5

 タケルと名留、普段息を合わせない2人が奇跡的に息を合わせミカエルを殴りつけたことで天使は飛ばされていき、3人もそれを追うことで森は静けさを取り戻した。


「おー、ありゃ俺の分残されてなさそうだから追っても意味ねぇな。」


 知影は思っていた以上に冷静な態度で飛んでいったミカエル達を遠目に見送ると、森の奥へ音も無く消えようとした月華の腕をやんわりと掴んだ。


「それで?お前はいつまで俺の顔見てくんないの。」


「……私との記憶は、いつから思い出したの?」


「全部取り戻したって意味ならついさっき、ミカエルが俺にお前を殺すよう持ちかけた時だな。その前から俺と月華についての記憶は少しずつだが戻っていた。」


 知影の言葉を聞いても月華は顔を上げないが、気にすることなく知影は話を続ける。


「俺の死んだ時の記憶だけはミカエルが故意に抜き取っていたらしくてな、死んだ理由を改変してお前への殺意を高めて殺す予定だったんだろうな、まあ普通に俺が自爆した記憶のまま戻って目論見は達成されなかったわけだが。」


「……私を殺さなかったのは、どうしてなの。」


「だから、あいつがガブリエルと誤認した洗脳術だったから月華を敵として見なすことは……。」


「違う、私はあの日ちぃさんを殺した、改変でも何でもない、事実。」


 知影の言葉を遮り、月華は言い切った。


「この森にきてやっとやりたいことをやろうとしていたちぃさんを、たくさん頑張ってきたことを皆に認められてもっと幸せになれるはずだったちぃさんを私は殺した。私は貴方に殺されるべき存在、なのに……。」


 声は震え、しかし頑なに顔を上げず言葉を続ける。


「どうして私は今生きているの?私は生かされているの?」


 荒く乱れていく月華の言葉を知影は黙って聞き続けた。


「本当にちぃさんは私を恨んでないの?私がいなかったらちぃさんは死ななかったはずなのに、殺したい気持ちはないの?どうして私を殺さないの?どうして……!!」


「止まれ。」


 呆れを含んだ知影の声がとうとう月華へ叱咤の形になる。それが己を責めるものとして聞こえた月華は身が竦むのを感じた……時だった。


「もういい加減、顔見せろ。」


 ふわりと月華自身の体を浮遊感が襲った。

 突然のことに身体が竦み、状況の把握に瞑っていた目を開けると、苦笑を滲ませた知影の顔が、彼女の視線すぐ下にあった。怒りの色はどこにもない、しかし月華が見れたことによる安堵が浮かんでいた。

 彼の腕の中で抱き上げられたことに気づいた瞬間、月華は無意識に両手を肩に置く、同時に今度は知影が話す番となった。


「月華を救った意識はあれど、月華に殺されたなんて意識はねぇよ。」


「でも、だって!!」


「それにあのままいても、俺のこと気に入らねぇ連中の手で今までの素行不良やら適当な理由ブッ込まれていずれ森の管理者から解かれる予定だった。お前とも多分、ろくに話せず別れることになっていた。」


 初めて聞かされたことに、月華は言葉を失った。


「前王の威を借りて生き残ってたジジイどもが俺をどうにか森の管理から外そうとする動きはチラホラ見えていたんだ。王はそん時もう死にかかっていたし実質実権を握っていたのもそのクソジジイどもだった。お前と過ごせる時間は実質残されちゃいなかったし、どうこうできるほどの権力なんてあの日の俺は持っていなかった。」


「そんなの、知らない……。」


「こんな話、聞いてもいい気分じゃねぇし黙ってた。」


 その頃の記憶を思い返しているのか、知影は苦い顔をしている。そしてその声は少し棘があった。


「月華と森ん中で過ごした幸せを狸ジジイ共がでっちあげたクソみたいな理由で壊されるくらいなら、惚れた女守って幸せなまま死ぬのもありかって思ったのがあの日。……ただ、その後のことなんざちっとも考えてなかった。」


 その知影の表情に暗い影が落ちていき、声のトーンも落ちていく。


「死ぬ前にお前が俺の名前呼ぶの聞こえて、俺が死ぬことであんな顔したお前が残されるんだってやっと気づいて、初めて馬鹿なことしたって後悔した。もっと考えりゃよかった、俺もお前も森も守れる方法だの逃げおおせる方法だの、お前と生きるって選択を探せばよかったってな。」


「違う、その言い方じゃちぃさんが悪いみたいになってる……!!」


「ああ、俺が悪い。」


「違う!!悪いのは……!!」


「ごめんな、月華。」


 絞り出すような声で否定しようとした月華の悲壮な顔から目を逸らさず、知影は謝った後も言葉を続けた。


「此処までお前を追い詰めたのは間違いなく俺のせいだ。考えなしに自爆して、お前に見当違いな罪の意識を植え付けた。」


「ちが、う……違う、私が、私がちぃさんと会わなかったら……!!」


「俺は、幸せだったんだ。月華と過ごした日々がこのまま続けばいいと願うくらい幸せだった。」


 知影の懇願が、静かに森に響いた。


「不可侵の森を調べるだのやりたいことだのやってんのも幸せに見えただろうが、そんなやりたい放題やってる俺の側で、お前が楽しそうにいるのを感じることが、一番幸せだった。」


「幸、せ……。」


「何なら天使になってまた会えて、共に日々を過ごせてんのも幸せなんだよ。だからもう、その罪悪感は捨ててくれ、会わなければよかった、死んだらよかったとか言うな……頼むから。」


 最後に絞り出すように願った知影の声と月華を見上げる目には嘘偽りない真剣さがあり、その表情は月華以上に苦しげだった。


「……ちぃさんは、私に生きてほしいの?」


 どこまでも月華の死を、月華の存在の否定を回避させようとする知影の言葉、その声に乗った想いの正体は薄々気づいている。しかし月華は確証が得たかった。故に知影に問う。


「生きてくれなきゃ俺が転生した意味がなくなる。」


 そう問われることを待っていたかのように知影は笑った。

 すっと呼吸を深くして、それから今まで以上に真剣な表情になると月華へはっきりと言った。


「過去も今も、俺は月華を愛している。今、俺と生きることを諦めないでくれ。」


 人間だった頃と変わらない、月華にだけ向けていた優しい響きがあった。

 愛している。そうはっきりと聞き取れたそれはあの日、ミカエルと自分だけを遮断して爆破魔法を仕掛けた知影が言いかけた言葉の続きでもあると月華は瞬間的に気づいた。


「あー、なんだ、愛してるって改めて言葉にするとめちゃくちゃ恥ずかしいな……。」


 言った途端に耳まで顔を赤くすると、知影は月華を地に下ろし、月華の顔を隠すように抱きしめた。


「ってか記憶飛ばしてお前と会っても惚れたわけだから、隠しようねぇだろこんなん……後愛した女が泣き叫んだ顔見て死んだのもトラウマだってのに、愛した女殺すなんてできるか、無理だろ普通に。」


 腕はトントンとあやすように一定のリズムで月華の背を叩く。


「お前に泣かれると正直どうすりゃいいか分からねぇから笑ってほしいって言うとこだけど……今は泣いていいから、お前はもう、お前を赦してくれ。」


 知影の愛称を紡ごうとしてしゃくり上げていた月華が、その言葉を聞いた次には、知影の背中に腕を回して、抱きしめ返した。


「月華。」


 月華が転生した知影に自発的に触れたことは、今が初めてだった。月華の行動に知影は一寸驚いたが、その後耳元に聞こえた囁きで、これは彼女の肯定の意であることを汲み取った。


「……俺も。愛してる、月華。」


 知影しか聞き取れなかった月華の囁きに応え、泣き止まない月華をより強く抱きしめる。


「もう諦めることはしないから、また俺と一緒に生きてくれ。」


 森の最深部、抱きしめ合う2人が過去意にそぐわない別れがあったかつての場所で、再び結ばれた2人を祝福するように、森の木々は風を止め、静かに木漏れ日を注ぎ込んで、手放して喜べる再会の静寂を守っていた。


「そういうわけで【戦車】知影、復帰しまーす。」


 ……ミカエル襲撃から翌日、僕らが知る軽い調子で王宮のアルカナ会議室に現れた知影さんがこれまた軽い調子で挨拶してきた。人間だった頃【戦車】の名を冠する者として誂えられた紫を基調とした礼服を着て立っている。


「あの……そういうわけも何も半ばの説明が飛んでます知影さん。」


「ニュアンスでどうにかなんねぇか?説明めんどいから。」


「そんな無茶な……。」


 昨日の騒ぎがあっての今日復帰ってどういうこと?と言う顔は僕ら全員出ていたらしい、説明放棄気味の知影さんに代わって、タッちゃんが苦笑して説明してくれた。


「ええとね、知影さんが転生した辺りから復帰してもらう予定ではあって、手続きも本人確認物以外は揃えておいたんだよ。流石に俺もこんな早々にやってくれるとは思ってなかったけど……。」


「あ、元々知影さん復帰させたかったんだ……それなら早くても納得するかな。」


「最初俺がいなくてもまわんじゃねぇのって言ったのに、今代の王様が逃してくれなかったのもある。」


 さっきの軽い挨拶から一転して死んだ声と表情になっている知影さんの横で、キラッキラの笑顔を浮かべたタッちゃん。何をしたんだ……という僕の視線での質問に、律儀に答えてくれる。


「やだなコーちゃん、俺はただ説得しただけだよ。『僕らのこと覚えているの伏せてた期間がなければ、貴方がいないとできなかった研究はどれくらい進歩していたんでしょう。』って。」


「うわえげつねー、これに加えてあいつが食いつかざるを得ない条件出したな。」


「タッちゃんって綺麗なのに残酷よね。」


 悪魔コンビのヒソヒソ声は幸いにもタッちゃんには届かなかったようだ。


「何も難しい条件はあげてないよ。戦線復帰してもらう代わりに【調律の森】関係の権限は全て知影さんに持ってもらうし、生前中断していた研究や発明の再開も全て許可した。緊急時事態以外の呼び出しはしない。それから、コーちゃんのように新しい【アルカナ】を部下につけてねってことを言っただけ。」


「部下?」


 タッちゃんの説明をいまいち理解できず訝しげな僕らに反応してか、知影さんの後ろから現れる影。


「え……!!」


 その姿に名留ちゃんが、驚きすぎて声が出ない僕らの代わりに声を上げた。

 薄紫色の光沢が綺麗な、知影さんと似たようなデザインの女性用ローブを纏って此方に歩いてくる彼女の、サラサラと揺れる長い藍色の髪と紅の眼は僕らをしっかりと見ている。

 表情の読めない……けれどいつもよりも意志があるような無表情は変わらないけれど。


 新たな【アルカナ】を冠した彼女は、彼女らしい手短な挨拶を僕らにした。


「…… アルカナは【恋人】、【調律の森】調査と管理担当、月華です。よろしくお願いしま。」


「おぁあああえええええ月華さあああああああんんんんんんんんん!!!!」


 秒で涙を滝のように流しながら飛びかかろうとした名留ちゃんは月華ちゃんに俊敏に回避され、壁と抱擁することになった。


「何、月華、お前、アルカナに選ばれたんか。」


「王の人が住民権再取得のついでにと……アルカナを持っていた方がちぃさんにとって、都合がいいとも理解しましたから。」


 驚きすぎて妙にカタコトな問い方をするタケルさんに月華ちゃんは淡々と返答する。


「あぁ、うん、そういう……それにしてもアルカナ決定がランダムとはいえ【戦車】の【恋人】って何かすごい組み合わせですね。」


 僕の言葉に反応したのは、バツの悪そうな表情を浮かべた知影さんである。


「あのカード持ってんのは中立世界を統べる王様だぞ。ぜってぇ仕込んだに決まってんじゃねぇか……。」


 後ろ頭を掻きつつ更に知影さんは諦めたように続けた。


「アルカナの番号が近けりゃセット扱いで俺も月華も任務行動で離れることはないし、【調律の森】調査が主だから循環する魔力も随時安定。そんで俺が復帰することで研究だの発明だの未解決のもんも進んで双方win-win。俺が今まで騙くらかしていた借もそれで帳消し、完璧すぎて断る隙ねぇわ。」


「あっはっは、まあ騙くらかした部分は状況も状況でしたし、敵を欺くにはまず味方からっていう戦法は昔から知影さんの得意分野なの忘れて騙されていた俺達もまだまだ未熟だと痛感させられました。でも結果最適解に収まっているからよかったっていう感じですよ、俺は。」


 タッちゃんは寛容に笑っている。知影さんは呆れた表情をしているけれどまあ満更でもなさそうだから、双方の納得というのは本当のことだろう。

 何よりタッちゃんが中央世界の王に就いてから様々なことが変わって、知影さんが復帰するにはいい環境にもなっている……もしかして復帰時期とか割と計算してたかな?タッちゃんってば。


「計算ばかりで動けてたらもっと早いことこう言う収まりついてたよ。」


「……僕の思考読むのはやめてくれないかな。」


「ははは、ごめんごめん、こう言う時のこーちゃんはわかりやすいから。でも、知影さんって名乗った天使が、俺達を指導してくれたあの『知影さん』なら……って考えて整えていた部分もあるから、それが当たってよかった。」


「ああ、転生した時からまんま知影さんだったけど、本当に僕らの知る知影さんかは確証得られなかったからね。」


「うん。」


 タケルさんと何やら言い合いを始めた知影さんを見つめながら、僕達はほっと笑った。

 前と同じように言い合うあの人は、僕らが知る知影さんで、でも気力のある光があって、その光景を無表情ながらも見守る月華ちゃんの目は、悲しみと無気力の染まった色じゃなかった。

 漸く本来あるべき日常のようになったような、そんな安心感をタッちゃんも思っているんだろうなと、僕を泣きそうな声で呼ぶ名留ちゃんに返事をして思った。


「ちぃさん。皆に天使の名前、言わなくてよかったの?」


「聞かれてねぇから言わなくていいと思った。」


 ……復帰報告を兼ねた顔合わせを終えた2人の帰路。月華が不意に知影へと問う。主語がなくても何の事かわかっていた知影はそう返答した。ぶっきらぼうな口調だが月華はさしも気にしてない。ゆっくりと歩く2人の手はしっかりと繋がれていて、一見すれば恋人同士の他愛ない会話風景である。


「天使としての名前が今は真名だけど、契約ないから心愛さん達に知られても影響はないはずだよ。」


「分かってはいるけど、『知影』の自覚が強すぎて天使って感覚がねぇんだわ。何より知影さんのが馴染みあるのと、ちぃさんってお前に呼ばれんの気に入ってるし、いっかなーって感じ。」


「そ、れは、もう、ほんとだって分かるけど、別に理由あるんじゃないのかなって。」


 天使になったことで視界から得られる情報も増えた知影には、自分の言葉で月華が顔を赤くしたことは夕闇でもしっかりと見ることができた。敢えて追及しないのは、そうすると月華は顔を隠すと分かっているから。彼女が細やかに表情を変えることを眺めるのが好きな知影はそう踏んで、黙ることを敢えて選んだ。


「まあ、別の理由は確かにある。」


「やっぱり……何か、不都合なことなの?」


「いいや、俺のただの我儘。」


 その代わり問われた理由をしっかりと答えた。


「天使としての名前を教えたのは、月華だけだ。」


「え?」


「あの時天使としての名前言ったの、あれが初めて。そん時すぐ、それを呼んでいいのはお前だけがいいって思った。」


 驚きに立ち止まる月華を覗き込む。


「天使『シェムハザ』として生まれ変わったのは元を正せばお前といたいからって理由なのに、お前以外がその名前呼ぶのは何か違うだろって思って言わなかったのもある。」


「……どうしよう、今、嬉しいって言葉以外見つからない。」


 月華は俯いて、一瞬だけ知影から表情を隠した。


「私の中ではちぃさんは……ちぃさん、だけど……シェムハザの名前も呼ぶ。」


 ぱっと見上げた月華の目が柔らかく緩む。知影が最も好んでいる表情で、彼女は告げる。


「『知影』と『シェムハザ』、どっちも大事だから、『シェムハザ』は私とちぃさん、2人の時の、大事な名前にしていい?」


「……ああ、それがいい。でもどっちかっていうとちぃさんのがいいな俺は。」


「どっちで呼んでも応えるの?」


「そりゃ愛した女が呼ぶからな。」


 茶目っ気を含んで笑う知影は、その表情に喜色と愛しさを隠すことはなく、見上げる月華もまた同じように、そしてかつて在った日よりももっと幸せそうに笑い返したのだった。


『調律の森全枯渇により魔力、神通力、超常能力に該当する現象消滅の予言、成就ならず』

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