第一話 主演は私、脚本・演出はサイラス
豊かな領土と周辺国を圧倒する国力、そして魔法王国の末裔という名誉を誇る我らが王国は、残念ながら内陸に在る。陸の交易路は支配できても、海の向こうの文物を手に入れるには他国の貿易船や海洋貿易国家に属する商人たちを頼るしかない。
だから我が国の南方、山脈を越えれば海まで広がるコーザリー領は、歴代の王にとって喉から手が出るほど魅力的な土地だった。古来より他民族が支配してきたこの地を、我が国は何度も侵略し支配し、その度に土着の民は反乱し独立するのを繰り返した。そして長きにわたり競り合いを続けるうちに、コーザリーは数多の犠牲と積年の恨みが満ちた不浄の地になってしまった……そうだ。
私はその因縁をここに来てから初めて知った。
緩やかに大陸を縦断する大河ロインの下流に在るコーザリーが、どうしてこんなに乾燥しきった土漠なのかと疑問に思って尋ねたら、たまたま傍にいた大隊長が呆れ顔で教えてくれたのだ。
生命を育む大地の精霊は、数多の血と死が染みついた不浄な土壌を嫌う。だから特にコーザリー城周辺は草一本生えず、食料の調達が非常に難しかった。
サイラスが言った通り、もっと知見を広げておけば良かったと後悔したが、既に遅い。
劣勢の我が軍がコーザリー城に籠城してから一か月。
城内の井戸は辛うじて湧いているが食料は底をつき、昼夜を問わぬ暑さがじわじわと心身を蝕み、援軍はさっぱり期待できない。ついに、城内の兵卒が総督である私を剣呑な眼で睨むようになってきた……このままでは彼らは私の寝首を掻き、その首を土産に投降するかもしれない。
最悪の事態が起きる前に動かねば。
私は隊長たちを一堂に集め、敵軍に降伏の使者を送ることを提案した。
「但し、無条件降伏はしない。武器を置き城を明け渡す代わりに、君たち兵卒の身の安全を保障してもらう——できれば捕虜でなく、王国への撤退を見逃してくれるよう願い出てみよう」
これまでの作戦失敗を償うべき将校たちは、既に戦死してこの場にいない。城内に残るのはせいぜい大隊長止まりの兵卒ばかりだ。上官に従ってきただけの彼らを無残に全滅させるのは忍びない。
一番大柄な大隊長が面をあげた。
「……それで、総督閣下はいかがなされます?」
「私は責任をとって城に残り、火を放って自死するつもりだ」
私の一片の躊躇もない回答に、隊長たちは驚嘆しざわめいた。私は声を張る。
「私が責を負わなければ、生きて帰った君たちが糾弾されるかもしれない。元より私は帰る場所など無い身だ。この身ひとつで君たちを救えるのなら本望だ」
広間は水を打ったように静まり返った。
「実は、先にこの首を差し出すことも考えた……が、コーザリーの連中は敵の遺体を辱めると聞く。私はそんな不名誉には耐えられない。まずは降伏を打診し、君たちが無事に退去できるよう手を尽くそうと思う」
場の空気が変わった。
「閣下……!」
老若混じる隊長たちが、感服の眼差しで私を見上げた。
「なんと立派なご覚悟!」
「くっ……最初からその気迫で戦に臨まれていたら……!」
「まあ、今更それを言っても始まらない」
私は肩を竦め、一番老練な隊長を使者に選んで即刻送り出した。
白旗を掲げて使者を送ったことで、各所の戦闘も止む。
そして各隊長たちの口から降伏し城を退去する方針が広まると、城内の雰囲気はやや落ち着いた。隊長たちはうずくまる兵士たちを叱咤し、さっそく撤退の準備にとりかかる。
私はひとまず胸を撫で下ろし、いったん自室に戻った。
従僕すら最前線に駆り出されたため、今、私の部屋には世話係さえいない。私は厚い扉を閉め、慎重に独りになったのを確かめる。それから腰の剣を取り、柄に煌めく紅玉に向かって小声で話しかけた。
「サイラス……これで良かったのか」
剣が僅かに震え、遠く王都にいる友の声を発した。
『ああ。上出来だ。やればできるじゃないか』
懸命に我慢していた震えが、一気に戻ってきた。私はガクガクする身を抱いて抑える。
「き、緊張した……ッ。ここは徹底抗戦あるのみとか、いっそ全軍突撃して華々しく散りましょうとか言われたらどうしようかと思った……」(ガクブル)
『いちいちビビるな。そんな弱腰ではバレるぞ』
「そうは言っても……」
サイラスには莫大な魔力と精霊の加護があり、アレックスには強靭な肉体と無双の剣技がある。だが、平凡な私には何もない。元・王子で現・総督と言う薄っぺらい肩書以外、私は何も持たないのだから虚勢を張るにも限界がある。
しかし。そう主張したら、また説教が返って来た。
『違う。セオドアは何も持たないのではなく、何も持とうとしなかったんだ』
「……うん。その通りかも」
サイラスはいつだって正しい。
でも——確かにその通りかもしれないが、コツコツ努力できることもまた一つの才能なのだと認めてほしい。私はその才すら無かった。
『才能のせいにするな。おまえはあの血も涙もない陛下の後継候補で、あれほど抜け目のない弟とその座を争っていたのだから、才があろうがなかろうが、もっと死に物狂いで取り組むべきだった』
「……はい。そうでした」
本当は王太子の座なんてどうでもよかった。ただ、父上と母上に心から笑いかけてもらいたかった。それに、異母とはいえ兄弟でいがみ合いたくなかった。しかし、私がこんな心情を吐露しても、豪奢で恐ろしい王宮にふさわしい「立派な」人たちは鼻で笑うだけだろう。惰弱な私はつくづく王族に向いていない。
私とサイラスは奇しくも同時にため息を吐いた。
気を取り直して話を戻す。
「それはともかく、敵領主との交渉はうまくいくだろうか。相手が条件を呑んでくれなければ、降伏も退去もできない」
『そこは心配するな。元より、あっちの搦め手へ細工をしてある。かなり反応が良かったから、きっと良い返事をもらえるだろう』
頼もしい友は、以前から風の精霊を駆使した諜報活動を展開しているらしい。
『だから、おまえはのほほんと待っていないで、せめて思い通りに動いてもらえる程度に士気を上げておけ』
サイラスに急かされ、私は重い腰をあげた。改めて城内をぐるりと慰問し、兵を激励するためだ——供もなく、たった一人で。腰の剣にサイラス配下の火の精霊が宿っているとはいえ、心細いことこの上ない。
実は、私には護衛騎士も随行している。が、その騎士レオ・エルギンはルナが失踪して以来、私などそっちのけでルナと魔導士アーロン・グレイの行方を捜索し続けているのだ。職務放棄も甚だしい。
それでも、頬は削げ眼は血走った状態で地下へ潜るエルギンを止める勇気は、私にはなかった。何をそんなに苛立っているんだろう?あいつは一体、コーザリーまで何をしに来たんだ?
だいたい、グレイは魔導士なのだから、何かの魔法でとっくに城壁を越えて飛び去ったのではないか?
エルギンにそう言ってやったら、
「グレイは大地の精霊遣いです。空を飛べるはずがありません。おそらくあの者ならトンネルを掘るはず」
と完全に据わった眼で反論されてしまった。
「ですからもう一度、城の地下を探してまいります」
「……そうか」
好きにするがいい。私はもう、ルナに関わりたくない。
護衛騎士にまで見捨てられている私はガックリ肩を落としたまま扉を開け、今もランプを手に迷路のような地下通路を歩き回っているであろうエルギンに思いを馳せ……そう言えば、彼は撤退の話を聞いただろうかと不安になった。
送り出した使者は無事に敵領主と会見できたようで、昼過ぎに戻って来た。
「大儀だった」
私を含め、待ちかねた一同が作戦会議室で使者を労わる。
しかし、やっと腰を下ろした老使者はなかなか厳しい面持ちをしていた。
「総督閣下。あちらの領主は、ある条件さえ呑めば、城内の全ての兵を無傷で退去させてやると約束しました」
「おお、思ったより良い返事だ。で、その条件とは?」
「……閣下を生きたまま引き渡せ、と……」
重い沈黙が会議室を支配した。私はあえて問う。
「見せしめの処刑を行う気か?それとも私を捕らえて陛下と交渉するつもりだろうか?」
聞くのも恐ろしい話だが、相手の出方次第ではサイラスと打ち合わせた台本を変えなければならない。
使者はしわがれた唇をぐっと曲げ、言いづらそうに続けた。
「いえ。どちらでもありません——あちらの領主は、その、色狂いで有名でして……男女問わず、見目麗しい者を多数寝所に侍らせているようで」
「そちらか!」
私は天を仰いだ。使者は逆に頭を下げ、机に向かってボソボソと説明する。
「どこで手に入れたのか、かの領主は閣下の姿絵を持っていました。それで、高貴なる美丈夫をぜひ飼い慣らしたいと、それはもう並々ならぬ意気込みで……」
「もういい」
気分が悪くなり、私は使者の口上を制した。
なんてことだ。我が軍をここまで追い詰めた敵の大将は、とんでもない変態だったのか。
……これのどこが「良い返事」なんだ、サイラス?!
「さすがに蛮族の慰み者にはなれない……」
私は頭を抱えた。
「それでは父上と王国の名に泥を塗ってしまう。末代までの恥だ。だが、撤退させてもらえるのなら無下に断る訳にもいかないし……」
悩める私に、大柄な大隊長が声をかけた。
「閣下。私めに策があります。応じる気があるような返事をして、もう少し交渉しましょう」
「おお!策とは?」
大隊長は壁に貼られたコーザリー城の地図の前に立った。
コーザリー城は小高い丘の上に在る。正面には乾ききった平野、背後には大河ロインが流れ大型船も停泊できる河港があるが、港は既に敵に占拠されていた。
その港を太い指で指しながら、大隊長は説明を始める。
「まずは傷病兵が多いからと偽り、船での撤退を希望します。敵に破壊されていなければ、河港にはわが軍の軍船があるはず。そして王国を目指して大河を遡上すると見せかけ、急いで帆を張り逆に河口へ向かいます。この時期は山脈から海へ下ろし風が吹きますので、この方が何倍も早く逃げられます」
「いやいや、早く逃げられると言っても、王国から遠ざかってどうする?」
「そのまま海へ出、トゥルオリ島へ向かうのです」
「トゥルオリ島?」
私は首を傾げ、やがて思い出した。
「……ああ、曾祖母の故郷か!あそこは昔から友好国だったな。なるほど。トゥルオリに逃げ込んで匿ってもらい、他国を迂回しての帰国を図るわけか。よし、私がトゥルオリ王に一筆書いておこう」
「お願いします」
大隊長は頭を下げ、次いで顔をくしゃくしゃにして微笑んだ。
「実は、この策は私一人の発案ではありません。先ほど皆で集まって練ったものです。恐れながら、占領が失敗した後で派遣されて責任だけとらされる閣下が余りにもいたわしくて……」
私は驚き、一同の顔を見回した。
神妙な顔で頷く者、痛ましげに目を逸らす者、反応に困って泣き笑いで応じる者など表情はそれぞれだったが、全員が私を気遣ってくれているのがよくわかった。
彼らを代表する大隊長がキリリと顔を引き締め、決然と述べる。
「閣下。我々は人質にも足手まといにもならぬよう、なるべく早々に逃げます。ですから、どうか我々のことはお気になさらず、敵の隙を見て本懐を遂げてください」
私は絶句した。
たとえそれが(見せかけの)自決宣言への同情からだとしても、配下の者たちからこんな親切を受け取るのは初めてだ。自然と、胸と目頭が熱くなった。
「……ありがとう、みんな……」
私が眉尻を下げて礼を言えば、会議室の長卓を囲む一同に、照れ臭いけれど心温まる空気が広がった。
一歩間違えれば全滅の危機に、こんなに気の好いメンバーと挑めるのは私の人生最大の幸運かもしれない。なんだか勇気が湧いてきた。
私は大きい顔をして大隊長の策に乗った。
「では、撤退方法はその案でいこう。しかし軍船を貰い受ける交渉は厳しそうだな……私が直接話をした方がいいだろうか」
すると、老いた使者が慌てて口を挟んだ。
「いいえ!相手は色狂いの蛮族です。いきなり襲われるかもしれません。直筆の書状をいただければ、私がもう一度行ってきます」
「頼む」
この使者がそこまで警戒するということは、相手はよほど脂ぎった助平なのだろうか。ゾッとする。
私はそそくさと紙とペンを取り寄せ、なるべく窮状を訴え敵に縋るような文面を考えた。敵の優越感を刺激し、油断なり憐憫なりを引き出せたら事がうまく運ぶだろうか——
そこへ。
まったく場違いな二人が乱入してきた。
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