選択、その末路

1

 今よりずっと前の日のこと。名留ちゃんと出会う直前くらいだろうか。


 テーブルと椅子しかないアルカナ作戦会議室にタッちゃんから呼び出しを受けていくと、僕とゲッテン、リクロー、そして月華ちゃんにタッちゃんがいた。呼び出したのはタッちゃんだが、主に話があると言うのは月華ちゃんだった。

 あの森の日から会っていなかった月華ちゃんは感情が完全に死んだ顔をしていて、華奢な体つきが更に華奢になっていたのも覚えている。


「近いうちにミカエルが再び森への侵略を開始します。その時、皆さんは森に来ないでください。」


 僕をみた後月華ちゃんは間髪入れずとんでもないことを言い放った。本当、今でもとんでもないって思うけど、でも僕らを見据える瞳には長く宿っていなかった月華ちゃんの強い感情、覚悟、意思があって馬鹿なことをなんて言えなかった。


「この戦いに皆さんは手出しはしないでほしいんです、ミカエルとの交戦は私が、全て1人でやります。」


「ちょ、ちょちょっと待ってよ侵略わかっているのに職務放棄をあえてしろって言われても……!!」


「ミカエルと戦うことが私の選んだ【選択】だと言ってもですか。」


 リクローが焦った表情を浮かべるが、【選択】、という言葉に何も言えなくなる。


「私がミカエルを1人で相手取ることは、私が考え、選んだ道。貴方達の力を必要としないことも、私の選んだこと。」


「俺達【アルカナ】は生きる者の選択を阻害してはいけない、そう言う掟だしね。分かってて俺達にそう言ったんなら結構狡賢いねぇ……一個人としては納得できないけどね。」


 ゲッテンが苦い顔で呟くと、月華ちゃんは小さく頷いた。


「貴方達に悪い結果にはならないようにします。だからどうかその日は何もしないでください。」


 皆苦い顔をしている。納得も賛同もできない僕は思わずタッちゃんを見やった。決定権を唯一持つタッちゃんは僕らの視線を受けて苦笑を浮かべると、月華ちゃんに優しく聞いた。


「その悪くない結果っていうのは、知影さんのことも含んでいるのかな?」


「そのことについて貴方はもう見通して全てを知っているはず、ならば教えなくてもいいでしょう。」


「はは、これはこれは結構キツい返答だ。でもこの世界を預かっている【王】としては、仮にも住民を戦火に立たせるなんてのは見過ごせないんだけど?」


 タッちゃんは引かなかった。王の顔を崩さずに月華ちゃんを止めるための言葉を並べていく。


「月華ちゃんが戦えないとは思っていない、でも君は天使や悪魔と戦う力を示された者が授かる名、【アルカナ】がない、例え強かろうが、名を持たない君がミカエルと戦う資格はない。」


「ならば、守るべき住民でなくなればいい。」


 月華ちゃんが懐から出したのは、森の管理を任すまで証明書として渡した住民証明のペンダントだった。月華ちゃんの手でそれはあっけなく、音も立てず目の前で粉々になった。


「これで私は住民じゃなくなった、ただあの森にいる者。何をしようと、どうしようと自由ではある。そしてそんな私の選ぶ道は、もうここで宣言した。」


「なるほど、でもここで証を壊すのは悪手だったね。【アルカナ】が揃っている今、不法侵入者である君を力ずくで【中立世界】から追放できる。」


「今それを行うことで、貴方達が頼っている魔力がなくなると知っても?」


 彼女の即答に、タッちゃんの空気がピリッとしたものに変わった。僕らもどう言うことかと問いたい気持ちにあったが、月華ちゃんは淡々とした姿勢は変わらないまま答えてくれた。


「調律の森へ集う魔力のコントロール、その権限はまだ私が持っています。今私がこの世界から消えたら貴方達が頼っている魔力を安定して作れなくなる。私が来る前には戻らない。森に私が認識された以上、そうなってしまったの。天使と悪魔と戦って生き残るならコントロール権限の継承をした者を残さないといけない。」


 声量を抑えているのに、月華ちゃんの声は静かな会議室をよく通る。話の内容を理解すればするほど機密がすごい気がするのに、淀みなく僕らに教えているということは、もう決意は固いのだろうとも思わせた。


「……はあ、君を簡単に止められないとは思っていたけど、継承のためにミカエルと戦うまではしなくていいんじゃないの?来るって限らないんだから。」


「ミカエルは私を殺すためなら何だってすると思います。それこそ姿を見せることもやるだろうし、知影さんを利用することも考えているとも言える。」


 タッちゃんの問いに淡々と答えていく、月華ちゃんは何を質問されているのかを分かっている態度を崩さない。


「私の持っている性質はミカエルが尤も苦手とするもの。実力も渡り合える程はあります、中立世界に侵攻ができないくらいには再起不能にできます。」


 月華ちゃんの答えに、僕は1つ思い出したことがあった。


「そうか、君のお父さんは大天使……だったね。」


「はい。父ガブリエルはミカエルと匹敵する、或いは凌ぐ力を持っていたとも聞いています。父の性質を受け継いでいて、母の力も持つ私ならミカエルを追い詰めることが出来ます。……本当は、この手で殺したいけれど。私の目的はそこじゃない。」


 月華ちゃんは初めて俯いた。


「本当の目的である調律の継承を優先させるには、ミカエルを追い詰めるしか出来ない。そして継承する人は、ちぃさん……知影さんです。森の権限と私の力全てを、その日知影さんに渡す。ミカエルが此方へ来ることを防ぎ、知影さんは生き残って研究を続けることができて、私はあの日救われた命の恩を返せる……何も、悪いことはないです。」


「……なるほどね、あくまであの日のこと……ミカエルのことを自分がどうにかするっていう姿勢に、追放のカードへの切り札も用意済み。そして中立世界のデメリットがほぼない選択肢とは言える、そして君が知影さんと生きるという選択肢がないってこともよく分かった。」


 タッちゃんはふーっと長く息を吐いた。ため息だ。


「特別にミカエルとの戦闘を許可しよう。」


「タッちゃん!?そりゃあんまりじゃ……!!」


「ここまで準備されてたら反対なんて出来ないよ……ただ月華ちゃん、一つ聞いていいかな。」


 ゲッテンが抗議しようとしたのを制して、タッちゃんが月華ちゃんへまた問うた。


「このこと、今の知影さんは知っているの?」


 月華ちゃんはすぐに首を横に振った。


「……知りません、私のことなんて何も知らなくていいんです。」


 そして言葉を続ける。そして上げた顔に浮かんでいたその表情と。


「不幸を運んだ私のことを忘れているちぃさんは、これから幸せなことしか覚えてなくていい。」


 同時に溢れた言葉は、悲しいほどに彼女自身の幸せな色を帯びていた。


 ……そしてこれは、彼女とある者だけが知る話。

 どこからともなく流れては白くなり、上空へ消える色とりどりの光。上空へ登る白を作り出すのは魔女と呼ばれる予定の存在。

 光、基魔力を調律として白く戻しまた別の世界へと送り出す。彼女に課せられた使命は、やり続けることで自分の存在が知影の死によって生かされたことを思い出させる。引き摺られて思い出す心の痛み、泣き叫びたい衝動を抑えるために無心になることを覚えた月華は、同時に全ての感情の出し方も抱き方も忘れてしまった。

 今日も生気のない眼で別の世界へと流れていく魔力を眺める。終わりはいつくるのだろう、いつものようにそう馳せて終わる……ことは、その日できなかった。


「何か用ですか、天使の人。」


「流石……っていう感じかな。あ、断っておくけど、俺は君を殺すとかそういうことしにきたんじゃないよ。」


 全てを見送った月華の後ろに立つ1人……一見すればただの男へ、月華は臆することも振り返ることもなく声をかけた。

 彼女は天使と言ったが男に象徴たる羽はどこにもない。『魔力が最も濃く普通なら踏み入れることすら不可能な最深部に、平然と立つ』その姿は、心愛達からは『メイさん』という愛称で親しまれている男だった。しかし月華は彼を名前で呼ぶことはしなかった。


「うん、ここは俺でもきつい場所だし、まどろっこしいことは無しで用を言うよ。知影くんを蘇らせる方法があるんだけど君はやるかい?」


「……ちぃさんを……生き返らせる……。」


「ただし代償がある、彼は君との記憶を失い天使として蘇ることになるだろう。もしかすると君を殺す存在にもなる。」


「そんな代償とも呼べないもので、ちぃさんは生き返るんですね。」


「……その言い方、蘇らせて構わないと、とってもいいようだね。」


「そんな安い代償でちぃさんが生き返るならいくらでも払う。」


「安い、ねぇ……君と知影くんが過ごした日々を、そんな風に言い切ってしまって本当にいいのかい?君への記憶も想いも消えた状態で、しかも敵対してくる可能性もあるのに。」


 少し意地の悪い声で月華へ問うメイは、振り向いた月華の表情を見て悟る。


「私と出会わなければ、ちぃさんがあんな死に方をすることはなかった、ちぃさんは私がいなければ人としてもっと幸せに生きていられた未来だってあった。それを壊したのは、私だ。」


 メイを見据える月華の目に煌々と光るのは昏い光、死の覚悟だった。表情は動いていない。それでも目だけはその光で悲しいほどに煌々としていた。


「ちぃさんが私を忘れるだけで蘇るなら、私の存在なんて必要ない。私を殺すことで幸せになるなら、私の命だって、要らない。そもそもこの命だって、ちぃさんのものだから。」


「……なるほど、これは本気だねぇ。」


 わかってはいた、何故ならメイは彼女の両親を間接的に知っていたから。

 月華の両親が選んだ道、歩んだ軌跡を知っていた。故に互いの血を受け継いでいた娘の、誰かを愛する気持ちは想像通り強いもので、彼女の母親の性格である、己のことは平気で犠牲にできる危うい部分も受け継いでいた。だが月華が示した覚悟は、メイが持ちかけたこの話には必要なものだった。


「……その覚悟、確かに聞き届けたよ【声無の魔女】殿。彼は責任持って俺が蘇らせよう。」


 聞き届けたメイはその背中から羽を生み出す。すっかりと夜になり深い暗闇に包まれた森の中に、柔い金色の光が広がる羽から発せられた。


「その選択の行先が、幸あるものとして祈っておくよ。」


「私の幸せよりも、ちぃさんの幸せを祈って。」


「ははっ、ブレないところも『そっくり』だねぇ、……いいよ。」


 見上げる月華が遠くなる。彼女の強い瞳の光を胸に焼き付けながら、1人の天使はその魂が眠る場所へと飛び立った。


「さて……お節介かもしれないけど、ハッピーエンドでも目指しますか。」


 そして、その日は訪れた。


「なあおい、お前どうしてそんな顔しているんだ。」


 いつものように無感動で各世界へ巡る魔力の光を見上げていた月華に、1枚の羽と共に声が降ってきた。


「あんな綺麗な光景を出してんのに、何でお前は悲しい顔してんだ。」


 久しく聞いていなかった、そして聞きたかった男の声に月華の心が動揺したのは一瞬で、誰の声かがわかった瞬間には、泣きそうな気持ちが一気に込み上げた。


「……ってか、姿見えてねぇやつに話したくねぇよな、ちょっと待ってくれ。」


 光の大樹の横、普通の木々からガサガサと音がすると、羽が広がった男の全貌が月華の前に降りてきた。白い羽が2対広がり、目の色が天使の持っているものに変わったいた、それ以外は月華が見た最期と寸分変わっていない彼の姿だった。


「俺の名前は知影。一応この世界の人間でここの森の調査をやっていたはずなんだが、気づいたら敵の天使になってどうすりゃいいんだかわからねぇ状態だ。なあ、お前名前は?いつからここにいるんだ?」


 バツの悪そうな表情を作って自己紹介をする知影を見上げ、まず月華は己の名前を告げようと、詰まりそうになる喉を必死に動かした。

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