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「ね、ねぇ心愛ちゃん……月華さんは何を言っているの?」


 ミカエルと、月華ちゃんの話は真下にいる僕らにも聞こえていた。この事態何もかもが月華ちゃんの考えていた通りだということも完全に理解してしまったのだ。


「meの聞き間違いじゃないなら月華さんは死ぬために今ここにいるってことになる、よね?」


「ああ、随分と計画的で手の込んだ自殺方法だ。【調律者の誓い】は……月華が【声無しの魔女】だったお袋から聞いたっていう……魔力調律者として使える【願いを具現化】する唯一の魔法ってのは確かだし、ハッタリでもなさそうだ。」


 タケルさんは全てを知っていたような凪いだ眼で、戦う月華ちゃんを見上げる。


「どうにか止められないの!?ねぇ、おじさん心愛ちゃんこのままじゃ月華さん死んじゃうよ!?」


「あいつの魔力を使う技術は天使の父親仕込み。そんでもって魔力の質は【声無の魔女】の母親譲り。下手に破ろうとしたらこっちが死ぬ。手出しできねーんだよ。」


「ねぇそんなこと言わないでよ!!何で月華さんが死ななきゃいけないの!?止めようよおじさん、心愛ちゃん!!」


 名留ちゃんが叫ぶ。わかっている、頭では止めるべきだとわかってはいるのだけれど。僕の気持ちをタケルさんが代弁する。


「止められるわけねーだろうが。月華はそう【したい】と選択した。他でもない、自分の意思で。」


「……そ、れは……!!!!」


 僕らの戦う理由を忘れるほど、名留ちゃんは馬鹿じゃない。僕らは、人が己の意志で選んだ選択を、例え結末が悲惨なものと見えていても、結末を見届けることしかできない決まりだから。


「月華ちゃんが選んだ選択肢を変えられるのは、知影さんだけだ。」


「でも今のちーちゃんじゃ……っ!!」


「そうだね、様子がおかしいね。探ろうにもあの結界は外部からの魔力干渉の一切を遮断している完璧なもので探れない。洗脳魔力の判定も難しい程にね、此方から今の知影さんが敵味方かどうか判別できない。」


 そう言いながら僕は真上を見上げた。2人の鍔迫り合いが繰り広げられていて、魔力を通さないよう遮断された空間からものを推測するしかない。

 獲物を手斧にして月華ちゃんの剣をいなしている知影さんの力加減は、結構本気に見える。天使になった知影さんが月華ちゃんと戦ってどのくらい戦えるかわからないが、それを差し引いても知影さんから手加減は伺えなかった、一方月華ちゃんの動きは無駄がないし隙も無い、ミカエルを追い詰めた実力も惜しみなく出している。でも知影さんが本気で此方に向かうことを待っているようにも見えていて、どちらも本当に敵同士の戦いにしか見えなかった。


「……どうしたって今の僕らにできることは、最悪の回避が起きることを祈ることだけだ。」


 目の前で起こっていることを僕も認めたくない。名留ちゃんの顔を見れなかった。今、きっと理不尽だという顔で僕を見ているだろう。

 僕だって本当はどんな力技を使ってだって止めたい。けれどそれは彼女という人間を否定することになるし、僕らがやってきたことを否定することにも繋がってしまう。それが天使と悪魔両者の目的でもあるなら、僕らが感情のまま動くことは得策でも何でもないのだ。この推測は名留ちゃんには話さないことだが……きっとタケルさんは分かっている。今ほど、僕らの立場というものが煩わしく思う日が来るなんて思ったことはなかった。


「っやだ、やだ!!月華さん!!!!」


 名留ちゃんの悲鳴が上がった。2人の所へ飛び上がりそうな名留ちゃんをタケルさんが肩を押さえて必死に止めているのが視界に入る。それと同時にバキン、という盛大な破壊音に驚いて視線を上げた。

 僕らの視界に飛び込んだのは、月華ちゃんが作り出した氷の剣が壊されて、知影さんの手斧が彼女の首元から斜めにかけて切り裂こうとしていた瞬間だった。


「月華さん!!!!」


 タケルさんに抑えられながらも飛び立とうとする名留ちゃんが泣き叫んだ。

 月華ちゃん程の実力なら、壊れた氷を再凝固させて盾なりなんなりすればいいのに、彼女は何もしなかった。知影さんの攻撃を防ごうなんてしない。むしろ嬉しそうに顔を綻ばせ……見ようによっては笑顔にも見える表情を浮かべて一切の行動を止めた。


「……ありがとう、幸せになってね、ちぃさん。」


 首元へ迫る斧、月華ちゃんは目を伏せるとその衝撃を受け止めるように両腕を広げた。


「……ったく、無防備なのも程々にしとけってなぁ!!」


 ……その後の光景は、誰もの予想を裏切ったものだろう。


 知影さんの斧は月華ちゃんの身体を切り裂くことはなかった。元々空いていた知影の手が無防備な月華ちゃんの腕を捕まえ引き寄せるともう片方で振り上げた斧を刃の形をそのままにしたブーメランへ変形させて、月華ちゃんを片手で抱えた知影さんが身体ごと腕の向きを転換させて投擲した。

 今まで何の表情も窺わせなかった瞳が明確な殺意を宿して定めた狙いは、呆気に取られた顔のミカエルだった。

 あの子の張った結界は、内部から使用した魔法などは通過するらしく、ブーメランは結界をすり抜けて飛んだ。不意と隙が物凄くあったミカエルは、その迫る豪速球ブーメランを腹部へ綺麗にめり込ませ体勢を崩した。残念ながら赤い甲冑があったせいで刃は刺さることはなかったけれど。


『ぬぐぃっ!!!!』


「ちっ、流石天界の鎧はかってぇな。腹部貫通まで行かなかったか。」


 残念がっているが、大天使装備の鎧が砕けて欠片がポロポロ落ちてきている辺り知影さんの投擲力と腕力は現役以上のものだと分かった。


『っ、な、ぜだ、何故だ何故だガブリエル!!!!貴様がその力を持っているということは、貴様はこちら側のはずだ!!』


「あー悪い悪い、俺って殺したクソ天使野郎の顔と名前と恨みと殺意はきっちり覚えてるのは当たり前だけどよぉ……。」


 知影さんは腕の中で固まっている月華ちゃんを抱き寄せて、不敵に笑った。


「命すら投げ出せる程愛する女だって全部覚えてる、超ー優秀な頭してんだわ。」


「ちぃ、さん……?」


「はーしっかし……月華も死ぬ気満々だったから軌道修正かけるタイミング何処にするか焦った焦った。」


 月華ちゃんを抱え上げたままで、いつもの調子で軽口を叩く知影さんがこちらに降りてきた。僕らのこと見えていたらしい。

 先の結界は張っていた月華ちゃんが放心したためにブーメラン貫通と同時に霧散していて不思議なドームは消え去っているし、青い空が広がっていた。


「どうして……記憶、思い出して、違う……覚えて、いた……?」


 困惑いっぱいの表情で見上げる月華ちゃんの問いに応えようとして、しかし風を切り地に着地したもう一つの音に知影さんは不快の表情で顔を歪めると視線をそこへ戻した。


『どういうことだガブリエル、貴様はその魔女を殺すために私がわざわざお前の魂とガブリエルの魂を使って!!【魔女殺しの大天使】として蘇ったのではないのか!!』


「目覚めて一番先にお前見て黙ったままだからって、普通味方認定勝手にするか?単純馬鹿か?いやそうなってくれればいいかなーって思って黙ってた部分もあるけど、こーんなさっくり引っ掛かってくれるとは流石のちー様も思ってなかったわー。」


『引っかかって……?おいまさか、お前、最初から謀って異たのか……!?』


「そ、ある程度こうなるなってのは予想して、テメェ追い詰められるよう動いてたんだよ。」


 知影さんがサラリと肯定し、更にミカエルへ言葉を投げる。それは僕らにも予想だにしなかったことだった。


「そもそもな、俺を【ガブリエル】って認識してること自体間違ってんだよ。」


『……は?』


「確かに俺は【ガブリエル】から力を貰ってこうなっているし、今使っている力も実質天使のもんで正解。ただ、これは【ガブリエル】の純粋な力じゃねぇ。【ガブリエルの魔力がベースになっている天使に似たような力】を、俺が色々こねくり回した俺自身の力だ。」


「……いや、待て、しかしその水の魔力、私と匹敵するほどの浄化の力は間違いなくガブリエルで……。」


「ってか覚えてねぇのかよ、【ガブリエル】が何でてめぇらの陣営にいねぇ理由に月華の父親が一体誰だったか、わざわざ自分の娘殺すわけねぇだろうが馬鹿かよ。」


 知影さんが呆れたように放った言葉が、僕にとって全ての謎をつなぐ鍵になった。


「……つまり、知影さん自体別の天使ってことになるの?!」


「確か親父はまだ生きている……って月華の奴言ってたな?」


「う、ん、同じ世界にガブリエルが2体存在することができるかどうかはおいておくけど、もしも月華ちゃんのお父さんが知影さんを生き返らせるために力を貸していて、その時ガブリエルの魂じゃなくて魔力だけ分けて知影さんを【別の天使として転生】させたって話なら、洗脳されない理由の辻褄が合う!!」


「ええ、ええとこれは?逆転勝ち近いってこと?meちょっと意味がわからない……。」


 宇宙に浮遊する生命体みたいな顔している名留ちゃんに、タケルさんが短く言った。


「要は知影のやつ、ガブリエルと月華の親父が元来持っていた力を混ぜたもんで【ガブリエルじゃない天使】として生まれ変わった、ガブリエルとして支配下に置く洗脳だのしても天使としての真名じゃねーから無意味だったってことだ。天使式の洗脳手順は知らねーけど、支配下に置くって点においては悪魔も天使も関係なく真名が必要だ。」


「加えてあの口ぶりからして、知影さんは蘇った時からミカエルに相当恨み持っているみたいだし、貰った力をベースに色々やってたんじゃ……。」


 僕らがこちょこちょ言っているのはどうやらミカエルにも聞こえていたらしい、動揺した震えた叫びが木霊する。


『じゃあ、じゃあ何か、僕はお前らの掌で転がされていたわけか!?お前は、貴様は、魔女に与していたってことか!?そういうことなのか!!』


「は?てめぇが勝手に転がってたんだろ。」


『クソクソクソ!!誰が貴様を蘇らせたと思っているんだ!!誰が!!お前の!!魂を使って!!』


「てめぇじゃねぇのは確かだな。」


 激昂するミカエルに、知影さんは否定の言葉と振り上げた拳をセットにして叩きつけた。激昂するごとに膨れ上がる炎が森を焼きかねないと判断したらしい、握られた拳には水の渦が巻き付いていてる。


「俺を転生させたのは2人。1人はまあ本人希望で伏せとくが、もう1人はさっきも言ったな。【ガブリエルの魂を持っている堕天使】、月華の親父さんだ。何の前後があったか知らねぇがてめぇは天使の修復場にいた俺を見て、ガブリエルが蘇ったと勘違いして真名を確認せずそのまま俺を駒にしようとして失敗したのを気付かずに、月華とテメェのことどうにかする策を俺は悠々と練っていたわけだな。」


『あああああ!!!!うるさいうるさいうるさい!!!!我が蘇らせたと言ったらそうだといえ!!貴様はこの魔女を殺すことが役目なんだよ!!思い出したのならわかるだろう!!誰のせいでお前が死んだのか!!』


 僕の後ろで、月華ちゃんの息を呑む音が聞こえた。その瞬間。


「うるっせーのは……。」


 タケルさんと知影さんを横切る黒い影。その手には巨大鎌。目に怒りの炎が煌々と宿った名留ちゃんがミカエルの首へ鎌を振り上げた。


「テメェじゃボケがああああああああ!!!!」

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