△4

 所詮、シャ=イサは男である。

 少しでも敗戦が続けば、「男が指揮をするからだ」という世論が蔓延り、軍もまた、その手綱を握らせてくれなくなってしまった。

 それで勝てるなら文句は言わない。が、ヒステリックになった女たちは策もないまま突撃を繰り返し、男もまた、女に逆らうことができずに特攻する。

 直進してくれる獲物を仕留めるほど簡単なものはない。しっかりと防衛線を敷いているセゴナは至極冷静に対処。

 言うことを聴こうともしないし制御もできない者たちのせいで、余計に被害が甚大となっている。

 およそ二十万人もの兵士がセゴナの鎮守府に移されたのは、僅か二か月の間。

 たかが百人を相手に。

 戦況を圧倒的不利と見たモヴィ・マクカ・ウィの軍部に停戦派が登場してはいたものの、それでも各自で小競り合いが続いていた。

 この圧倒的不利な戦況の最中、一つの重大な事件が起こった。

 ――ジェク=クァムが、死んだ。

 暗殺。犯人は不明。

 これにより指揮系統は、名目はともかく、実質的な権限は完全に握ることとなってしまった。

 戦況の拡大はシャの望むところではない。勝てる戦だから勝負を仕掛けたのであって、勝つ算段など何所にもなくなってしまった現在、降伏を前提に動くべきなのだ。

 トップに立っているのだから、客観的に力の把握はしている。

 しかし、自分がいなくてもいずれセゴナとの戦争はしていたかもしれないが、開戦を命じたのは、シャ=イサの名前を使ってのことである。

 シャとて、あの声明を出した時は、本心からミナヤを打ちのめしたいと思っていた。

 全ては自分の未熟が故。

 自分が発端となったら、自分がけりをつける。

 シャがこの戦いを止めるため、どう行動をすることとしたか。

 ミナヤ=クロックとの、一騎打ち。

 向こうから打診してきたことだ。モヴィ・マクカ・ウィが設けている緩衝地帯にミナヤが単身で乗り込むから、シャ=イサと対決させろ、と。

 セゴナが有利なのだから、わざわざ頭がこちらへやってくるメリットはない。セゴナの敷地ならともかく、こちらの敷地ならば罠などいくらでも仕掛けることができる。

 完全に、こちらにしか有利にならないのだ。

 ……ミナヤの能力を考えなければ、の話であるが。

 軍務大臣シャ=イサは応じることとした。

 勝てばもちろんそれで全てが解決するし、負けたら負けたで、責任は全て被るつもりである。この戦争の敗因は、男が上の立場となったから、とでも歴史に残してくれて構わない。それで国民感情が収まれば安いものだ。

 自分が死ぬことも考え、信頼できる部下に「負けたら降伏宣言を出せ」と命じておいた。

 ――だが、勇んで迎えた戦いの舞台で、ミナヤの顔を見た一瞬。

 シャはただの一個人としてそこに立つことになった。

 あのニヅ畑での雪辱。

 大切な者を奪った憎しみ。

 十年間抱いたこの恨みを晴らすためだけに生きてきたこの人生。

 司令官としては無能であろうとも、一人の男として、なんとしてでもミナヤを殺したかった。

「久方ぶりだ。強くなれたか?」

「俺はお前を倒さなければ、先に進めない」

 周囲半径十キロは人工物が介在しない草原。罠など仕掛けていない。

 シャは、あくまでも実力のみでミナヤ=クロックを倒す腹積もり。

 この場所にやってきた、白い鎧を纏ったミナヤは、十年前と全く変わらぬ容姿をしていた。……いや、シャが成長した分、幼くすら感じるほどであった。

 こんなに幼いものだったか。これでは十五の小娘といったところ。

 不老不死となれる魔は、セゴナの三神と呼ばれる、ミナヤ、ニムナ、トイチしか使えないものであったか。なるほど、頷ける。

 形式的には剣を向き合わせる原始的な戦いのため、ミナヤが使う武器はなんの変哲もない、玉鋼で錬成された片刃の剣。

 離力失は使わない取り決めになっている。そのため飛び道具は使用可能。

 しかしそんなものを無視し、シャは剣のみで戦うつもりだ。

 でなければ産まれてこの方、雨が降ろうが太陽が盛んに活動していようが、休みなく剣を振り続けてきた意味がなくなってしまう。 

「何時かかってきてもよい。妾はここから動くつもりはない」

 ミナヤが臨戦に入る。

 瞬間。

 空間という空間が、ミナヤのものとなる、そんな感覚がした。

 自然が作りあげた芸術は、人間が我が者顔で利用するに過ぎない矮小なものとなる。

 身じろぎ一つしていないのに、汗が噴き出してくる。

 ミナヤは宣言通り、呼吸以外は動かない。

 ただ対峙しているだけの時間が過ぎていく。

 こちらから動かなければ勝負にならないか。

 なら。

 シャは腰に刺してある鞘から二本、剣を握っているのとは逆の手で短刀を抜いた。

 柔らかく焼き入れがしてあるため、切れ味はそれほどない。そして手に握って使うにしては刀身が短いために殺傷力すらもないそれは、投擲のための武器である。

 ミナヤの頭よりやや高めぐらいを狙って短刀を投げる。

 その程度、ミナヤが避けられないはずもなく。

 シャ=イサという人間性を象徴するように、莫迦正直なほど直線に空間を切り裂く短刀は、ミナヤが頭をほんの少し傾けるだけで外れる。

 それでいい。あの二本の短刀は、それでこそ効果を発揮する。

 シャは剣を構え、密かにタイミングを計る。

 一、二、三……。

 当てもなく、こうなってしまえば鳥となりて空でも目指すしか価値のなくなった短刀はしかし、空気の抵抗を強く受け、その中心からぐにゃりと曲がる。「く」の字型となった短刀はその軌道を大きく変え、回転を始める。空気を直線で切っていた短刀は、片や来た道を正反対に引き返し、片や大きく旋回をする。

 この時短刀は、帰飛刀へと生まれ変わった。

 四、五、六……

「ほう」

 どこか感心した声を出すミナヤ。あくまでもシャを見据えたままに。気配だけで知ったのか。再びミナヤの後頭部に狙いを定めた帰飛刀ぐらいでは、やはり不意打ちにはならないか。だが気づかれたことはどうでもいい。シャの目論見は、投げて終わる短いものではない。

 七、八……。ゆっくりと心の中で九まで数える。ミナヤは動こうともしない。

 二つの帰飛刀の、射線上には。

 ミナヤの背後と右脇腹を奇襲する帰飛刀と共に、シャはミナヤに突きを放つ。 

 一人十字。これこそがシャの戦術にして、幾千もの人間を切り伏せた技。

 ――しかし。だがしかし。

 一歩後ろに下がり、玉鋼剣で帰飛刀を撃ち落とし、ついでに右側の短刀も柄で軽く帰飛刀に触れ、軌道を変える。

 飼い主を忘れた帰飛刀は、主人に牙を剥く。

 シャは攻撃に身体を裂く余裕はなかった。急遽転身、なんとか剣で受け流す。

「ははは。なるほど。これこそが帰飛刀か。本当に武器として使えるものなのだな。妾はついぞ知らなかったぞ。そなたがこのような際物を扱えるとはな。並の女なら、離力失でも使わない限りは回避できんか。妾とてつい動いてみたくなってしまったからなあ。ニムナは好きそうだ」

 わざわざ喋る必要はない。それなのに、ミナヤは余裕を見せつけるためなのか、自分よりもニムナ=クロックなら上手くやっているだろうに……。そう謙遜するのだった。

 折角の攻撃も防がれてしまったシャはショックこそ受けていたが、同時に最初から分かりきってもいた。

 魔など使われなくても、自分ではミナヤに勝てない。

 であるが、敗北を認めるわけにはいかない。

 まだ戦法は残っている。いつ、どの組み合わせで使うべきか。シャは考える。

「ふむ。これでは埒が明かない、か」

 そうミナヤは宣言すると、手を高らかに挙げる。

 ヒュン。風を切る。

 空気が熱を持つ。

 空間が、燃える。

 二人をぐるりと囲むように、草原は火に包まれる。

 再現。

 そしてシャの冷静であった心にも、この草原と同じように。

「――ハ」

 誰だシャ=イサという人間は。戦法とはなんだ。

 ここにいる男の身体を操るのは、ただ本能と言う名の、原始的で脆い感情。

「今はまだこれまでだな。ますますの健闘を祈っておく」

「――――ア、アア!」

 なんだ、この、安心感は。

 全てを委ねたくなる、子供が母へ送る信頼。

 その本能は、どうしてか仇敵であるミナヤで、多感に反応している。

 全ての思考が止まる。

 その一瞬があれば十分だった。

 ミナヤは剣を、ど素人が巨大な金槌を振り下ろすような、あまりにも雑な剣筋でシャに晒す。

 たったそれだけなのに、身体が防御の姿勢を取ってくれない。まともに直撃する。

 冷たい刀身が皮や筋肉を滑るように通り過ぎる。

 痛みは感じない。ただ冷たいだけ。

 現実に有り得ない感触にただただ恐怖していると、今度は脳天へ現実的すぎる痛みが降り注ぐ。

 意識が遠のく。

 なんとか目を見開いていられたのは、ミナヤが慈愛に満ちた目をシャに斜光させていたことを確認した時まで。

 結局、ただの人間であるシャは、神と呼ばれることだけある仇敵に、負けてしまった。

 なんの面白みもない戦闘。そして負け方。

 噛ませ犬な人生にも程がある。いつになれば、自分は大人になれるのだろう。

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