2

 ……場面が、変わる。


 月華ちゃんの白くて細い手を、一回り大きい知影さんの手をとっていた。

 最初に出会った光で出来た大樹のところに2人はいた。多分調査か何かをしているんだろう。若干セピア色がかかった世界なのは、木の記憶で色彩の概念がないからだろうか。

 知影さんがかつて会議で報告していた、『各世界の魔力が還って、また世界へと巡るという魔力の流れが形となったもの』なのだと僕は思った。初めて見たが、僕らが守護している境界門と同じ幅で、立派な光の柱が地中から天に向かうほど枝分かれした形で本当に大樹と言ってもいいと思った。


「何も考えないで触れれば、中に入れる、です。」


 月華ちゃんは先に光の大樹に入り、戸惑う知影さんを導いた。彼もその中に入って、そして目を瞬かせる。何か口に出したい言葉があるだろうけどそれは形へ至らずに、動くだけになっていた。


「ごめんなさい、調律の風景しか見せられなくて……でも、参考にはなりますか?」


 地上にいる時と同じように喋る月華ちゃんの周りにあらゆる色の粒子が集まる。彼女がそれに触れる度白く染まって、枝分かれして天へと昇る。知影さんは大樹の中だからまた違う視点で見えていることが違うのだろう、息を呑んで見上げていた。


「おっぷ……うぇっ……ぅぐっ。」


「……大丈夫、ですか?」


「悪ぃ、ぅぷ、ってかお嬢ちゃんいなかったら、マジ無理。何だこれ、気持ち悪りぃ……っうぷ。」


 幾分か経って、大樹から出た知影さんは地に足をつけた途端崩れ落ちるように倒れ、月華ちゃんは心配そうにしゃがんで様子を見ている。


「今、気持ち悪いのなくします。」


 彼女が考え込んだのは一瞬だった。徐に丸まった知影さんの背中に触れて撫でさする。すると俯いていた知影さんが驚きの表情で顔を上げて、ついでに身体もふらつくことなく立ち上がれていた

「……嘘だろおい。気持ち悪さなくなったどころか、体が……さっきより数段楽になった?」


「魔力が溜まりすぎていたのと、この周りの魔力が濃かったです。貴方が動きやすいようにしました……調整した、と言えば良いのでしょうか?」


「なあ、本当にお前自体が【声無しの魔女】じゃねぇのか?やってること完全に伝説として語られるそれじゃねぇか。」


「いいえ、それは母が呼ばれていた名前で、私はまだそのような名前を持てないです。」


 なお真顔で否定する月華ちゃんに、知影さんは信じられないような物を見る目を向けたまま、思慮しつつな言葉を伝えていく。


「いやそう言われてもよぉ……魔女名乗っていいくらいの使いこなしようだとお思うんだが、随分厳しいこと言われてんな?」


「いえ、母の言いたいことはわかります。意志を持たない力は誰かを傷つけることは容易に出来ます。でも、誰かを幸せにすることはできない。母は父の幸せ、生きる者の幸せを願い、力を使います。私にはその対象がいないし、その気持ちが分からない。」


 月華ちゃんは首を振って光の大樹を見上げた。


「貴方のように何かのため、誰かのためを思うことが私にもできたら……そういった名前を、名乗れるかもしれない、です……。」


「よせよそんな言い方、そんな大層な理由でいるわけじゃねぇんだ俺は。」


「それでも目的があるのは凄いです、意志を持って行動できることは、私からしたら羨ましいです。私は……私はそもそも何をしたいのかすら、魔女になりたいのかすらわからない、のに。」


 月華ちゃんの目は澄んでいた。景色を写すガラス玉のような澄んだ色で、そこに感情がこもっていないように僕は見える。彼女自身に感情がないとは言わないけれど、この時の月華ちゃんは、純粋に感情というものに対して機微が疎かったのだろう。


「……どうかねぇ、俺からすりゃあお前の方が羨ましいけどな。」


 そんな月華ちゃんを見ていた知影さんが、隣に並ぶ。彼の目も、光の大樹へ向かった。


「この森研究したい理由なんて、俺が遊んで暮らせるための名誉持ちてぇってクソみたいな欲望のためだ。欲まみれの人間見てきて吐き気すらしてるってのに、自分もそんな連中と同じ理由で此処にいる。お前は何もわからないって言っているけれど、下心なしで世界のための力を間違うことなく使っているじゃねぇか。そのままでいいと思うぜ俺は。大義名分考えて好き勝手やってる連中なんかよりよっぽど綺麗だ。」


「綺麗?……私が?」


 思いの丈をそのまま話していたような知影さんが、我に返ったような顔で月華ちゃんへと視線を動かす。月華ちゃんの顔は目を見開いて、驚いた表情をして見つめていた。自分で言ったのは


「……あー、何だ、その、くそ、綺麗ってのはあの光もだけど……お前もちゃんと含まれてて……いや何言ってんだ俺は恥ずいこと言ってんじゃねぇか!?」


「……ふふ。」


 何かを取り繕うにも言葉が出てこない知影さんの前で、クス、と言う笑い声が月華ちゃんから漏れた。


「貴方の声は本当に嘘偽りないから、面白くて……最初に私を見た時も、本当に私を綺麗だと言っていたって森の木々も言ってて……ふふっ。」


「は!?森!?森の木喋んのかよ!?」


「私、この森の声は聞こえるんです。」


 月華ちゃんに知られたそれは恥だったのか、ますますへこんでしゃがみ込む知影さんだった。


「あなたは確かに名誉は欲しいと思っているのは本当。でもそれは誰かの為に知識を活用するための立場が欲しいと願っていると……。本当は誰よりも人を思っている熱い人。だからこの森も協力すると言っています。」


「……おい待てそんなこと俺は……。」


「言わないだけで、本当はこの世界のことを誰よりも思っている。隠していても森には筒抜けなんです。彼らはそういうことに長けているから。」


「……マジかよ……隠した意味ねぇじゃん……。」


 ますます肩を落とす知影さん。月華ちゃんがその手を掬い上げた。


「だから私も、出来ることなら貴方の力になりたいんです。」


「おうそうか俺の力……は?俺の力になりたい?」


「私自身、貴方といたらこの世界で何をしたいのか見つかると思っていて、その代わり、私が出来ることはしたい、と思っています。迷惑ですか?」


「いやいやいや、そりゃ有難い申し出だこっちからめちゃくちゃ頼みたい、俺もお前の力になれることはなるから……改めて、これからよろしくな。」


 場面が変わる。


 手狭だけれど2人で住むには丁度いい木の小屋、その一つの部屋で知影さんはいくつもの草と宝石を床に散らばせて、草は潰して合わせてガラスの器に入れて、宝石はナイフで何事かを刻んで、できたものを見つめては床へ無造作に放り投げる。雰囲気的に研究に狂っている感じが否めないけど、漏れている光の質からして怪しいものじゃない。恐らく、治癒薬や新しい魔法を作っているのだろう。

 それを見守るような眼差しで、月華ちゃんは後ろのソファーで足を折りたたんで座って背中を見つめていた。


「……理論上ではこれでいけるんだ、効果が本当かどうか次のゲッテンとリクローの訓練で使っ……。」


 その光景はすぐ終わり、知影さんが歓喜の声を上げた。その後に吐かれる長い溜息は安堵と達成感が含まれていてその興奮冷めやらぬまま振り向くと、2人とも目があった。


「あ!?月華!?もうとっくに寝たんじゃねぇのかお前。」


「お疲れ様です知影さん、何も食べないでずっと此処にいたから、心配だったんです。」


「は?うわ暗っ、そんな経ってたんか……じゃなくて、飯は勝手に食ってていいし先休んでもいいって言っただろ。」


「ご飯はもう食べました、でも知影さんは食べてないから、すぐ準備できるように待っていたんです。」


 月華ちゃんのちょっと呆れと心配とが含まれた声に、何の感情が込められているのか長く息を吐いた。呆れとは異なった、別の感情がそこにはあるが……深掘りしたら凄い恥ずかしい感じのやつかなと思って思考は空っぽにした。


「こういう長時間の作業に俺は慣れてるから大分動けるけど、お前は違うだろ。休めるうちには休んどけって話だ。」


「私が待っているの、知影さんの迷惑になった……?」


「違う違う、何て言えばいいんだ?……あー、心配なんだよ。一回しか経験してねぇけど調律ってのはいつもこう……全体高速回転する感覚するんじゃねぇの?俺めちゃくちゃ吐き気したぞ。」


「調律するとき?空飛んでいる感覚です。吐き気とかはないです。」


「……おう、そうか。」


 キョトンとした、不思議そうな表情の月華ちゃんは、知影さんの手をくい、と取った。


「それよりも、休むのは大事だと言っていた知影さんが休まないのはおかしいと思います。だから、もう今日は休んでください。」


 月華ちゃんの表情は動いていない、でも今よりもずっと瞳に輝きはあって、知影さんを心配する様子がありありと浮かんでいてわかりやすかった。


「あー……わかったよ。わかった、これは俺が悪ぃな。」


 その瞳を見返して、知影さんは苦笑すると月華ちゃんの頭を力強く撫でた。


「飯、用意してくれてありがとな。」


「知影さんが教えてくれたものですが。」


「それでも随分料理の幅広がったじゃねぇか。煮るか焼くかしなかったのに。」


「美味しいって、言われるのが嬉しいので……すぐ温めますね。」


 他愛ない会話の中、髪の毛もめちゃくちゃにする感じの撫で方だったから少しボサボサになってしまったのを手櫛で直す月華ちゃんを見て、また笑う。どこか愛おしげな……恥ずかしいけどこれは時折タケルさんが僕に向けるのに似た甘い笑顔だと断言できる。


「はー、ったく、本気の相手には何も言えねぇとか……どんだけチキンだ俺は……。」


 月華ちゃんの背中を見ながら落とした呟きは、そんな自分も悪く思っていないような感情が込められていた。


 場面が変わる。


 気づけば空は青く木漏れ日が差し込む小屋の外にいた。月華ちゃんと知影さんがまた、薬草を干しているのだろうか……作業をしていた。


「ってかさ、いい加減知影さんって堅苦しいからやめねぇ?」


「でも知影さん、私のことは月華って呼びますよね。」


「そりゃお前、月華って響き好きなんだよ。変に縮めたくねぇよ。」


「好き……?」


 さも当然と理由を述べた知影さんと、キョトンとした顔で彼を見上げる月華ちゃんの視線が絡む。


「……悪い、今のちょっと、いや、嘘じゃねぇけど。」


「ありがとうございます。名前を好きだって言われるのは、嬉しい。」


「……名前だけじゃねぇんだけど……。まあいいか、とにかく知影って結構呼びづらいと思うんだよなー……。」


「皆さんからはなんて呼ばれるんですか?」


「全員知影さん、愛称なくて味気ねぇんだよなぁ。いやまあ理由はわかるけどよ……。」


 月華ちゃんは首を傾げ、そして名案とばかりに知影さんをまた見上げた。


「ちぃさん。」


「は?」


「愛称、というものなら、知影さんですから、ちぃさんって呼んでいいですか?」


 知影さんの容姿からあまり呼ぼうとは思えない、結構可愛らしい渾名が飛んできて呆然とする知影さん、期待で輝いた表情で提案する月華ちゃん。対比が面白い。


「ダメでした?私の中でとても親しみがあるような響きだと思ったんですが。」


「いや……俺が生きてきた中で随分可愛い呼び名がついたと思っただけでダメじゃねぇけど……。」


 知影さんの手が月華ちゃんの頭に置かれる……と、そのままわしゃわしゃと綺麗な髪を無造作に撫でた。


「わぁ!?っもう、ちぃさんどうしてわしゃわしゃするの。」


「いい呼び名つけてもらった感謝の気持ち、ありがとな。」


「言葉でいいじゃないですか。」


「うっせぇ、お前の頭ついちょうどいいとこにあって撫でたくなるんだよ。」


 他愛ない会話と作業は、続いていく。


「ちぃさん。」


「あ?どした。」


「ふふ、ちぃさんって呼びたかっただけです。ね、ちぃさん。」


「ああーなんだかな、いいとは言ったが呼ばれ慣れねぇなぁ……。」


 少し茶目っ気のある声色と、呆れの声に混じる穏やかな色。

 穏やかな光が宿った真紅の瞳と黒と藍色の混じった瞳の視線が合わさって、笑い合う2人。


「月華。」


「はい、ちぃさん。」


 その姿はどこにでもいる、ただ名前を呼び合って、隣り合って、想い合う男女のそれだった。

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