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モヴィ・マクカ・ウィから軍務大臣が条約の調印のために来城する。
その条約の内容。
宣戦布告と、受理。
セゴナは来るものを拒まない。それは断絶の意思も全く同様に。
モヴィ・マクカ・ウィは大国である。その強行の姿勢により近年は更に領土を大きく広げているが、その分反発も多い。
現在はセゴナ、ないしミナヤ・クロックへ反発する者を結託させ、ようやく烏合の衆と言える塊を保っている状態であった。
おそらくジェク=クァムが保有できる戦力は、これが最大値なのだろうというのがセゴナの見立てだった。
であるから、戦力と士気が最大の今、セゴナを押し潰そうというのだ。
だがジェク=クァムは慎重さも持ち合わせていた。
セゴナへ侵攻している間、当然ながらモヴィ・マクカ・ウィの本土はガラ空きとなる。その隙を狙おうとする国も多くある。親セゴナであったり、純粋に領土を取り返したかったり。
極論、モヴィ・マクカ・ウィはセゴナを陥落させることができれば、自身が傷つくことも厭わない。そうであっても、後顧の憂いがある杜撰な計画のままでは周囲はついてこない。
そこで、ジェク=クァムは一つの取り決めを、正式な書面を通して取り交わすこととした。
モヴィ・マクカ・ウィとセゴナの交戦で他国を巻き込まない。
これは表面上なら、他国にいらぬ戦火を広げぬよう配慮した紳士的な約束事。
して実態は、背後を突かれないようにしているだけの、白々しさすらある戦略。
……それを分かっていながら、セゴナはその条約に乗っかることにしたのだった。
むしろセゴナは周辺国に、モヴィ・マクカ・ウィとの戦いに手を出さぬよう、通達を行った。そうすることもジェク=クァムの計算にあるのかもしれない。
セゴナとて負けるつもりはない。その上で、あくまでも自分たちだけで鎮圧しようとしている。
こうして、開戦前の静けさは、そろそろ終わろうとしていた。
セゴナとモヴィ・マクカ・ウィによる一騎討ち。これを実現させるための歴史に残る一瞬。
それは明日、互いの軍務大臣が調印したら火蓋を落とされる。
「(ヤミ。くれぐれも粗相のないようにね)」
髪を纏めているリボンの先に、括りつけられている通信鈴から、ミイの声が頭に直接響く。
声というよりは、読書をする時に聞える心の声のような感覚。
今は職務中だから反応をしなくても済んでいるが、どうもこれは好きになれない。なんというか、身体に電気が走るというのか。
昔、ミイが嫌がっていたのも肯ける。……皮肉なことに最近のミイはあまり反応しなくなっているらしい。ジュも遠くない未来、そうなるのだろうか。
「(そちらこそ。うっかり、手に持った刃物を大事な大事なお客人に向けたりしないでほしいものですわ)」
受信専用だった通信鈴は今や、相互通信が可能となっていた。
「(直接の敵じゃないから。私にとって、今回のお客様は)」
ならばもしもモヴィ・マクカ・ウィの王、ジェク=クァムが直接城に来たりでもした日には暗殺でも謀るのだろうか……とは心に留めるだけにしておく。
失ったものが何もないジュに、一度全てを奪われたミイの気持ちなんか分かるはずもなし、同情してやるつもりもまたなし。
そういう本質的には乾いた関係だからこそ、ずっと一緒に居ることが出来ている。
「(通信鈴を私用に使わないように)」
ブツッブツッと何回か、糸を手で引きちぎったようなぶつ切れの音が頭を叩いた後、張りのある声がジュを攻撃した。
真冬の森の中、少し大きな石をひっくり返したら虫がびっしりと張り付いていたように、平坦な言葉の裏には凶悪なものが潜んでいた。
「(申し訳ございませんニム長。以後慎みます)」
「(ミナヤ様直々の指名ではありますし貴方に信頼は置いていますが、セゴナの外交に関わるのですから、くれぐれも慎重に)」
そんなことを言われても。正直、ここまではミナヤ=クロックの筋書き通りなのだから、ジュの意思ではどうしようもない。
ただただ従うだけ。
――だが、さて。
「こちらの部屋で御座います」
あくまでも感情を押し殺し、客人と応対する。
ニムは影。目立ってはいけない。
「ほう。これはこれはなかなかに」
ジュは客室にシャを通す。部屋をぼおっと見たシャは、そんな風に感想を言った。
今日の昼に到着してから、シャはほんの少しの休憩も挟まず一人の政治家として働きつめていた。
それがどんな目的であれ、城へ来たからにはもてなすのがセゴナの流儀。
会合から始まり、晩餐会を経て、残すところは明日の調印のみ。
それまでの一晩、城に泊まってもらう運びになっている。
その身の回りの世話は当然、ニムが行う。
「それでは私はこれで退室しますが、用がおありでしたらこの鈴をお鳴らし下さい」
長時間に渡る応対もようやく区切りがつき、後は今晩を過ごすだけ。そのためのゆっくり休める環境を作るのがジュの役割。
話したいことはいくらでもある。
しかし、ジュにはそうすることができなかった。
頭に繋がる、ニムとしての本能。
ニム長には、ある「魔」を使う権限がある。それは、城にいるニムたちの心を表面だけでも支配する、傀儡の魔である。
ジュが勝手な行動を起こそうものなら、ニム長に身体で行える行動の全てを支配されてしまう。そしてジュは撥ね退けられるほど防御に長けていない。それだけはなんとしても防がねば。ジュがしようとしている行動はあくまでも極秘裏に進まねばならないのだから。
シャ=イサに、またあの丘で膝枕をしてあげるためには。
今この場面は、個で動く時でない。
耐えねば。
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