44.やるしかないなら、やるしかないのです!

 

 情けなく鳴くブッチの様子を見るに、我慢の限界は近いみたい。


「アン? ブッチを庭に連れて行っておトイレさせて?」

「は、はい!」


 アンが扉を開くと、ブッチがぎこちない足取りで外へと急ぐ。

 残されたわたしとエド――銀狼様もいるけど――の間には、微妙な空気が……


「最後まで騒がしくてごめんなさい」

「そ、そんなことないよ」


 ……気まずい!

 お互いに顔を見られないまま少しの沈黙を挟んで、エドがお城に戻るというので、お見送りをする。


 銀狼様を伴ってエントランスの外に出て、エドの馬車が門を抜けるまで見送っていると、アンとブッチが戻ってきた。

 ブッチがすっきりした顔で、何やら盛んに吠えてくる。


「どうしたのブッチ? おトイレは済ませたんでしょう?」


 撫でてあげても、まだ吠えてくる。今はブッチの言葉が分からないので困っていると、見かねた銀狼様が教えて下さる。


「コイツが言うには、まだ夕方の散歩も遊びもしてもらってねえとよ」

「――あっ!」


 午前中は遊んであげたけれど、午後はまだだった……すっかり忘れてしまっていたわ!


「ご、ごめんなさいブッチ! お散歩、行きましょっ」


 外は暗くなっているので、屋敷から漏れる灯りと、アンの持つカンテラを頼りに屋敷の周囲を軽く散歩することに。

 渋る銀狼様も「そのお体での何百年ぶりかの外の空気を感じて下さい」と説得してご一緒してもらう。

 外は時折ドレスの裾を強くはためかせるような風が吹くけれど、概ね問題なさそう。


「そういえば銀狼様? ブッチのおトイレの件も散歩の件も、教えて下さってありがとうございました。人間の姿だと、ブッチが何を言っているのか分からなくて……」


 歩くのが面倒くさいという銀狼様を抱きながら、先程のことにお礼を伝える。


「は? アタイの念話を受け取れるなら、ブッチこいつの言ってることも聞こえておかしくないのにな?」

「そうなのですか?」

「あったりめえよ! さっきも言ったが、こいつらは元は狼だ。人間と暮らす道を選んで『犬』となったが、基本の言葉は一緒だ。その証拠に、変身した時は話が通じたろ?」


 だから、わたしはワンちゃんだと思っていたんですけど……


「人間の姿でも、鳴き声に乗った念は拾えるはずさね。最初は集中しなきゃさっぱりだろうけどな」

「集中……」


 わたしの投げてあげた手遊び用の革まりを咥えて、尻尾を振り振り戻ってくるブッチを凝視してみる。

 ブッチもハッハッと息をしながらわたしを見上げてくる。

 ぬぬぅーっと頭に力を入れる感じでブッチを見詰めていると……「ワン!」。


(もう一回!)


 ――き、聞こえた!


「銀狼様、聞こえました!」

「ブッチ、もう一回って言ったのね?」


(うん! もっと遠くに投げてっ!)


 ブッチの要望通り、えいっとわたしなりに遠くに毬を投げると、ブッチが勇んで追いかけていった。


「ふ~っ。変に力が入りましたけど、聞き取れました!」

「うむ。これに慣れれば、アタイとアンタのように常に通じるようになるさ」



 ブッチとボール遊びをしつつ屋敷の裏側まで回ると、遠巻きにも昼間半壊した小屋が見えてくる。

 小屋は柵で囲まれ、その外側では八方にかがりが焚かれ、警備の騎士が外向きに立っていた。

 わたし達も柵ギリギリまで近付く。


「この小屋だな? 安易に近付けねえようにしてるのか……いい判断だ」

「どういう事ですか?」

「もし中に蜘蛛野郎の残滓が残っていたら、あてられる人間が出るかも知れねえからな」

「「ええっ!?」」


 銀狼様の言葉に、わたしとアンの声が重なる。

 入りましたけど? アンが! 四、五人で!


「このアンが立ち入りましたけど、大丈夫なのですか?」

「そうだったのか。どれぇ? うん、大丈夫だ。痕跡は無い。念の為に、アタイがあの小屋に『聖浄殻』と同じ効果のある魔術を掛けてやるよ」


 銀狼様はそう言うと、「ふぅーっ」と呪文? も無しに小屋に向かって息をひと吹き。

 銀狼様の口から、冬の白息のような、でもそれよりは細く集約された柔らかな光の筋が小屋の中心に伸びて、やがてしゃぼん玉が弾けるようにふわっと広がってすぐに消えた。

 篝火の方が明るくて、わたし以外何の変化も感じられなかったみたいで、アンからも近くの騎士からも反応が無かったけれど、銀狼様は「よし」と、独りごちた。


「……“魔法”……ですか?」

「あん? 魔法は神に消されたって言ったろ。今のは光の“魔術”さ」

「でも呪文も唱えずに、ですか?」

「あのなぁ……」


 銀狼様は半ば呆れ気味に息を吐き、教えてくださる。

 魔法を使っていた神獣様が、人間と共に考え創ったのが魔術であるけれど――

 魔法は、神獣様達が体内や空気中に存在する魔素を消費して、特殊な現象を引き起こすもの。

 魔術は、体内にほんの少ししか魔素を持たない人間が、空気中の魔素だけを使って効率的に魔法現象を起こす為の方策に過ぎない。それすら使えるようになる人間は少なかったそう……


「“魔法”と“魔術”では威力が段違いなんだ」


 強力な魔法を使っていた神獣様は、人間が呪文と陣を駆使して発動する大魔術でさえ、軽く念じる程度で行使できるそう。


「体内にも魔素があるしな。くどいかも知れねえが、魔法は比じゃねえくらい強かったんだぞ?」


 神様は“魔法”という、特殊な現象を引き起こす『能力』は消し去ったけれど、魔素自体はもともと地上に存在している物で神様でさえ消せなったのだろうとのこと。


「これで明日以降、取り壊しの人員が入っても問題は無いでしょうか?」

「ああ、大丈夫だ。……問題は、蜘蛛野郎の行方さね」

「騒ぎになっているような音は聞こえてきていませんね?」


 蜘蛛が去ったという裏門の先を見やり、風に悲鳴や破砕音が混じっていないか確認する。


「あの蜘蛛野郎のことだ。習性的にすぐに誰かを襲うようなことは無いだろうよ」

「習性?」

「ヤツは、薄暗い場所に巣を巡らせ罠を張って獲物を待つ野郎だ。それ以外じゃ、よっぽど油断した馬鹿が目の前に現れない限りは手を出さねえだろう。今の時代も夜はあんまし出歩く奴はねえだろ?」


 たしかに。大都市の繁華街には夜中でも人出はあるらしいけれど、そういった場所は明るさがあるから大丈夫かも……


「だが、蜘蛛野郎がひとたび巣を完成させ、罠を張り巡らせれば、大量の“獲物”をそこに誘引してかつてない大惨事になるだろうよ。“獲物”には、当然人間も含まれる。ヤツにとちゃあ、全ての生き物が獲物だろうよ」

「生き物全てが……獲物……。止める手立ては?」

「直接やるしかねえ」

「…………」


 身体の底から震えが走る。

 それは夜風のせいではない。今日解き放たれた怪物――堕ちた神獣が、全てを食べ尽くそうとしていることへの戦慄だ。


「どうする? オリヴィア」


 銀狼様はわたしの腕の中で、首をわたしの顔に向け、見上げるように尋ねてくる。

 銀狼様の片割れたるわたしが、この『成すべき事』から降りられないと自分で言っておいて、敢えてわたしを試すように……


「正直、怖いです。ぜんぶお父様や国王陛下にお任せして、アン達と一緒に逃げてしまいたい……」


 本心よ。


「でも! そんなことでは、胸を張って王太子妃、王妃になれない! わたしを必要だと……二人で並んで人生を歩もうと言ってくれたエドの隣に立てない! 民の前に立てない! だから……わたし、やりますっ!」

「それも本心か?」

「分かりません……。でも、やるしかないなら、やるしかないのです! やります!」

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