ニワトリの卵

だら

ニワトリの卵

 僕がまだ子供だった頃の話をしよう。僕の住んでいた村は畜産が盛んで、鶏と牛とアヒルなんかが多かった。僕の家でも鶏を飼っていて、主に鶏卵と鶏肉で生計を立てていた。隣のナタリーの家は(隣と言ってもかなり離れているのだけれど)アヒルも飼っていて、たまにアヒルの卵をもらっていた。アヒルの卵っていうのは実はあまり美味しくない。調理も難しく、大きいだけなのだ。だから処分に困って近所に無償で配ってくれる。それでも量があるだけに、貧乏な農家としてはありがたかった。

 ナタリーと僕は歳が近く、同じ養鶏場の子供として親しくしていた。性別の違いなんて、田舎では無いに等しい。なんせ人自体が少ないのだから、誰とでも仲良くしておかないと自分に不都合なのだ。

 ナタリーは赤いパサパサの髪を三つ編みにしていて、レンガ色のワンピースが気に入りだった。陽が強いと藁の帽子を被るのだが、よく藁が髪に絡まっていた。彼女は着飾る歳で無かったけれど、それにしても野暮ったい印象が強い。花冠や華やかな白いドレスよりも、土と泥が似合う。それでも彼女は、僕の世界で一番可愛かった。裸足でアヒルを追いかけ、野イチゴで手をべたべたにする彼女が、僕には輝いて見えた。確かに当時の僕は村から滅多に出た事が無かったから、艶やかな町娘なんか知らない。そんな世間の狭い人間だったけれど、ナタリーだけは今でも特別な存在だ。

 僕達はいつも二人で一緒に遊んだ。他に遊べる子供はいなかったし、何より二人で遊ぶのは楽しかった。山を駆け、野を転がり、雨の日は部屋にこもってひそひそ話をしていた。

 僕達のあいさつはまずハグから始まる。そして頬にキスをするのだ。それは彼女と遊ぶようになってから、毎日続いた。たぶん分かってもらえると思うんだけど、それだけべたべたとしていれば、離れている方が気持ち悪くなってくる。互いが互いの一部のようになるのだ。

 当時の僕は単純で、こんな気持ちになるなら結婚するしかない、と思った。一分一秒でも離れていたくなかった。狂いそうだった。

 今思えば全部僕の妄想だったんだと思う。狂いそうに愛している、と思い込もうとしていた節はあった。正直、家族愛を恋愛とはき違えていたのかもしれない。子供にはよくある事だと思う。恋する事に憧れて、手軽に気楽に恋愛を謳う。そういう微笑ましい時期だったのだ。

 僕の世界は閉鎖的で、視野は狭く、右も左も天と地すらも知らない無垢であったと断っておきたい。無邪気は裁かれるべきではないのだ。それを知っておいてもらうだけで、僕はずいぶん救われる。

 そんなわけで、僕らの熱は上がるばかりで一向に冷めなかった。ナタリーも僕と同じように想っていてくれたからだろう。生まれた時から僕らは一緒だったから、まるで夫婦のように振舞えた。

 僕らの歳は両手に満たなかったけれど、本気で愛し合っていた。少なくとも、そう錯覚していた。だから僕は仕立屋のおばあさんに頼んで、綺麗な紫色の糸をもらって指輪にし、粗末なエンゲージリングを作った。そう、僕はナタリーに結婚を申し込んだのだ。貧相な指輪を受け取って喜ぶ彼女は、素朴でいじらしく、僕はたまらず抱きしめてキスをした。

 僕らのウエディングごっこはすぐに始まった。ナタリーが彼女のできる一番のおめかしをしてきて、二人きりの結婚式が開かれた。場所はもちろん、僕の家の鶏小屋の近く。僕らにはそこぐらいしか居場所が無かったから。

 この時ばかりは彼女は花が良く似合っていた。赤や黄色の花を髪に飾って、白いワンピースでくるくる回る。教会で見る花嫁よりも健全で澄んで見えた。

 僕が「好きだ」と言えば彼女はそれを吸収し、彼女が「好きよ」と言えば僕はそれを吸収した。僕らは互いの幸福を祝福しあい、しばらく笑っていた。僕らはずっと手を離さない。結婚って言うのは一つになる事だから、バラバラで良いわけが無い。

 風のように飛びまわる僕達は、確かに幸せだった。憎むものなんて何もない。世界は煌めき、命は息吹き、宇宙と溶け合う。僕は死んでいるし生きている。起きているし寝ている。そんな気分だった。

 僕らの新婚生活は何も変わらない。相変わらず家は別れているし、家畜の世話もする。両親に「ナタリーと一緒に住みたい」と言っても当然相手にしてもらえないし、「結婚したんだ」と言っても笑われるだけ。半身を失った不安定な僕は、両親を恨んでいった。ニワトリが鳴いたら起きて、ナタリーを抱きしめに行くのが日課だった。僕らの愛は果てしない旅のようで、たゆたうばかり。初めは満足していた僕たちも、この幸福の終わりが見えてきた。いわゆるマンネリだ。飽きたわけじゃない。いつだってナタリーを愛している。でもそれだけじゃダメだった。僕は世界と溶け合うことが出来たけど、本当はナタリーと溶け合いたかったのだ。それに気付いた時、僕らは手を取り合って沈黙のまま相談しあった。小川の傍に座って、せせらぎが涙のようだと考えた。その時不意にニワトリが鳴いた。あぁ、世話をしなくちゃ、と考えを巡らせ、ナタリーと顔を見合わせた。二人とも同時に良い案を思いついたのだ。

 僕たちは子供を作ろうと考えた。


 さて、当時の僕らがまだ幼いというのは語ったと思うけれど、もちろん子供の作り方なんて知らなかった。ぼんやりと聞いていたのは、コウノトリだとかキャベツ畑の類だ。

 まず僕らは宝の地図を探すことから始めた。情報を集めなくては、僕たちの夫婦生活に平穏はない。村の人に尋ね、本を読んだ。

子供の作り方は様々だった。いつだったかママは「コウノトリが運んでくる」と言った。パパは「卵を温める」と言った。本はとても参考になった。「男女が抱き合うと生まれる」「女の股から出てくる」「子は女の腹に宿る」「時には腹を切って子を取り出す」。僕らが集めた情報はそれだけだった。他にも詳しく書いた本はあったんだろうけど、難しい言葉は分からなかった。しかし、どれも子供にとっては新鮮な情報だ。僕らは全てを等しく信じた。

 もう一度言うけど、僕は無知という無垢だった。それこそ、教科書が無いと愛の育み方すら分かってなかったに違いない。僕は何も知らなかったから、どんな事をしても仕方がなかった。全て許されて然るべきなのだ。

 僕たちは集めた情報をまとめて、どうすればいいのか考えだした。あれは僕の家の敷地でのことだった。

 コウノトリは見たことがないので、代わりにニワトリの産んだ卵を温めてみようとした。

「卵を温めても産まれてくるのはヒヨコだけだわ」

 ナタリーはそう言って僕に卵を突き返した。

 次は抱き合うことにした。二人で抱き合って卵を温めてみようとした。これは上手くいかなくて、何度も卵を落として無駄にしてしまった。

 そして僕たちは「女の股から子が出る」というのを考えた。「子は女の腹に宿る」という記述にも通じるところがある。信憑性が高かった。確か僕はナタリーに、卵を丸ごと飲み込むように言ったと思う。ナタリーはぶんぶんと激しく首を横に振って「無理よ」と言った。

 僕は正直、そんな様子のナタリーに呆れていた。僕はナタリーを愛していて、二人の子を作ろうと必死なのに、彼女はちっとも協力してくれない。多少の無茶は当然なのだから、少し努力してくれればいいのにと思った。僕は考えた。僕も努力をしなければならないのだから。子供は腹に宿り、女の股から出てくる。つまりそれを実行できれば良いのだ。

 僕は「分かった」と頷いて、ナタリーにしばらく待っているように言った。僕は走ってニワトリ小屋に戻った。そこで子供には大きい包丁を持ち出した。これはニワトリを肉として食べられるようにする道具だ。この包丁でニワトリの首を落とし、切断面を下にしてフックに吊るすことで血抜きをする。

僕は試しにニワトリを一羽捕まえて、その首に包丁を叩き落とした。一度では切れないし、ニワトリはめちゃくちゃに暴れるから上手く追撃が出来ない。それでも肉はきっちり切れていた。なんとかガツガツと数度ニワトリに包丁を叩きこむと、めきりと音を立てて骨が折れた。首の無いニワトリの身体はなおも暴れたが、捕まえてフックに吊るした。

 僕は上機嫌だった。ニワトリを殺したのが初めてだったからというのもあるが、何よりこれは我が子の誕生を約束された瞬間だったからだ。

 包丁を洗ってからナタリーの元へと帰った。ナタリーは包丁を見て驚いたのか、二、三歩後ずさった。

「ナタリー服を脱いで。横になって」

「いやよ、何をするの」

 ナタリーは激しく首を振る。とてもかわいかった。

「子供を作るんだ。約束したじゃない」

 ナタリーは突然走り出した。僕の家の方角だ。僕の両親に助けを求めるのかもしれない。

 ナタリーの家は離れていて、帰るのも一苦労だ。何かあった時は二人のうちの近いほうの家に逃げ込むように、と僕たちは言われていた。

 僕は急いでナタリーを追った。僕の両親は家に居るはずだった。

 ナタリーに数十秒遅れて家に入ると、入口近くでへたり込む彼女がいた。

 家の様子を覗いて、僕はがっかりした。パパとママは死んでいた。

 ナタリーの話に夢中で言い忘れていたのだけれど、時は僕がナタリーと結婚したと両親に言ったあの日に遡る。二人があんまりにも可笑しそうに僕を笑うものだから、ついカッとなって、椅子でパパを殴りつけたのだ。何度も力任せに殴りつけた椅子はすぐに脚が折れて、鋭利なナイフの束に変わった。ママが止めに入ったが、僕はママにもささくれ立った木片を突き刺した。のたうち回る二人を、料理用のナイフで首を切った。ニワトリの血抜きは見慣れていたから、お手の物だった。

 まぁ、死体を処分する当てもなく、ただなんとなく放置していたのだ。その顔はもう見るに堪えないなんてものじゃない。道徳的にあってはならない領域だった。

 ナタリーはガタガタ震えて動こうとはしないから、僕は彼女の肩をそっと押した。ナタリーが暴れそうだったので、すぐさま彼女のお腹を服ごと裂いた。あばらより下から、へそを通る垂直な一直線。そこを絶ち切った。布を裂くような悲鳴と赤い飛沫。ナタリーは陸に上がった魚のように痙攣を繰り返した。僕はナタリーのお腹を広げて、今日ニワトリが産んだばかりの卵を一つ詰めた。ナタリーの喉からカエルが潰れたような音がして、よく分からないものを吐きだしたきり、彼女は動かなくなった。

 僕はしばらく卵をぐいと押し込んで、股から出ないか試していた。

 それからの話なんだけれど、情けないことに僕は子供を作ることが出来なかった。股から無理矢理ひり出させることすら出来なかった。そもそも僕は人体を知らなかったのだ。

僕が思うに大腸を切ってそこに卵を詰め、押し込んでいけばあるいは何か変わっていたに違いない。大人になった僕は子宮を開くのが正しいと分かっているけれど、子供の僕にできるのはせいぜいその程度だろう。それでも、成功していたら僕はこんな風にはならなかったはずだ。

 ただ、今となってはもう遅い。若気の至りというか、子供の戯れというか、あれは神の意思だったのだろう。僕にとっては既に夢の話となっている。もしかしたら本当に夢だったのかもしれない。今ではもう考えられないような事をしていた。俗世に染まっていない聖人の行いだ。

 僕には妻ができたし、子供も三人産まれた。昔の僕が見たら気が狂わんばかりに羨む光景だろう。それでも僕は、あの栄光の少年時代が誇らしい。あぁ、無知で純潔なる天使の僕よ、お前の悪魔はここにいる。嫉妬に駆られた僕は得意気に笑ってやるのだ。ニワトリの卵は食うものだと!

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