51.遭遇~戦い①
エドが持つ盾は、わたし達が什宝室に入る時に
裏側には右上・中央やや高め・左下の三か所に持ち手が付いていて、両手で持てばかなり安定しそう。
表は黒鉄の地で、菱形の中に狼の後姿のシルエットという、家紋としては凄くシンプルなカークランド家の紋章が白銀で描かれている。彫られたところに白銀が埋め込まれているので、菱の形と狼の後姿の銀色が黒地に映えている。
「これもわたしが持つと軽く感じるのですか?」
「いんや、これはただの盾だ。でも、当時は王国で二番目――いや一番は切り裂いちまったから……一番頑強な盾だったぞ」
銀狼様級――神獣には効かないじゃない!
―――だから“気休め”って言ったろ?
「エドが危ないじゃないですかぁ!」
「なぁに、蜘蛛野郎にはアタイみてえな鋭い爪があるわけじゃねえ。数撃くらいは耐えるだろ」
数撃……
ともかく、怪物のいない間に戦いの準備をする。
戦うのは銀狼様とわたし、盾役のエドの三人だと考えていたら、シドも加わると言う。
恐らく、万が一の時に最低でもエドは救い出せと、陛下から厳命されているのだろうな……
アンとブッチははるか後方に下がってもらい、数名の隊員を護衛に就ける。
残りの隊員は、谷から少し離れた位置で樹の陰に隠れて、戦闘への介入の機会を窺うそう。
「じゃあ配置に就きましょう!」
配置は、大馬の大きさになった銀狼様が最前に一体で立ち、その後ろに盾を構えたエドとシドが横並びで立っている。二人とも心臓やお腹など、胴の前方を守るだけの軽い防具しか着けていない。
盾を構えたエドは両手持ちの長剣を腰に携え、シドはすでに片手剣を抜き身で持ち、腕には丸盾を装備している。
最後尾に、聖浄殻の粉末を入れた革袋を腰にぶら提げて、槍を握り締めただけのわたしが……スカートを脱いだキュロット姿で立つ。恥ずかしさは無い。
息を潜め、谷の向こうに神経を集中させる。
しばらくは穏やかで風が木々を揺らす音や、谷底から吹きあがってくる風の音が続いたが――
谷の向こうから微かに樹の割れる音や、軋む音、しなる音が聞こえてきた。
「来るぞ」
銀狼様が落ち着いた声で言う。
そのおかげで、心臓はバクバクだけれど頭は平静を保てている。
カサカサと葉が擦れる音、ミシリと幹がしなる音、バキッと枝の弾ける音、ドシンと樹の倒れる音、どんどん近付いてくる。
そして――
ミシミシメリメリと対岸の森の切れ目の樹が大きく揺れると、その木をバネにした大きな黒い塊がビュウッと宙に飛び出てきた。
「確かに奴だ」
飛び出してきた“塊”は、空中で脚を大きく広げて滑空するように谷に差し掛かっている。
お尻の辺りの突起から、キラキラと光を反射する糸を風に
その怪物は、銀狼様の体躯の倍はあろうかと言う腹部に、それよりひと回り小さい頭部、それに大きく広げられた脚……要は銀狼様の何倍も大きい!
そして、脚! 従騎士や使用人が言っていたように、人間の手足の形をしている! 大きいけれど、形はやっぱり人間のと分かる形。
八本ある脚のうち、後ろの二対は足で、前二対は手。
怪物が自由落下するにつれて、“顔”の部分も見えてきた。
顔の正面に大きい眼が一対、その外にもう一対の計四個……顔の横にも眼が二対。
全部で八個も眼がある!
落ちていく怪物の眼が怪しく光り、わたし達を追っていた気がするが、怪物はそのまま巣に落ちていった。
「すぐに来るぞっ!」
銀狼様の一喝が入り、わたしもエド達も身構える。わたしの胸が早鐘を打つ。
エドはわたしをチラリと振り返り、わたしが盾の真後ろに入るようにわずかに移動した。
「オリヴィー、僕から離れないでね?!」
「う、うん!」
怪物が消えてすぐ、ミシィッと椅子が軋むような縄が伸びきったような、どこか不安を駆り立てる音が一度。
次の瞬間にはもう怪物が
巣の反動を使って飛び出してきたのね?
さっきと違うのは、明らかにわたし達の方に飛び出してきてるってこと!
怪物に太陽の日差しが遮られ、一気に周囲に影が差す。
わたしからは怪物が真っ黒な影となり、蜘蛛の形しか見えないけれど、その周囲の空気が紅茶に砂糖が溶ける時や陽炎みたいにゆらゆらと、しかし薄っすら黒く揺らいで見えた。
ただそれだけで身体が委縮してしまい、動けない。
もしかして、みんなこのまま押し潰されて終わる?
―――ん~な訳ねえだろっ!
銀狼様の声が頭に響いたと思ったら、エドの盾の陰から銀狼様が矢のようにビュウンッと一直線に飛びかかっていく。
その先には怪物がいて、銀狼様はそのまま頭から突っ込んでいった。
頭突き!?
銀狼様が怪物の腹部と頭部の間に頭から斜めに突っ込んでいく。
ガンッ!
硬い物同士がぶつかる音がして、すぐメチッと物がひしゃげる音も。
「「ぎゃぁー」」
くぐもった高音のユニゾンが聞こえた気がした。
おかしいわね。蜘蛛に鳴き声なんて無いはずなのに……
衝突した二体は蜘蛛が押し負け、蜘蛛はバランスを崩してひっくり返りながらこちら側の地面に落ちてくる。
銀狼様は空中で体制を整えながらストンと柔らかく着地した。
ズドン!
大きな音をたてて背中から地面に叩きつけられながらも、蜘蛛はクルリと姿勢を制御し、蜘蛛もまた地に脚――手足?――で立った。
だけど、蜘蛛にはダメージは確実に入っているようで、身体を支える黒い手足がグラグラ震えている。
「チッ! 一発で頭と胴をお別れさせてやろうと思ったが……獣をたらふく食べて力を蓄えてやがったか」
そう言った銀狼様がわたし達に振り返って言葉を続ける。
「アンタら、今まとめて呪術にかかって委縮させられてたぞ! 気合入れてたら防げたはずだぞ?」
「「呪術?!」」
あのユラユラが見えた時に掛けられた?
「ああ。こっからも、気ぃ抜いてっと呪術に引っ掛かって死ぬぞ! 気ぃだけは抜くなよ!?」
気を抜いていられない! 槍を握る手に力が入る。
わたし達は油断を排除し、改めて隊形を直す。
左手側の谷に注意しつつ、前方の蜘蛛に集中する。
今度は銀狼様が攻撃を仕掛けるべく正面から蜘蛛に向かっていくが、跳躍から爪撃に入ろうとした瞬間に、蜘蛛の全身からもう一度陽炎のような揺らめきが発せられた。今度は銀狼様に向けられている!
銀狼様に呪術がっ!
しかし、銀狼様は「チィッ」を舌打ちすると、フゥッと口から“白い息”を吹きかけて相殺した。
空中で爪撃の機会を逸した銀狼様に向かって、蜘蛛は後ろ脚の『足』四本で立ち上がり、前の『手』四本で銀狼様の身体を掴みにかかる。
「銀狼様ぁ!」
わたしが叫び終わるか終らないかのうちに、シドが猛然と蜘蛛へ駆け寄り、銀狼様を捕らえんとする右最前手を下から斬り上げた。
ジャクッ!
シドの剣が馬の胴体くらいの太さがある蜘蛛の手を斬りつけ、その半分ほどまで刃が入る。
――が、それ以上は刃が進まず、剣を引いて抜こうにも抜けなくなっていた。まさに抜き差しならない状態に陥った。
そこにもう一本の“右手”が五本指のある手のひらを開いて、シドに標的を変えて襲いかかる。
シドは剣を手放し左腕の小さな丸盾を前面に、衝撃に備えた。
バチィン!
まるで頬を平手打ちされた様な乾いた音とともに、シドの身体が森の方向に弾き飛ばされていった。
「「シドォォ!」」
わたしもエドもシドの叩き弾かれた方向に視線を移しているうちに、銀狼様がわたし達の前に戻ってくれた。
「見るべき相手が違う! アンタらは常にこの蜘蛛野郎を警戒していろっ!」
銀狼様の大呼で我に返ったわたしは、前に――蜘蛛に視線を移す。
――エッ!?
銀狼様に掴みかかっていた蜘蛛の左“手”が、二本とも千切れたように無くなっている!
「よくやったシド坊とやら! おかげで脚二本頂いたぞ」
いつの間に!
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