在りし日の記憶

1

 【調律の森】。【不可侵の森】とかつて呼ばれたここは、魔力の生まれる森であると同時にありとあらゆる世界の魔力が還る場所と認識されている。


 魔力は意思があり、どこへ行くか、誰に力を貸したいのか、明確な意識を以って魔力は世界を渡っていく。自分という力を求めるあらゆる世界の魔力を持つ者へ渡るために、どこかの世界で使われた魔力はこの森で使われた世界の色を落として再び巡る。

 この再生とも浄化とも言えるプロセスを取り仕切り僕らでは聞こえない魔力の声なき声を聞くことが【声無の魔女】の役割である。

 そう、『かつての調査者』は調査結果の全てだと報告した。


 では【声無の魔女】そのものに何かしらの力はあるか?


 その問いは調査者含め、かつての関係者は誰も、何も、語らないまま今に至っている。


「ねぇ暇ー!!仕事したいわけじゃないけどお外出たーい!!ていうか月華さんってどうしてあの森から出ないのー!?森の中から出られないわけじゃない感じだからさ、meたまには月華さんと街中できゃっきゃうふふしたいー!!」


 変わり映えない休日、さて朝ご飯を食べて何をしようと考えようと口にしたら名留ちゃんが突然騒ぎ始めた。


「何だ何だ急に。」


「いやほら、美人さん大好きなmeとしては美人さんが目と鼻の先の距離にいるっていうのに、美人さんと遊べるイベントが起きないのって拷問にも等しいの!!」


「すまん、お前の考え一つも理解できねー。ってかお前碧摺と錫朱住まいの美人な女と毎回カフェ巡りしてんじゃねーか。心愛もたまに連れていきやがってよ、女はともかく心愛は置いてけよ。俺とも心愛とデートさせろ。」


「それはそれこれはこれなの!!meは悪魔ぞ?欲深い悪魔ぞ!?月華さんという美人とカフェ巡りだのなんかピクニック的なイベントとかを発生させてクール美人の微笑を拝みたいの!!わかる!?わかるよね!?あと心愛ちゃんはスイーツ食べてる時の顔がめっちゃ可愛いんだから連れて行くに決まってんじゃん。ていうかおじさん心愛ちゃんに甘いもの嫌いって言ってから誘われてないんだって?」


 タケルさんの口元がピクっと上がる。それに目敏く気づいた名留ちゃんがニヤリと笑った。


「あっれぇー?自称一番に請われた召喚魔のおじさーん?まさか心愛ちゃんのスイーツ食べてる至福な顔知らないなんて言わないよねぇー?meと出会うまでに結構時間あったよねぇー?あっれぇーおかしいなぁー?何でそんなイラッとした顔してんのかなぁー?ええーやだ怖ぁーい。心愛ちゃぁーん自業自得な理由でデートの機会潰したおじさんが睨んでくるぅー。」


「よし殺す。表でろ。」


 安い挑発に乗ってタケルさんが中指を立てたところで、僕は仲裁がてら名留ちゃんの野望……野心?そもそもの話のきっかけへ戻すため声をかけた。


「月華ちゃんと交流をしたい気持ちはわかるけど名留ちゃん、まだ1人であの森近づけないでしょ?」


「……うん。はい、そうです。全くと言っていいほど入口すら近づけない、なんなのあれ何故meを拒絶しているの……何故……meのどこが悪いってのさ……。」


「あれは名留ちゃんだけじゃない、あの森、ううん彼女が全員を拒絶しているのもあるんだ。」


 話を戻したい僕の言葉選びが追い討ちになったのか、名留ちゃんの表情は悲哀で悲惨になり、テーブルに突っ伏して落ち込んだ。


「……よし。」


 今日は休日、本来は仕事のはずだった日。やることもない。でもやりたいこともやらないといけないこともある。


「名留ちゃんタケルさん、今から【調律の森】へ行こう。前に後回しにしていたでしょ、月華ちゃんと千景さんの間に何があったか、今日教えてあげる。」


「え!?マジでやったー!!」


「お、おいちょっと待て!?よりによって今日やんのかよ!?」


 部屋着から【アルカナ】の制服へ着替える。タケルさんがどうして今日が休みか知っているから、僕の行動を咎めるような色で僕の名前を呼んだ。なお名留ちゃんは何故かリュックサックにお菓子などを詰めている。ピクニック気分なのには見ないふりをした。タケルさんが珍しく僕の行動を咎めようと手を伸ばして僕の肩を掴んで、名留ちゃんに届かないよう耳打ちした。


「今日休暇になった理由覚えてねー訳じゃねーだろ、今【調律の森】に行ったらどうなるか……ましてや名留連れて行ったらどうなるかなんて明らかだろーが。面倒なことになる。」


「今日だからだよ、【アルカナ】の任務はないけど、森には【僕】個人が知りたいことがある。」


「……あー、個人の調査のために不可侵区の【調律の森】は何があるかわからねーから、念のために正装と使い魔を連れて行くって理由で通すつもりか?今行ったところで、俺らが手を下す前にあいつの選択の結果が出ているかもしれないってのに。」


「タッちゃんなら全部わかった上で許してくれるよ、それより何もしないまま終わりにしたくない。【アルカナ】の前に僕だって人間だ。何をするか、どうしたいか選んでいい権利はある。」


 あのことを知っているタケルさんは僕のやりたいことをしっかり汲んでいるから渋い顔をしている。僕の脳裏を過った人としての知影さんの最期の姿を、写真のように突然浮かんだあの情景を振り払って、僕は言った。


「タケルさん、僕との契約を忘れたとは言わせないよ。」


「……わーってるよ。『お前のやることに全て付き合う』。俺が自分で持ちかけた契約だ。」


 タケルさんは長いため息を吐いて、僕の肩から手を離した。僕は折れてくれた彼に笑った。


「ありがとう。タケルさん。僕を危険に巻き込みたくないって思って止めてくれたんだよね。」


 返事する代わりに、タケルさんはそっぽを向いてしまった。

 【調律の森】入口。僕らは歩いてそこへ辿り着いた。本当は扉を作ればよかったのだが、弾かれて辿り着けなかった場合どこに飛ばされるかわからなかったので、念のためだ。


「え、何……前に来た時よりすっごい拒否感強……な、何?今日【調律の森】って立ち入り禁止とかそういうこと?入るんじゃねーよって圧を感じるんだけど。」


「うん。そうだよ。」


「そうだよ???」


 名留ちゃんの戸惑いに答える余裕はない、緊迫した空気に嫌な予感が過ぎって、急いでどの木で記憶を見るか探る。

 年季の入った木の方が情報量は多いがどれも同じように年季の入っているように見える。手近の、一番幹が大きい立派な木の記憶を見ることにした。


「【キファ・ボレアリス】。月華ちゃんと知影さんの日々を教えて。」


 杖先をそっと押し当てると、灯った光から扉ができる。白い扉、木々の記憶がその先にある。ドアノブに手をかけて引いた。

 何もない真っ白な空間へ、僕と名留ちゃん、タケルさんと共に身を投じた。


「これは、こっちか……。」


 唐突に流れたのはコンパスが指し示す方向へ、僕が見知った男が足を進めている場面。男性は、今の砂金のような目の色じゃなくて黒かかった藍色の細い目が鬱陶しそうに茂みを見定めながら歩いている。青い芝生をかき分けても続く道なき道に何があるか不明瞭なことばかりでも、足は止まることなく森の奥へと進んでいた。


 これは誰も足を踏み入れない【不可侵の森】と呼ばれた時代だと理解すると同時に、彼は突然立ち止まった。

 何かに気づいた表情で額と首に浮かんでいた汗を拭うと、ずっと握り込んでいた右手を眼前に持っていって開いた。手には一つの水晶があった。森全体にそのまま巡っている魔力の圧を軽減するための結界に使っていた水晶はそれらしく澄んだ色をしていたが、その表面に入っている亀裂は大小含めて既に痛々しいものだった。


「これは……。」


 じっと見つめていた彼の、元々細めの目が驚きの感情で少し開いた。水晶はひび割れた姿のまま掌にある。でもそれだけだ。それだけで何かを察した彼は、懐から別のコンパスを出して、今まで使っていたコンパスを用済みと言わんばかりに自分のズボンへ押し込んだ。闇雲に森を歩くことをやめて、慎重に、コンパスの針が指し示す方向へ歩を進め始めた。

 どのくらい歩いていたのか見ている側も歩いている側もきっと分からない。でもその人は【不可侵の森】の抱える一つの謎が解き明かされるその希望だけが頭を占めているような期待に瞳を輝かせて、歩んでいた。

 かき分けた茂みの先、漏れる光。淡く緑と青の粒子が白く変わり男の視界から消えていく。その粒子を追いかけるように手を伸ばし、触れてかき分けた茂みの先が求めていた目的地。そこには先客がいた。

 少女と見紛う華奢な体つきに、白い光のおかげではっきりと視認できる長い髪と瞳を閉じて粒子から何か感じているような横顔。背中まである藍色の長い髪が、緑と蒼の粒子を纏い靡く様相は夜の流れ星を思い出させる。自分よりも一回りも小さいだろう両手は目の前の光の柱へ触れていて穴から流れ込む色づいた粒子を白く染めていた。

 一つの穴から青と緑の光が溢れて空へと上がる。光は方々にわかれ細くなり、白く変わって空へ溶けていった。彼女の触れている手を追って見れば、大樹のような光の柱があった。男はその光の大樹が何か、穴から上へ流れてくる緑と蒼……よく見れば橙や赤といった色ついた光の粒子が白く染められ枝を伝い、空へと溶けるそれが何かも理解できた。


「魔力が浄化されているのか?いや……違う、それだけじゃねぇのか、そうじゃねぇのか……。」


思案思考しても、少女と光が織り成す神秘に彼は目が離せなかった。


「綺麗……だ。」


 素直な感嘆は彼女の耳に、運悪く届いていたらしい。


「……誰?」


 横顔は男へと向けられた。

 しまったと瞬時に隠れようにも先に彼女は近づいてきて、互いの顔がはっきりと認識できる距離まで詰め寄られた。

 少し垂れ気味の目、瞼が閉じ込めていた瞳の色は真紅の宝石を嵌め込まれたと形容できそうなもの。それに惹かれたように、男は思い逃げる足が止まってしまった。宝石の瞳は、警戒よりも不思議そうな感情を灯している。逃げるのを諦めた男は自分の説明へと思考を変えた。結局出てきた言葉はありきたりなものだったのだが。


「あー、と、俺は……俺の名前は知影、って言って、この森の調査を任されてるもんだ。この世界の人間なんだけど……お前は?」


「私……私は、月華。」


 人相が良くないと自他共に認める知影の、困惑した表情で更に人相が悪くなった顔を月華と名乗った少女は臆することなく見上げていた。


「月華、か。えーと、お前はこの森に何をしにきたんだ?」


「魔力の調律。母が言っていたこと、ですが。この森を通して魔力を人に与えること……魔力を世界に流す役目を、私は持っています。」


「魔力の調律って……まさかお前がかつて此処に【不可侵の森】を創り出した声無の魔女か?!」


「それは、私の母の名前……です。母が私を産む前に、この森にいたと聞いています。私がこの森で生きる運命にあるから……と、それ以外は聞いてない、ですが。」


 告げられた名前と目的、森の調査前に読み漁った数少ない文献の一説が当てはまった驚愕に知影は思考が止まった。その話が本当ならばこの目の前にいる月華という女は次代の【声無の魔女】となる存在。


「私は母と同じ力を持っているとは、聞いていますが……この世界で何をすればいいか、魔力を調律すること以外は、何も知らない、です。」


 紅い瞳に不安が一瞬宿って逸らされた瞬間、知影に一つ案が浮かんだ。

 これなら敵とも味方ともつかない不確定要素を懐に入れられる、確信を持って彼はそれを口にした。


「月華、もしよかったら俺がこの世界について教えられることを教える。その代わり、森の調査に協力してくれねぇか?」


「それ、は……嬉しいです、でも、いいんですか?」


 知影は月華の、逸らされた瞳を覗き込むようにしゃがむと頷いた。


「この森の調査が俺の仕事って言っただろ?森の主たるお前がいた方が調査しやすい、俺も仕事の片手間で世界のあれこれを教えることができて、お前も目的を達成しやすくなる。効率がいいと思わねぇか?」


「……効率の話はわかりませんが、でも、ありがとうございます。頼るとか、分からなくて、どうしようか困っていたので嬉しいです、お願いします。」


 月華の無垢な目が笑顔によって更に柔らかく垂れる。知影も笑顔を作り、よし、と一つ頷くと月華についていくよう促した。

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