結び綻び

昨日の晩のことでした。

羽澄は普段通り晩御飯を口にし、

自室にてゆったりとした時間を

過ごしている時のこと。

こち、こちと鳴る時計の音。

羽澄の心音とほぼ同時期に

なっていたと思います。

時計の心臓を負った羽澄の元に、

1つのツイートが目に止まったのです。

それは、紛れもなく

麗香ちゃんのツイートでした。

先日、羽澄が声をかけるのをやめた

あの麗香ちゃんでした。

それだけで心臓が時計の歩幅から外れ

どくんと鳴るのを感じたのに、

それだけでは止まってくれません。


久しぶりに麗香ちゃんのTwitterが

動いたかと思いきや、

愛咲のところに行くだなんて

言葉を残したのです。

流石の羽澄も気になって眠れませんでした。

麗香ちゃんは本当に

愛咲のところに行っているのでしょうか。

そしたら、戻ってくるのでしょうか。

かのじを連れて、無事に戻ってくるのでしょうか。

それとも…。


羽澄「…。」


気が気でないままに

通学路を辿ります。

すると、これまで気にならなかった

多くの日常というものが

顔を表してくるのです。

例えば、近くに打ち捨てられている

大量のゴミ袋だとか、

事故が地震かで曲がってしまった

ガードレールだとか。

高校3年生の夏手前、

羽澄は1人子供に戻ったかのような

錯覚を覚えながら歩くのです。


もしも麗香ちゃんがいなくなっていたら。

どんな形であれいなくなってしまっていたら。


羽澄「…っ。」


羽澄は、大切な人づらを

しているだけでしょうか。

こんなに胸がぎゅうとなるのは

愛咲に対して面目が立たないからでしょうか。

愛咲が大切にしていた麗香ちゃんを

守れないという、

責任を果たせないことに対しての

苦しさなのでしょうか。


羽澄は…。

…麗香ちゃんを、愛咲の連れとしてではなく

麗香ちゃんとして見たことがあったでしょうか。


羽澄「…。」


問い、問い、遠い。

数学のような明確な解はなく、

あるのはどろどろと固形さえ保っていない

歪んだ糸口だらけの窓。

そっと手を伸ばしてみれば

忽ちその糸に絡まってしまうのです。

不安という生き物を抱える。

それは軽度なら良いとされるもの。

完全になくなってしまっても困るもの。

…とは分かっているのですが、

こうにも積もり積もってしまうと

鬱陶しくなり全て

投げ捨ててしまいたくなるのも事実です。


羽澄は断ち切ってしまえば

いいだけの話なのです。

麗香ちゃんは関係のない人だと

割り切ってしまえばいいだけなのです。

ですが、それは人としてどうかと

待ったをかける羽澄がいるのです。

それに、元より羽澄は

大切な人を守るために剣道を始め、

後に自衛官になりたいという

夢を掲げている身。

そんなあっさりと切ってしまうのは

自分の中の正義に反します。

葛藤は蝋燭の火のように揺らぎ、

波に漂い出す中、

ふと顔を上げれば学校がありました。


羽澄「…。」


いつ見ても出立ちの立派な学校。

羽澄はここに通っています。

…建物と人間を比べるのは

流石にお門違いであるとは

重々承知しているのですが、

それでも学校ほど立派なものを見ると

自分が小さく見えるのも事実でした。


朝早くから学校に来ると

生徒先生双方人がほぼおらず、

羽澄の独壇場とさえ

勘違いしてしまうほどでした。

羽澄が朝早くに学校に来たときは

よく変だと言われることをしましたっけ。

教卓に何羽かの鶴を折り

それを使って簡易な絵を描いてみたり、

小さな小さな木の猫の小物を作り

全クラスメイトの机の上に置いてみたり。

特に高校2年の頃は

そう言った変なことと言われる類のことを

していたという記憶があります。

今となっては…もう中々

しようだなんて気は起きませんでした。


羽澄「…あーあ…。」


笑みにすらならない乾いた音が

教室を浸していくのでした。


時間が経る毎に人は増えていき、

やがていつも通りへとなっていきます。

学校が息を始めるこの瞬間を見届ける。

それが羽澄の日課でした。

時には寝坊して

遅れていくこともあるのですが、

その時にはやはり少々残念に思うのです。

羽澄だけが知っている

あの学校の目覚めは

今日は他の人が見ていたのだと。

羽澄ではないのだと。

少し、残念になるのです。


昼ともなれば人は廊下や

教室内どこにでも群がり、

時間を潰すように昼ごはんを口にするでした。

羽澄はというと、

お弁当をすぐに開くことなく

彼女を…麗香ちゃんを探しに

足を運んでいました。

どうしても愛咲に会いにいくという

真相を知りたかったのです。

どうしても今、この学校に来ているのか

知りたかったのです。

愛咲はまだ、この煤けた日常に

戻ってきてはいませんでした。


自然と足早になる中、

丁度教室から出てくる

麗香ちゃんの姿を捉えました。

今だ。

そう思いたたんと駆け出します。

未だ。

麗香ちゃんとの距離は遠いのです。

彼女の背中へと、

羽澄の声が届きますように。

そう願って。


羽澄「麗香ちゃん!」


麗香「…っ?」


遠いままに声をかけると、

羽澄から声をかけられたから

立ち止まったというよりかは、

ただただ驚き立ち止まった。

そんな表現の方が

しっくりくる状態で立ち止まり、

ちらっと羽澄の方を確認したのです。

その瞳は依然として

孤独の中に突っ立っているような。

そんな色をしていました。

そして、羽澄かと分かった時、

興味もなさ気にまた前へと

向こうとしてしまうのです。


羽澄「待ってください。」


麗香「…。」


思いのままに彼女の肩を持ち

くるりと半回転、

上半身だけでも羽澄と向かい合うよう

無理矢理ですがそうしました。

麗香ちゃんは心底嫌そうな顔で

羽澄を睨むことなく、

床ばかりを見つめていました。

反抗する意思だって感じません。

無駄だと諦めているようにも見えます。


羽澄「聞きたいことがあるんです。」


麗香「…。」


羽澄「愛咲に会いに行くって…どういうことなんですか。」


麗香「…。」


羽澄「麗香ちゃん…。」


麗香「…。」


麗香ちゃんは、羽澄には

視線なんてひとつもくれません。

彼女の目には

羽澄なんて映っていないのです。

初めから、1度も映ったことなど

なかったのです。

あるのは愛咲への思い、視線。

…。

あぁ、と思ったのです。

きっと羽澄達、似た者同士なんですね。

愛咲のことしか見れていない、

似た境遇の人だったんですね。


羽澄「…羽澄は、麗香ちゃんが心配なのも勿論あります。」


それでも、羽澄はいい人を

止めることはできませんでした。

麗香ちゃんのように、

他の何がどうなろうと

ひとつさえ守ればいい…

そんな考えまでには至れませんでした。

ただ、根は一緒だということを

いつか伝える日が来るのでしょうね。


羽澄「ですが、羽澄だって愛咲のことが心配なんです。絶対、戻って来させたいんです。見つけたいんです。」


麗香「…言葉の通り。」


羽澄「…え?」


麗香「だから、言葉の通りです。」


その言葉を噛み砕くのに

数秒を要しました。

きっと、前の問いに対しての

答えだったのです。

愛咲に会いに行くとは

一体どういうことなのかという

問いの答えだったのです。

それが分かってから、

なんと質問すればいいのか

迷ってしまい、

彼女の肩に置いたままの手は

じんわりと熱を奪われていきます。

雨だから、でしょうか。


羽澄「もう、愛咲の元へは行ったんですか?」


麗香「まだです。」


羽澄「いつ行くんですか。」


麗香「なんでそこまで言わなきゃならないんですか。」


羽澄「羽澄も行きます。」


麗香「…はい?」


羽澄「羽澄も行きます。連れて行ってください。」


麗香「…何で。」


羽澄「羽澄にとって、愛咲は大切な人だからです。」


麗香「…。」


羽澄「全部全部、麗香ちゃんだけじゃありません。麗香ちゃん1人だけが抱えてる感情じゃありません!」


麗香「…っ。」


羽澄「だから…。」


だから。

…。

何で言えばいいんでしょうか。

言葉に詰まってしまい、

不意に肩を掴む手に

力を入れたくなりました。

けれど、それでは麗香ちゃんを

傷つけるも同義。


…。

そっと、肩から手を離して

距離を取ったのでした。

羽澄が時折する方法です。

羽澄自身が持っているものを

自分から手放すのです。


羽澄「…だから、羽澄も愛咲を探しに行かせてください。」


麗香「…。」


羽澄「お願いします。」


麗香「…。」


羽澄「…っ。」


麗香「…………わかりました。」


羽澄「えっ…!」


麗香「金曜日、1万円くらい持って学校に来てください。電車で移動するので。」


羽澄「は、はい!了解であります。」


馬を和ませようとしたのか

軽く敬礼をしてみる羽澄がいました。

ただ、麗香ちゃんは

冷めた視線のまま床を見続け、

そして背を向けてしまいました。

何故、了承してくれたのか

羽澄ですら理解に苦しむのですが、

今はこの幸運に少しばかり

浸っていてもいいでしょう。

問題はここからなのです。

愛咲を見つけることができるのか。

そして、そもそも麗香ちゃんの言う

愛咲がいる場所とは、

本当に彼女がいる場所なのか。

そして、危険はないのか。


行き先くらい聞いておくんでした。

けれど、手のひらに残るこの温暖に

今は身を任せるくらい

神様は許してくれるはずです。

羽澄はきっと嬉しかったのです。

麗香ちゃんが羽澄を見てくれなかったことで、

どうでもいいと思ってくれていたことで

こうして愛咲を探しに行けるのですから。


…。

冷めた人なのだな、と

笑うことしか出来ませんでした。

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