4

 場面が、変わる。


 王があっさりと引き下がった後、僕らはすぐに帰宅した。2人のいる森は僕らの住居と真逆であるから一緒に帰ることはなかった。


「どうして戦いを断ったの?」


 だから今映っているこれはあの謁見の後の話だろう、あの時の判断に月華ちゃんは疑問を持ったらしい。


「あ?……あー、ひょっとして【アルカナ】になりたかったか?それなら勝手に決めて悪ぃ。」


「そういうことじゃない、けど……。私の力は強いから、ちぃさんと同じになれば、戦いに有利になるのに、どうして断ったんだろう……って。」


 知影さんを見上げる月華ちゃんの赤い瞳には、純粋な疑問符が浮かんでいた。それに覗き込まれてバツが悪くなったらしい、知影さんが観念したような声色で理由を話し始めた。


「……俺が、お前の力はあいつらとやりあうために使っていいもんじゃないって思ったんだ。考えてみりゃ魔力そのものが味方になるんだ、そりゃ【アルカナ】になってもらったほうが俺達は今後有利に動けるとは思う。」


 一度口を閉ざし、再度、言いづらそうに口を開いた知影さんは立ち止まった。


「お前の動きだの魔力の強さだの見たら、磨けば俺達より遥かに強い【アルカナ】になれる、でもそれには月華、お前が傷つくことも意味する……もしそうなったらって考えたら、俺は【アルカナ】にすることを拒否していた。」


 驚く月華ちゃんの表情を見返している知影さんの表情は夕日の逆光のせいでわからない。


「俺達の力は元々悪魔や天使を殺すために使う力だってわかっているから、そう使うことに抵抗はねぇ。でもお前はあの時『力を隠していた』って言っていただろ。ってことは戦うことに使ったのはあの日が初めてだってわけだ、使いたくねぇ時に使わせるくらいなら、使いたい時に、自由にしてやりたかった……って俺が勝手に考えて、すまねぇ。」


 知影さんの、小さい謝罪が溢れる。


「……本当に、優しい人。」


「違ぇな、甘いっていうんだよこういうのは。」


「やっぱり私、もっとちぃさんの力になりたい。」


「俺、の……?」


 月華ちゃんは口角を上げ瞳を細めて、少しつま先を伸ばして彼の頬に手を添えた。今度は知影さんが驚く番だった。


「今必死で集めている知識も、戦う理由も、この世界を守りたい為。それは出会ってからずっと変わらない気持ちのまま、私のことも考えてくれる、優しい人。」


「……月華。」


「両親のことなんて語らなかった私のこと気遣ってくれて、信頼してくれる貴方の優しさに報いるために、もっと力になりたい。」


 2人が見つめ合う。月華ちゃんの知影さんを見つめる目は、どんな言葉にも表しづらい、でも、知影さんへの想いが溢れているようなそんな目だった。


「……出来るなら、もっと近く、ちぃさんのもっと近いところで。」


 月華ちゃんの手を知影さんが包むように重ねて、次には、2人の顔同士も重なっていた。


 場面はいくつも変わる。


 2人が寄り添って生きた他愛ない日常が続く。

 彼女は【アルカナ】として前線に立つことはなかった。でも【不可侵の森】は【声無の森】と名を変え月華ちゃんが管理者として住民登録をするという話にまとまっていった。

 しかしこのタイミングで前王が体調を崩し、余命いくばくかとなって話は止まる。後継として選ばれていたタッちゃんの準備のためにそういった公的手続きが優先されてしまったのだ。

 それでも2人は変わらない日常を過ごしていて、知影さんが月華ちゃんを見る目は優しくて穏やかな、恋人を見る目そのものと言っても良かったし、そして月華ちゃんは笑顔が増えていて、その幸せがいつまでも続くんじゃないか、僕はそう思っていた。


 世界が揺れた。


 ああ、あの日に変わってしまうと僕は知れずため息をついた。

 見たくない気持ちが言葉となって吐き出しそうになるのを堪えて、それでも記憶を具現化する者として目を逸らせない。僕は息を整えて、前を見た。

 その日も本当に普通の日だった。迷い込んだ来訪者さんを元の世界に帰したり、悪魔や天使の歓迎できない来訪を警戒したり、そんな変わりない日で終わりを告げるものだと思っていた。

 その認識は森の2人も一緒だったみたいだ。光って浮いている丸い水晶に文字を流し込む知影さんに、月華ちゃんは細かく刻んだ緑の薬草を干そうと摘んだ、その刹那、月華ちゃんは不意に空を見上げて薬草を持っていない手を空にかざしたのだ。


「月華?」


 奇妙な行動をとった月華ちゃんを呼びかけた知影さんの声は、月華ちゃんが突然張り巡らせた氷と突然降ってきた赤い炎がぶつかり合い蒸発する音にかき消された。


「月華!!」


 蒸発してできた霧で視界が白に覆い尽くされる前に、知影さんは月華ちゃんの肩を掴んで抱き込んだ。


「っ大丈夫か!?怪我は!?」


「ないです。それよりも此処から離れて。」


「ああ!?何でだよ!!あいつ天使で不法侵入かましてきたやつだぞ!?」


「あれはちぃさん達が戦ってきたどの天使よりも強い天使、ちぃさん達じゃ太刀打ちできない。」


 まだ姿も現していないのに、降ってきた炎で月華ちゃんは敵が何かをわかっているようで、告げる声は固く、緊張が走っていた。


『各世界で人間どもの魔法使用頻度に技術が活発になり始めたと思って此処にきてみれば、なるほど。殺し損ねた魔女の力が復活したか。』


 男性のような女性のような、判別がつかない声が晴れた霧の先から聞こえた。太陽を背にして飛んでいる影。広がっている白い羽が左右に3つ。赤茶色の鎧はよく見れば炎を纏っているのか陽炎のように揺らいでいて、片手には月華ちゃんの背丈くらいの巨剣を持っていた。

 金色の髪に、金色の瞳、ゾッとするほど綺麗なそれにそぐわない精悍な顔つきと身体つきから男性だろうと思われる天使は月華ちゃんと知影さんを見下ろした。


「大天使ミカエル、天使の中でも最も強い天使。神に近い。私の父さんと同じくらい強い天使。ここに来るとは思っていたけれど、思っていたよりも早かった……。」


『流石大天使ガブリエルと声無の魔女の娘。高尚な私の存在くらいは知っていたか。』


「目的はわかっている。でも、悪魔や天使にこの森は渡せない。」


『そう言うだろうともわかっていた、魔力もそもそもが人間には過ぎたもの。我ら天使こそが管理し、我が神が全てを使うに相応しいものだというに、お前を産み落とした連中は人間に意志が必要であり、魔力は神だけが使えるものではないと思い込んでいる哀れな生き物だった。その娘も同じ思考に染まっているともわかっ他ならば殺すしかないだろう。だが貴様をここで始末しても親を殺さなければ同じような個体はいくつも生まれるだろうよ、故にだ。』


 月華ちゃんの敵意をこもった目をミカエルは冷ややかに笑い返す。手に持った巨剣の刃に真っ赤な炎が灯された。


『奴らの居場所を割り出してから殺すとしようか。おい、魔女とガブリエルの居場所を答えよ。』


「知らない。」


『……ふむそうか、あくまで答えないと、なら答えたいと言うまで痛めつけるしかあるまいなあ!!』


 月華ちゃんに炎がまた降り注いだと思ったら、月華ちゃんが動く前に動いた人物がいた。


「おらぁ!!」


 前に出たのは知影さんだ。振り上げた片腕が水色の石を空へ飛ばす。それが降ってくる炎を吸い込んで赤く熱を持ったような光り方をして空中に漂う。知影さんはすかさず人差し指に灯した光を浮いた石に向けて放つと、光を灯した石から、氷の矢が幾つも連射されてミカエルへと襲い掛かるように仕向けたのだ。


『ぬう!?』


 それを剣で相殺しようにも連射される数が多いせいで捌ききれず、巨大な炎の渦を片手で呼び出して、氷を全て溶かしていった。


「月華、心愛ちゃん呼んでこい。」


「でも……!!」


「爺さんが病にぶっ倒れてから手続きが滞って森はお前の管理下になってねぇ、何より【アルカナ】じゃねぇから力を使ったらめんどくせぇことになる、でも俺は【アルカナ】で調査の権利を持っているままだ、天使と悪魔が不法侵入した時対処する義務がある。例えそれが歯が立たないクソ強ぇ奴でもな。」


「勝てないってわかってるなら、私が戦う!!罰なら受けるから!!」


「いいやダメだ、何もあいつに勝とうなんざ思ってねぇ、お前が心愛ちゃんを此処へ連れてくるまでの時間稼ぎをするだけだ、生き残ってやる。」


 ベルトのチェーンから武器型のキーホルダーを引きちぎると、それは手の中で大きくなってハルバードになった。それを片手で振り上げて構えると、知影さんは後ろに庇った月華ちゃんに言った。


「森は俺が守る、月華、増援の要請に行け!!」


 知影さんの目はしっかりとミカエルを睨みつけ、頑なに月華ちゃんを前線に出さない姿勢のままだった。


「……絶対、すぐ戻るから!!」


 その意志が変えられないとわかると、月華ちゃんは目を閉じて背中に氷の翼を生やす。ミカエルのいる空と反対から飛び立った。それを狙っていたかのようにミカエルが巨剣から炎を生み出して渦として放とうとして、それは知影さんが投げた術式を描いた紙によって吸い込まれた。なんの術式かはわからないがそれはきちんと発動して、月華ちゃんの妨害を阻止した。


「あいつの邪魔はさせねぇよ!!」


 挑発するように指を鳴らせば、炎を吸い込んで赤く発火していた紙は青く色を変え発光、ミカエルへ向かって水を放出した。これは勢いがありすぎて防ぎようがなかったのかミカエルはもろに食らって森の入り口付近まで吹っ飛んでいった。


『……魔力を吸い取り、属性を書き換えて別の魔法にする、か。ふん、人間にしては随分頭を使った戦い方をする。』


「そりゃどーも、褒められても殺意しかでねぇけどな。」


 知影さんが地面に紙を貼り付けると、そこか泥でできた茶色い手がミカエルの背後をとって彼を掴み、地に叩きつけた。


『ぐう!?』


「さっき奇襲かけてくれたおかげで掠め取れたあんたの魔力で色々試したいもんがあるんだ、暇潰しがてら実験台になってくれや!!」


『私の高貴な魔力を利用して実験台とは笑わせる、哀れな子羊の稚拙な知恵で何処まで持ち堪えられるか……。』


 ミカエルが剣の刃先を突然片手で折って、破片を片手で潰した。赤い血と混ざり合った銀色の破片が白い光に包まれて透明な肉体と白い羽を持った人型の何かとなると、複数体のそれが知影さんを取り囲んだ。


『見せてもらおうか、土塊よ!!』


 複数体の天使的なものは、明らかに知影さんよりも上の力を持っている。当然知影さんもわかっているのに。


「上等、人間舐めんなよ。」


 彼は、息を少し吐いてから好戦的な笑みを浮かべた。


「……今更なんだけどさ。ちーちゃんってマジもんに強いんだね。」


「前王が知影さんの直属の師匠だからね。前王も、前線にいた頃は本当に強かったらしいし。」


「らしい……って?」


「俺と心愛が【アルカナ】についた時は歳で前線から退いてたから実際見たことない。ただ強い部類じゃねーかとは思ったことはいくつかある。」


 タケルさんは知影さんの防戦から目を逸らさずに名留ちゃんの疑問を解消するための話を続ける。


「その最たるもんが知影だ。純粋な肉弾戦も、限られた魔力量と自分の特性を使った戦い方も、前王があいつだけを弟子にとって師事してから身についたもんだって噂だ。まあ素養があったってことなんだろな。」


 タケルさんの固定された視線の先、複数体の天使とミカエルも相手取っていた知影さんは、立っていられるのが不思議なくらいボロボロだった。

 防ぎきれなかった炎と剣撃で体は切り傷と痛ましいまでの火傷、片目は頭から流れる血のせいで開けていられないのかしっかりと閉じられてしまっていた。息も荒く、でも武器は離さない、かろうじて開いている瞳はまだ闘志が残っていた。いつもそんなにやる気のない表情しかしない知影さんしか見てない僕からしたら、あんな顔もするのかとただただ驚くばかりだ。


『面白い、面白いな人間!!私に食らいつきかすり傷を負わせ、死にもしなければなおも諦めないその魂、我が臣下にするのは些か穢れているが、悪魔にくれてやるのも勿体無い。』


 対するミカエルは悠々と笑っている。負っている傷はどれも擦り傷だけ。余裕もある。


「ちぃさん!!」


 そのタイミングで月華ちゃんと僕とタケルさんが飛び込んできた。月華ちゃんは着地した瞬間血相を変えて知影さんへ走り寄ろうとして知影さんに片手で制されてその場で立ち止まった。


『ふむ、本当に生き延びるとはな……おい人間、その命惜しいだろう?他の猿よりは幾分かマシな知能があるなら、貴様と我が力の差はもう理解できたな?』


「おう、いやってほどにな……ご丁寧に治癒魔法が周りきらねぇレベルの攻撃繰り返してくれたもんなぁ、お陰で身体中痛ぇの何のって。」


 せせら笑うミカエルに唸るような知影さんの返答、それらを聞いた月華ちゃんの顔色がますます悪くなった。


「父親があいつと同じ天使だっていう月華の力見ておいて、力量測れないわけがなかった、あいつ自身もわかっていたんだ。自分の身体はもうミカエルの野郎の炎が全身回ってていつ死んでてもおかしかねーことも。」


 あの時も今も僕が理解できていなかったことを、タケルさんが解説してくれる。きっとそれは名留ちゃんに向けてもいるのだろうが、改めて言われるときついものがある。


「何をどうすりゃまだ生きていられるレベルで抑えられていたかはわからねーけど、まあミカエルが手加減してたか……あいつのことを甘く見てたんだろーな。」


『その魂に免じて、一つだけ生き永らえる方法を教えてやろう。』


 ミカエルは勝利を確信した笑みで、知影さんの背後にいる月華ちゃんを指差した。


『その魔女から親の存在を聞き出して、殺せ。』


 まるでもう従者と認めたように知影さんへ残酷な命令を下したミカエルを前に、下された知影さんは何を思ったのだろうか。過去の僕も、今記憶を覗いている僕も位置が彼の後ろにいる。表情なんて見えなかった。でも過去の僕は彼が月華ちゃんを殺すのではないかって思っていたことは確かだった。


「知影さん!!そんな案に乗らなくても今助太刀しますから!!」


 そう、叫んで僕はタケルさんの力を解放しようとした時だった。


「悪ぃ、心愛ちゃん。」


 知影さんはこっちを見ることなく、僕へ声をかけた。


「呼んでおいてなんだが、これ、俺らが相手しても無駄に死ぬだけだわ。」


「知影……さん……?」


「此処で今、被害を最小限に食い止める方法、選択は、一つだけだ。」


 そういうと、知影さんは地面にハルバードを突き刺した。

 知影さんが今まで使っていただろうそれはボロボロと錆びて砕けたと思ったら、それらは空に固定されて、光となって弾けると半透明のドームへと広がって知影さんとミカエルだけを飲み込んだ。


『何?!!!!!』


「あいつ殺したとて、どうせ俺らのことを生かす気もねぇことくらいお見通しだってんだよ。何万回てめぇらと戦ってきてると思ってんだ、手口見えてんだよクソ野郎が。」


「ちぃさん待って、その結界って……!!」


「ははっ……さすが月華、気付くのが早ぇな。今回ばかりはもうちょっと鈍感であって欲しかったけどな。」


 隣で、何かに気づいたタケルさんが武器である銃を結界に向けて発砲する、でも穴も何も開かない。


「おいてめー……結界ってそっちの効果かよ!!」


「ああ、テメェも気付いたか……まあいい、結界ってのは封印の役割もあるだろ、んで大分前に月華の魔力を拝借して封印的な意味合いの方を作って、完成形がこれってわけ……いやー、我ながら惚れ惚れする出来だわ。見ろよ、大天使とか威張り散らかしているミカエルの野郎、炎が通じねぇから喚いてやんの。」


 やっとこっちを向いた知影さんが笑う。口から流れている大量の血が、身体中についた傷の深さが、彼の命が残りわずかであることも表していた。対面しているミカエルが炎を壁に打ち当ててもびくともしないそれは、僕やタケルさんが頑張っても破れないと証明している。


「悪魔だの天使だのと長いこと争って研究してりゃあそいつらの力を悪用する程度の悪知恵は働くんだわ、さて、テメェが褒めてくれた人間にしてはできた頭を持った俺の身体には、テメェが散々に打ち込んでくれた炎の魔力が溜まっている。」


『っ、それがどうした!?死にかかっているその身体で一体何ができると思い上がっているんだ!?』


「まあまあ聞けよ、いつかはやってみてぇと思っていた実験があってな……天使や悪魔の血液は大量の魔力が宿っていることがある日わかったんだ。それ固めて、発動させたい術式を組み込んで爆弾みたいにしたら俺らの戦術の幅広がるんじゃないかって。そんで心愛ちゃんの使い魔は運のいいことに悪魔でな、たまーにやり合ってる時にこいつの血をちょいちょい集めてたんだわ。どうにかして武器に出来ねぇか研究するために。」


 知影さんがポケットから取り出したのは、大きくはないが一つのゴツゴツとした赤黒い石だった。でもその石が放つ禍々しい気配は隠しきれていなくて、そして契約主であった僕はそれがタケルさんの魔力が宿った石であることがわかった。


「俺の力や並の宝石じゃ悪魔の血を凝固できなくて、月華の力を借りたらあっさり解決したわけよ。見ろよ、綺麗に宝石化してくれてるだろ。」


『人間、何が言いたい、まさかお前……!!』


「そ、今俺の中にテメェが散々ぶち込んでくれた魔力を【伝達】させて、悪魔の魔力だけが凝縮されたこいつに入れて爆発術を発動する。同じ爆発術でも相反する力がぶつかり合うことになったら……どうなるんだろうなぁ?」


 知影さんの手にある石が赤く光っていく、同時に黒と紫の光が、湯気のように強く溢れ出てきてもいた。その光が強くなるにつれて僕や月華ちゃんの頭によぎった最悪の予想が形を成していく。


「死ぬことなんて、【アルカナ】になった日から覚悟してたに決まってんだろ、けれどなぁ……。」


 それは、知影さんの血の吐くような咆哮によって、完全なものになってしまった。


「この俺が天使一匹一人勝ちさせたまま死んでやるわけねぇだろおがあああ!!」


『ああ畜生!!忌々しい人間が!!クソ、何故どけない!!何故動かない!!』


「はっ、敵が逃げ出さねぇよう術組み込むのも基礎中の基礎だろうがバァーカ!!」


 血反吐を吐きながら知影さんは笑う。ミカエルの焦りようはさらに悪化した。


『おい人間!!我を助けろ、そうすればその傷も命も助けてやる!!』


「は……天使ってのも、命惜しいことってあんのか……初めて知ったわ。」


「お前に祝福も与えてやる!!地位も名誉も、何も思うがままだ!!その魔女に頼らなくても何でもできるんだぞ!!」


「……てめぇに言いたいことは色々あるが、な。」


 表情が窺い知れ無い知影さんの手から、一切を遮断する結界を張ってからずっと握りしめていたクリスタルが砕けて、血と一緒に地面へ零れ落ちた。


「惚れた女を守って死ぬと腹括った決意だ、そう簡単に覆せると思うなよ!!」


 地へついた血と欠片は謂わば破壊力の強すぎた爆弾だった。黒と赤の炎が一気に燃え上がり丸く仕切られたそこは秒速で包まれてしまった。


「いや、嫌だ、待って、ちぃさん!!ちぃさん!!!!」


 逃げる素振りも見せない知影さんが炎に呑まれていくのを止めようと、結界に駆け寄り手を伸ばす月華ちゃんの焦燥の叫びが森に響く。

 光を帯びた月華ちゃんの手が結界へ触れる直前、炎は無慈悲にも空間全てを覆い尽くしていって。


「ああ、クソ。」


 痛みなのか焼ける恐怖でか絶叫するミカエルの表情と声に対して、月華ちゃんへ顔を向けた知影さんは少し悲しげな笑顔を浮かべていて、彼女へ向けた言葉は小さい謝罪だった。


「……守り方も、死に方も、間違えちまった、……ごめんな、つき、か。」


 それは過去の僕には全く聞こえなかった言葉で、過去を改めて振り返った僕らでないと、到底拾え無いほどの小さい後悔だった。

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