△6

 それから暫く沈黙していた。

 すっかり夜も更けてきている。室内の光量は周囲が不足ない程度の光量に落とされており、あとは天窓から降り注ぐ星月の揺めきだけが二人を染め上げる。

 森の奥。海の底。空の彼方。

 そんな、鬱蒼たる静けさだけが包んでいた。

 シャは静かにワインを嗜み、ジュは無言のままに付き合う。

「この城は俺を殺す算段でもしているのか?」

 それを破ったのはシャからであった。

 尤も、ニムは必要のない私語は絶対に喋らないから、必然の流れではあったのだが。

「断じてございません。仮に襲撃がありましたら、私が盾となります」

 それが方便なのは分かっている。

 シャはセゴナの国境線を越えてから、護衛なども全くつけずに一人できた。モヴィ・マクカ・ウィへの男の大臣が勇猛にも単身で戦争を叩きつけたという喧伝のため。

 ただセゴナにしてみれば、これがとても厄介だ。

 シャの身に何かあれば、卑怯な手に身をやつしたと、世界的に非難される。これを防ぐためにも、それこそ、わざとシャを攻撃させるような真似をされるわけにはいかなかった。

 そのために警備はかなり厳重にしている。

 現に、部屋の外にはニムの他にも、セゴナが誇る親衛隊も見えない場所に配備されているのを感じていた。

 セゴナ側が暗殺してくるならともかく、『それ以外による犯行』など、あり得ないと言い切っても良かった。

 だからジュの言葉は、本人の意志がどれだけ反映されようと、ニムとしてのお為ごかししかならなかった。

「じゃあ、」

 元来酒に強くはないためすっかり酔いが回り、顔をほのかに赤に染めさせたシャは、大儀そうに立ち上がり、ふらふらとした足取りでジュを壁に追いやる。

 と、思いきや。

 機敏な動きで、臍の前で組んでいたジュの両手を、それぞれがっちりと掴んで、頭の高さまで吊りあげる。

「この針はなんだ?」

「――――」

 袖口を探ると、一本の針が落ちた。星月の光を寒々しく反射させた。

「ふん。首筋にでも刺せば十分に人を殺せるだけの長さと強度はありそうだな。そして、お前は先ほどから俺の背後に立とうとしていた。何故だ?」

 ――もしも本当にセゴナがシャを殺そうとするなら、話は全く変わってくる。

 そんなことだろうとは思った。

 数の暴力なだけが力のモヴィ・マクカ・ウィの軍隊は、シャがいなくなるだけでも簡単に崩壊する。ジェク=クァムは、内政は優秀であるが、軍の扱い方をまるでわかっていない。

 理想論や綺麗事などかなぐり捨てて、ただ勝つ事だけにこだわるのならば。

 自分一人を討てば、あとはなにもしなくても、勝手にセゴナの勝利となってしまう。

 ……まさか、その剣客にこの女を使うとは、夢にも思わなかったが。

 血液が沸騰していく。

 怒りで視界は赤黒く滲んでいく。

 それはあの夜に見た、ニヅ畑の豪炎のようだった。

 ジュは口を開こうともしない。あくまでも無表情であった。

「ニムは背後が定位置だと聞くから許してやったが、それに託けるとはな」

「…………」

「どうした。言い訳すらもしないのか」

「仮に私が針を持つ正当な理由があったとしても、主人に勘違いをさせる時点でニムとしては失格ですから、弁明の余地はありません」

 針を持つ正当な理由。そんなもの、どれだけ詭弁を繕おうが逃げ切れる自信は、少なくともシャにはない。口ばかり上手くなったシャでこれなのだから、使用人をしているジュには到底無理な話であろう。

「だったら、どう落とし前をつける?」

「この血肉に代えても、一生償う覚悟があります」

 ――わたしはイサちゃんのお嫁さんだもーん。一生付いてくよー。

 同じ声、同じ口。

 そして、言っていることのニュアンスまでもがほぼ一致している。

 それなのにどうすれば、ここまで冷淡なってしまうのか。

「ほう。なら……もしも俺が、お前の身体が欲しいと言ったら、どうする?」

「それが主人の望むことならば」

「…………」

 シャはジュの両手を掴んだまま壁に追いやり、ジュの頭の横に手を置く。

「こんなことにも耐えるんだろう? できるというのなら、忠誠を尽くして見せろ」

 ジュの臍に向かって、指を一本突きたて、そのまま突き刺す。

「……――!」

 ……魔というもの自体、外部的な要因で出せる能力が変わってしまうことが多々ある。

 焜炉のようなものだ。ガスを送る量を変えれば、その火力は思うまま。ガスタンクを掌握しているのが本人ならいいが、他人だったら。

 ガスの調整器とも言うべき桃臓は、臍の周辺にある。そこに力を込めて攻撃するとどうなるか。

「――――…………」

 魔が誤作動を起こし、暴走する。

 外へ流れ出るならまだ構わないのだが、もしも内側にガスが流れてしまったら。

 身体の中から爆弾の導火線に火を点けてしまうことになる。

 一度点火した導火線を止めるには、導火線の途中を切ってしまう方が早いと、女の身体は判断する。

 そうした防衛反応の結果、行う全ての動きを筋肉から止めてしまう。呼吸だとか鼓動だとか、生存に必用な最低限度の営み以外は、須らく働かなくなる。

 身体は一時的な睡眠状態となる。だが思考だけは変わらず保ち続ける。それどころか、これ以上ないくらい冷静になり、脳内が透き通る。身体が復旧した後、すぐに最善の行動に移れるように。

 当然、ジュも女であるから例外ではない。

 佇むことすら維持できなくなる。ジュは力を出そうとするが、すぐに全身から弛緩してしまっている。いくら完璧を求めるニムと言っても、生物としての弱点に抗うことはできない。酸素を消費しなくとも生きていけるなら、それは最早人間ではない。

 せめて精一杯、背中を壁に押しつけ、ずるずると滑るようにして崩れることで、衝撃を和らげることぐらいしかできない。

「……あ、」

 声を出そうとしても、まともに紡ぐことができないだろう。

 この行為は、女尊男卑の国でなかろうが、ほとんどの国で犯罪だと法に記載されているほど。男がすれば死刑になる国だって少なくない。もちろん、モヴィ・マクカ・ウィでだって。

 だがこの行為もシャは、すっかり慣れた。

 慣れた動きで、これまで通りに。

 あの、ジュを。

 この手で。

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