路地裏ウォーカー

春雷

路地裏ウォーカー

 昔から路地裏が好きで、暇があればいつも路地裏で過ごしていた。休日は素敵な路地裏を探しに行き、一人で興奮したりしていた。

 さすがに僕も24になったのだから、そろそろ路地裏でぼーっと空を眺めていると、怪しまれる。やめなきゃなと思うのだけれど、どうしてもやめられない。気が付けば足を運んでいる。

 今日もアパートとアパートの隙間で過ごそうかと思い、その路地裏へ歩いていくと、先客がいた。ショートカットの女性だった。

「えっと……」

「あ、通りますか?」

 その路地裏は人が一人やっと通れるくらいの幅しかない。

「いえ、あの……」

「ここにいちゃまずいですか?」

「まずいってことはないけど」

 彼女の手には火のついたタバコがあった。ここで吸っていたのだろう。

 僕は思い切って、

「あの、僕もここにいてもいいですか、というか、ええっと、何て言えばいいのか」

「あなたもここでタバコ吸うの?」

「いえ、タバコは吸わないですけど、何というか、ただ、空を見上げてぼーっとしたりとか」

「それ、楽しいの?」

「楽しい? うーん、どうだろう。楽しい…… うん、まあ、楽しいかなあ」

「歯切れ悪いけど」

「楽しいとか楽しくないとかじゃなくて、何というか、居心地がいいというか。ここで心を落ち着ける、みたいな」

「へえ」

「うーん、やっぱり、変ですかね?」

「まあ、うん。でも人は誰しも一つくらい変なところを持っているものじゃないかな」

「変ではあるんですね」

「私からすれば、ね」

「あの、それで」

「いいよ、居て」

 それでは失礼、と言って、僕はその路地裏に本格的に足を踏み入れた。アパートの壁に背中を凭せ掛けて、ほとんど見えない空を仰いだ。長方形に切り取られた空は、薄い灰色だった。

「晴れていたらよかったのにね」

「そんなことはありませんよ。これはこれで」

 彼女も空を見上げ、空に向かって煙を吐いた。

「タバコ、やめた方がいいですよ」

「喫煙者を見るとそう言わないといけない法律でもあるの?」

「そんなに、言われますか」

「かなり頻繁にね。時代が変わったのよ」

 彼女は僕より年上に見えたものの、いくつなのかは判断つかなかった。30歳くらいだろうと思ったが、その大人びた雰囲気が、彼女の容姿とちぐはぐで、僕を混乱させた。

「君は路地裏巡りやめろって言われたらどうする?」

「うるせえって思いますね。勝手にさせてくれって」

「それと同じよ」

「すみません」

 真っ黒な猫が僕らの前を通り過ぎた。

「仕事は何してるの?」

「本屋でバイトしてます」

「就職してない?」

「まあ、色々あって。ええっと、お姉さんは?」

「見りゃわかるでしょ」

「わかりませんよ」

「バー」

「あ、なるほど」

「何がなるほど、なのよ」

「指摘されると困りますね」

「趣味は?」

「見てわかる通りですよ」

「路地裏ウォーカー」

「え?」

「私が今名付けた。あなたの職業は、路地裏ウォーカー」

 それから何度か彼女と路地裏で交流した。彼女は好きなバンドの話や、映画の話をしてくれた。大体がバイオレンスな内容で、僕にはちょっと刺激が強すぎた。

「大学は行ってたの?」

「中退です。二年のはじめに」

「どうして?」

「合わなかったんですよ、その大学に」

「サークルは?」

「オカルトサークルです」

「面白そうじゃない」

「いえ、僕は友達が強引に誘ってきたから入っただけで。あんまりオカルトに興味はありませんでした」

「ネッシーとか、ミステリーサークルとか」

「ええ。その他にも、切り裂きジャックとか、源義経=チンギスハン説とか、そういったことも扱ってましたね」

「へえ。面白そう」

「そうですかね。でも話を広げるだけ広げて、彼らは検証したり裏を取ったりとかしてなかったですし」

「そういうものでしょ。検証しちゃうとロマンがない」

「まあ、確かに」

「私も1年で中退」

「そうなんですか」

「親父が借金作っちゃってね。除籍になった。でも私は中退って言ってる」

「まあ、そっちの方が格好つきますか」

「もちろん」

 毎回、彼女と僕は自分のことについて少しずつ話した。彼女のことがだんだんわかっていくのが面白かった。その路地裏での交流は半年続いた。これからもずっと続いていくのだろうと思った。

 しかし、それは突然途切れた。

 ひどい雨の日だった。僕は路地裏へ行くか迷ったが、結局行くことにした。ビニール傘が雨を弾いた。その音が妙に心地よかった。

 路地裏へ足を踏み入れた時、僕は信じられない光景を目にした。

 彼女が血まみれで倒れていたのだ。

 傍らには血に染まったナイフを持った黒ずくめの男。

 理解が―できなかった。

 僕は傘を閉じ、それを武器に男へ飛び掛かった。思考するより先に行動していた。

「おらあ!」

 僕はその男の頭めがけて傘を振り下ろした。

 男は左腕を上げて、それを防いだ。

「誰だ、お前」

 デスボイスという単語が頭に浮かんだ。ひどく掠れた声だった。40代くらいだろう。顔は面長で、目じりに皴があった。体は鍛え上げられていて、彼が只者ではないことを示していた。

「その人の彼氏だ」

「へえ。なら、お前も死んでもらおうか」

 男は僕に向かってナイフを突きつけてきた。間一髪で避けることができた。

「お前は誰なんだ!」

 その声は怒気に満ちていて、自分のものではない気がした。

「説明する気はない」

 男は僕の腹にナイフを突き刺した。今度は命中した。

 そしてそのまま、地面に倒れこんだ。

 頭を強く打った。

 雨の音がひどくうるさかった。僕は怒りを覚えた。こいつだけは許さない。絶対に許さない。そう思いながら、僕は意識を失った。


 4週間意識を失っていたらしい。

 事件は新聞で報じられた。あまり大きく取り上げられることはなかった。ただ、週刊誌のネタにするには最適なものではあったらしい。謎が多かったからだ。今にして思えば、僕は彼女について色々知っているつもりでいて、本当は何も知らなかったのだという気がした。

 僕は新聞で彼女の名前を知った。なぜかお互いに名前を明かさなかったのだ。それは、彼女が僕をこの巨大な陰謀に巻き込まないようにするためだったのかもしれない。

 記事にはこうあった。


 バーで働いている柴崎は、以前から借金返済のために麻薬の売買に手を出していたという。それなりの収入を得て、借金も徐々に返すことができていたそうだ。柴崎は今月でこの仕事を辞めると言い出した。それがこの事件のきっかけだった。組織は柴崎を手放したくなかった。彼女が辞めれば、様々な組織が彼女を奪おうとするだろう。それは避けたい。そうした思惑から、組織は彼女に辞めないよう説得した。それでも彼女の意思は堅かった。組織は説得を諦め、彼女を殺すことにしたのである。それがこの事件の大雑把なあらすじだ。

 一方で、彼女が組織のリーダーの娘だという説もある。彼女を消すことで精神的にリーダーを攻撃しようとしたのではないかという見方だ。現在のリーダーの名前は不明の上、様々な名前を使っているから、一概には言えないが、一時期「シバ」という名前を使っていたことがあったということも、根拠の一つになっている。

 さてこの事件、闇の組織が関わっていることは明白だ。今後の動向が注目される。


 これはいい方の記事で、もっと劣悪なことを書いている記事もあった。政治家が関与しているとか、某国大統領の陰謀だとか、宇宙政府が動き出したとか、様々な意見-いや、憶測が述べられていた。


 退院した。僕はあの路地裏に行ってみた。封鎖されていた。キープアウトと書かれたテープが張られていた。

 僕はそのテープを乗り越え、中へ入った。

 胸ポケットからライターとタバコを取り出した。

 口に咥え、火を点ける。

 せき込みながら、煙を空に吐き出す。

 煙が眼に染みて、涙が出てきた。

 

 振り返ると、あの男がいた。

 僕に銃口を向けていた。

「通りますか?」

 ニヒルな口調で僕は言った。

「黙れ」

 やつが発砲するより先に、僕はポケットから安全装置を外しておいた拳銃を取り出し、やつに向かって発砲した。肩に命中した。

「ぐ」

 やつはまだ僕に銃口を向けようとするので、僕はその手を撃った。指が何本が吹き飛んだ。

「ぐあああ……!」

「死んでもらう」

 僕はやつの頭に3発撃ち込んだ。さすがに絶命したようだ。

「俺は路地裏ウォーカー。ここの支配者だ」

 最後にもう一発頭に撃ち込んだ。血がどくどくと流れ出した。

 僕はタバコを投げつけ、新しいタバコに火をつけた。

「拳銃はお前らに敵対する組織から貰った。これで俺も闇の住人だ。お前のせいで人生が狂った。許さねえからな。お姉さんを殺したことも、許してねえ」

 僕は空を仰いだ。鮮やかな青色だった。僕は煙を吐き出した。

「不味い。やっぱり最悪だな」

 僕はタバコは二度と吸うまいと思った。

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路地裏ウォーカー 春雷 @syunrai3333

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