▼3
「あら。やっと来たのですか」
これが最終便だろう。それにしても、すでに疲労困憊の態だ。
「おめでとうございます。お祝いに【城壁】は取り払ってさしあげましょう」
とは言ったものの、どちらかというと、取り払わないとこちらに被害がくるもので。
ナビゼキは【城壁】とジュが名付けた防衛魔で覆われていた。
範囲内に入ってきた者を歩くだけでお腹が空くように設計している。ここに至る頃には、ご飯だけを求めて彷徨う旅人。
あとは適当にとっ捕まえ、縛り、死なないように放置しておくだけ。栄養食は一人の人間が一生分生きられるぐらい大量に持ってきているから、やり過ぎることもない。
「ぐっ……」
喉から振り絞った声をなんとか捻りだした兵士は、帯電した魔の槍を、その細い肩にしては恐るべき豪速で投げる。
【離力失】はお互い使っていないため、遠距離合戦となる。
リニアのように押し出すための電力ではなく、相手を痺れさせるためだけの電気か。
前者であれば、純粋な破壊力を防げるだけの防御をしなければならないが……ジュは相手の行動を先読みしておき、すでに行動を開始しておく。
ポケットに入れてあった、一枚の板金を取り出す。
軽く上下に振ることで、シュッと瞬時にジュの半身ほどの大きさに広がる。それを心臓の前に構える。
槍はその平面に直撃する。一瞬だけ物凄い圧迫がジュを襲ったが、槍の圧力は板金全体へ多段階に分散し、ジュの細脚でも支えきれる程度の威力でしかなくなる。勢いを失った槍は目標を差し穿つ前に空気へ還元してしまう。
相手の攻撃は終わった。ほんの僅かな間、ジュに攻撃の時間を与えられる。
姿勢を低くし、突撃。
全面の防御は堅く、向こうもすぐに反撃の武器を魔によって創り出そうとするが、それよりも早くジュは接近に成功する。
こちらの持っている武器が一体どんなものなのか逡巡する、ただ刹那。
板金から、四本の棒が飛び出す。
「……あら、ごめんなさい。そんなつもりはなかったんです。本当です。本当ですよ?」
そのうちの一本が兵士の臍に当たってしまう。女にとって、少しでもその部位に攻撃が当たってしまうことの意味は。
……狙っていないのは嘘でない。本当に事故だ。
「まさか、クイに言った冗談通り、これを武器にするとは思いもしなかったですわ」
平面と四本の棒を組み合わせたもの……携帯食事机と、それで倒されてしまった兵士に憐憫の想いを向けながら、身体の機能が停止して動けない兵士の首筋に、手早く針を打ち込む。
「ふう。あっとかったづっけづっけ後片付け」
たった一人で、最早鼻歌交じりに一つの部隊を壊滅に追い込んだジュを、もしもこの縛られ寝転がされた兵士が見ることができれば……それこそ、悪魔としか映らないだろう。
ニム式運搬術を使い、村の男たちが急遽建ててくれた掘立小屋へ、戦闘不能となった兵士を一度に運びこみ、安置する。
「これにて、お仕え、完了」
ジュはこうして、一つの大仕事をやり遂げた。誰も死なず、何も失わず。
あとは、シャ=イサを取り返すだけだ。
掘立小屋にこれまで倒してきた兵士を全員安置させた後、全てが終わったと長老に報告するため家に戻ると、そこには大人しく座っている母しかいなかった。
「お祖父ちゃんは?」
「……お義父さんはセゴナへ行って、指示を仰ぐことにしたわ」
十年ほど前から、ナビゼキはモヴィ・マクカ・ウィとではなく、セゴナと交易をしている。
もっとも、もうナビゼキに特産品と言えるものはないから、セゴナの厚意によって格安で必要な物品と交換してもらっているにすぎない。
セゴナにはナビゼキと交易してもほとんど利益がないどころか、むしろマイナスである。それなのに、身の振り方をセゴナは考えてくれる。
「んー……またミナヤ様かあ」
「……ええ。十年前と、同じくね。……はい、ヤミ。ご飯よ」
「ありがとう。お母さん」
母から皿に乗っけられたお握りを受け取る。塩を振りかけて結んだだけの、とても簡素な食べ物。
「んー! たまんなぁい!」
それでもお腹が空いていれば、そして母の作ったものならば。どんなものだって美味しくなってしまう。
「……本当に、そんなものでいいの……?」
「なにを言うの。こんなものだからこそ、美味しいんじゃない」
食に時間を掛けてられないため、戦闘中は栄養剤だけで過ごしてきていた。だから余計に染みる。
余計な装飾物などいらない。シンプルなものこそ、そこに価値が生ずる。
前々から「戦いが終わったらお母さんの塩むすびが食べたい」とお願いしていたのだった。
「……それにしても、どうしてモヴィ・マクカ・ウィはこんな小さな村を襲うのかしら」
「聞いた話だと、ナビゼキには大量の金塊が眠っているって噂が開戦の少し前から流れてて、軍部の財政が厳しいモヴィ・マクカ・ウィは、どうせ燃やすのならせめて奪えるものは根こそぎ奪おうって考えたらしいよ」
そんな根も葉もない風聞を、都合の良すぎる時期に、まことしやかに流すことができる逸材なんて。
「……ふうん。……今、セゴナはどうなっているのかしら」
世間話は苦手な母なりに、次々と話題を出そうとしている。
「戦争中」
「……そうじゃなくて、流行とか」
「普通だよ。二十年サイクルの通り、今はお母さんの上世代が戻ってきてるかな。魔も技も進歩してるだろうけど、暮らしはそんな大きく変えない国だし。なんか、すごい平和だよ。まあ、じゃあ戦争してんのはなんなんだって言われるときついけど」
「……ミナヤ様は自分の兵力を使って戦争をしようとしているのに、平和を保てる。どういう理屈なのかしらね」
「うーん、それを答えるにはー……ねえねえ、お母さん。お母さんってセゴナ人なのに、どうしてナビゼキに来たの? お父さんなんて、あんまりいい男性みたいには思えないけど」
「…………。……占いでそう出たから」
少し逡巡した後、母は静かにそう言った。元々静かではあるが、殊更にだ。
初めて聞く両親の馴れ初めは、ジュの予想もしていない出だしだった。
「……お母さんは若い頃、水晶を覗いていたある日、男の人の姿が見えたの。すると時を同じくして、とある村からやって来たという大きな男性と出会った。なんでもその男性は、村へ資源の輸送をするついでに、嫁を探すためにセゴナへ来たと。見事に占いと一致していたから、ピンと来たわ。この人と一緒なら、きっと幸せになれると。悩んだお母さんは、ミナヤ様のお言葉を受けた。ミナヤ様は、汝の好きにせよとお告げを下さった。そしてお母さんは、その男性に付いていった」
「あらら、思ってたより小説的。……ってそっちは今は関係ない。まあ、そういうことなの本質的には。好きな人を想った女の子は一途に走り抜けるもの。我が子を想う母は自らの血肉を掛けてでも我が子を守るもの。ある意味ミナヤ様も同じ。ミナヤ様は、それが誰であろうとも救おうとはする――んンゥ!」
襲来する、脳みそに直接響くような電流。頭が白く、そして桃色に染まる。
「もう、本当に慣れないなあこれ……」
あまりに甘美な感触。何度も繰り返すうち、癖になってしまいそうな、人間を堕落させる快感。少なくとも、ジュは好きでない。
「………………どうしたの? 大丈夫?」
事情を知らない母からすれば、娘がいきなり色気づいたようにしか見えないだろう。怪訝な眼でジュを見ていた。誤解をなくすため、適当に説明する。そうしている間に、声が響いてくる。母に説明するのと同時進行でジュは捌いていく。
「(こんちゃっす)」
五年近くもずっと一緒にいるのだから、自己紹介などされなくとも誰だか分かる。
「(あなたという人は……今どこにいるのんですの)」
「(いやあ、ねえ。ちょっと私もさ、やることがあって)」
隠し事があることは隠そうともしないミイ。ただし、その内容自体は絶対に話さない腹積もりのようだ。
「(ま、わたくしはクイがセゴナの法を犯すようなことをしなければ一々何もいいませんわ。それより、態々連絡をよこしたのはそれなりの理由があるからなのでしょうね?)」
「(んー。下手すると、これが最後の会話になるかもしれないからね。そんだけ)」
「(そうですか)」
「(まあ湿っぽくなるな青年。それで、最後の餞別として、ある映像を送るよ。どうせ、ヤミは見たくてしょうがないでしょうからね)」
「(ええ。気が効きますわね)」
「(それじゃあね。あんまり別れの言葉は言いたくないからさ、これで失礼するよ。これまで、すっごく楽しかったよ、ヤミ)」
そうして、桃色に染まりつつあった脳内は、少しづつ精彩に富んでいった。
愛する友人の代わり、愛する男性の、一生に一度の晴れ舞台。
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