私——あいつに復讐したいの!」

 ルナはなにやら思い詰めた顔で立ち尽くしていた。

 残念だ、ルナ。君のその言葉はたぶん本人が聞いている。サイラスを敵に回したら怖いどころじゃないから——ご愁傷様だな。

 私は一切何も答えずに立ち去った。

 腰に提げた剣の柄で、紅玉が挑発的な光を放っていた。



◆◇◆◇◆


 こちらは繁栄を極める王都の中枢、華やかな王宮の中で最も絢爛たる玉座の間。

 コーザリー総督セオドアからもたらされた「《不死の王》リッチーを城の地下で確認した。尚、復活の兆しあり」の一報は、受けた係官が腰を抜かし、魔導士の管理機関象牙の塔から突如旋風やら噴水やら地を揺らす雄叫びやらが飛び出す騒動になったが、今はかたく箝口令が布かれ、宰相と魔導士長そして関係者だけが王の御前に召集された。

 魔法王国の名にかけて、今度こそ最悪の汚点と呼ぶべきリッチーは葬り去らねばならない。だが、なにしろ相手は不死の魔物だ。近づくだけで命を吸われる。挙句に生前は魔導士としての実力もあったと伝わっている。生半可な者を送り込んでも犠牲を増やすだけ——となれば、もはや最強のカードを切るしかない。

 そういう訳で、昨今は子育てと趣味に没頭していると噂の当代最強の魔女イネス・ボールドウィンが指名され、久方ぶりに王宮へ出仕した。

 箝口令が布かれているにも関わらず、絶世の美女と名高い彼女を一目見ようと集まった有象無象の人々が花道をつくる中、当の魔女イネスは息子たちを引き連れ、涼しい顔でスタスタと御前へ参上する。

 いつもは無表情で玉座にふんぞり返る王も、長年叶わぬ想いを寄せる麗しき魔女の参内を心待ちにしていた。

「魔女イネスよ。よく来た」

 若き日は将軍として剣を揮っていた王の笑顔には、猛獣を連想させる雄々しさがある。それでいて、あからさまにうっとりとイネスの美貌を見つめるものだから——傍から見れば、捕って食おうとしているようにしか見えなかった。

 王は階の上から、最愛の魔女に手を差し伸べる。

「悪名高きリッチーならば、相手にとって不足はない。余と共にまた戦場に立とう」

 ところが。

 階の下の魔女は艶やかな栗色の髪を揺らし、嫣然と微笑んでその手を拒んだ。

「お言葉ですが、陛下。わざわざ御手を煩わせる必要はございませんわ」(キッパリ)

「なに?余も《王の加護》も要らぬと申すのか」(むぅ)

「ええ、ついでに私も行きません。死にぞこないのリッチーごとき、私の息子たちで十分です」

「言うのう」

 王の視線が、魔女の後ろに控える金髪と黒髪の若き魔導士へ移った。

 強力な精霊と直接契約した魔導士は、髪や瞳の色が変わる。その精霊に印を付けられてしまうのだ。長男のサイラスは《風の女王》シルフィードの金髪に《炎の巨人》イフリートの深紅の瞳、次男のライナスは《水の乙女》オンディーヌの黒髪に《世界樹》ユグドラシルの緑の瞳を持っている。つまり、イネスの息子たちは二人で四大精霊の全てを従える次世代最強の兄弟なのだ。

「勝算はあるのか」

 王の短い下問に、

「はい」

 長男サイラスが確信に満ちた声音で答えた。

「必ずやリッチーを灰にしてまいります」

「……そうか。不死の魔物は炎に弱かったな」

 王は右手で顎を撫でながら頷き、再び口を開いた。

「サイラスが討伐に向かうのであれば、もうひとつやってもらわねばならぬことがある」

「何でございましょう」

「セオドアの最期を見届けよ。しぶとく生き延びそうであれば、その場で彼岸へ送れ」

 いかにも自然な流れで言い渡されたその命令に、サイラスは青ざめ、言葉を失った。

 既に表情を消した王は、深淵に似た目でサイラスを見据える。

「尚、今回の報告はおぬしの精霊から聞く。精霊は嘘を吐かないからな」

 サイラスは燃える瞳で反駁しようとしたが、王から無言の威圧を受け、声を発する前に唇を噛んで堪えた。そのままギリリと奥歯を噛みしめた後、ゆるゆると煌めく金色の頭を垂れ、震えを隠せぬ声で服従を誓う。

「……承知いたしました……」

 隣で控えたままの次男ライナスがちらりと兄を見遣り、その眼鏡がキラリと光った。


◆◇◆◇◆



 コーザリーから王宮へ鳩が届けた緊急連絡への返事は、翌日、旋風に乗ってあっさり届いた。

 私は丸まった書簡を広げ、ドキドキしながら目を通し——サイラスから事前に聞いたとおりだったので安堵した。

「総督閣下……陛下は何と?」

 大柄な大隊長が不安げに尋ねてくる。私は彼に微笑で応えた。

「リッチーの討伐に、最強の魔女イネス殿の息子サイラスが派遣されるそうだ。明朝にはこちらに到着するらしい。降伏と撤退については、現地判断に任せると」

「左様ですか……結局、援軍は送ってもらえませんでしたね」

「そうだな」

 大隊長は見た目よりずっと優しい心を痛めたようだが、私は王宮にふさわしい「立派な」人々の情の薄さを知っているので、こんなものだろうと思った。

 それより、明日、城の明け渡し当日にサイラスが来てくれる。そのことが心強くて嬉しかった。

 敵はこちらを相当見くびっているようで、兵士たちが乗る船は二隻も手配できた。最終点呼も荷造りも済み、彼らは今すぐにでも城を撤収できる。地下のリッチーも不穏なほど大人しい。嵐の前の静けさが、どうかあと一日半続くことを祈るのみだ。

 これでサイラスが来てくれれば——もう大丈夫。私がヘマをやらかしてもなんとかなる!

 ああ、良かった。こんなに清々しい気分は久しぶりだ。

 私の機嫌がやたら良いのを、隊長や兵卒たちは「きっと人生最後の日を努めて明るく過ごしているのだろう」と勘違いしてとても気を遣ってくれる。

 うん、まあ、確かに王族セオドアとしての人生は今日で最後だが、その人生に未練はない。惜しんでくれる人もいないだろうし……そういや、母上は泣くだろうか。悲しみに暮れるというより、癇癪を起こして泣きわめきそうだな。親不孝な息子で申し訳ない。

 ともかく明日だ。明日、全てが終わって——始まる。思い残すことも後悔もない。

 これまでは不安で仕方なかった日が、やっと楽しみになってきた。

 それもこれも全部サイラスのおかげだ。ありがとうサイラス。君にはどれだけ感謝しても足りないよ。

 前線から戻ってきた従僕が控えめに声をかけてきた。

「総督閣下。ルナ様がお目通りを願い出ておりますが……」

 私は微笑みを絶やさずに答える。

「彼女は部屋に通すな。そもそも私に近づけないでくれ」

「畏まりました」

 そうだった。何をしでかすかわからないルナとエルギンが、まだ懸念材料として残っていた……でももう、とにかく巻き込まれないようにしよう。そうしよう。私は知らない。復讐でも何でも、二人で勝手にやって自滅すればいい。

 私は開いた窓に歩み寄り、草一本生えない荒野とその向こうの赤い山脈を見晴らして

「これで見納めだな」

 とつぶやいた。


<続く>

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