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無事に服も買い終え、ミイに力づくでブェテーを装着させることに成功したジュは、街にある大型の書店に立ち寄ることにした。これは公私の公でもあるし私でもある。
ミイは一冊の雑誌を手に取った。
国内外の外交を纏めた、とてもお堅い雑誌。
「さて、その間にわたくしはこちらへ……」
ここはミイに任せて、ジュはそろりそろりと雑誌売り場の一角から離れようと――
「待て。仮にもニムを自覚する者なら、先にすることがあるでしょうが」
したところを、ミイに肩をむんずと掴まれた。
――正式な職務として含まれてこそいないが、ニムは政治家の秘書のような真似事もする。
その中では、民間で出回っている流言飛語を集めることが一番重要な役であったりする。
そこで過去のニムたちが編み出した案の一つにあるのが、街中に存在する、ごく普通の書店に並べられている雑誌を読むこと、である。
売るために陳列されている雑誌というものは、当然のことながら、売れなければ存在価値がない。出版側は売れる雑誌を発行しないといけない。
ということは、売れる本である以上は、人々が俗世で飛びついている生の情報なのである。
……という態で、これはあくまでどうしても仕事を最低限にしたいという、言い訳だが。
「えー。そんなもの、クイが一人いれば十分じゃないですの。なんのための書架整理係」
なので、好きなこと以外には全く食指が動かないジュは、やりたくもなかった。
「私は五人いる書架担当の中ではかなり下等だっつの。しかも読書力はヤミとどっこいどっこい。むしろ小説読んでるだけ、ヤミの方が文章慣れしてるでしょうが」
「そんな無粋なもの、わたくしは嗜まなくってよ。大衆的な小説などではなく、理解されぬ人が多かれど、文学こそ人間が編み出した文化の理ですわ」
「エス小説は文学と言えぬ、っての」
ミイの言葉を背中で受けて追い風とし、ジュは早々と違う売り場へ移行する。
そうして着いたは小説売り場。
魔を使う。
この不可思議な現象を操れるためか、女は何千年も生きておきながら、勉学というものを軽視してきた。
重視されるようになったのは、技の台頭によるところが大きい。
魔が発達させてきた文化は、せいぜい芸術方面がほとんどであった。その代わりであるからなのか、古典芸術は、どれも素晴らしいものを紡ぎだしている。
その芸術の一分野……世界的な文学で最も主流なものこそ「エス小説」。
女にとって男とは家畜のような存在なのであって、それ以上の価値など湧かなかった。しかし女は恋をする生物で在り続けた。どうやってその鬱憤を晴らすのか。
そんなもの、答えは簡単。女同士で愛し合うのである。それで万事解決。
どうして男などという汚らわしい生物を愛さなければならない。綺麗な自分の同胞を愛し続けていればいい。昔の女はそう考えた。
そんな時代の遺物こそエス小説。切なくも甘い恋愛を描いたそれは、今でも文学としては高い評価を受け続けている。
男を軽視しているので男尊女卑を唱える国では風当たりが強く、統制が行われることも多いが、物語は物語と割り切れるセゴナでは、そんなものはあってないも同じこと。それどころか男でも読者は意外にいる。
「……うふふ。ふふふふふふふ」
「こら、なにをニヤけとるか」
出だし数ページを読んでニヤニヤしていると、ミイがジュの頭をボンと叩いた。結構痛い。魔を少々使って治癒をする。
「一人では手が回らんってのに。手伝え」
座って何かをするのが苦手なミイだ。文章を読むのが苦痛なのだと。それならどうして書架担当班なんかに回ったのか。情報集めの特訓をするわけでもあるまいし。
「まったく、エス小説のなにがいいんだか」
「今やエスは、禁忌を犯すみたいな背徳感がありますからね。ああ、ぞくぞくしますわ」
「うわぁ……」
女尊男卑など最早化石の感覚ではあるのだが、女性の身体で生を授かったジュとしては、身も焦がれるような恋愛に少しは憧れてしまうのである。
「大丈夫、間違ってもクイには興奮しませんから」
「『クイには』ってことは……」
「さあ、なんのことかしらねえ」
自分の職場はそれなりに至福だ……と言ったら、ミイはどのように反応をしてくれるか。
かなり気になりはしたが、本格的に同性愛者と思われても今後の職務に差し支えが出そうなので、やめておく。同僚は女しかいないのだから。
「さっさと男とくっついて、私を安心させて……」
「いいのですか? わたくしが一足先にクイよりも幸せになって」
「そう言われるとむかつくだけなんだけどさ。ただ一つ言っておこう。私は男運がないだけで、やろうと思えばいつでも結婚なんてできるんだから!」
ビシッ! とジュへ指をさす。ジュも同じようにミイへ指をさして反撃。
「守隊の誰かと密会したという情報を風の噂で聞いているのですがそれはどんな弁明を?」
「あれは、恋愛対象に、なるような、奴らでは、断じて、ない!」
ぶつ切りにしつつ強調して言うミイは、いかにも隠したいことがありありな態であった。この程度の攻撃で崩れるとは。
「ヤミだって両刃の女とか言われてるけど、それも仕方ないよね。具体的にどんな男が好みなのかって言ったことないじゃん」
「ちょっとお待ちを」
今、ミイの口から聞いてはならない単語を聞いたような。
「わたくしが、いつ、両刃の女に、なりまして?」
「違うの? エス小説が好きで、しかも恋愛願望はあるんだから、間違ってはいないでしょ」
「全然違いますわ。確かにわたくしはミイ以外の女性なら大抵を愛せますが、男性の場合はこの世に産まれ落ちてこの方、たった一人しか愛していませんわ。その方以外の男性は、死滅しても問題ないとさえ思っています」
エス小説が大好きと公言こそするものの、ジュは普通に男が好きなのだ。
むしろこんな性癖がないと、好きなあの人だけを一途に想い続けることができない。
普段は虚構の女に愛欲を向けているからこそ、現実の男への純潔を守っている。
「過激だねえ。善良なる一般セゴナ人にはありえないねえ」
「所詮、亜セゴナ人なわたくしですから。都合のいい時だけ人種を使い分けるのですわ。まあ、言っても理解されない感覚でしょうから、一応ですけれど、好みの傾向を教えておきます。わたくしの好みは……」
人の口に戸は立てられぬ。それも、女しかいないような職場だったら尚更のこと。
ならばいつの間にかついてしまった噂を、より面白おかしく、それでいて被害は全くない形で掻き回してしまうことの方がよほど簡単。
ジュは一冊の雑誌を手に取った。
「『この人』ですわ」
それはファッション雑誌ではなく、はたまた誰かの写真集なわけでもなく……お堅い政治雑誌であった。
表紙に二人の男女の写真が載っていて、ジュは男性に指を差す。
表紙の見出しは「モヴィ・マクカ・ウィ、ついにセゴナとの開戦に踏み切るか!?」
「なんでよりにもよって、敵国の軍務大臣を例に出すか」
「いいじゃないですか。特別な思い入れがあるのですから」
「……え、まさか、その人そのものが好きなの? タイプとかそういうの超越して?」
「これ以上ないくらい、分かりやすいでしょう?」
「そうだけどさ」
ジュの言ったことには肯定したが、ミイは渋い顔をする。
「まあ、そいつは私の敵とは関係ないから、いいんだけどさ」
表紙に大きく掲載されている、男性の顔を見ながらミイはそう言った。
「いくらわたくしでも空気は読みますわ。もしもここで、わたくしの好みの人間がジェク=クァム王だなんて言ったら、わたくしはクイに殺されても文句は言えませんからね」
「まあね。いくらヤミだろうが――全力で潰す」
武術に関してはニム中でも随一の腕っ節を誇るミイ。本気で襲って掛かられたら、ジュでは対抗のしようがなくなるほど。
ずっと仲良くやってきたジュを、躊躇なく潰せる。
そのぐらいの憎しみを、ミイはその身に抱いている。
「……ミナヤ様、どうせならぶっ飛ばしてくれないかな。そのために私が直接手伝えることがあれば、いくらでも協力するんだけど」
言葉こそ軽いものであったが、ミイのその言外に込められた黒さは、平穏に生きてきたとしか表現のしようのないジュには、こちらの胸までもが苦しくなるほど、切羽詰まったものであった。
「クイにとっては、今でも許すまじ仇なのですか、ジェク=クァムは」
――現在のモヴィ・マクカ・ウィの王こそ、ミイの父を殺した張本人なのだから。
一冊だけ言語が違う雑誌がジュの目に入る。モヴィ語だ。
モヴィ・マクカ・ウィで発行されている雑誌が輸入されてきている。それを手にして、ぱらぱらと流し見してみる。この雑誌は、現在の王の治世を褒め称えているものだった。
さらに適当に捲ってみる。すると、軍務大臣の写真が、見開きを使って掲載されていた。二万の民衆の前に、演説をする若い政治家。
外套を翻し、両手を天に向けて掲げている。
シャ=イサ。
それが、今年になって晴れて軍務大臣になれた男の名前である。
若干二十二歳でありながら、政治分野でも軍事分野でも結果を残している。失業率が高くなったモヴィ・マクカ・ウィは軍需産業に特化させたことで、わずか二年にして失業率を回復させるに至った。
若さゆえの行動力と、それに噛み合った実力。
民衆が熱中するわけだ。
そして。
ジュ=ヤミがセゴナに来る前……産まれた時から、ずっと想い続けている男性でもある。
「……出版統制が始まった、か。そのうち、思想にも規制がかかりそう……お父様はこういう社会を是正してきたのに。ここまできたらもう、戻ることはできない。歴史書見てれば分かるよ。現代までに崩壊した国とおんなじことを繰り返してるもん。あと何年もつかなこの政権。まあ、だからセゴナに戦争を仕掛けてくるんだけどさ」
「理想郷に住む民。その民は、本当に平穏な心を手に入れることに成功した。……『普通の人間』からしたら、これほど怖い存在もありませんわ。不安を煽る対象としては、良い材料なのでしょう。セゴナという国は」
ジュもミイも、セゴナという国には常日頃から恐怖の念を抱いている。零距離で観察し続けているのにも関わらずだ。
ならば、それを遠くで見ている人間は、どう思うのだろう。
怖い。自分たちの近くに寄るな。あんな奴らは殺せ。
異端を排除するからこそ、人間は心に均衡を保つことができる。
女が魔を持つことに成功しても、男が技で反逆することに成功しても、それでもほとんどの人間は、未だ「動物」のままなのである。
その心情を操り、打倒セゴナの意思を固めて政権を握っているジェク=クァムの手腕は、敵ながら見事としか言いようがない。
「……もう諦めてるけどね。お父様はミナヤ様のように綺麗な政治だけを執り行ったんじゃないのは確かだし、ジェク政権の成立で喜んでる人がいるのも否定はしない。……だからといって、笑顔で迎え入れることができるほど私は強くない。ニムの仮面をつけて、心を押し殺して。そうやってようやく、目の前にいようがなんとか刃物を突き立てないでいられるぐらいの平穏しか保てないよ」
「しばらくの間、暇を出して城から去っても、クイに文句を言える人はいなくてよ。せめて、モヴィ・マクカ・ウィとの戦争が終わるまでの間ぐらいわね」
「私にも意地がある。敵が目の前にいるからって、逃げてはいけない。そういう意地が」
「お強いのですね」
「まさか。強がってるだけだって。……さ、集めるだけの情報は集めたし、もう行こう。これ以上暗い話して、せっかく遊びに来たのに気を滅入らせる意味もないしさ」
「あ、ちょっと待ってください。これだけは買いたいです」
「……締めさせてよ」
両手で抱えるほどのエス小説を、レジへ持っていくジュであった。
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