第2話 戦線布告

 俺は彼女から思わせぶりな態度を取られた時、「割り切った関係でもいい?」と、本人に確認していた。さらに、当時のやり取りのメールもPDFで保存していた。俺は元々彼女を気に入っていなかったんだ。


 彼女に会ってたのはせいぜい月1くらいで、それほど本気になっていたけじゃない。感想は70点くらいか・・・。時々、むかつくから”お前は70点の女だ”と言ってやりたかった。旦那にとってはいい女なんだろう。だから、早く家に帰れと思っていた。


 デートの時、彼女は毎回言った。

「コロンはつけてこないでね。匂いでばれると困るから」

『この勘違い女!ばれるって何だよ。俺は好きで関係を続けてるわけなじゃいんだ』と、俺は心の中で思う。

「家に帰って旦那と顔合わせるの?」

「たまにリビングにいて、テレビを見てたりするの」

「家帰ってすぐ風呂入れちゃえば?」

「そうだけど、玄関にいることもあるから」

「え!ばれてんじゃないの?」

「そうだったらどうしよう・・・」

「どうしようじゃないよ・・・俺、困るよ。旦那に恨まれたりしたら・・」 

『君から誘ったんだし・・・、何で俺が巻き込まれなきゃいけないんだ』と、言いたかった。

「もう終わりにしよう」

「え?」

「君の旦那にばれてトラブルになると困るから」

 

 彼女は納得いかないようだったが、俺はもう連絡しないでほしいときっぱりと告げた。それで完全に彼女とは終わるはずだった。会社では顔を合わせないといけないが。俺のチームの派遣さんだったから、仕事も頼まないといけない。

 まずは、とにかく、次の契約を更新しないことにした。派遣は必要だから、いわゆるクビ。何の理由もないのだが・・・彼女は愛想がいいから、他の社員に人気があって、ファンが多かったんだ。もちろん、既婚者だとみな知っているから、純粋に会話を楽しむだけだけど。


 別れて1週間くらい経った頃、彼女が話掛けてきた。

「部長。今日、仕事が終わったら話せない?」

 復縁を迫られるのかと思って、俺は速攻で断った。周りに勘づかれないかとハラハラする。

「ちょっと見せたい物があって」

 セクシーな下着でも買ったのかなと思う。

「内容による」

「旦那にばれてた・・・」

「あ、そう・・・」

 俺はため息をついた。つくづく自分が馬鹿だったな、と思う。

 好きでもない女で、しかも、月1くらいしか会ってないのに・・・。

 旦那の妄想の中では、もっと頻繁に会ってて、両思いだということになっていそうだった。あんたの奥さんは、それ程いい女でもない、と言ってやりたかった。そんなこと言ったら、相手が逆上して、俺はアソコを切り取られてトイレに流されてしまうかもしれないが。


 一回だけでも不倫は不倫。

 あちらから見たら俺は低能な俗物で、しかも中年。

 そんな男に妻を寝取られたら、きっとはらわたが煮えくり返るほどの怒りと憎しみを感じるだろう。

 でも、奥さんから誘ったんだ。あんたが、かまってやらないからだろ?


 俺は見ず知らずの人と揉めるかと思うと、気が重かった。旦那には同情こそすれ、恨みなんかまったくないのに。運が悪いと、あちらが会社に乗り込んで来るとか、人事に怪文書を送るとか・・・そういうことも起こりえる。


 俺たちは会社から数駅離れたところで、待ち合わせることにした。

 彼女から喫茶店を指定されて、俺はそこに出向いた。

 平日の仕事終わりだった。密会する時は土日。別々にホテルに入って、部屋で待ち合わせだった。ほんの少し前なのに、あの時期が懐かしかった。何の迷いもない割り切ったつき合い。


「ごめんね。疲れてるのに」彼女は言った。

「まあ、自分の撒いた種だからね」

 これからは、そんなに好きじゃない人とは寝ないようにしようと決意する。

「実は・・・彼が作家志望っていったじゃない?」


 俺はその女が旦那を”彼”というのが、あんまり好きじゃなかった。

 イラっとする。

 彼女のキャラがそう思わせるんだろう。


「うん。で?」

「これ見て・・・」

 そう言って、iPhoneの画面を俺に差し出した。

 画面が大きくて高いやつ。

 派遣で稼いだ金は全部小遣いだろう。


 それは小説投稿サイトだった。

 タイトルは「私刑」。”妻と不倫している間男に戦線布告ー殺すまで帰れません!”と書いてあった。


「これ、彼のアカウントなの・・・。私も毎日見るってわかってて、わざとあげてるのよ」

「で、俺はどうなるの?」

「会社帰りに車に撥ねられて、気を失ったら、拉致られるの。その後は、地下室で腹を裂かれて、腸を引き出して、生きたままなぶり殺しにすることになってるの。最後は、江田さんの腸とお肉でソーセージを作って、私に食べさせるのよ」

「いや。それ、逆の方がいよくない?俺、食うよ。君のソーセージ。死にたくないもん」

「いいえ。もう筋書は決まってるの・・・だから、注意してって言いたくて」

「旦那に俺たちはもう別れたって言ってくれない?」

「いやよ・・・私はこの小説を読んだことを知らせていないから・・・」

「俺が言うよ」

「それはダメ」 

 彼女はいきなり席を立った。

「待って!」

「私、契約更新されないんだよね・・・私もう明日から会社行かないから」

「えぇ!」

 俺は、旦那に恨まれていることも、彼女が仕事を放棄するのも、両方とも困ってしまった。

「困るよ!」

 彼女はテーブルの上にあった伝票を取って、そのままレジに向かった。

 俺はショックで、しばらくその場から動けなかった。 

 

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