第四章 望まぬ帰郷 ▼1

「やあやあヤミさんや、どうもお久しぶり」

「半月は久しぶりの範疇に入りませんわよ」

 ジュは手紙を書く手を止め、ミイの方へ振り向く。

「わたくしは数少ない休み時間を使って手紙を書いているのですから、邪魔しないで貰いたいものですわ。用があるのでしたら、通信鈴だけで済ませていただきたい」

「ごめんごめん。直に顔を突き合わせてしたい話があって。ちょうど零時から休み時間を貰ってるって訊いたから。でも休み時間を狙って来たのは間違いだったか。やっぱり、寝込みを襲った方が確実だったなあ。眠ったヤミはそこそこ可愛いし」

「綺麗な女性ならともかく、よりにもよってミイに襲われたくないですわ」

「いや頼むからボケた部分は全箇所否定してよ」

 エス小説好きとしては、可憐な少女が布団に潜りこんで「お姉ちゃん、一緒に寝よ?」とか一生に一度でいいから言われたいものである。それなのに、こんな大女と同衾したくない。

「やっぱり、人を変えるのに半月じゃ足りないのかあ。ヤミの精神を根本的に治療するには、それこそ半年ぐらい、この忙しさに封じ込めなきゃ……」

「今だって血反吐を吐きそうになっているのに、これ以上わたくしを修行させないでください。仙人になってしまいます。本来ならこの休み時間だってとても貴重なものなのに。クイと話している時間があったら、手紙をさっさと書いて眠りたいですわ」

 小父さんと小母さんに向けての手紙は、なるべく絶やさないようにしないと。良い人たちすぎるから、ジュを慮ってどんな行動をとるか分かったものではない。

「今、実働何時間?」

「五十一時間三十五分。労働法ってなんのことでしたっけ?」

 ニムに伝わる栄養剤で無理やり身体をやりくりしている感が否めない。飲むと肌が荒れるからなるべく使いたくはないのだが、使わないと仕事に追いついていけない。

 個人の感情を優先している場面でもない。それがあの時から決めた覚悟でもあるから。

「で、休み時間が五時間。ひゃー、大変だー。真っ黒な職場ぁ」

「このまま眠ったら、一日中でも眠れそうですわ。この栄養剤、副作用で暫く眠り癖がつくんですわよね。城に戻ったら、正常にニムの職務へと戻れるのでしょうかわたくし」

「まあ大丈夫でしょ、ヤミなら」

「それって、褒めてますの?」

「うん」

 眠いせいだろうか。なんでミイの言葉で赤面せねばならない。

 ……見るとミイがケタケタと笑っていた。

 さては疲れているこちらの弱みに付け込んでいるんだな、とジュは理解する。

「あとちょっとの時間ぐらいちょうだいよ。私だって遊びで来てるんじゃないんだからさ」

「遊びで来られたら困ります。こっちは本気なんですから。早いところ要件を済ましてください。わたくしの睡眠時間を延ばせるように、是非とも強力してくださらないかしら」

 皮肉を言ってもミイはどこ吹く風。涼しげな顔をするものだ。これがまたジュをイライラさせる……わけでもなかったりする。

 精神がすり減っている今、少しでもミイを見て普段の自分を取り返せている実感があると、それだけで心が安らいでいく。

「まあまあ。取りあえず、その手紙は先に書いちゃってよ。すぐに書き終わるでしょ?」

「あと五分ほどもあれば足りますわ」

 さっさと書き終わらせよう。どうせ事務的な近況報告、そこまで文面を整える必要もない。

 ジュがそうして再び手紙の執筆に精を出している間、少し散らかっている部屋をミイは独断で片づけ始めた。

 散らかしているつもりはない。しかし少しでも生活をしているせいか、ニムの私室にしては……な有りようとなっている。

 ジュは疲れているので片づける気力など湧かないが、ミイのように元気満々であれば、部屋を綺麗にしたいと血が疼いて仕方がなくなる。これも一種の職業病。ずぼらなミイでも、やはりニムなのである。

 ジュもその気持ちは痛いほど心に染みているので何も言わず、したいようにやらせる。

「それよりも、じいさんやい」

 ミイは、身体では淡々と仕事をさせながら、口では意中の芸能人を話題に挙げるような、こちらが興味を湧かされるように、明るく言ってくる。こんなところまでミイは普通だ。もしくはジュを想って敢えてこういった行動をしているかの、どちらか。

「なんですばあさん? 藪から棒に」

 筆は止めず、片手間にミイの話を聴く。ジュも可能な限りは、職務が終わった夜にミイの部屋で下らない雑談をするのと同じく、なんにでも無関心のようで、それでいてミイのことだけには反抗する態度を取る。

 きょろきょろと、ミイは辺りに視線を彷徨わせる。「ほぅ」と一つ感心の息を吐いた。

「いやはや、何この再現率。なんとなくベッドメイクしてたけど、城にあるヤミの私室と同じようにするだけでいいとは。なにもさ、ここまで似せなくてもいいじゃん」

 ここは城ではない。が、部屋の中身はジュの私室とほとんど同じ。ベッドから化粧台、箪笥、壁紙の色に至るまで。空間を切り取って引っ越しさせたかのようだ。

「あっちはそのまんまだったでしょ。これって技? 魔?」

「魔ですわ。記憶にあるものを、そのままの形で具現化させるという独創魔を用いています。いいですわねえ守隊のみなさん。是非ニムの仕事を手伝ってもらいたいものですわ」

「そりゃまあ。伊達にたった百人弱で、決して小さくない国を守ってないし。しかもそのうち女は三十人ほど。どれもこれも、常識じゃ考えられない独創魔を持ってるよ」

「守隊のみなさんからしてみれば、ニムの方がよほど考えられない能力を持っているという話ですけれどね。向こうはあくまでも尖った能力者ですが、わたくしたちは丸い能力者ですから。流石は一年に一人しか採用されないことはある、ですって」

 ジュが手紙を書いている間、ミイは手慰みに、ジュの枕を弄っている。

「やめてくれません? クイの匂いがついてしまいますわ」

「この枕は本物だよね。手触りで分かる。……って、なんで私はジュの枕を触っただけで見分けれてんのきもちわる!」

 部屋にある調度品は、どれもこれも微妙に柔らかい。熱する前と熱した後のジャガイモくらいの差だ。

 本来なら堅いはずのテーブルやタンスなども、手で押すと微妙にぐにゃりと曲がったりする。

 これは魔で作った偽物と混同しないよう、敢えてつけた差別点。

 その中で、ジュの枕だけは城にあるジュの私室の枕と同一の手触りをしていた。つまり本物。

「……ヤミって変な拘りあるよね。外国に出張した時、どうやって寝泊まりしてるの?」

「その枕さえあるならば、固い床であろうが問題無く眠れます」

 どうもジュは枕が変わると眠れなくなる。だから何所へ行くにしても枕だけは持ち歩く。着替えの服を一着減らしてでも枕を詰め込む。それがジュの悪癖という名のジャスティス。

「じゃあ枕だけでいいじゃん。部屋いらないじゃん。無駄な魔じゃん」

「ああもう、うるさいうるさい。城に居る時よりも激務なのだから、このぐらいの権利はあるのですわ。試しに、クイも鎮守府の仕事に付き合ってみまして?」

「遠慮しとく」

 両手を前に張り出して、目に見えない壁を作る様なその仕草。そこまで拒否しなくとも。

 この場所は「鎮守府」と呼ばれる、最前線基地。

 外観は少し小さいだけのセゴナ城そのもの。もともと外敵からの侵入を拒むような仕組みとなっているので、攻め入れられても防衛がしやすい。城をそのまま持ってくれば、それだけで堅牢な要塞の完成だ。守隊の魔によって平地にドンと築城されている。

 セゴナ政府が戦争に敗北したと認める条件。それは、緩衝地帯として設けている、国境線から五キロの地点を突破されたその瞬間。

 最重要な地点に設営されたものが、この鎮守府。

 ここには、ミナヤ私設の部隊、守隊が駐在している。

 シャ=イサと結んだ条約により、モヴィ・マクカ・ウィ側が攻撃の対象としていい場所は鎮守府だけとなっている。代わりにセゴナは防衛行動のみ許される。侵攻は一切しない。

 ……互いに、どこまで守るかは未知数だが。

「でも、守隊のみなさんはこれよりも激務なのですよね。ただただ尊敬します」

「一人あたり、五万人以上倒さないといけないんだっけ? まあ全滅させる必要はないから正味、一万人くらいかな。それでもありえねーんだけどさ」

 守隊は、百人にも満たない兵力でしかない一方で、モヴィ・マクカ・ウィは推定五百万人ほどの常備兵力があると推定されている。予備兵力を加えれば、さらに百万、二百万が加算されるという説すらある。

 魔と技が入り交わる戦は単純に人数差で優劣が決まるわけでもないので一概にも言えないが、ここまで数が多いと、それだけで最大の武器となる。

 ――それを覆すだけの、神から授かった圧倒的な戦闘力を、守隊は持つ。

 開戦から一カ月ほど経っても鎮守府が陥落する様子はまるでない現実が確かにここにはあった。

 しかもセゴナ側は人数差だけでなく、守隊がミナヤを敬愛するが故に、もっと重大な「縛り」を背負っていたりもするというのに。

 その縛りとは、こちらから攻撃を仕掛けないことだけでなく、相手を傷つけてはいけないこと。

 ミナヤ=クロックは、たった一人で強大な力を有する。有しているが、その力を使って人を殺めたことは、セゴナ千年の歴史どころか、神話の世界にまで足を踏み入れようが、ただの一度たりともない。

 そんな人間直属の部隊が、どうして人を殺めるような真似をできようか。

 ミナヤは別に何も命じていない。「被害を徒に広げぬように」ぐらいは発言しているが、それをここまで重大に受け止めているのは守隊の勝手だ。

 故の、こちらからは一切攻撃のしない、専守防衛なのである。

 もしくは、ミナヤはこうなることを見越して戦争などを開始したのかもしれないが。

「わたくしが守隊でしたらうんざりとしていますわ。わたくしの仕事でさえ、相手をする人数が多すぎるほどなのです。どうしてここまで連勝し続けることができるのでしょうね。身体の強さではなく、精神の強さに疑問が出ますわ」

 だがそれにしたって、相手の数は多い。総人口が百万人程度の国であれば、人口と同じだけの兵士で一度に侵攻・占領し、電撃的な勝利を収めるような、ただの数の暴力な国が相手である。

 こちらから攻撃をしないのなら、いつまでも侵攻されるがままだ。戦力を減らす手段が欲しい。

 その方法は。

「表現こそ間抜けですけれど、気絶させるだけだなんて、飽きてしまいそうですわ」

「飽きられちゃ困るんだって。それに、本人たちは真剣にやってるよ。守隊だって、国を守ることが仕事。ごろつきは多いけど、ちゃんと誇りは持ってるよ、あいつらは。こんなの作るだけのことはある」

「あら。クイも持っていますのね」

「このご時世だしね。色々と入り用だから」

 守隊発明。技で作り、魔を施した武器。『止死崛起』。

 小刀くらいの大きさの刃物であり、これを自身の得物に取り付ける。攻撃する際は、止死崛起部分を当てる。

 これで攻撃された相手は、当たったその瞬間にはもう傷口が回復している。が、痛みだけはそのまま残る。

 結果として、蚊に刺されたほどの傷もないのに、死を経験するほどの痛みが襲う。脳が耐えきることができなくなり、一種のショック状態に陥る。この状態になって動ける者は、男女の垣根も関係なく、存在しない。

 動けなくなった仮死の兵士は回収され、鎮守府へ輸送し、戦争が終わるまで再び参加させることができないよう封じ込める。

 要は、捕虜を次々と鎮守府へ幽閉することによって、戦力を削っているのである。

「ニム代表としましては敬意を称しますが、医療の心得があるだけの一般人としましては、頑張ってくれればくれるほど仕事が複雑になってしまうんですわよ。こちらも失敗は許されませんから。あちらさん、始めこそ丁寧でしたのに、段々と大雑把になるんですもの」

 ……しかし傷はないとはいえ、一度は死ぬほどの痛みを受けている。ほとんど死を経験したも同然なのである。

 そこまでいってしまえば、精神にもダメージを受けていることが多い。心の傷は、身体の傷ほど簡単には治らない。

 ここでジュの出番と相成るわけである。

 まだ戦争が始まる前、ジュがミイと共に街へ出た際に出会った、ミナヤ=クロック。かつて、ニム試験の際に選眼を進化させられたように、彼女によって、ジュの魔は進化することとなった。

 身体だけでなく心に侵入し、傷口に心の血小板を作らせることができるようになったのだ。

 これを使えば、時間の経過だけに頼るよりも、明確に治癒する速さが違う。

 似たような魔を持つ、しかも医師免許を持つ女は、セゴナには七人しかいない。毎日数千の単位で敗北した兵士が輸送されてくる。ジュは一人当たり二分はかかるから、休む暇なんてあったものではない。

 だからと言って、働きすぎて医者が倒れられても本末転倒なので、ある程度はローテーションを組んでいる。

 その中でもジュは労働時間が一番長く、また休み時間が一番短い。五十時間ぶりに取れた休みが五時間。ニムのような職業についているからこそできる強行軍。

 それが、ニムの仕事をしばらく休んで鎮守府にいる理由である。

 ……が、眠る時間を削ってまで頑張っている理由にはならない。

 ジュがこれだけ頑張って仕事をしているのも、全く別方向に、少しぐらいの理由がある。

 すでにジュは、個人で行えることは全てやってきた。後は天に身を任せ、ミナヤ=クロックに祈りを捧げ、良い結果を待つだけである。……とは言え待つだけというのはどうして、かくも辛いものなのだろう。

 今は仕事にこの身体を投げ出すことで、少しでも不安を忘れようとしている。誰かに奉仕し続けるのは、ニムの心としては落ち着く。我ながらニム中毒だとも思っている。

 このぐらい身体を動かした方が、いまのジュにはちょうどいい。

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