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ナビゼキがこれまで育てていた特産物、ニヅ。
それこそ世界でも、有数な依存性を持つ麻薬「ニヅハナタ」の原材料であった。
この事実を知っているナビゼキの村人は、ただの一人としていなかった。
長老とて、薬として使われていると信じていたのだ。
ということは、それまでずっと騙し続けていた人物がいるということ。
ジェク。
陰でニヅのルートを確保していた一族。
現当主のジェク=クァムの代まで、それは脈々と受け継がれてきていた。極秘裏に麻薬を製造、売買し、多額の金銭を享受し続けるために、ナビゼキという小さな村を利用していた。
「あの障壁、ジェク家だけに伝わる共創魔なのよね。そりゃ、入念に秘匿するわよ。けれどジェク=クァムがニムナに取り込まれたことによって、障壁は霧散してしまったの。子供はいたけど、その子には伝授してないしね」
ナビゼキに障壁が張られている理由は、ニヅのためというものももちろんあるが、外部との接触を断ち、極秘裏に麻薬を栽培するというものもある。
在り処を知られたら、ミナヤのように根絶を目論んでくるかもしれない。危険はいつどこともなく現れる。ジェク家は古来より危惧していた。
「ニヅって、世界中でもこの村しか育てらんないのよねえ。試しに妾もセゴナに持ち寄って栽培してみたんだけど、どうやっても良質の麻薬にできるまで育てらんなかった。魔のない正常な空気と、ナビゼキの特殊な土壌。これが組み合わさって、初めて生育できる。……あ、仮に作れたとしても、使う気は毛頭なかったってことは断っておくわね」
ミナヤは長い間、どこで栽培していたのか探りを入れていた。それまでニヅハナタの出所は不明だったのだ。そして、ついに発見した。ナビゼキという、障壁に覆われた村こそ元凶。
結局、ミナヤの前では些事も大事も隠し通すことはできない。
「壁を突破したら突破したで今度は口仕事。妾はそこまで暇でねーし、身体を動かす方が得意なんだっちゅうに」
ナビゼキの住民にミナヤは危険性を説き、村人を説得することに成功。ニヅを処分する代わりに、ミナヤが麻薬には加工できないよう品種改良した新たな植物『ニズ』を用意した。
これをセゴナに輸入してくれればモヴィ・マクカ・ウィよりも高く買う、という契約。セゴナの医療では、ニヅを煎じるよりも遥かに効果の高く、また副作用がない薬があるにも関わらず。
……しかし、ニヅはナビゼキの誇り。
いかにそれが人に牙を剥く代物であっても。また、代替案を出してくれても。
魂は、おいそれと失っていいものではない。
ミナヤは長年説得を続けた。その間、ニヅハナタのルートを潰しながら。
何十年。それこそナビゼキで産まれた子が、老いて死ぬまで。
村の人間が新陳代謝を繰り返すような、ヒトの身では永き時。
村人全員の意志が統一できたのは、ジュの祖父が長老となった段になってようやくのことだった。
幸い、タイミングを同じくして、村で発言権を高めていた女性がいた。元セゴナの国民、しかもクロック教の信者だったこともあって、ミナヤとナビゼキの橋渡しとして懸命に働きかけてくれた。
そうなれば、あとはニヅをこの世から消すのみ。
この気持ちをくみ取ったミナヤは、自身が外界からの侵略者として、自分一人で全ての元凶を焼き払うことに踏み切る。避けることのできぬ災害として自分の身をやつした。
「八百長っていえば八百長よ。双方に利益をもたらすため、あらかじめ取り決めをしておいた侵略行為。妾がやりました。謝罪します。これを育ててくれればお金をあげます、ってね」
そうして決行されたのが、シャ=イサが見た、ニヅ畑の消失。
「それをやったら、本命が釣れたのだから楽なものよ」
ニヅ畑が燃やされることが、誇りまで燃やされていると感じたシャは、ミナヤへ牙を剥く。
もしこの時点で事実を話せば、井の中の蛙であった当時のシャは、まだ信じたであろう。
だというのにミナヤは、誤解をしていると知っておきながら、ここまで放っておいた。
「セゴナ人ではない全く普通の人間。そんなシャ=イサに、人類の大きな進歩の波長を感じたから、妾は欲しくてたまらなかった。およそ五十年。そのぐらいの月日が経てば、この子は覚醒し、妾が望むだけの力を得る。セゴナ人でもないのに、セゴナ人と同じくらいの潜在能力がある。妾にとってそれは、人類の革新を確かなものとできる、生きた証拠なのよ」
シャが剣を向けたその瞬間。
ミナヤの計画は、麻薬の原材料を根絶することから、覚醒する人間を確保することに移行した。
「……まあきちんと罪悪感は持っているわ。覚醒には一度、絶望を受けてもらう必要があったの。それも、単なる絶望では駄目」
シャには、ミナヤを許さないという精神を抱いてもらうことによって、ミナヤに反旗を翻してもらう。
シャには誰も何も伝えず。それだけで、見事に思い込んでくれた。
自らの脚でそこに辿り着くまでに得られる経験。それが必須だった。
灯火さえ見えてくれれば。そしてその灯火は、明るく鮮やかな色でなくともよかった。
灰色で、ただ無機質なものでも。
その一点だけが見えれば、あとはそこへ向かって、突き進んでくれる。
さすれば、シャは自らの足だけで目標へ辿り着ける。
そのためにミナヤは悪魔を演じた。
こうしてシャはミナヤに恨みを持ちつつ、モヴィ・マクカ・ウィへ、ミナヤの企み通りに逃亡し、望むとおりに才能を開花させた。
その才能は時と場所と環境を間違えたおかげで、結局はまともな結果を産み出さなかったという「オチ」こそあったが。
「ま、予想通りよ。当たりすぎて、むしろ気持ち良くないぐらいにね」
そして、味のない料理を彩る一粒の香辛料は、ジュ=ヤミという一人の少女。
「あんたがいなきゃ、シャの復讐の動機にはなりきれなかったからねー」
シャの幼馴染であるジュは、シャがもっとも好意を寄せている女。
それだけ愛する女が、もしも敵の手に寝返っていたとしたら?
憎き敵の下に従事する、最愛の女。それを救わなければ、それは「男」ではない。ただの、二足歩行する動物だ。
ミナヤはジュを、セゴナに来るよう勧誘した。シャ=イサのためには、セゴナに来なければいけないと言えば、ジュは簡単にその言葉を信じた。
ジュの母の親友を頼りにして、セゴナに住み、ごく平凡な女の子として過ごし……ジュは僅か数年で早熟な才能を開花させ、ニムになるに至った。これに関しては、ミナヤは「それほど」手を加えていない。
「それほどという理由は、前にも言ったけど妾、生物の適応力を跳ね上げさせる共創魔を持っているのよ。でも、適応力を上げるだけで、ないものまで作り出せない。あんたは謙遜してるけど、本当に才能があったのよ。ただしシャ=イサほどではなく、言ってしまえば『普通の天才』が関の山。そんなのは別にいらないし」
それだけ、ミナヤはシャだけを眼に掛けていた。
「それでね。ニヅを焼き尽くしたおかげで、連鎖反応が起きた」
その一方。
大切な収入源を奪われたジェク=クァムは、ミナヤを許すことができなかった。
ニヅハナタによって得る利益は莫大であった。モヴィ・マクカ・ウィの影でジェク家が影で暗躍できていたのは、この資金源によるもの。
ミナヤがニヅの撲滅に動いた時点で、いつかは失うことが確定した。動くなら資金のある今しかなかった。
形はどうあれ、大切にしているものを奪われた気持ちなんて、容易に想像できようものか。
「あの子はねー……強情だから。妾が限界まで引き延ばしたけど、どうやってもあれが限界。所詮、妾もまだ運命力不足」
ミナヤを倒すために、シャ=イサを騙し自らの駒として、私情の戦争へ踏み切った。
そうして起きたこの戦争。
ミナヤにとっては、ジェク=クァムの行動により。最高の舞台の上でジュとシャの二人を引き合すことが可能となったのだ。
……さて。
ミナヤが一つの石を投じたことにより、一体どれだけの鳥を落としたのか。
数えるのも馬鹿馬鹿しくなる。ミナヤの策略で起こし、ミナヤの策略で終結させる。多少の誤差があろうとも、全てはミナヤの青地図と同じ。
「全てはミナヤ様の計算通り、ですか」
「まーねー。おかげでシャも手に入るし。夢が広がるわー。急にやれることが増えた感じよ。目下めんどくせー問題があるけどね」
「今は特に、失業者が心配ですか」
「軍需に頼った経済をしていたから、それがかなりクるわね。まともな産業もないし。でもま、私財を投げ打つしかないわね。その辺は、また何百年か掛けて頑張るしかないわ。ここ数十年はあの子経由で、モヴィの経済に手出しもできるしねー。妾が表立って行動すると、すっごく反発するから、あの国の子たちは」
――あの子。
刹那主義でありながら、未来のことを見据えている、あの女の顔が思い出される。
まああの女のこと。クロック教の司祭でもあることだし、どちらかの不利益になることでもなければ、ミナヤの提案に乗っかるだろう。
「まこと、気の長いことです」
不老不死だから可能な、長期的な国の運営。
「もっとも、妾が思った以上に成果を上げてくれた部分もあるけどね。計算には含まれてなかったけど、まあ正の向きに転がってよかったわ」
……シャが燃え盛る村の中で見た、ナビゼキの住民がニヅの炎を眺めながらただ茫然としていたことは別段、村人たちの演技というわけでもない。
ナビゼキにとってニヅとはいわば、国旗だ。村の象徴。いくらそれが、何万もの人々を陥れた元凶だったとしても、そう簡単に切り離せるものではない。
そのようなものを失い、演技などするものか。
その喪失感。生の感情。
それに当てられて、シャは復讐を誓った。
幸か不幸か。ミナヤの意図していない部分までも、ミナヤ都合のよい方向へ働いてしまった。それも相まったから、より確実に成功してしまったのだろう。
「ま、修正すらも妾の才能あっての話だよね。普通の人間にはとーてー不可能」
これまでは真面目に話してただけなのか、いきなり朗らかとなった。
「セゴナ人は謙遜に美徳を感じるといいますのに、当のミナヤ様は尊大なお方なのですね」
「だってぇ、妾って別にセゴナ人じゃないしい。生まれも育ちも、数千年前に潰れた、今や影もなき小さな島国。妾だって自分の目的のために、セゴナを利用してるに過ぎないしね」
「ミナヤ様の目的とは、それは、どんなものですか?」
大国を自らの手に乗せていて、それでもまだ踏み台にしかすぎない。どれだけ大きな大使を持てば、これだけの力が会って尚、物足りないのか。
「簡単簡単。全人類を進化させ、この地球を救うこと。そのために妾は、無償の愛を全人類に注ぐのよ。妾の手から離れるその時まで、ね。このぐらい操作できないようじゃーね」
セゴナは千年も必要なかった。この調子でいけば、生物が何万年とかけて少しずつ進化していたものを、僅か数千年で成し遂げることができよう。
……そこまで、地球が持てば。
人類は、それこそ地球を滅ぼすことだってできる。それが兵器によるものである必要すらない。そこいらにある木をひたすら倒し続ければ、いつしか生物に必要な酸素をなくすことができ、結果的に地球を滅ぼせる。
が、そんな莫迦げた行動を起こせる生物は、そもそも人間しかこの地球上には存在しない。
ミナヤは人類を愛する。そして人類は自らの力で滅びることのできる唯一の生物。故に、ミナヤは人類という暴れ馬の手綱を握るため、今は一国の神をしている。
最終的には、人類を暖かく見守る……いわば、母となろうとしている。
「まったく。それなりに尊敬はしているますし、実行に移せるだけの力があるのですから、是非とも全てが、わたしの期待通りの神様でいてください、ミナヤ様」
「妾はどちらかと言えば光。けど主人公は悲しいかな、あんたたちであって、妾じゃないのよねえこれが。脇役は主人公を支えるものでしょ。だから妾はこんな塩梅でちょうどいいの」
「わたしだって主人公ではありません。わたしが望む役回りは、縁の下の力持ちです」
「手前の人生は手前が主人公っつーのが普通なのに、あんたの人生はシャ=イサが主人公だってところなのね。いやー、妾に口うるさいどっかの誰かさんみたいねー。いいの? 脇役のままで。今からでも主人公を張れるのよ? ニムをしてるんだもん、華々しいわよ」
「いいえ。イサちゃんが望むのなら、わたしは喜んでこの身体を差しだしますし――現に、未遂に終わったとはいえ差し出しましたし――影にもなります。イサちゃんの傍にいることこそが真の喜び。もっと周囲に、イサちゃんの魅力を知ってほしいのです。そしてその魅力的な男性の裏には、どこを見てもわたしの影が! ……と、そういう目的のためにわたしはミナヤ様の野望を『利用』しているのです。ありがとうございます、これでイサちゃんに粘着できますから」
全てを思うままに操るミナヤにそれでも少しぐらいは反撃したい。それが操り人形の心情。
「うっわー、酷い惚気。もーあんたら夫婦になれ。妾に刃向うなんて、【異体融心】でもしなきゃしないわよ普通。勝てると思ってんの?」
「当然、ありません。ただの人間が、神と称するしかない人間に勝てる道理がどこにあるのです。わたし自慢のイサちゃんだって勝てなかったんですよ?」
それどころか、挑発に簡単に乗って負けていたりもしたが。
「ですがまあ、わたしたちはさらなる飛躍が待っていると信じています。ミナヤ様は跳び箱でしかありません。子供は、いつか母から自立するものです」
「ありがたいわね。あんたみたいなのが育ってくれて。母さん悲しくて涙が出ちゃう」
よよよと泣くミナヤは、これでなかなか大根役者であった。
「わたしみたいな不出来な娘でよければ。というか、セゴナにいくらでもいるじゃありませんか。わたしよりも優秀な人なんて」
「万能者よりも特化者のが使い勝手はいいしー。ニムって典型的な万能者。何でもできる代わりに、思った通りのことしかしてくれない。……けどね、あんたの能力はニムそのものなんだけど、やってることは違うのよねえ」
「わたしなんて所詮、一人の男性のことしか考えられない、猪突猛進な女ですよ?」
「いやいや。あんたは自分とシャ=イサだけが幸せになればいいって思ってる。けどね、だからと言って、他の誰かを押しのけて幸せになろうとはしていないでしょ。医術を学んだのはシャ=イサが怪我をしても治せるように。だけど結果的に人のためになってるんだから。鎮守府にはあんたがいなかったら、どうなってたことか。ニムナをもっと早くに派遣する必要があったわ」
「身に余るお褒めの言葉、恐縮です。ついでに、皮肉も」
「皮肉じゃないわよミイ=クイじゃあるまいし。本心よ」
当たり前に、公私の私での、ジュとミイが繰り広げるやり取りを知ってたりもするミナヤ。
「わたしは評価されるために行動しているわけではありません。それを言うなら、是非ともイサちゃんに言ってあげて下さい」
「もうシャ=イサを妾は十分評価してるわよ。大体、自分を犠牲にしてまで他人のために尽くしたのに、認められないって辛いじゃない。だから妾は、誰かを贔屓しない」
「……だとすると、イサちゃんを処罰しますか?」
贔屓をしないとは、誰にでも愛想を振りまくことではない。
戦争の責任は、誰かが負わなくてはならない。シャは結果ではあるが、何万もの兵士を、みすみす失った敗残の将なのである。まあもっとも、死者は零であるが。
「ノンノン。さっきも言ったけど、名前を変えてくれればそれでいいわよ。けど、表向きはそうも言ってられないからねー。シャ=イサは戦争を起こした罪を贖うため、セゴナで働いてもらう……という大義名分をなんか作るつもりよ。仮にも妾に刃を突き付けようとしたその勇気、方向さえ間違わなければ、人類はまた一歩、平和と愛が何かを知るかもしれないからね」
「平和ってなんなんでしょう。愛ってなんなんでしょう。ミナヤ様。平和とは、愛とは、自身の中に答えを見つけているのですか」
その両方とも知らない人が、どうして語ることができよう。もしもミナヤがこの解答を用意していなかったら。ジュは、ミナヤを軽蔑すらする。その程度の覚悟で、神なんかやってほしくない。
「ふふん。まだ十代のくせになめたことを聴くわね。二十年早いわよ。子を産み、育て、好きな人とずっと一緒にいさえすれば、人類はもっと簡単に愛が分かるのよ。ただそのための方法を知らないだけ。妾は光。北極星の位置を知っておけば、東西南北、好きな所へ行けるものよ」
「……ミナヤ様の前では、誰もかれもが赤子同然、ですか。どんな風になれば、人類は革新でもするのでしょうかねえ。怪しいものです」
「赤ちゃんなんて、母親がしっかり育てておけばいつかはハイハイをして、そしてまたいつかは棒に掴まりながらも自分の足で立とうとする。人間はまだそこすらも行ってない。時間が経てば勝手に成長するって、妾は信じているわ」
しかしミナヤのお茶を濁す返答。それがどうにも、ジュは気にくわなかった。
「そんなものですか」
「妾は人間たちが紡ぐ未来に、希望を持っているのよ」
唐突に、声が止んだ。残る音は、風の音のみ。
さーっと、緑を含んだ香りが鼻孔を叩く。
迷子になったは平穏な時間。
さて、十年ぶりに、本当に二人っきりだ。
ずっと、シャに膝枕をさせてあげたかった。
一日だろうが一週間だろうが、ずっと太ももに頭を載せ続けても、痺れすら覚えない。
早く、起きて。
起きて、また暮らそ?
イサちゃん。
言葉には出さず、ジュはシャの額に手を載せ、まさに母親の目で優しく目線を降ろす。
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