5


「タケルさん相殺を!!」


「わぁーってる!!」


 炎が完全に結界全体を包んだ瞬間、すぐタケルさんに相殺を頼んだけれど結局燃え切るまで結界はうんともすんとも破れなくて、ようやく破ることができた時には、知影さんもミカエルもいなくなっていた。

 あれだけ燃えていたのに地面は青々とした草原が残っていて、知影さんの【特定のものだけを消滅させる】術の研究成果が皮肉にも成功したことがわかってしまった時でもあった。

 周囲を見ただけでも被害にあったものは何もなく……いや、森が不自然に騒めき始めていた。


「月華、ちゃん?」


 その中心にいるのは月華ちゃんだった。座り込み、俯いた彼女を中心に魔力が……そう考えたところで、その時の僕は突然立っていられない程に体が重くなって倒れ伏した。

 その頃は何が起こっていたのかわからなかったけれど、改めて見ると……地面にあった草が徐々に枯れていくのが見えて、彼女がこれから何をしようとしているのか今の僕ならはっきりわかる。【調律の森】に満ちる魔力全て利用して、知影さんを生き返らせようとしているのだろう、ただあの時の僕は月華ちゃんに集まる魔力に翻弄され、立っていられずその場で蹲るしかなかった。


「心愛!!!!」


 タケルさんが僕を抱き起こして自分の羽を一枚引きちぎると燃やして、薄いベールを作り出した。


「アルカナ【審判】の、名に置いてっ……!!」


 あれは結界だったんだな、と思う、契約主を守る結界なら得意とタケルさんは言っていたから、その中に入った僕はタケルさんに告げた。


「……っ、アルカナ、【悪魔】の制限を……解除、する!!お願い、月華ちゃんを止めて、お願い……!!」


 身体が重くなったせいで言葉も途切れ途切れな状態だけど、うまく解除できたようだ。タケルさんは僕の顔を見て、真顔で頷いた。僕を静かに地に横たわらせると今度は月華ちゃんへ走り寄った。


「おい月華やめろ!!落ち着け!!」


 珍しく他人の名前を叫んで、彼女の側に寄ろうと足を踏み出した。けれど魔力の圧が強いせいか、なかなか足が動かない。一歩踏みしめてはタケルさんは説得を試みようと叫ぶ。


「いらない、要らない。」


「魔力の暴走を止めろ!!今の思ってるままに使ったら、取り返しつかなくなるぞ!!」


 タケルさんの言葉が入ってこないように、月華ちゃんを中心に魔力の渦は白く、強力な風圧と共に暴れていって止まらない。周りの木々は緑を失い始めていた。


「どうして私は生きているの、どうして生きなければならないの。」


 座り込み、俯いた月華ちゃんがどんな顔をしているのか今の僕もこの時の僕もわからない。でも、声は変わらず悲哀に塗れていたから彼女の感情の想像はつく。


「私がいなければあの天使がくることはなかった、ちぃさんが死ぬことなんてなかった。」


 空は変わりないのに、森が枯れて生命が死に絶えていく情景が出来上がっていく、月華ちゃんの悲しみと呼応するように枯れる草木を見て、彼女の影響力の強さが身に染みてわかった。


「私の命なんて要らない、ちぃさんを犠牲にした生き延びた私の命なんて!!いっ……!!」


 決定的な瞬間になるだろう月華ちゃんの言葉が全て形になる前に、ばちん!!と強い衝撃音が鳴り響いた。


「その言葉を今言うのは、俺が許さねー。」


 音の正体は月華ちゃんの頬を張り倒したタケルさんだった。あまりにも強すぎた魔力の渦をそれでも一歩ずつ踏み締めて突破したということは、あの時僕が制約を解除してタケルさんの力を強めた判断は間違っていなかったらしい。それでも、彼が踏み締めた跡は血で染まっていたし、足も切り傷とかでボロボロだった。それでもタケルさんの顔は疲労や痛みは見えず、怒りでギラギラと光っていた。


「死ぬも生きるも勝手だっていつもみたいに吐きてえが、今死を選ぶことは絶対に許さねー。」


 頰を腫らし、しかし呆然とする月華ちゃんの胸ぐらを掴んで怒気を強めた。


「あいつが命かけて繋いだもんを、今すぐ投げ捨てることだけは!!絶対に許さねー!!」


 タケルさんの言葉に、月華ちゃんははっと、我に返ったような……そんな表情になる。


「……ちぃ、さんが、繋いだ、命……。」


 タケルさんが胸ぐらから手を離すと、月華ちゃんはまた地面にへたり込む。先程の狂ったような力の暴流は収まっていて、静かな……しかし冷たい雫が空から落ちてくる。項垂れる月華ちゃんにタケルさんは、また言葉を落とした。


「ああそうだ、あの馬鹿が、てめーに生きてほしいって願って繋いだんだ。てめーは今、あいつの命を持ってんだ。」


 月華ちゃんの周りから魔力の渦が消えて。僕の身体も楽になって立ち上がれるくらいには動けるようになった。タケルさんに近づこうとそのまま歩き出す前に、タケルさんが僕を抱き上げた。


「行くぞ心愛。」


「で、でも、怪我とか……。」


「怪我も森の状態も自分で治せるだろ。今必要なのは、頭冷やすための一人の時間だ。」


 タケルさんに抱え上げられ遠ざかる森。小さい嗚咽が、月華ちゃんの震える身体から聞こえる。


「……ちぃ、さん……。」


 月華ちゃんの漏れる声の小ささを更に隠すように、風がどんどん強まっていって、残った葉も強く煽られ姿すらも隠そうとしていく。


「ちぃさん……。」


 月華ちゃんの声に反応して振り返るだろうその姿はもうない。何処にもない、その愛称で呼ばれた人の声すらもない。どう頑張っても変わらない悲しすぎる事実にあの日も振り返っている今も、胸を締め付けられる痛みを伴って、僕は思わず胸の服を掴んだ。


「ちぃさん……!!」


 風が吹く。森は月華ちゃんの掠れた涙声を隠すように枯れ葉までをも吹き飛ばすように強い風が吹き込まれていく。

 僕が森を出た直後から数日、森だけに大雨が降って濃い霧に包まれたのだった。

 知影さんが死んだ後数日して前王も崩御した。

 新しい王としてタッちゃんが選ばれ、【アルカナ】の再選定が行われた。選ばれたのはゲッテン、リクロー、僕とタケルさんだけで、他の人達は【アルカナ】の任を解かれたのだった。 


「それから今の今まで【アルカナ】の仕事があったり名留ちゃんと出会ったりで忙しくてね……って、名留ちゃん大丈夫?」


 過去見が終わって、それからのことを思い出して話していて、途中から静かだった名留ちゃんの様子を横目で確認したらギョッとしてしまった。真顔で滝のように涙を流していたのだ。


「え、え……名留ちゃん?本当に大丈夫?」


「え?大丈夫だよ心愛ちゃん、何なら元気だよ。元凶のミカエルと月華さんの頰ひっ叩いといて平然としているおじさんの首をまとめて切り取った上で身体丸ごと灰すら残さないレベルで燃やし切る気力が有り余るほどに溢れるくらいには。」


 全然大丈夫じゃない。というのがコメント聞いた上での僕の思ったことだ。涙の濁流を起こしている名留ちゃんの目は爛々と殺意で輝いている。


「いやもうさ、月華さんが罪悪感抱く場面何処にあるの?月華さん悪いことした?なくね?ないよね?meが状況把握能力よわよわなだけ?それならそれでいいよちーちゃんと月華さんが幸せハッピー森林生活が罪じゃないって思えるからさ!!」


「すげーな、思ってること垂れ流しってこんなに表現が馬鹿みたいになるのか……っつっても俺も名留の見方が正解って言っていい。」


「あえ、おじさんが否定しないの珍しいね、でも月華さんの頬引っ叩いた罪が軽くなると思うなよ。」


「滝のような涙流して殺意溢れた目ん玉こっち向けんな怖えーよ。」


 タケルさんが息を長く吐いた。


「引っ叩いたのは俺だってやりたくなかったけどよ、あれ止めなかったら【中立世界】消えてたぞ。」


「それだけじゃなくて、知影さんがかつて立てた仮説が正しいなら、あらゆる世界から魔力がなくなっていたかもしれない。あの時の月華ちゃんは、自分の命と森の魔力を全て使って知影さんを生き返らせようとしたんだから。」


「ええとー待ってー。全ての魔力が【調律の森】から出てきてるってやつでー月華さんがそれを高濃度のまま使おうとしてー、月華さんは再生と破壊の魔力のバランスも保って世界に魔力を送る役目ってことだから……おおん。」


 僕の付け加えを聞いた上で、頑張って頭を働かせたらしい名留ちゃんから小さい悲鳴が上がる。


「月華さんそれは……それはあかんやつ……meでも分かる……こう、ちーちゃんは生き返るけど全部滅亡するほどっていう景色が見える……。おじさん止めてくれてありがと。」


「わかってくれたんならいい。」


 タケルさんに謝罪しつつ頭を抱えていたのは一瞬で、すぐ名留ちゃんは納得のいかない顔を作った。


「でもやっぱり月華さんが悪いって思うの違うよね!?」


「まあな、そもそもミカエルが来なきゃそんなことなかったしな。」


「まあね、ミカエルが森を侵略しなければ起こらなかったし……。」


 責任の所在をもっと突き詰めるなら、ミカエルの侵入を許してしまった僕らも責がある。門外侵略とは言っても、即対処が出来ていたらあんな悲劇はなかったはずだから。と思ってタケルさんも僕も頷き合った。


「で、その元凶のミカエルが近いうちに森に来るってこと?防衛戦やっていいってこと?」


「いや……。」


 僕は頭を横に振った。


「月華ちゃんから予め伝えられたんだ。ミカエルが来た日、僕らは手を出すなって。」


 僕が、僕達がある日に月華ちゃんに伝えらえた言葉を聞いた名留ちゃんが、驚きの感情で目を見開いた。

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