蕾む日々

本当に何もない日というのは

まさにこのことだろう。

もうそろそろで本格的な夏らしい。

電車に乗りながら眺む空は

海の空と違って残念ながら

曇っているけれど、

暑さだけは一丁前にある。

蒸していることもあり、

日傘を差して

凌げるようなものではなさそうだった。

これから学校だというのに

一気に気が滅入りそうだ。

鞄の中でかさりかさりと

音がしている気がする。

家にあった目についたものを

ぱっと鞄の中に突っ込んだからだろう。

保冷剤も一緒に詰めてきたからか

どこか涼んでいるような。


麗香「…。」


元の生活に戻ってからたったの2日。

昨日と一昨日はやけに疲労が溜まった。

当たり前だ。

一昨日はあの空間から戻ってきた日。

朝焼けは目を奪うかと思うほど綺麗で。

あて達を照らしてやまなかった。

不思議と服は濡れてなくて、

ただ砂塗れになりながら

3人で抱き合っていた。

砂浜にはあて達の学校鞄も

打ち捨てられたようにそこにあり、

特に無くしたものも無さそうで。

あの漣の音だけは

今でも時折木霊している。


それから3人で電車に乗って帰った。

長束先輩は持ち金がなかったので

あてや先輩が貸して帰ることになって。

そして家に着く頃には

もう朝日は登りきっていて、

考えなくとも朝だと分かった。

学校に行かなければ

ならない時間だったのだが、

鞄の中身は金曜日のまま、

それに家にも帰っていなかったし

お腹は極限まで空いている。

帰りの電車ではみんなと話していたから

自然と酔いはしなかったが、

別れて1人になってからは

度々吐き気がした。


ふらりふらりと夜遊びをしてきた

後のような足取りで家路を辿る。

中途、登校中の小学生や

同じ制服を着た学生など

様々な人とすれ違った。

その中逆走しているあてがいる。

不良や非行少女と呼ばれるような人達は

きっと今のあてのような

行動をとっているのだろうな。

夜に姿を消して、

朝になったら家へと向かう。

なんだか心地よかった。

今だけは人と違ったって

何だっていいと感じた。

だって長束先輩が戻ってきたんだから。


家に帰ると、母親はきょとんとした顔で

あてのことを見つめていた。

流石に連絡もなしで数日間も空けていれば

叩くくらいはされたって

おかしくはないだろうな。

空白区間、親からすれば

生きているかだなんて分からないのだ。

目をぎゅっと閉じて、

くるであろう衝撃に備えた時だった。


それはまた違った衝撃が

加わったのだった。


母親「…麗香!」


そう聞こえたと思えば

ぐらりと体が揺れた。

なんだ。

何事だ。

そう思って目を開くと、

どうやら抱きついてきているらしい。

3人で抱き合っていたときよりも

随分と嬉しくはないものだったが、

それでも少なからず母親としての

気持ち話あるのだと

些か安心に似た気持ちを感じた。


それからどこ言ったのだの

何をしていたのだの

散々聞かれたが、

3人で話して合わせようと言った通り

何も分からないのひと言を貫き通した。

だって何を言っていたって

分かってもらえないだろう。

正直に言ったって

精神異常者だと捉えられて終わりだ。

もしかしたら通院だって

勧められるかもしれない。

そんなことになるのは

どうしても面倒だったから。

母親はというと、次に出てきた言葉が

私の大切な神様の子供、だったので、

まぁ、相変わらずだと思って

聞き流していた。


そして長束先輩はともかく

あて達2人の事も警察沙汰になっていたらしく

事情聴取などいろいろされて

気づいたらその日は終わり。

昨日から学校に再度通い始めた。


麗香「…あ。」


昨日、消しゴムを買い足そうと思っていたのに

ここ近日のことを思い出していたせいで

完全に頭の外へと抜けていた。

今日こそ買いに行こうか。


昨日は長束先輩が久しく

学校に戻ったということで

辺りは騒然としていた。

クラスの方へ行けば

がやがやと話し声や

泣き声が大きくなっていたのを覚えてる。

あては今近づくべきではないのだろうと

そそくさと逃げ出すように背を向けた。

きっと関場先輩もだ。

ちらと見て帰ったんじゃないだろうか。

時折見かけたもの寂しい背中は

今日ばかりは、否、

今後は永遠にお休みだ。

そう感じたんだっけ。


あぁ。

曇ってはいるけれど、

その先には青がある。

きっとあては青い空を見るたび

あの海らしい空間を浮かべるだろうな。





***





麗香「ふん…ふふん…。」


即興で作った意味もないメロディを

鼻で歌いながら下校する。

学校で会おうかと思ったけれど、

間の休み時間でちらと見たのは

一生懸命にノートを移す姿。

昼休みに向かえば、

先生に呼ばれたのか

将又部活とかで集まっているんだか

姿は見えなかった。

目つきの悪い先輩はいたが

のっぽは見当たらなかったっけ。

いっつも一緒にいるイメージが

勝手ながらあった。

向こうからすれば、

長束先輩と関場先輩、あてすらも

そのように映っているのだろうか。


あぁ。

曇天だが気に病むことが何もない。

何もないは嘘だろうけれど、

少ないというのはとても大きい。

母親の問題は延々と続くだろうし、

何せこの連続している奇妙な出来事は

終わったとは考えられない。

そして、この2ヶ月の間、

長束先輩ほどではないにしろ

学業に身を入れていなかったのは事実。


麗香「先輩待ちながら単語帳でも開くけぇ。」


特有の語尾を鳴らしながら

スキップでもし始めるのでは

ないかと思うほど体が軽い。


勉強は初め嫌いだったけれど、

水泳も辞めた今あてには何もなかった。

何もなかったから、

何かを得るために勉強するようになったっけ。

1年の後半ごろからは

意外にも高順位をキープしていた。

今のあてにはまだ何もないけれど、

この先のあてに何か繋がれば

今はそれでいいのだろう。


トマトとアサガオを夏場に育ててる家を左、

神社の前を通って、

少し前に工事が始まった家をまた左。

それからも少しだけ紆余曲折した頃、

寂れているものの整備は施されている

公園が見えてきていた。

周りは住宅街だったが、

子供が遊んでるということもなく。


滑り台とブランコくらいの

定番な遊具が少量あるのに加えて

ベンチがいくつかある程度。

軽い足取りで向かう先は勿論。


麗香「よし、つーいた。」


そう。

先輩と出会ったあの公園。

ベンチに座ってぼうっと空を眺める。

こんなにゆったりした時間を持てるのも

久しぶりなことだった。

自分の時間がなくなっていたわけでは

なかったけれど、

その分を記録に当てていたからか

久しぶりだなんて感じた。


そういえば先輩のLINEは

交換してたんだっけ。

今日はどうしても会いたいだなんて

思ってしまったのか、

簡単に文字を紡ぐことができた。

「部活後でいいからいつものとこで。」

それできっと通じるから。





°°°°°





麗香「声でかいけぇ。」


愛咲「ごめんごめん。麗香に言いてぇことあったんだよ!」


麗香「何けぇ。」


愛咲「連絡先、交換しとこーぜ!」


麗香「先輩からその提案をしてくるなんて…春休み寂しかったけぇ?」


愛咲「んー、っていうよりも何か安否確認出来るのってよくね?」


麗香「別にあて死んだりしないけぇ。」



---



愛咲「今はまだ信用なんねーからなー?ほら、スマホ出してLINE開いた開いた。」





°°°°°





麗香「結局、今日の今日まで使わなかったけぇ。」


交換して使うことなく

先輩いなくなっちゃったんだし。

何が安否確認だ。

信用ならないだなんてどの口が言うんだか。

…。

あてが自殺しようとした時のこと、

ずっと覚えていたんだろうな。

だから信用ならないだなんて

言ってくれたんだろうな。

その割には先輩の方が

先にいなくなっちゃったけど。

一緒にいてやる、とか言っておいて。


麗香「ふふ、嘘つき。」


ほんと、自分勝手。

くすりと笑っているあてがそこにいた。


そこで夕方になるまで

じっと待っていた。

幸いなことに公園には時計があるってことは

約1年前から知っていて。

18時半を回ったあたり。

人もこれまた少なくなっていて

あて以外見当たらない状況である時間が

徐々に多くなっていく。

近くの家の窓もいくつかを除いて

ほぼ開いていない。

虫も入ってくるし

冷房の熱も逃げるからだろうか。

道ゆく人すら疎なようで。


心地いい風を受けながら

単語帳なんてとっくのとうに仕舞い込み、

スマホを弄っている時だった。


「れーーいかぁー!」


麗香「…ふふっ。」


相変わらず煩いとも形容できるほどの

大声を出しながら

近づいてくる影がひとつ。


やっと帰ってきたんだと、

現実に戻ってきたんだと

ここで深く深く思うのだ。


愛咲「待たせてごめんな!」


麗香「ほんと、遅いけぇ。」


愛咲「もー、ごめんって言ってるじゃねーかよー。」


麗香「にしし。…今日くらいは許してあげるけぇ。」


愛咲「今日限定か…っ!」


麗香「うーん…この先永久でもいいけぇ。」


愛咲「何!?大出血サービスじゃねーか!」


麗香「それを言うなら出血大サービスけぇ。」


愛咲「やられた!」


そうそう、これだ。

3人で話すのもいいものだとは思ったが、

やはり2人きりの時間も好きだった。


夕方。

梅雨。

眠気。

公園。

曇天。


たった5単語程で表せてしまうくらい

ちっぽけで何もない日常。


麗香「でも、今日は早めに帰るけぇ。」


愛咲「お、何かあんのか?」


麗香「だって先輩、勉強が大変そうだから。」


愛咲「本当に大変なんだってばよう!」


麗香「見れてば伝わるけぇ。」


愛咲「成績つけるのがどうこうとかもう頭パンクするってな!」


麗香「まあ、学校側もびっくりしてると思うけぇ。」


愛咲「完全に例外だもんなー。」


麗香「不登校とかならまだしも、事件があって、それで戻ってきた奇跡パターンけぇ。」


愛咲「奇跡…!うちはやっぱり運の天才なのかも知れねーな!」


麗香「はいはい、ほんとにそうけぇ。ついでに頭の中の花畑濃度も天才的けぇ。」


愛咲「だーっはっは!そりゃあなんつったって愛咲さんだからなー!」


こんなにも豪快に笑っている先輩。

ちらと足を覗けば、

健康そうに少々小麦色に

焼け始めている肌があった。

そこに青い染みはなく、

ただただ人肌の色があるのみ。


あの時…花に眠る先輩の顔を見た時、

なんとも言えない程

心臓がぎゅっとなったんだっけ。

先輩と恐ろしいほどに

久しく会えたのもそうだけれど、

いつも笑ってばかりの先輩が

穏やかとも苦しそうとも言えない顔で

目を閉じたまま動かなかったことに

違和感ばかり感じたからだろう。


先輩がいなかったあの2ヶ月間。

先輩は一体何をしていたのか、

何が起こっていたのか、

ずっと鼻の奥で眠っていたのか。

それを聞くことはしなかった。

何故かと問われると

明確な答えは出ないのだが、

聞かなくてもいいと思ったのだ。

それこそ、先輩が話したくなったら

それでいいや、と。


それからほんの少しだけ話して、

気づけば数十分経ていた。

こんなに時間が経つのが早いだなんて、

あては今、幸せなんだろう。


かぁー。

どこかでカラスが鳴いた。

もう帰れよと言うように。


それと同時に、長束先輩は

手を思いっきり上に伸ばして

伸びをしたんだ。


愛咲「んーっ!くはぁー。さ、そろそろ帰るか。」


その言葉にきゅっと音を上げる心。

帰りたくない。

そう思ってしまう。


その心を持ちながら

黙って鞄の中を漁り、

かさりとなる音を意図せずも立てて

先輩に手向けた。


愛咲「…んお!?これはっ!」


麗香「あげる。」


愛咲「ブラックサンダーじゃねーか!」


麗香「ずっとずっと前のお返しけぇ。」


愛咲「…あっはは、んな小さいもん、忘れててもいいのによぅ。」


麗香「全部覚えてるけぇ。あて、長束先輩じゃないし?」


愛咲「うちだって覚えてることくらい沢山あるよーだ。」


ぷくっと頬を膨らませながら

ブラックサンダーを手に取ってくれた。

保冷剤もほぼ溶け切っていたのか、

溶けている雰囲気はなくとも

少しばかり冷えているなと

感じる程度だった。


愛咲「これって流石に家までだと溶けちまうかなー。」


麗香「暖かいし、多分溶けるけぇ。」


愛咲「んだよなぁ。あーあ、戻ってきたと思ったら30℃近いし、体がついていかねーよぅ。」


麗香「それでも部活には行くけぇ?にぃ?」


愛咲「んま、最初は見学とか手伝いからだぜ!あと、ちょっとだけウォーミングアップ参加とかな!」


麗香「やっぱりすぐにはしんどいけぇ。」


愛咲「ま、2ヶ月間走ってなかったんだしなぁ。」


麗香「あ、ほら、溶けるけぇ溶けるけぇ。」


愛咲「そーじゃねぇか!食べてから帰るか。な、麗香。」


麗香「うん。」


びりびりと遠慮もなく

先輩本人同様大きな音を立てた後、

ふんわりと仄かに

甘い甘い匂いが漂ってきた。


麗香「先輩先輩。」


愛咲「ん?」


麗香「今週末、3人で遊びに行こう。にぃ?」


愛咲「だっはは!勿論行こうぜ!」


麗香「関場先輩にも聞いてみるけぇ。」


愛咲「だな!」


麗香「後、これからも一緒にいようね。」


愛咲「そんなの当たり前だろ?」





°°°°°





愛咲「うちが…これから一緒にいてやるから!」


だから。





°°°°°





愛咲「これからも沢山話そーぜい。」


前言撤回。

やっぱり先輩は嘘つきじゃない。


先輩は花のように

笑顔を咲かせていたのだった。










咲く海底 終

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