△6

「ん、」

 意識が覚醒したというのに、目を開けようとしても、瞼が僅かにもぞもぞするだけ。

 釣り具の浮きが鉛に代わってしまった。少し前までの浮遊感は。夢であったのか。

 身体が重い。

「…………。寝言かな?」

 活発そうな声が上から降り注ぐ。

 妙に心地がよかった。

 蜜柑の香りが広がる。人生の一時期は嗅ぎ慣れた芳香。

 ――そして、白く金色に輝く空気も、同じように漂ってきた。

「んー、ごめんねイサちゃん。ちょーっと、お仕事しなきゃいけないから。うるさくするよー」

 頭が勝手に持ちあがる。自ら動かそうとしたが、全く動かない。

 堅い何かに頭を置かれる。後頭部が痛い。

 その対比を生で感じ取れた時に気が付いた。

 これまで後頭部がとても柔らかかったことに。

『――どうしてこんな辺鄙な場所へ来たのです』

『自分で辺鄙ってゆーな将来の長老。……んー、あんたがぶっ飛ばしたやつらの回収にね。ついでに、シャ=イサが元気にしてるかどうか。どうやら、意識は取り戻してるわね』

 別言語による、鈴とベルによる安らかな声楽。

 安心を与えてくれるはずのその声はしかし、方や彼に懐かしさを与え、方や彼に憎しみの念を抱かせる。

『ええ。タヌキ寝入りです。イサちゃんは拗ねると、いつもこうするんですよ』

 そんなはずがあるものか。動けるというのならば、今すぐにでも起き上がり、憎き女の首を掻っ切る。

 そのぐらいの覚悟を、彼は持っている。

『まったく。いい年した男女が膝枕なんてするもんじゃねーぜ。砂糖吐きたくなっちゃう』

『いいじゃないですか膝枕。足の痺れを我慢して、それでも続けるには、愛情が必要なんですよ? ほら、おかげでイサちゃんは凄く気持ち良さそうに寝てくれていました。これまでずっと、安眠なんてできなかったでしょう。昔は、どこでも眠れましたのに』

『対するあんたが枕がなきゃ眠れないってのは、シャ=イサが作ってくれた枕だから、と』

『よくわたしの金色の思い出を知っていますね。そうです。まだ村にいたころ、わたしはイサちゃんに膝枕してあげるのに、イサちゃんがしてくれないのは不公平だーって文句を言ったら、作ってくれたんですよ。それ以来、イサちゃんの枕がないと眠れなくなってしまって』

 そういえばそんなこともあったか。

 誕生日の贈り物として、密かに作った枕を渡した。貰ったジュは歓喜のあまり、自分をぎゅうと抱きしめてきたのだったか。

 男の自分とは違う、ふかふかとした身体の柔らかさにドキドキしたことが思い出される。

『妾に剣を突き付けたわけだけど、眠ってる姿もやっぱり可愛いものね』

『そうなんです! イサちゃんはこうやって膝枕してあげると、すっごく安らかな顔をするんですよ!』

 寝顔なんか、信頼できる側近にすら見せない主義なのに。まさか、見られてしまうとは。

『知ってるわよそんなこと。妾を誰だと思ってるの?』

『神様にして人類の母ミナヤ=クロック。そしてイサちゃんを漢にしてあげた女性』

『それはそれでなんか歯がゆいわね。とーか、あんたの暗躍あってのものだし』

 ――やはりこの二人は。分かってはいたが。

『今回の戦争さー、トイチがあんたを題材にしたいとか言ってんのよねー。いい?』

『トイチ様というと、』

『クロック教が聖典としている渡時月下の著者、まさにその人よ。世間では妾とニムナと一緒に、三神が一人とか何だとか持て囃されてるけど、実際はそんな大層なもんじゃないっつうか。変態よあいつは』

『わたしの名前が聖典に載るって……恥ずかしいことこの上ないです』

『渡時月下は歴史書の側面も持ってるからねー。まあ、トイチの主観ばっかりで書かれてるから、こいつの書く本に信憑性は無い、って妾はしょっちゅう言ってるんだけど。その甲斐もあって、読まれてるけどあんまり信じられてないっていう、よく分かんない状態に。でもま、影の功績者ほど、表に出るべきだし。普通の歴史書だとその辺、無理あるからねー。あ、それとトイチが妾にお願いしてきたからちょっと許可を貰いたいんだけど、いい?』

『案件によりますが』

『シャ=イサを改名してくんない? これさえ受けてくれれば、反逆者として罪を問わない。両国の政党にも妾がそう掛け合ってあげる』

『どんな名前にするつもりですか』

『イサっていう名前を、インって名前にしてくれんかしらね。シャ=イサじゃなくて、シャ=イン。ナビゼキって、名前に大して意味持たせてないっしょ?』

『記号でしかありません。けれどわたし一人で決めることもできませんよ。イサちゃんと呼べなくなるのは悲しいですが。……もしイサちゃんが受けたとしたら、今度はインちゃんと呼ばなければいけないのですかねその場合?』

『別にあんたが呼ぶのは今まで通りでいいんじゃなーいのー? 戸籍を変えるだけだから。自称他称は強制しないわよ多分。ま、とにもかくにも、そう伝えておいてよ。そう悪くない取引だと思うんだけど――あ。シャ=イサが、シャ=インになるってことは……ジュ=ヤミ……ふーん』

『わたしたちの名前がどうしました?』

『ん、セゴナ語だと通じないネタだから放っといて。……それはそうと、もう全てが終わったから、包み隠さずに言ってもいい? いやさー、ニムナとかは全く褒めてくれなくてさー。酷いよねー。まあ、ニヅハナタが残ってたとは思わなんだけど。そこは計算違い。でも今回の戦争の片手間に、ニヅ関連の麻薬の類は全て処分できた。麻薬って出回っちゃうと、一国だけの問題ではないし』

 そうして子供が一人で蛇を退治でもしたかのように、ふふんと自身に満ち溢れながら、少女の声は、次々に真相を紡ぎだす。

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