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 ブゥァン。

 気配はそれだけであった。

 これがミナヤが手紙で伝えてきた、〈近いうちに、その村を秘境と謳われるまで持ちあげた原因、障壁は開放される〉の真なる意味か。ジュはその光景を目の当たりにして、ようやく実感した。

 何百年と続いたであろう、これまでナビゼキを隠匿することに加担していた障壁が、突然にして消えたのである。

「ナビゼキが生まれ変われる時が訪れました」

 呟いた独り言はセゴナ語であった。

 今のジュはナビゼキの少女、ジュ=ヤミではなく、セゴナのニム、ジュ=ヤミ。

 脳の使用領域が、根本からして違う。

「ふっ! ふっ! はあっ!」

 力任せに地面へ杭を叩きつける。

 ニム式防衛用共創魔【城壁】。ナビゼキの敷地をぐるっと一周、鉄の杭が円陣を組むように打ち込む。杭の幅は狭ければ狭いほどいいが、そんな悠長な暇はなかったりする。

 これが完成すれば、敵であろうが味方であろうが、【扉】を用意してやらない限りは中に入ることも外に出ることも叶わなくなる。守りの要。

 しかしジュは敢えて、ナビゼキの入口に【扉】を設置しておいた。

 そこへ、狙ったように五人の女が飛び込んでくる。

 間一髪。後少し遅れていたら。ここまで考えなしに突っ込んでくるとは。

「さあさあここから先は一歩も通さないわけがないでしょう」

 五人の前に仁王立ちをする。

 敵はここにいる一人だけだ。

 そう暗に示しながら。

「まあ当然ですかねだって『無い』感覚が『無くなった』のですから」

 時間からすれば、ナビゼキの入口を発見していてもいい頃合だった。どうやって侵入しようか攻めあぐねていたところ、お誂えむきに障壁が消えてくれた、といったところ。

「ですがわたくしの故郷は攻めらせません」

 向こうは警戒している。

 ニムの恰好をしている女が立ちはだかっているのだ。ナビゼキがどのような立場を取ろうが、セゴナの協力を得ていることは一目瞭然。

 上官の判断を得ることなどせず……それ以前に、もうモヴィ・マクカ・ウィの指揮系統は分断されきっているはず。現場の独断で動くことしかできないだろう。

 ジュは一瞥し、選眼する。

 職業は全員「予備兵士」。まあ昨今の状況を鑑みれば順当だろうか。あとは「名前」……などというものは必要ない。戦いにどんな役に立つ。

 ジュが知りたい情報は「年齢」。

 十五、十五、十七、十九、二十五。

 年長者が隊長だとしても、平均年齢が低すぎではなかろうか。モヴィ・マクカ・ウィも、かなり困窮している。そもそも、調査なんてしている余裕などないだろうに。勝ちたいのならなりふり構わず森を焼き払うくらいの非情さがなければ。

 このままだと、モヴィ・マクカ・ウィの降伏も時間の問題か。

 あとは、決定的な何かが起こりさえすれば、この戦争は終わる。

「さてさて攻めるには三倍の兵力が必要でしたっけ同僚が言っておりました。あなたたちはわたくしの三倍を超えることができますでしょうか」

 一人で相手をするには骨が折れる人数だが、なにしろここはジュのホームグラウンド。

「ニムは守隊が全滅なさらるるば八十名程度で城を守り抜かなくてはいけないのですから一人当たりのその戦力とやらは――」

 兵士の背後の草陰から、ガサガサと音が出る。ジュ以外の全員が、そちらを注視した。

 致命的な、隙の大きさ。

 さすがは数で攻めるモヴィ・マクカ・ウィ。質が悪いにも程がある。悪貨は良貨を駆逐する。……良貨に価値があるのかも分かっていないような連中だが。

 麻酔を仕込んであった針を一度に五本、五人の首筋へ投擲。あとは勝手に崩れ落ちた。

「開幕から十秒で、五人をお縄につけるほど」

 喋っている途中で、戦闘はすでに終わっていた。

「……それにしても、人がべらべら喋っていたというのに、よくもまあ呑気に警戒だけをしていられますわ。わたくしだったら、怖くて逃げだすところです」

 この勝利確定条件の舞台を開幕させるにあたり、いくつか種は撒いておいていた。

 紐を引っ張ることで当たり一片に物音を鳴らし、あたかも伏兵が潜んでいるように見せかけたり。魔を使わなければ男がいると警戒させられる。

 セゴナ語を使ったままなのは、威圧を与える効果も期待してのことだったり。共創魔の中には、声が発動させる条件なのも存在する。

 ジュがそういう能力者ではないかと疑っていたことも隙となって表に出た。

「勝てば官軍、負ければ……なんでしたっけね。わたくしの餌食? じゅるり」

 受け身も取らず倒れ込んだので、ジュの魔で衝撃を和らげたが、あられもなく無造作に倒れている女五人。

 しかもここにはジュを止められるミイがいない。

 止める味方はいないのだ!

 ……まあ捕虜の取り扱いは国際問題に発展しかねないので、ニムの理性は拒む。

 ナビゼキの男たちに編んでもらった、頑丈さが売りの縄で、痛みはない程度に、しかし身動きはできないよう縛っておく。仮死状態であるから、作業は簡単であった。

 毒性は極めて少ないものであったが、念のためにジュの独創魔を使って治療しておく。

 あとは定期的に睡眠魔を打ち込めば、この兵士たちは敵としての脅威がなくなってくれる。

「はあ……これから本格的に、兵士に針を叩きこむ作業が始まります……」

 ジュは億劫であった。

 これから、憶測では五時間の間、これと同じことを最大で八回はしなければならないことに。

 取りあえず、使用した罠は元通りにする。

 今度はどんなものにしておこうか。最悪、一度に全員が押し寄せる可能性もあるし、もしかしたら一人ずつ小出しにするかもしれない。

 まあ相手がどんな戦術を打ち立てようが、所詮は女ども。魔を過信して特攻するに決まっている。

 ……という楽観視こそ危険。守る時は臆病でちょうどいい。

 杭に少しアレンジを加える。

 これにより、ナビゼキの入り口に踏み入れただけでジュが知覚できるようした。人間の侵入者であれば誰にでも反応してくれる。

 これでしばらく余裕ができた。

 入口とは言っても、ここからナビゼキの集落には一時間ほど歩かなければ村人の住む集落には辿り着けない。そして、まだ誰も侵入してきていない。突破されてからもそれまでの間なら猶予がある。

「ふう。少しだけ、休憩」

 かねてより、ナビゼキに帰ることがあれば実験したいことがあった。ジュはその知的欲求を叶えることとする。

 袖からただの針を取り出し、先端を人差指に押し付ける。

 当然、肌の張力は針によって破られ、ぷくっと血が盛り上がってくる。舐める。生の味がした。

 指を口から離す。唾液に混ざりながらもまだ粘り強く決起を計ろうとする赤。

 この程度の傷、ジュは舐めるよりも効率的に治すことができる。

 眼を瞑り、瞳の裏に青を描く。

 身体から染み出る冷たい風。人差指の痛みも消えていく。

 瞼を開けると、唾液と血液の混合物は残りこそすれ、元凶となった傷跡は消失していた。

「やっぱりできちゃいましたわ」

 ……ナビゼキなのに、魔が使えた。

 治癒の魔は、効能こそ分かりやすいものであるが、高度なものである。ほんの数分前、障壁が消えるまでは、確かにこの魔は発動させることができなかった。魔とも言えない、どうでもよいものしか使えなかったのだ。

 障壁のせいで、ナビゼキは魔が使えなかった。

 それはつまり、障壁の効果は、その空間をまるごと隠蔽することだけでなく、魔を使えなくさせること。

 では、どうしてこのようなものが存在しているのだろう。

 これは魔。女としての感覚で理解できる。

 魔であるからには必ず、人間の女という媒介を必要とする。自然発生はあり得ない。

 ならば誰がそんな魔を使っているというのか。

 ナビゼキの者ではない。例外であるのはジュとジュの母親のみ。ナビゼキは数百年も前から障壁と共に存在していた。二人なわけはない(そもそも、『範囲内で魔が使用不能になる』という魔で自分を覆ってしまえば、『使用不能にするための魔を使用することが不能』となってしまう。見事な矛盾)。

 ミナヤやニムナほどの力があればできるだろうが、そんなことをする利益がジュには全く思い付かず……。

 それどころかミナヤは十年前、隠すどころか、全く逆のことをした。

「むう……」

 そんなことを考えながらジュは、空いた時間を有効に使い、この戦争に潜む闇を、限られた情報で類推することで暇つぶしにすることとする。

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