2

「鏡を作るの。水と水を合わせて。こうやって。」


「ええ!すごい魔法だね、……あれ?僕はできないや。」


「『  』が魔法を使えないのって、住んでいるところは魔法が使えなくても生きていけるようになっているから、ってパパが言っていたわ。だから仕方ないんじゃないかしら?」


「ええー……便利そうなのになぁ。」


 若葉を思わせる髪色の小さい女の子と短く刈り上げた黒い髪の男の子が2人、川縁で遊んでいる。そういえば、来訪者さんの名前を知らなかったからその部分は波のような音でかき消される。ただ情報収集に支障はないからそのまま見続ける。


「いいなぁ、僕、魔法使いたかったなぁ。空だって飛べちゃうんでしょ?」


「あら、使えても大変なことは多いわよ?疲れちゃうの早いし、疲れると何もできなくなるもの。」


「魔法って、疲れることってあるんだね。」


「当たり前よ。」


 幼い子供らしく木登りをして、川を自由に泳ぐ魚をそろって眺めて、木漏れ日を駆け回る2人と他愛ない会話が続いていく。この暖かい光景は彼の中で一番印象深い記憶、彼にとって忘れられない記憶なのだろう。


「でもさあ、僕もちょっとくらい魔法使いたいよぉ。いいなぁ僕も魔法使いたいなぁ。」


「どうしてそんなに魔法使い隊の?」


「だってお揃いじゃん。」


 少女と目を合わせた少年は、頬を膨らませた。


「一緒に空飛んだりさ、一緒になんか、魔法で遊んだりできたらさぁ、もっと『  』と、一緒にいられる時間増えるじゃん。」


 ちょっと拗ねながら澱みなくそんなことを言う少年の顔を、少女はしっかりと見つめ、そして少女らしく頬を赤らめ笑った。


「……仕方ないわねぇ、そんなに魔法を使いたいなって思うなら、『  』でも使える簡単な魔法、教えてあげる。」


「え!!なになに、教えて!!」


「グラスに水を入れて、月に翳すの。」


「それだけ?そうするとどうなるの?」


「これはね、『  』が私に会いたいよってわかる合図なの。これをしてくれたら、私、『  』に会いにいくわ。どんなに遠いところにいても、絶対、必ず。」


「本当に?」


「えぇ、絶対。」


 約束を交わし、笑い合う2人の横顔はとても幸せに満ちている。その時見えた彼女の瞳の色は髪色と同じ色をしていた。

 場面が変わる。


「……街の人達の感染者数が……。」


「薬草の……。」


「また死者が……!!」


 あの少年よりも精悍な顔つきになった青年……来訪者の彼が険しい顔で赤いカーペットの敷かれた床を歩いていた。足早に外へ目指す扉へ歩を進めている青年を追うように、上等な布で作られた、しかしデザインは質素な服を身に纏った男女が次々と良くない報告を告げている。


「倉庫に保管していた薬草を全て使え、快方に向かっている感染者の血液を採取しろ、血清を作成できるならすぐに作るように、作業場の用意はしてある、作れたら重症者から先に投与を。私は隣の国へ行く。」


「『  』様、どこへ!?」


「薬草の確保と治癒魔法の援助を頼んでくる。それから調査依頼もだ。病の感染率があまりにも高すぎる、我々の力だけでは解決策を打開できないなら、我々のない知恵、技術を頼る他あるまい。」


 しかし、そんなことをしたら……と1人の老人が言い淀むが、青年は険しい顔で振り返った。


「交易や利益を優先した国政も大事だが、国政を支える数多の命が今かかっている。そんなことを考えるのは後にしろ。」


 どんよりとした分厚い雲で覆われた、どこかの街並み。普通ならまだ人で賑わっているだろう街中の人の表情はどこか不安げだった。

 彼は扉を開けて外へ行く、最初から用意していた馬に飛び乗ると駆け出していった。


「……どうか、無事に戻ってきますように。」


 どこかの家の屋根の上、指を組み祈りの姿勢をとって1人の女性が立っていた。緑の髪が風を受けてふわりと遠ざかる広い背中を見届けているその背中に、薄い緑色の羽が見えた。


「聖女様!!」


「聖女様万歳!!」


「ああ聖女様……お告げの通り息子は苦しむことなく天へ召されました、聖女様へ仕える御身と慣れたこと、きっと喜ぶでしょう!」


 場面がまた変わる。恐らくこれが彼が最も伝えたい情報、聖女の記憶なのだろう。彼が出ていった後の街だと形からわかるが、どこを見ても廃れ薄汚れている城壁や家壁……畑は荒れて、やせ細った家畜が鳴いている。その街中を静かに歩く白いローブを纏った、金色の糸を思わせる長い髪が見える。それまでも覆い隠すように白いヴェールがそこから覗く『理想の美しさ』を詰めたような澄んだ青い瞳の綺麗な女性が、薄く微笑みを浮かべている……この作り物めいた感じの時点でもうこれは真っ黒だと感じた。

 聖女に傅き、その姿を日中に晒している何人かは、異常なまでに肌は青白く、目には活気がない。立ち振る舞いは普通の人間のように、いや、生前を模して振る舞っているんだろう。


「せいじょさまは、すばらしい。」


「聖女さまを信ずれば救われる。」


「聖女様のお言葉を聞けば全てが救われますのよ。」


 その口から吐き出されるのは聖女のことばかり。知己の者の問いかけも届かないらしい。だがその人達も、死んだ彼らが生き返ったことで聖女を担ぎ上げ出していく様が見せられた。


 その光景は一見すると絶望した世界に一筋の希望が現れたことに対して、民が喜んでいるようにも思える。けれど、その目の光は濁っていた。


「ねぇ、貴方はどうするの?」


 場面が切り替わる。貴族らしい広く調えられたどこかの一室。ますます険し句なった顔の来訪者さんの眼前に、女性がいた。灰色のローブを頭から被ってはいるが、サラリとのぞく緑の鮮やかさで誰がいるか今まで見ていた僕は、それが彼の大事な人であることが分かった。


「聖女は貴女方一族の持つ力を忌むべき者だと告げた。」


「知っているわ。叔母様が襲われたもの。命には別状ないけれど。」


「貴女と婚約していたら、今まで繁栄していた我が一族も滅びる。」


「知っているわ。だから婚約を破棄すると私も同意したもの。」


 婚約者さんは今、来訪者さんを真っ直ぐに見ているだろう。でもその表情はローブに隠されて分からない。


「その後よ。貴方。私達を遠くに逃して、貴方はどうするの?」


「……聖女に、仕える。」


「嘘。じゃあどうしてこの館に使用人は1人もいないの?ご家族はお父様しかいらっしゃらなかったの?」


 僕はそういえば、と今更ながらその部屋が異様に静かなことに気づく。人払いをしているとは思うけれど、来訪者さんは家の使用人を逃していたのだろうか……?来訪者さんの顔がその指摘を受けて初めて表情が変わった、眉間の皺が一瞬だけ取れて、苦悩で歪んだ。


「すまない、こればかりは言えない。」


「言いたくないのね。」


 彼女は来訪者さんから遠ざかり、大きいドアへと歩を進めた。来訪者さんは唇をかみしめてその後ろ姿を見送ろうとした……その時だった。


「グラスと月。」


 婚約者さんは、子供の頃遊んでいた少女と同じことを言った。


「効果はちょっと変わったけれど、私の教えたあの魔法は、まだ使えるから。」


 ローブがふわりと上がった一瞬見えた顔は、笑っていた。若葉の瞳は幼少の頃の輝きを失っていなくて……彼への気持ちがまだあることを如実に伝えているように見えた。


 空間が揺れる。


 誰もいないが天蓋付きベットと大理石の机、大きい本棚に何冊も入れられている本。それ以外に物がない広い部屋。来訪者さんがその机の上に一つの剣が置いてある。長さからして長剣の部類に入るだろうそれを、彼はただ見つめている。そういえばこれ、ここにも持ってきていたな。


「……準備はできた。」


 誰もいない空間だから声も靴音も響く。その音が向かった先は、月が丸く綺麗に覗く窓際。


「……約束は、続いている、か。」


 彼はグラスを持つ、最初から注がれていたらしいそれが持ち上げられた振動で揺れる。そして徐に、それを月へと翳した……。


「え……!?」


 月が輝く。輝きは徐々に強くなり、そして目の前に、大きな扉と3つの人影があった。


「はーい心愛ちゃんお疲れちゃん。んであれね、黒。」


 記憶はもう再生されないだろうという、真っ白に戻った世界から扉を開けて戻って早々、名留ちゃんが先に口を開いた。


「蘇生魔法も思っていた通り、予め自分の魔力を流し込んで死体になった後、生き返ったように見せる方法だね。しかも今回、疫病って形にして天使の魔力を人間に流し込んでるから、あっち行った時、面倒なことになるかも。」


「……お前視界共有しただけでそこまでわかるの?マジ?うっわキモ……。」


「シッツレイだな、死の魔法に関しては結構鋭い自覚はあるんだぞ何でか知らないけどね!?後おじさんは後で火山でろ。」


 名留ちゃん自身が自負している通り、彼女は『死』に絡んだ魔法とかに関しては本当に詳しいし、持っている知識に基づいた見立ては10割正解だったりする。


「分かった、ありがとう。そういうわけで其方の世界で崇められている聖女ですが、完全に此方が対処すべき案件でした。至急対処しますね。」


 記憶を見て得た情報を僕はやることの算段をつけていたら来訪者さんが狼狽えてこっちに駆け寄ってきた。


「も、戻ってくるのが早くないか!?私の記憶を見ていたのではないのか?」


「あ、すみません、記憶を見ると言っても貴方の人生全てを見るわけではないんです。」


 来訪者さんの戸惑いは尤もだがそれよりも最重要事項を優先させたい。すぐ後ろの大きい扉へ杖先を叩くと説明を続けた。


「僕の魔法は、どの記憶を見たいかある程度僕が選択ができます。時々、その人にとって強く焼きついた記憶や、忘れたくない記憶を一緒に見ちゃう時もあって、そう言った記憶が多いと見終わるのに時間がかかります。」


「それでもまあこっちの体感10分はかからないんだよね。」


 名留ちゃんの補足も入ったところで、中立世界への解錠は済んだ。


『アルカナ武器キファ・ボレアリス、認証確認、転移を認めます。』


 扉のデザイン上からは考えれないくらい無機質なアナウンスが響く。豪勢な木製の扉と機械的なアナウンスなアンバランス情景はさておいて、重い音を響かせて扉は開いた。


「タッちゃん……ええと、うちでは中立王と呼んでいますが、簡単に言えば色々統括している上司がいるんですが、彼に話をするのでついてきてください。今すぐにそちらの行きたいところですが、貴方の滞在許可も含めた話にもなるので。」


「滞在!?いや、私は……!!」


「ごちゃごちゃ言ってもアンタはちょっとこの世界で待ってもらう必要があるんだよ。だからおらとっとと入れや。」


 タケルさんが呆然と立つ来訪者さんの背をバシッと叩いて半ば押しやるように扉へと入れる。来訪者さんは丁寧にお迎えしろって後で言わないとなぁ……。

 さて、僕が今入った扉は中立世界の中央区を治める王、中立王の間に直接繋がる場所だ。何でこんな所に門を置いているのか、と言う問いに答えるなら、偶像化によって転移が使える僕が門番だから置ける、と答えるべきだろう。あと、この門を開けられるのは僕を含めて今2人しかいないと言うのもある。


「え、えっと、そんな畏まらなくてもいいんですよ、王と言ってもそんな大したことはしてないので……。」


「いいえ、王という身分ならば、私のような一介の貴族は敬意を払わねばなりません。」


「ええー……コーちゃん俺どうすればいい……?」


 困った顔をする僕らの上司、もとい中立王と跪き頭を下げる来訪者さん、両方に視点を向けて苦笑するしかなかった。


「えーと……ようやく顔を上げてくれましたね。ようこそ中立世界、中央区アルカナ神殿へ。俺の名前は龍軌【タツキ】。彼女から説明されていると思いますが、俺が上司で、この世界の守護を統括している意味で、王と呼ばれています。」


 髪は金。高価な糸を束ねたみたいにサラサラな髪と、同じく金色の綺麗な瞳を持つ、目鼻立ちが整っているのもあって女性のように見えるけれど、浮いた喉仏とかしっかりとした肩幅とかそこそこ筋肉がついている体格から男性とわかる。基本的に白基調の王様みたいなキラキラした服を着ているのと本人の雰囲気からこうやって王に支える人達は初見でひれ伏せられることは茶飯事だ。

 というか来訪者さんが僕を見て「彼女?」と呟いたのは……体型目立たないよう分厚めにローブ着てるから仕方ないって言えるだろう。


「心愛は女だぞ。それも脱いだらとびきりいい女だ。」


「そーだそーだ!ナイッスバディなmeの自慢の契約主様だぞー!」


 使い魔にとっては些事じゃなかったようだが。


「ええとまあ、あの二人の話は聞かなくていいです、はい、本当に。僕の性別については割とどうでもいいので。それよりもあなたの世界をどうにかしないといけないです。……王、『世界干渉』許可を。」


 僕がタッちゃんに向き直ると、彼は分かっていたように笑って頷いた。


「今日のことはわかっていたからね、行っておいで。彼は俺が保護するから。」


 その瞬間、『幼馴染のタッちゃん』の笑みが消えて、上に立つ王の顔へと変わった。


「アルカナ【審判】の他世界転移による天使討伐を認める。」


「拝命しました。」


 その言葉さえ出ればあとは簡単。僕はすぐ杖の先端で地面を叩いた。


「【キファ・ボレアリス】。」


 光が床へ広がると、僕の足元へいつもの扉ではなく、いくつかの文言を組み合わせた魔法陣が展開される。


「転移認証。」


 光が線となって絡み合い、作られる言葉は僕がさっきの扉で見た記憶。来訪者さんの世界の情報だ。それらが魔法陣として書き込まれ、僕を来訪者さんの世界に連れていく転送魔法となる。本来なら難しい転移魔法は【偶像化】を得意とする僕がやると強大な魔力とか手間はそんなにいらなかったりする。何故なら事前に転移する世界の記憶があって行きたいところへはイメージができる。魔力も自慢じゃないが結構ある。


「タケルさん。」


「はいよっと。」


 ただ僕の場合は誰でも転移できるわけではない。僕が転移で連れて行けるのは二人だけ、その頭数に使い魔も含まれる。戦力的にはどちらも強いのだが、付き合いの長さと、場慣れしていることもあってタケルさんに任せてしまう。彼もそれを嫌がっていないようで、僕の側に降り立った。

 光が強まり僕らを包む。やがて僕らの視界からにっこり笑って手を振るタッちゃんと名留ちゃん、呆然としている来訪者さんが見えなくなっていった。

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