歪みの糸

数日間涼しい日が続いていたからか

明るい朝と対面して

久しぶりだなんて声に出したくなります。

直接陽を浴びた時

頭皮を焼くような感覚を覚え、

これば夏だったと再認識。

羽澄は今日も学校に行くのです。

施設にいる多くの子供達も登校しており、

今頃施設内は閑散としていることでしょう。

きっとこの時間帯は職員の方々が掃除をしたり

行事を考えたりと思案してくれているのです。


羽澄「…。」


そして羽澄は懲りずに

また愛咲のいるであろう教室へと

足を運んでいたのでした。

気づけばという表現だ正しい。

こんな日々を送り続けて

一体どれほど時間が経たのでしょう。

そして後何回ここにこれば

羽澄は懲りてくれるのでしょうか。

自分でも釈然としないままに

教室を見渡します。

すると、移動教室だったのか

人はおらず空の巣状態。


もし、ここに愛咲がいたのであれば

一瞬で賑やかな空間になってくれるのに。


羽澄「…愛咲。」


愛咲。

その名前を最後に口にしたのは

恐ろしく過去のような気がしていました。

実際そうなのかもしれないですね。

心の中では延々と呼び続けているものだから

いつから外に出なくなった言葉なのか

分からなくなってしまっていたのです。


愛咲とは学校以外では

偶に会うくらいでした。

その時は大体愛咲の家に行って、

彼女の兄弟達と遊びながら

時にご飯を作ってもらう、というもの。

愛咲の家の事情もわかっていたので

家の外で遊べなくても

何ら問題はありませんでした。

要はお金の問題だったのです。

羽澄も羽澄で自分で使える

自由なお金という面では

中々満ちているともいえなかったので

好都合だったのですが。


彼女は大切な友達。

だからこそ、羽澄の家のこと…

児童養護施設で暮らしていることは

言えませんでした。

言わないようにしようとしているつもりは

全くないのですが、

いざ話そうと欠片でも思えば

息が詰まるような息苦しさに見舞われます。

ということは、羽澄は愛咲に

このことを話したくない、

知って欲しくないのだと

逆算的に知ってしまったのでした。

気付いた当初は

大切な友達なのに何故、と思いました。

そして愛咲の家の事情を知って尚

その疑問は薄くなるどころか

濃霧になるばかり。

そこで、理由をつけたのです。

無理矢理、理由をつけたのでした。

それこそが、彼女が大切な友達だから

という理由でした。

理由を後からでもつけるだけで

羽澄の心は何故か軽くなったのです。


そうか。

羽澄は愛咲の事を

大切な人として見れているんだ。


そう思えたからでしょう。


…だから、大切な人を守ることが

出来なかったと今になっても

落胆しているのです。

そういうことにしておきたいのです。


わいわいと喧騒に満たされてゆく廊下。

この教室にも幾分か人が

戻ってきていました。

気づかなかった羽澄自身の頭にも

自分で驚いてしまいます。

ぼうっとするのは

怖いことなのかもしれません。

時間があるほど悩みを持ってしまう。

それらから目を背けるために

部活に行ったり学校に通ったりする毎日。

逃げるように暮らしていて、

一体何が楽しいのでしょうか。


ふと。

真隣に音もなく留まる影を見かけ

不意に振り返ってみると、

そこには見覚えのある顔がありました。


歩「…。」


羽澄「な、何ですか…。」


普段正面から彼女を見ることはないのですが

整った顔立ちに真っ直ぐな瞳に

思わずたじろいでしまいました。

すると、三門さんは嫌そうに

むっと顔を顰めた後、

ひと言羽澄に言ったのです。


歩「邪魔。」


羽澄「えっ。」


歩「邪魔っつってんの。」


羽澄「ひ、酷くありませんか!?」


歩「毎日辛気臭い顔した人が2人もくるのが鬱陶しいってこと。」


羽澄「それは…。」


出会って早々邪魔だなんて

何を言い出すかと思いましたが、

蓋を開ければ至極真っ当な言い分にも

聞こえてしまいます。

ぎゅっと自然のうちに

拳を作っていました。

勿論振りかざすわけではないのですが、

にじりと汗が迸るのを感じます。


…。

2人も。

彼女のその言葉を聞く限り、

麗香ちゃんも来ている…ということでしょうか。

それともよくここを訪れる

花奏ちゃんのことでしょうか。


歩「…はぁ…。」


羽澄「…。」


歩「そんな顔するくらいならあいつどうにかしてやって。」


羽澄「あいつ…?」


歩「あの下ばかり向いてるやつ。名前忘れたけど。」


羽澄「麗香ちゃんですか?」


歩「苗字は。」


羽澄「えっと…嶺…だったはずです。」


歩「あー、そいつ。」


そうとだけ言い残すと

ふらっと何もなかったかのように

教室に帰ろうとするものだから、

羽澄は慌てて彼女の手を掴んだのです。

夏服な上今日は暑かったので

彼女も腕が見えていました。

肌色の多くなる季節だと思っていると、

唐突に腕をぶんと

大きく振られてしまったのです。

その表紙に羽澄の腕はぷらりと

まるでおもちゃのように

風を切って離れていきました。


歩「キモい離せってっ!」


羽澄「わ、わ…ごめんなさい。」


歩「……うざ。」


羽澄「あの!」


歩「何。」


三門さんは先ほどよりも

鋭い目つきのままこちらを見てきます。

こうなることなら

花奏ちゃんに三門さんの扱いを

聞いておくべきでした。

花奏ちゃんはどうやって

三門さんと過ごしているのか

甚だ疑問に感じながら、

何とか次の言葉を紡ぐのです。

そう。

愛咲がいなくとも羽澄は出来る。

怖気付かない。

…。

大人になるのだから。

これまでのように何度も何度も

そう言い聞かせたのです。

自然と、肩が震えている感覚がしました。


羽澄「…なんで、気にかけてくれるんですか。」


歩「は?」


羽澄「名前は覚えてないし、これまで通り他人として接しようとしているのに、どうして麗香ちゃんや羽澄のことを案じて伝えてくれるんですか。」


歩「そんなつもりないけど。」


羽澄「でも、羽澄にはそう見えるんです。」


歩「あそ。どうぞお好きに。」


今度こそ用が済んだだろうと

念押しするような視線を羽澄に向けた後、

彼女はそそくさと教室に入っていきました。

麗香ちゃんのことをどうにかしてやってと

言ってくれたことは、

羽澄は気にかけてくれているととったのです。

本当に無関心であれば

そんな言葉すらかけないはずですから。


冷たさの中にもきっと

微々ながら温暖はあると思うのです。

そう信じたいのでした。


羽澄「…。」


羽澄は意を決して

足を1歩踏み出しました。

それは三門さんの元ではなく、

そして愛咲の元でもなく。

…彼女の元に、

麗香ちゃんの元に。


なんて声をかけるかは

まだ何も決めていません。

諦めろというのか、

絶対見つかるからとかけるのか。

何も、何も決まっていないままに

羽澄は進んでいるのでした。


この前、麗香ちゃんに拒まれてから

怖くなってしまっていたのです。

畏怖してしまう羽澄がいたのです。

もしもまた拒絶されてしまったらどうしよう。

麗香ちゃんだって羽澄の大切な人…。

今もまだ、愛咲の大切な人だから

麗香ちゃんも大切な人…という考え方が

根付いているのかもしれません。

麗香ちゃんだけを

見れていないのかもしれません。

それでも、麗香ちゃんを放っておけない。

放っておいたら駄目な気がする。

その意思のままに足を動かして

漸くたどり着いた彼女の教室。


羽澄「…。」


何を話しましょうか。

何を伝えましょうか。

羽澄が何を言ったところで

何も変わらないでしょう。

あれ。

そう思えば少し心が軽くなりました。

発表前と同じですね。

どれだけ緊張していても、

所詮誰も聞いていないんだ。

そう思えば楽になってしまうのと

同じじゃないですか。

それは良くも悪くも

周りに期待していない、

ということになるのでしょうが、

今はそれでよかったのです。


後ろの扉から教室内を見回していると、

廊下側に少しばかり近い位置に

彼女らしき背中が見えたのです。

椅子に座る彼女、

その周りに2人の女の子。

一体何を話しているのでしょうか。


羽澄「…?」


羽澄は聖徳太子ではないので、

周りの喧騒に追いやられてゆく

麗香ちゃん達の話し声を

聞き取ることはできませんでした。

ですが、ぱっと見て取れたのは

麗香ちゃんの近くにいる2人が

暗い表情から一転、

笑顔になったということでした。


羽澄「…。」


きっと楽しい話をしているのでしょう。

ここで羽澄が入るのも違うと思い、

静かにその場を去ったのでした。


羽澄の決意は弱く脆く、

その場で砕けてしまったのです。

今頃、教室の扉の溝に溜まっています。

彼女が笑っているのであれば

それでいいはずなのです。


なのに、羽澄だけがおいて

行かれたような気持ちで

胸の中はいっぱいです。

羽澄自身、麗香ちゃんの顔を

見たわけではありません。

だから、実際彼女が笑っていたのかどうか。

羽澄には知る由もないのです。


羽澄「…あはは…。」


もしも麗香ちゃんがこれまでの生活を、

安寧の生活へと戻ることをとらず、

愛咲の影を追うことのみを

考えていたならば。

…羽澄は一体、どうしていたのでしょうか。


全てがもし、こうだったらの話。

気にしすぎることはないのです。

なのに、胸の奥では濁った澱が

ゆっくりと溜まっていっているのでした。


羽澄だけ、まだ沼に浸りっぱなしなのでした。

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