3

『それはもはや救えぬ病原菌、国民に蔓延する前に消し去るべき存在です。』


『殺すことで救われる者がいる。故にその者は殺して然るべきなのです。』


『さあ殺しなさい、大丈夫、貴方のことは誰も責めないでしょう。貴方が国を救うのです。』


「全く揃いも揃って耳障りのいいことばかり言って、人を惑わせて随分汚いやり方してんねぇ。」


 天使と呼ばれたそれも、悪魔と呼ばれたそれも、そのやる気のなさそうな低い声が背後から聞こえた後、記憶がない。気づいたらそろってその場所にいたのだ。


「ようこそ、ロクでもない天の屑と地下の屑。」


 光源のない空はどこまでも真っ黒なのに、踏み締めた大地の黄色みの強い茶色がくっきりと視界に入ってくる。踵を打てば響く足音が、この土地が乾いていることを悠に表していて、しかし草木の緑はどこにもない。

 口を開けば水分が消えていくような乾燥地帯の中で、そして呼吸をすればするほど男の深く低い声が憤りを静かに放っていた。


「あの手口、よくもまあ飽きずに使ってんねぇ。うちの世界でも、他の世界でも、あっちこっちで5000年前からやってるよね。」


『ごガァ!?』


「勝手に気失ってんじゃねーよ、起きろ、そんで俺の聞きたいことに答えろ。」


 大地に伏せる二つの影のうち白を基調とした一つの人間型のものの髪を掴み、顔を起こすと彼は憤りを静かにぶつけるように地面へ叩きつけた。その時点で掴まれている方の人間型は息も絶え絶えな呼吸を繰り返し、今にも閉じそうな虚になった青い瞳に男を写していた。


「なあ天使さんよ、どうして子供の呪い解かなかったの?仮にも天使だろ?小さい子が苦しんでんの見て可哀想って思わなかった?基本装備の良心どこに置いてきた?」


 男は金糸と表現できる髪色と青い瞳を隠そうともしないで晒しているそれが、その世界にいるべきではない【天使】だとすぐ見破った。

 この世界でその髪色と目の色は当たり前の色として受け入れられていて、かつ同色の人間は多かった。何より真面目な労働者を演じたことで老執事の信頼を得、呪われた子息の世話を頼まれていた。邪魔も入らない、カモフラージュも多く擬態せずとも済む、天使は人好きのいい笑顔を常に浮かべていつものように看病と称し、子供を悪魔へ仕立てる最終手段を取ろうとした瞬間、男に肩を掴まれ、唐突にこの世界へ送られた。


「お前が潜り込んだとき既にご子息は呪われたから、助長させることにシフトした。勿体無いが仕方ない。年季の入った高潔の魂がそこにあるならその方が使い勝手がいい、はあ……考えてること整理してても助ける選択肢が出て来る気配が一切ないとか反吐が出る。」


 何も状況を飲み込めない天使がこの荒廃に送られたのは、いつものように子供の部屋に入った一瞬の間だった。更に国の国民として紛れていた呪いの根源たる悪魔を間も無く見つけ出して名も知らぬ今の荒野に転送したのだ、この『人間』は。


『お、あ、き、貴様、どうしてそのことに、気づいているんだ……!?』


「は?天使の癖に俺のことわからない?不勉強だねぇ。」


 男……『メイ』と呼ばれた男は、嘲笑う。


「はー……まあいいや、天使がクソになったのは今に始まったことじゃないし。」


 ボロボロになった天使から顔を逸らし掴んでいた手から力を抜いた。

ぐしゃりと言うと音が響いたがメイは気にしない。白と見事に対となった真っ黒い悪魔の方へ今度は手を動かして、同じように髪を引っ張り上げた。


「そんで元からクズのお前、お前もまあよくある手口でやってくれたことだね。とりあえず埋めた呪いは根っこも全部消しといたから、お前の体候補も魂狩りも無くなりましたおめでとう。逃げようとしてるとこ見ると、お前俺のことわかってるみたいだね。」


『っわかるも何も、お前、お前天使だな!?その気に食わないくらいほどの光の魔力……何故天使が人間に手を貸している?!!』


「え?そりゃだって俺は人間が好きだからねぇ。お前らみたいに利用したいって気持ちじゃない方で、見守りたいって意味の方で。」


 息が絶えそうな声の悪魔からのクエスチョンにキチンとアンサーを返して、彼は悪魔の髪を掴んだ手をまた離した。悪魔も天使と同様枯れ果てた大地にその身を沈めた。

 息ができるが息をする度に体から力が抜けていき思うように体が動かない両者に比べ、メイだけは普通に生きている人間と同じように立ち、話をして、こちらに怒りを向けている。その異常さは天使だからという理由では片付けられない何かがあった。


「あーそうそう、例え俺を殺してもお前らは此処から二度と出れないよ。ってか殺したら逆に出れねーと思うよ。」


 這いつくばり、ひゅう、とか細く鳴った声はどちらからのものか、興味がないメイはそのまま言葉を続ける。


「何で俺がここで普通に話をしているのに、お前らには出来ないかって教えておくよ。此処はかつて俺が生きていた世界、そしてお前らが好き勝手して壊して忘れた世界。神も見放して命も芽吹かなくなって消えるだけの世界だったんだけど、幸か不幸か俺が覚えて生きてることでこの世界はまだ存在している。どうやって俺が息をしていたかってわかるから、世界が俺に応えてくれて、まあこの世界のある程度の権限?みたいなもんがあるのよ。生き返らせるとかは出来なかったけど。出来るのは出入りと息できるくらいだね。」


 メイは光なき空から視線を、下に向けた。


「俺はお前らを生かすつもりもないし、俺を殺したところで自動的にこの世界は消えるからお前らはどっちみち死ぬしかない。そう言うことだからそのまま死んでくれない?無駄な抵抗するよりは辛くないよ。俺が死ねって思えば勝手に息の根止まるから。」


 そして彼の視線は真正面へと動き始める、その先は震える足で立ち上がる白と黒の人形。メイの目が細まった。その感情は憐れみがあった。


「それでも……俺を殺して生き残ろうって思うんだ。」


『わ、我々には崇高なる使命があるのだ……。こ、こんな訳のわからないところで、死ぬわけにはいかない!!』


『そうだ、世界が消えるなどどうせハッタリなんだ、死にたくないがための嘘に決まっている!!』


 天使の手には金色の錫杖。悪魔の手には黒く禍々しい鎌。それぞれの得物が虚空から現れて切先はメイへと定められた。


「あー話を聞かない聞いてない、やれやれ馬鹿ってのはどうして現実から目を背けるのかねぇ。」


 呆れた呟きの後、動いた彼を目視できたものはいなかった。切先は砕かれ、白と黒の動いていた物体は上と下とで真っ二つに分かれ、折り重なって乾いた土の上に落ちていった。


「天使だの悪魔だの名乗っているなら、俺が何者かとかもっと注意深く気配を探ればいいだろ……って、因子も消したから本体に伝わることはないかね。」


 彼は見向きもせず手にしていた翡翠色の剣をまた虚空へ消した。


「さてさて、さっさと道具屋のメイさんに戻るとしますか。」


 歪んだ空間へと消える道具屋の主人たる男メイの背中には白く、千を有に超えるほど羽根が重なった翼が広がっていた。


 そんなことは、中立世界の人間は知らず。後日の王室にて二つの【アルカナ】が話し合っていたのだった。


「……ううーん……本来ならもっと詳細な報告を求めたいんだけどね、踏み込んじゃいけないってわかるから一概に責められないんだよなぁ。」


「そもそもこう言う案件はそもそもゲッちゃんかリクロー向かわせた方がよかったとは思ったんだけど……。」


「いや、魔法の概念がふわふわしてたり全くない世界にゲッちゃん達派遣しても事態はややこしくなって逆に不信感買うだけだからメイさんを頼ったのはいい判断だった。」


 さて後日談として……僕の持ってきた書類を前に端正な顔に苦笑を滲ませるタッちゃんと、同じく苦笑する僕。ちなみにタケルさんと名留ちゃんは門番のお仕事をしてもらっている。


「リクローはともかく、ゲッちゃんは魔法の概念がない世界の配慮できないでゴリ押しで物事進める傾向あるからね、それにしても……本当、どうやって天使と悪魔を始末しているんだろう、いつもながら錫朱の区はそういった方面は静かだったよ。」


「僕も聞こうと思ったんだけど、ダメだった。」


「やっぱりねぇ……いや、敵じゃないのは分かっているんだよ、俺も。」


 タッちゃんは叱ることなく書類へサインをする。それは彼の手を離れて一つの水晶となった。


「あの人達については秘匿になっていることが多すぎる、どこまで頼っていいのか判断がつかない。」


 タッちゃんは引き出しを開けてまた一つ水晶を出した。金色に光ると、数枚の紙束へ変貌する。それを片手でつまむと一片を読み上げる。


「先先代の王の時に大規模な侵略防衛戦があったみたいでね、当時の【アルカナ】も全滅、王が自分の命を引き換えにして大規模な消滅魔法を使おうとまで思った程だった。その劣勢な防衛戦をメイさんがたった1人で終わらせたって話があった。」


「……それ大分昔の話だよね、あの人幾つなんだろう?」


「これ聞いて考えることそこ?確かにそれも謎だけど不思議なのはもう一つ、どうやって、何を使って、天使と悪魔入り乱れた侵攻を終わらせたか。報告書には何も書かれていない。」


 タッちゃんの指がパラパラとページをまくる。


「被害規模、戦死した【アルカナ】の名前、アルカナじゃなくとも一般兵士として戦って死んだ人……あらゆることが事細かに書かれているのに、終わった経緯は何もないんだ。ただ一言『道具屋の主人、メイの名を持つものが侵略者を消し去った。』これだけ。」


 【アルカナ】や中立世界を守る立場となる際、防衛戦について話を聞くことがあった。防衛戦の規模から犠牲者まで仔細を残すのは王の役目で、皆きっちりと残していた。誰がどう終わらせたのか、ということも。


 前王の前の王の時代は、結構な頻度で防衛戦があったし性格も完璧主義と言われていた。逸話通り遺された書類は本当に仔細分厚く書かれていて、短くても10枚程度。その唯一短い書類こそ、メイさんが終わらせた防衛戦だけだった、それは僕も読んで把握している。


「あの人が俺達が思っている以上に強い力を持っていることだけは、分かるんだよねぇ……。」


「そもそもメイさんもアレスタさんも、本当に人間なのかな?」


「俺も何となく魔力を探ったけど、普通の人間としか感じなかった。それに、人間じゃなかったらタケルさんと名留ちゃんが何か言ってくるんじゃない?」


「それが、2人とも『人間だと思う』ってしか言ってくれないんだ。」


「何それ、どういうこと?」


 タッちゃんが丸い目を更に丸くして身を乗り出した。どういうことと問われても僕だって知りたい。メイさんのことを問うと、タケルさんも名留ちゃんも、首を傾げるのだ。


「人間だと思うんだけど、やってることは人間離れしてんだよな……天使と悪魔両方できることを人間がしているし、でも気配も匂いも人間だ。探れば探るほど分からなくなって、途中で辞めた。」


「meもメイさんとアレスタさんは人間だと思うよ。あーでも、あまりにも完全に人間!!って感じで逆に不気味何だけど……何だろう、すごく闇深いっていうか探ったら何かとんでもないことなりそうっていうか、ごめんぶっちゃけ、探るのが怖い……。」


 悪魔か天使か人間か、あるいはそうじゃないかという質問に対して、普段ならはっきりしっかり答える2人が僕から気まずそうに目を逸らしてこんな答えを出した……その態度に、それ以上の追求はできなかったのもある。

 違和感が満載な態度を思い返しながらそう言うと、タッちゃんは乗り出していた身をまた椅子に預けた。


「なるほどねぇ、コーちゃんありがとう。いつかはわかることかもしれないってことだけを信じるしか現状できないってことはわかった。はいこれ、報酬のスイーツ。渡してきて。」


「わかった、ありがとうねタッちゃん。」


 タッちゃんから白い箱を受け取ると、僕は杖で空を叩いて出した扉を潜った。すぐ先は『補給線』の看板を掲げた一軒家。

 ちょっと重いドアを押して開けると、棚卸し中の2人が揃ってこっちを見た。


「あれ心愛ちゃんいらっしゃーい、1人って珍しいね。」


「いらっしゃい心愛ちゃん。何か入り用かな?」


 2人それぞれ挨拶をしてくれるのを、会釈して返した。


「お疲れ様ですメイさん、アレスタさん。タッちゃん……王より賜りましたお礼を届けに。」


「あ、マジで!?やったスイーツ!!」


 アレスタさんが小躍りしながら差し出したボックスを受け取る。


「やっべええ俺が欲しいって言ったもんの数段いいケーキじゃん!!しかも期間限定フルーツに黄金カスタードクリームタルト!!メイちゃんお茶にしよ!!看板休憩にするわ!!」


「まだ開店すらしてないだろうが。」


「いいじゃんいいじゃん美味しいものは美味しいうちにすぐ食べないと美味しいものに失礼だって!!」


 アレスタさんは箱を大事に抱えて奥へと入り、それをメイさんが呆れた表情で見送る。


「ったく……それにしてもお礼、本当に用意してもらっちゃってごめんね。」


「え、ええ!?そんな謝らないでください!お礼はきちんとしないと……。」


 というか、謝るべきは道具屋さんに【アルカナ】の仕事を任せてしまった僕らの方だというのに、そう言う思いから狼狽する僕を見てメイさんはフッと口元を緩めた笑みを浮かべた。


「いや、こっちが知っていて色々秘密にしていることもあるからね、例えば君が今契約しているタケルくんと名留ちゃんのこととか、本来の天使と悪魔とは一体何なのか、今の連中が何を企んでいるのかとかね。」


「え……?」


 タケルさん達のことを振られた僕の心臓が、大きく跳ねた。そのせいで後半何か重要な言葉が聞こえた気がしたのに、全く覚えていなかった。

 僕の顔色が悪かったような感じなのか、今度はメイさんが慌てた。


「あ、いやごめん、脅しているわけじゃないし心愛ちゃんだっていずれ話すつもりなんでしょ、あの2人について。」


「え、ええ……そう、ですけど……。」


「その時まで俺は何も手を出さないし、俺らも、いつまでも秘密にしていたいわけじゃないんだよ。」


 謝っているメイさんは困ったような優しい表情で僕に椅子をすすめた。ちょっとだけ話がある感じの空気を察して、僕は従う。


「俺達が持っている情報は多いと同時に確信が持てないことが多いからおおっぴらに話せない、でも、君らの敵にならないことだけは信じてほしい。」


「あ、そ、それは何となく分かるんですが……メイさんって、本当に何者なんですか?僕は2人のこと、誰にも言ってないのに……。」


 誰にも話していないはずのことを仄めかされて動揺している僕の、隠せなかった疑問を口にしたら、メイさんは僕の動揺を受け止めたのか怒ることなくちょっと口角をあげて言った。


「人と珍しいものが大好きな、ただの道具屋のおっさんだよ。」


「そして俺も、人と珍しいものと美味しいものがだーいすきな道具屋の看板お兄さんでぇーす。」


「わ、アレスタさん!?」


 メイさんの背後からひょっこりと顔を出したアレスタさんが、両手に二つのトレイを持って現れた。


「小難しい話はおしまいにして、お茶淹れたからケーキ食べよ。ほら心愛ちゃんも!」


 テーブルにそれらを並べると僕の腕を引っ張っていくアレスタさんに、僕は門番をさせている2人を思い出して踏みとどまった。


「あ、あの僕まだ仕事中で……!!」


「って言ってもな……ケーキの箱の中に、心愛ちゃんと3人でどうぞって手紙入ってるし、アレスタ、ケーキ3人分だったろ?」


「そそ、ケーキ3つ入ってたの。だから心愛ちゃん今日はここでお茶してからお仕事行きな、タケルちゃん達でも門を守るくらいならできるでしょ。」


「たまには部下に任せることも大事だよ。」


 メイさんはアレスタさんを止めることなく、着席してしまい。

 肝心なことはわからずじまいで、1時間ほどお茶会をしてから僕は仕事へ向かうことになったのだった。幸いにも、2人が門番している間トラブルは何もなかった。30分どころか2時間不在にしたことについての機嫌は悪かったし、雲の上でジタバタする名留ちゃんを、来訪者さんに見られたことは今回1の恥だった。


「ケーキ食べたかったああああああ!!」


「ごめんて……。」


「……ケーキ食うのもちょい長くなるのもいいけどそう言うのは俺も連れてけ、野郎だらけのところに1人で行くな。」


「タケルさんに至っては注意するのそこなんだね!?」

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