50.巣の惨状
森林地帯を奥に進むと、遠目から見たなだらかさとは違って斜度もきつくなり、岩石による段差も増えてきた。
「地図上の等高線で分かっていたつもりだけど……これはキツイね。馬ではここまでが限界かな」
まだ続く斜面をシドと見やりながら、エドが馬を下りる決断した。
と言っても、エドやシドはここまで来る途中、勾配のきつくなった時点で馬の負担軽減のために下馬して引いてくれていたのだけれど……
「ここから先は徒歩だけど、大丈夫かい? オリヴィー」
「えっ、ええ! もちろん。この子達にはゆっくり休んでもらいましょう」
……こうは言ったけど、実はわたしもお馬さんから下りたかったの。
なぜなら――
初めて馬に
内ももが痛いのーっ! ひりひりするのー!
―――なんだ情けないな。
エドに言わないでよ?! このこと、喋ったら一生お酒無しよ!?
―――なっ! 言わん言わん! 言わんから酒をくれ。
馬から下りても、エドに歩き方が変なのを勘付かれないように、スカートを下げて誤魔化す。スカートを脱いでいなくて良かったぁ……ありがとうエド!
「先に進みたいところだけど、日暮れも近い。平坦な場所を探して野営にしよう」
ありがとうエド!
わたしは内もも、アンはお尻が痛いので、明日は痛みが治まる事を願ってマッサージを済ませて早く休むことに。
昨日までの広い天幕ではなく、みんなと同じ大きさの天幕で休むから……銀狼様が小さいままでもギュウギュウなのは変わらなかったわ。
起きたら内ももの痛みは大分治まってくれたけれど、代わりに全身に筋肉痛がっ! 軽めだけど、なにげに辛い!
枝を杖がわりに、なんとか遅れないようについていく。
蜘蛛の糸が多くなってきた……森の奥に向かって、木々の間を直線的に伸びている。辺りを見回しても何本も伸びている。
我が家の使用人達が目撃・報告した怪物の巨大さから、綱くらいの太さの糸を想定していたけれど、そんなに太くはない。でも、縄くらいはあるけれど……
「誘導していやがるな」
銀狼様がポツリと呟いた。
「誘導?」
「ああ。アタイらは意図を持って奥に進んでっから気付きにくいけどよぉ。所どころで伸びている蜘蛛野郎の糸に“横の移動”を制限されてるみてえだ」
一見無作為に直線的に張られているだけのような蜘蛛の糸が、横ではなく森の奥への縦移動しかしないようにされている?
「それをしてどうなるの?」
「オリヴィア、そして野郎ども。おかしいと思わねえか? 昨日ここに入った時から、本来遭うべきモンに遭ってねえことを」
銀狼様がわたし達を見回して問いかける。
「動物……」
シドがボソッともらした。
「そうだ。ちゃんと言えば中型以上の動物だな。小せえのがまだウロチョロしてるみてえだが、見たか? 中型大型の動物」
……見ていない。私たちの馬以外見ていない。
でも、わたしが寝ていた夜の間に夜行性の動物が出たのでは? シド達を見てみる。
エドもシドも隊員達も首を横に振っている……
「僕たち人間を警戒したんじゃ?」
エドの問いに、今度は銀狼様が首を振る。
「いんや。アタイらが森に入る前から、いなかったのさ、嵌められて」
「嵌められて?」
「前に言ったろ? 『ヤツは、薄暗い場所に巣を巡らせ罠を張って獲物を待つ野郎だ』って。巣を巡らせてんだろうよ、谷に。で、今見たみたいに谷の巣に向かって縦の動線を作って誘導するのさ」
「ど、どうやって?」
「何か適当な動物の死骸の匂いで山の裾から肉食の動物を誘き寄せりゃあ、草食の動物は高い方――いや、谷の方向に逃げるしかねえ。横を塞がれているからな……。ま、行ってみりゃあ分かんだろ」
確かに……。あんなに動き回っていたブッチでさえ、向こうの糸とそこの糸の間しか歩いてない……
銀狼様の言う事は真実だと思う。
そう思うと、なんだか森のそこかしこから怪物に覗かれているような気がしてきて、背中がゾワゾワする……怖い。
銀狼様の言う通りだった。
斜面を登りきって谷の淵に着いて、下を覗くと……
土と岩肌の露出した急角度の崖上――わたし達のいる場所――と、谷底の間に巨大な蜘蛛の巣が、崖から落ちてくる獲物を待ち構えるように張り巡らされていた。
「うわぁ……」
すでに大量の動物達が糸に絡め取られていて、中には骨だけ糸に絡まっていたり、お腹を食い破られているものも……
凄惨な光景に皆もわたしも言葉を失っている。
蜘蛛の怪物の姿は見えない。
「いない?」
「喰い掛けの獲物をおいて遠くに行くはずねえ。もしかしたら対岸の森にも誘導線を張りに行ったのかも知んねえな」
「ずっとここに棲み付くつもりでしょうか?」
「んなわけねえ。すぐに喰い尽くしちまって、次に移んだろうさ。もっと獲物の多いトコへな」
「そんな……」
眼下に広がる残虐な光景が他の場所でも……もっと言えば、巣に掛かるのが人間に変わる可能性も……
みんなが私と同じ想像をしたのだろう。周囲を陰鬱な空気が包んだ。
「なぁに暗くなってんだよ。アタイとオリヴィアとで倒すっつっただろ!」
わたしの頭を覗いた銀狼様が言い切る。
「本当に可能でしょうか……」
「ふんっ! どっちにしろ、ここはヤツの縄張りのド真ん中だ。やるしかねえし、今は好機だ。ここにヤツが居ねえうちに準備を整えちまえ。オリヴィア」
「は、はい!」
準備。エドとシドに目を向けると、シドが頷いて部下に指示を出す。
「あれを」
「ははっ!」
隊員二人がシドの前に進み出て、それぞれが背に運んでいた槍と盾を差し出す。
◆◆◆聖浄殻を集めた時――什宝室――
「終わったかー?」
わたしとお父様がせっせと聖浄殻を集めている間、隣の執務室で惰眠を貪っていた銀狼様がひょいっと顔を覗かせた。
「はい、お待たせしました。これを粉末にしないといけませんし、お父様はお城に戻らないといけないので、この部屋はまた閉鎖してしまいましょう」
「待て待て。ついでだ、オリヴィアが扱えそうな武器を持ってこうぜ?」
武器? やっぱり銀狼様だけでなくわたしも戦うんだ……
「あと、アンタの騎士をやるっつったエド坊にも盾ぐらい持たせた方がいいだろうな。気休めぐらいにはなんだろ」
気休め……
銀狼様が綺麗に片づけられた什宝室の床を、武器が据え置かれている一角へ進んだ。
「わたしの力では、どれも重くて扱えないですよ? 武芸の心得も無いですし……」
「いいからいいから」
わたしの言葉などお構いなしに「どれどれ?」と見上げる。
「お、あったあった! 当主よ、それを取ってくれ。そう、それ」
銀狼様の目配せで、お父様が一本の槍――スピア――を頑丈そうな槍掛けから下ろした。
什宝室で大切な家宝として保管している割には、その造りはシンプルで装飾も施されていない。
それに……柄は金属なのに、穂が金属ではない? ピカピカに磨かれた白い穂だ。
「それはガキん頃のガル坊の為に、アタイの牙を使って作らせたモンだ。持ってみな? オリヴィア」
槍をお父様から受け取って握ってみると、想像していたより軽い。
聞くと、この槍はカークランド家の人間は軽く扱え、他の者は重くて扱えないという不思議な槍だという。
「アンタでも余裕でブン回せるだろ?」
そしてエドの為の盾――これは普通に重い――も選び、部屋を出る。
後でわたしに鎧は要らなかったのかな? と考えていたら、「鎧なんて動き難いぞ」とだけ言われた……
防御は?!
◆◆◆
わたしがぜぇぜぇと酷く息切れしている隊員から槍を片手で受け取ると、その隊員は「そんな……」と目を見開き、信じられないという表情でわたしと槍を交互に見ていた……
ぜったい馬鹿力だと思われた~っ!
両手で重そうに受け取ればよかったぁ!
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