▼7

「おおヤミさんや、ここにいやしたか。……って何やってるの?」

 紙製のコップを二つ持ったミイが、気が付いたら目の前にいた。

「……変なものではないでしょうね」

 先ほど、ミイが真っ先に飛びついた果物をジュは忘れていない。

「みかん水」

 そう言いながら、ジュの座っているベンチの横に腰を掛ける。

 まあそれなら平気だろうとコップを受け取り、クピリと一口飲んだところで。

「……………………どうやったら、こんな味が出せるのですか」

「いやさ、添加物の味がする果物ってのがあったからそれ使って混ぜてみたら、なんか駄菓子屋とかで売ってそうな味になっちゃったの」

 少々の酸味と、許容の限界を超える甘さ。みかんっぽくすらない。

 風景が夕暮れで赤に染まっているせいで色があまり分かっていなかったが、よくよく見ると蛍光色の黄色をしていた。

 断じて生物が摂取していい色ではない。

「よくも飲ませてくれやがりましたわねこんなもの」

「まあまあ。糖分は女の子の味方だよ。魔の減少は心の減少。魔を補給するには、やっぱ甘いものが一番だからさ」

「誰が女の子ですか」

「私」

「押し切るつもりですわね」

 年齢を考えて……などと言ったところで、ミイはその方針は変えないだろう。

「そういえば、さっき花火上がらなかった? あれなんだったんだろう」

「さあ? どこぞの粋な方が、人々を喜ばせるために上げたのではなくて?」

「うーん、あんな低空、もしもなんかあったら大変なことになってたような気がすんだけどなあ。人に直撃させれば殺せるぐらいの威力はありそうだったし」

「……そんなことが分かるのですか?」

「なんとなくね。戦場で使ったら面白いことになりそうだな、なんて思いながら見てたよ」

「悪趣味ですわ」

 ジュの言葉で、からからと笑うミイ。

「クイ」

 ジュはそうミイに呼び掛け、ミイの眼を見つめる。

「……なに? この短時間で目覚めたとか言わないでよ?」

「違いますから。」

 ジュの視界には、ミイの姿を右目で捉えると同時に、左目で薄紅色を写していた。

 ――自分の独創魔が、進化している。

 そしてその中に、深紅の膨らみを発見した。

 ああ、それは。

 ミイの心にある、憎しみの想い。決して治らぬ肉芽。

 これほど、これほどまでに巨大だったとは。

 これまでは、身体の傷だけを治せるにすぎなかった。しかし今回、ミナヤによって進化させられたこの能力を使えば、心の傷の場所を探り、心まで治すことができるだろう。

 だが、ジュはミイの友人として、意思を捻じ曲げるようなことはしたくなんかない。

「おーよしよしー。なんか黄昏てるねえ乙女。ん? 姉ちゃんに相談してみ?」

「クイに慰められるなど心外ですわ。人の心に侵害しないでくださいな」

「その駄洒落はどうかと思うけど」

「うるさいですわね。たまたま駄洒落になってしまっただけですわ」

「でも男に振られた女みたいな顔してりゃ、誰だって慰めたくなるって」

 そんな顔をしているのか。ジュはペンペンと頬を二回叩き、すぐに魔を使って痛みを打ち消す……のは思い留めておいた。魔に頼るから女というものは、根性というものが身に付かない。痛みを堪えることがないから。

「何があったの、私とはぐれてる間に。どうせ碌でもないことだろうけどさ。簡単なことだったら相談に乗ってあげるよ、割と真面目に、年上としてね」

 これでもジュより六歳は年上なのである。人生の先輩として、ここぞという時は頼りになってくれる。

 姉がいたら妹はこんな気持ちになるのだろうか。

 夕方という時間帯のせいか精神が酷く不安定になっているジュは、至極素直な気持ちでジュに心の内を開かす。

「――クイはどうしてニムの試験を受けたのです?」

「うん? ……仕事がなかったから取りあえず受けてみたら、合格しちゃって。まだセゴナの言葉、読みも書きも出来なかった頃だからさあ、本当、大変だったよ。筆記試験とか」

 あっけらかんと言うミイは、嘘は言っていないようだった。

「そのような適当な理由で何千万分の一の栄誉を引き当てたのですか。ニムに憧れている善良な女の子が悲しみますわね」

「しょうがないじゃん。ヤミの時とは違って私には、合格できるよう協力してくれる強力な助っ人がいたんだから」

 それは、たまにミイの口から聴くことだった。一人の力ではなく、ある人から協力をしてもらったと。

「……わたくし、これまで訊かないよう努めていましたけれど、今日でその禁を破らせて下さい。もしかしてその八百長は、ミナヤ様と結んだのではなくて?」

「うん。そうだよ」

 あまりに単純な答え。

 まさかセゴナ中の女が憧れる職業を、そんな裏取引していたとは。

 仮説は立てていた。それでも、呆気にとられるだけの事実だった。

 この心中にうずまく気持ちはなんなのだろう。軽蔑、侮蔑……それに近いものもあるし、この人らなら当然のこととして扱いもするだろうという諦めもある。

「ミナヤ様に取引を持ちかけられたの。『あんたの望むことは叶えてあげるから、その代わりにモヴィ・マクカ・ウィの元第一皇女の名前はちょうだい』、って」

「それを引き受けたのですか」

「当たり前じゃん。モヴィ・マクカ・ウィの姫様は、今の王に存在を抹消させられたんだから。私は個人的な感情としては復讐を望むけど、父上の意思を継ぐものとして、これ以上争いの火種を燃やし続けるわけにはいかない。私の名前を使うことで消化させられるんなら、気安く売るどころか、私が生涯稼ぐことのできる全財産を払ってでも渡すよ」

「セゴナにおいて、全財産を失ったところで何も痛くないじゃないですか」

「あ、ばれた?」

「主義がよくわからない国ですからね、セゴナは。生存活動は無料ですわ。欲しい物は働いたお金で買わないといけませんけどね」

「だからさ、セゴナにいると快適なせいか、金が人を変えるってことを、忘れちゃうよ」

 現在、モヴィ・マクカ・ウィの政治中枢は腐敗している。賄賂さえあればいくらでも昇進できるのだ。能力があろうがなかろうが、金さえあればどうでもいい現状。

 そんなことでは、国家というものが成立したとしても、誰のための国なのかが分からなくなってしまう。

 どこの国も孕むこの問題を、セゴナはある意味で、建国した時点で解決している。

 不老不死であり絶対の力を持つミナヤ=クロックこそ最高権力。政治をする者の身体が老いないから、政治の方針だって衰えることはない。

 そしてミナヤは、金などで買収などされない。その人物の能力だけを見る。人の価値に貴賎は問わないミナヤだが、適材適所の考えは持っている。

 セゴナという屋台骨は、これからも揺らぐ事は絶対にない。

「もしもモヴィ・マクカ・ウィが……いや、全世界がセゴナのようになれたらって、そう思う時があるよ、私は」

「少なくともわたくしたちが生きている時代では無理でしょうけれどね。だからこそわたくしは現代を愉快に過ごすために、せめて抱いている目的を果たさないといけないのですわ。所詮は他人任せですが」

「ニムってこうなると中途半端なんだよね。政治の中枢となる場で暮らしておきながら、政治には直接関われないんだから」

「政治を執り行う政治家が、気持ちよく政務に関わることができる場を提供する……それがわたくしたちの仕事ですわ。そこに意思など、点在すらしてはいけないのです」

「そしてこれから私たちは、その準備に取り掛かると。あー、ホント中途半端。くっそー。近い将来、ニム長に辞表叩きつけて、いっそ政治家になってやる!」

 拳を天に突き立て、盛大なる覚悟を決めるミイ。

「……なんのかんの言って、これが私たちが、平安でいられる最後の休みなんだよね」

 空を見上げると、カラスの群が山の方へ翼をはためかせて飛んでいく。

 あちらは、城のある方角か。

 黒い羽根に溜めこんだ太陽の光を、神へ献上しに行くが如く。

「ええ。次に二人揃って休みが取れるのは、モヴィ・マクカ・ウィとの戦争が終わってから、ですわね。それまで、二人で世界を平和にする方法でも語りましょうか、クイ?」

「やめやめ。ヤミとこんな堅苦しい話なんかしたくねっつの」

 そう冗談言いながら、二人は城に帰るまで暫しの時を、この広間で過ごすことにした。

 いつまでもこうして二人でバカなことをやり取りをしていたい。

 そう、強く願っていた。

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